2004年06月09日

まだ書いていないテキストの主題について

造語があるんです。「エゴセルフ」
随分前から頭にある造語で、「自我=エゴ」を客観的なものだからこそ(自分とか考える自分って案外、自分なんかなーって思うじゃないですか)このエゴを正式に「自分なのだ」と定義付けるイメージの言葉です。

エゴイズムがあんまりイメージの良くない言葉として、知れ渡ってしまったので使いにくいってのが、本音です。

ユニークもそうです、これ「独自」とか、見ようによっては「才能」なんですが(素晴らしいとか、驚くべきとかって意味でもあるから)日本語では「なんか面白おかしい」とかの属性がくっつきます。これは日本では人と違う事の意味が「問題のある」とされる雰囲気に連想される幻想があるからでしょう。俺はこれを逆説で(「逆手に取って」かなぁ)「変わり者」って言葉を最上級の褒め言葉だと勝手に思うようになりました。

これは完全に人格に定着してて、「変わってるねぇ」と聞くと、ちょっと快感なぐらいです。

話を戻しますが、エゴイズムを我侭なイメージで捉えるのは間違いです。普通の人の目に「個人の意識」がはっきりと見えやすいのは『何か利害関係の軋轢や、紛争がある時』なので「あ、エゴだ!」と思うって、そんな流れからきた誤解です。
エゴの出番(自己意識による判断)は歯を磨く時にだって、通勤電車の立ち位置にだってあるんです。焼き鳥屋で何を注文するのかを決めるのもエゴです。

これ、考え方によっては、焼き鳥屋で何を注文するのか?このテーマであなたはレーゾンテートル(存在意義)を問われてるって解釈が可能です。「俺の生き様ってのはよー」なーんて劇画調である必要はありません。「カレー屋で何を頼むのか?」こっちの方が大事なのではないのか、と俺は思います。

俺がずーーっと考えている「エゴセルフ」ってのは、自分自身であることの担当者責任みたいな自覚の事です。漢字のイメージは「独」、独立の「独」単独者の「独」ですね、「毒」みたいでちょっと響きが何なので「一人」を「ひとり」とか「独り」と書く事で表している事もあります。

ユニークとエゴセルフ、実は一体で、目に見えて違う事に意味があるのでは無く「いつも違う選択があるかもしれない自由」に意味があると、俺は考えています。

ここで問題になるのは「規制」ですね、エゴにとっての強敵は「常識」時に「道徳」でしょう。(かといって不道徳って事じゃないですよ)ここの説明がこれまたややこしいんです。
自我の安定ってテーマを随分長く考えてきたけれど、極端や目立つ事では無いってのは間違い無いんです。日本的情緒で言えば「わびさび」で、「こんなのどうかなーっ」て小さいとこに「エゴセルフなアイデェンティティーは隠れている」と思います。

ここに断言します「カツカレー下さい」
posted by kagewari at 23:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月08日

仕事を考える2

よく「仕事が趣味の延長だと幸せ」という。
或いは「稼ぎにならないなら、それはアマチュア」ともいう。

さて、この辺の話を聞いたままに受け取ると、ちょっとズレている事がわかる。
「仕事が趣味の延長だと幸せ」
趣味の定義が人それぞれで、趣味にも「ホビー」「ナッツ」「マニア」「たしなみ」「遊び」「〜狂」「趣味人」など、イメージが随分と違う。実際『仕事にもなる趣味』はその趣味の楽しみ方が、はんぱな仕事より人生を賭けたものだったりする、、
んで、この言葉をデ・コードする。
「仕事をそれほどやるんだから、仕事が趣味なんだろう」

「稼ぎにならないなら、それはアマチュア」
じゃオリンピックは?
デ・コードする
「稼がないのは、動機が金儲けじゃないから」

仕事ってのの報いが「報酬」なんだけれど、何をやって報酬を得るのかって考えると、「なんだか知らないけれど、随分やったもんだ」てな自覚が無いと、報酬も貰い甲斐がない気がする。そもそも報酬にもいろんな形があるような気もする。
そして、仕事の結果にもいろんな形があるのであって「やったな〜」と思うことは、客観的には自己満足かも知れないが、「自己が満足もしない事で報酬をもらっていいのだろうか」とも思う。
posted by kagewari at 00:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月06日

躾(しつけ)について、「親子関係」

事件は風化していくのだろうけれど、なんとなく事実関係が見えてきたような気がします。
やはり殺害された少女は中傷などしていませんでした
そして殺害に及んだ少女は「何であんなことしたのか」と話したそうです

