今はもう読まないスペンサーのハードボイルド小説にありました、そんな本。
全然関係無いのですが、いいことばかりがきっかけにはなりません。何のきっかけかってそれもよくわかりません。
ただ、何かが動くって事は悪い気がしません、そんな話です。
だとしたらどうでしょう「こりゃダメだ」って事“一段”で考えると話は単発で面白くありません、その後に起きる予定外の流れは自身の手に寄らないものなので、考えるだけ野暮です。
何が何って、某なんとかセミナーでは「ネガティヴシンキング」とか「ポジティヴなんとやら」とかの話がでてきますが、一概に「まるでしょうもない」とも言えません。つまり「わからん」って事です。ちょっと見「こりゃダメだ」って事の続きがちょっと面白いって可能性は予見不可能です。だから「なんだかやだな」って事で足を止めるのは損かも知れない、そんな風に思います。
「次を予定できない」って事は、不安にも繋がりますが、もしそれが不安なら、「予見できていない証明」でもあります。不快感を「なんかの兆し」と捉える事も可能なのじゃないのかって俺は思います。