今日中にできっかなって思うけれど、、
今はretourのHPにかかりっきりで、なかなか自分のとこに手が廻らない。実際毎度の事で、心理学テキストの次の章もまだなんだなこれが。この辺には事情もあります、心理学テキスト書く上で、その内容はもう決まってるのだけれど、問題は表現です。
何を書くにしても、なんてーか学会発表(最初から無理かな、、)とか卒業論文みたいなの書いても意味無いわけで、
いつか書きます(言語論)が、言葉には限界があります。
何故って「通じるから」です。
それだけ膨大な共同幻想を背景にしないと、言葉は通じません。単語の数だけ共同幻想がある。個人的な意見となるとそこには「この言葉はこうあって欲しい」という『おまけ』がたいがいついて廻るのだけれど、これ始めると物凄い長い文章が必要です。俺のテキストにたとえ話や、大袈裟な表現、大風呂敷広げたり、「極端に言うと」とかが多用される原因です。
とても難しい、感じた印象を言葉を通じて伝える事はほんとに難しいです。単語の定義を一個一個詰めるわけにもいかないし、、、
そこでイメージやシーンに俺は頼っています。昔昔シナリオスクールに通った経験があることもあって、最初からストーリを展開して説明するのは好きですね。これもまたちょい抽象的で「わかりにくい」とよく言われるんだけれど。
わかりやすい=違うイメージ(読んだ人なりのイメージに加工される)、って事になりがちで、理想は
「なるほど、これは変だ」
な、もんだから尚更です。変な事は想定されていないわけだから、わかりやすいのなら既に思いついているのであって、、ね、そうなんです。
でも「気になる」は不思議と通じます、これはなんでしょうね。どうしてでしょうね。「個人から離れた客観像」だからです、なんとなくわかってもらえるかな〜、「自分」が絡むと人はなかなか「譲れない線」が登場し(おそらく超自我)「なかなかわからない部分」が増えるんです。
ともかく「気になる」今日明日のレベルでupします。
retourのブログにプレリリースしますが(不動産の調査中に発見したもんだから)HPの「気になる」を覗いて欲しいっスね〜