これをアニメファンだった事でくくる論評もあるでしょうが、それは一面に過ぎず、取り違えると全く話が逸れていってしまいます。
大事な事は、何が彼女を空想の世界に追いやっていて、彼女がその「救い」としてアニメだったのか、であってアニメが趣味であった事自体は、何処にでもいる普通の少女と同じです。

厳しい家庭だったようです。

「躾」って何でしょうか、そして誰のためでしょうか、
「〜家として」や「地域の伝統」「人としての信念」そんな自覚のある『望』を親が子供に伝える事でしょう。それを完全に取り違えて「体面」や、単にイライラする態度に腹が立って「〜しなさい」となったら、これは只の「暴力」です。

「躾」が本物であるのか否かの境目は
「それは違うんじゃないのか」と『反抗し甲斐のある』中味のしっかりした(根拠の明解な)ものであるのか、に尽きます。

子供には「親が好き好んで暴力を振るう」なんて解釈は出来る筈ありませんから、「なんか大事な事だとか言ってうるさい」としか理解できません、これは一見反抗しいるようで違うんです。
「大事な事」自体を否定していないからです。
『従わない自分』が自分のセルフイメージになってしまい、「自立的に何かしてみよう」という気持ちを持てなくなります。
それは『大事な事に従わない人間が何を』とのやり場の無い気持ちに支配されてしまうからです。

ただ行き場の無い「怒り」の渦がこころを満たします。

恐ろしい事ですが、「無作為の無責任な言動(偽の躾)が人を殺してしまう事がある」とも言えます。

自己表現が苦手な子だった。
そうさせたのは誰なのか、それは法廷ですら明らかにはならないでしょう。殺害に及んだ少女の今後は?担当する医療関係者の腕に委ねられるのでしょう、
とにかく、この家庭には「他人の介入」が必要です。誰かがインナーワールドと社会を繋がなければ、「現実の回復すら、そこには無い」と言えると思います。
posted by kagewari at 21:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月05日

小泉政権はなんか変だと思う

「小泉人気」なるものを、背景に世論を甘く見ているのではないだろうか。
内閣支持率は、ほんとうに実質的なものなんだろうか、、
世界の心配ははずれ、アメリカ世論は健全で、ブッシュの支持率は下がっています。

「人気がある」これの根拠が明解じゃなかったら、中身は空っぽです。

いつも求められているのは「中身」であって、根拠の無い人気じゃないに違いない。「最近の女の子は元気がある」とんでもない発言で、こんな発言の根拠が「小泉人気」だとしたら、どえらい傲慢さです。
世論を嘗めてはいけないと思う。
posted by kagewari at 14:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月03日

事件について2

掲示板の書き込みだという
各紙の論評を読んで違和感を憶える。

掲示板のやりとりで、直接の人間関係の無さが、「関係性の希薄さ」の視点から論じられている事が多く見られるが、これは全く違うと思う。
おそらく殺害された少女は「友達らしい事」を言ったに違いない。犯行に及んだ少女は一緒にバスケ部に入部し、一緒に辞めたぐらいで、直接の人間関係もあったわけだ、

むしろ掲示板やチャットが醸し出す、より「濃厚な世界が、現実と象徴化された楽園のイメージの判断を狂わせた」というのが、正直なところだろう。つまり、理想化された意心地のいい雰囲気とは(ここは推測になるが)新聞記者の娘という境遇から、殺害された少女に特有のこころに根付いている「優しさ」で、これは殺害された少女のアイデェンティティーに違いないが、「ほんとに仲良し」になった時には、この少女も何処の小6と変わらない少女に過ぎない「友達同士だよね」へと関係を昇華させるのは、ごく自然な事だったろう。

つまり、その書き込みは「まだまだ他人、という関係の人に見せる彼女らしい『優しさ』から『友達らしさ』へと関係が親密な方向へと、変化した書き込みだったのではないか」つまり「夢の楽園から、生生しい友人同士の絆の世界」は犯行に及んだ少女にとって、「自分だけの居場所の崩壊」と認識される。おそらく殺害された少女の文章の前後を含む解釈は、全く書き込んだ本人の意思とは違う意味に解釈されていると思う。

その子は自己主張の苦手な子、と『親』に称されている。
親が自分の娘を『自己主張の苦手な子』と平気で話せる感覚そのものが理解できない、自己主張の出来ない閉塞的な家庭は、少女にとって『全世界』を意味する。

