2004年06月03日

事件について2

掲示板の書き込みだという
各紙の論評を読んで違和感を憶える。

掲示板のやりとりで、直接の人間関係の無さが、「関係性の希薄さ」の視点から論じられている事が多く見られるが、これは全く違うと思う。
おそらく殺害された少女は「友達らしい事」を言ったに違いない。犯行に及んだ少女は一緒にバスケ部に入部し、一緒に辞めたぐらいで、直接の人間関係もあったわけだ、

むしろ掲示板やチャットが醸し出す、より「濃厚な世界が、現実と象徴化された楽園のイメージの判断を狂わせた」というのが、正直なところだろう。つまり、理想化された意心地のいい雰囲気とは(ここは推測になるが)新聞記者の娘という境遇から、殺害された少女に特有のこころに根付いている「優しさ」で、これは殺害された少女のアイデェンティティーに違いないが、「ほんとに仲良し」になった時には、この少女も何処の小6と変わらない少女に過ぎない「友達同士だよね」へと関係を昇華させるのは、ごく自然な事だったろう。

つまり、その書き込みは「まだまだ他人、という関係の人に見せる彼女らしい『優しさ』から『友達らしさ』へと関係が親密な方向へと、変化した書き込みだったのではないか」つまり「夢の楽園から、生生しい友人同士の絆の世界」は犯行に及んだ少女にとって、「自分だけの居場所の崩壊」と認識される。おそらく殺害された少女の文章の前後を含む解釈は、全く書き込んだ本人の意思とは違う意味に解釈されていると思う。

その子は自己主張の苦手な子、と『親』に称されている。
親が自分の娘を『自己主張の苦手な子』と平気で話せる感覚そのものが理解できない、自己主張の出来ない閉塞的な家庭は、少女にとって『全世界』を意味する。

あまりにもいたましい事件で、殺害された少女にかける言葉もないが、彼女の書き込みは、殺害に及んだ少女を中傷するものでなかっただろう事を、俺は確信している。
posted by kagewari at 22:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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