あまりにもいたましい事件で、殺害された少女にかける言葉もないが、彼女の書き込みは、殺害に及んだ少女を中傷するものでなかっただろう事を、俺は確信している。
posted by kagewari at 22:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月02日

多くは語れないけれど、あの事件のね

今日報道された小学生の殺人事件
俺にとっても衝撃でした
共同幻想(個人が常識に保護される結界みたいなもんです)が徐々に崩壊してて、「精神的に危険水域になる人が構造的に増える」というのは時代の流れだと思うけれど、これは実は個人の自由領域が増えるのと全く同じ意味なんだな、
そこで俺は今の新世代を買ってます、環境としてもデフレで育ってる層はツイてるって思うんだけれど、この(あえてそう言いたい)「理由無き殺人」が社会と関係無いとは言い切れない。

関連性なんです。人はよく個々人の特異な事件や現象を、世界と関係無いと捉えがちだけれど、少数派と多数派はいつも補完関係にあって、ほんとに特異な個人がいたとしても、隔離されていない限り、周りの人物がその人に与える影響を、ゼロ定義するのは不自然だと思う。
故に、この背景にある層が心理的に実存していると考える。

情報が全く無いので、これって分析の取っ掛かりは無いので、無理にコメントはしません。
只言える事は一般論の「怨恨による殺人動機」ってのが「内輪乃至近親憎悪」の感情を基底にしないと有り得ないって事。何故かと言うと、「そうしてもいい理由」が人格の中で合理性を持つからです。
「僕の誰」「私の誰」って概念があると「所有」が背理に隠れるので、対人関係とインナーワールドの境目が曖昧になる。家族意識の投影ってだけでくくるのは乱暴なんだけれど、「自分自身に、抜け出せない枠、みたいなのがあると逃げ場が無いので逆に追い詰められる」って流れです。

それにしてもあまりにも衝撃的な事件で、慎重に、報道から得られる情報をつき合わせてから考えてみたい。
posted by kagewari at 00:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月01日

梅雨ですか?「傘を差さない」について

ここ10年ぐらいか、梅雨というより雨季って感じる事が多い。
「傘を差さない」と決めたのは学生の頃なので、かれこれ20年です、仕事の関係で今は「絶対傘を差さない」って事は無くなりました、何故傘を差すのを辞めたのかというと、学生だった当事俺は時々レコード買いに渋谷のタワーレコード行ってました、人ごみを避けるように「東急ルート」で行くのだけれど、狭い(1.2m歩道か?)歩道をすれ違う時に、雨が降ってると傘の端っこがあたるというか、刺さるんですよ。みんな傘をかしげてすれ違っていくのだけれど、梅雨時なんかだとほとんど雨がやんでいる事も多かった。
 傘を差している事でかなり面倒な事になってるわけです。ところが雨はやんでるのに傘をたたまずに歩いてる人がやたらと多く(こういうケース最近減ってると感じます)肩とかに「刺さる」んですね傘の端っこが、「おい雨やんでるぞお前」って気持ちになるのだけれど、まさか「雨はやんでますよー」っと大声でアピールするのも変な話で、「傘が無くても大丈夫なのではないか?」に挑戦する事になりました。
 当事俺は、実存主義なんかが好きで(今でもですが)「不条理だな〜(全然違うのだけれど)」なんてけっこうそのアイデアが気に入っていて、どんな豪雨でも全く気にしないでびしょぬれで講義に出てたりしました。さすがに体調管理が大変で、その後10年ほどで、レインコートを持ち歩く事になるのだけれど、結構重いんですよね、これが(傘を差さない期間の長さで、天気予報を見ないのが癖になっていて当時は毎日持ち歩く方が、気は楽だったワケです)。
 傘を差さないで歩いていると、まだ余裕で雨が降っているのに、何人もの人が勘違いして傘の端から頭を出して「雨やんだのか?」って確かめるんです。『雨が降っているから差す、というよりみんな差してるから自分も差す』って共同幻想を目で確かめられる典型的な例のひとつだって思っていました。「雨が降っているのに、すれ違う人の動向の方に優先的に反応してしまう。」これに加担したくなかったので、俺は傘を差すのをやめたってワケです。
 あれから随分たちました、今は時々傘差しています。でも、未だにレインコートには目が無くて、いつも軽いレインコート探しています。
posted by kagewari at 07:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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