2019年11月29日

仲間はずれの”仲間”(暗韻:隠されたフラグ”家族”←これ一種のトリックじゃないのか?)

確かに世帯でバラつきあるとは思うけど、
「家のお母さん(お父さん)には遊び仲間がいてね」←どちら言えば聞かない話でしょ
遠からずってのに
「家のお婆さん(或は自分の兄弟)にはカラオケ友達がいるので今日も遊びにいったらしい」←こっちは何気に耳にすることがあり得る話ですよね
 ↑
考えるまでも無く、遊び仲間の影がちらつく人って家族のコア(夫婦)から属性的に離れた独身個体に想定・観測される。

■学校などで昭和に行われた「みんな友達」の意図した裏コードは「家族的経営企業」みたいなものです(部活なんてさレギュラーが監督の家に寝泊まりしているなんざザラなんだから)。
※イタリアマフィアの俗称からして「ファミリー」なんだし

会社構造の中でもどうですか?
交友幅ってのか仲間や群れで行動する”人数”ですよ、
当然ここはピラミッドバランスだから上位者ほど減る(頂点の「社長の孤独」なんてね、)
「50代以上の部長達が8人も集まってとっての仲良くカラオケに」←そらさ【知人の話】で探せば珍しくそんな人達いると思うけど、
社会学的に立論するとさ、
 ↓
「地位の低いものや若年層ほど(上部構造から外れるため)群れの人数やスケールが大きくなるだろう」
(小学低学年にもなれば「どらえもん」的人数を想定しても違和感が無い、総勢5、6人)
(小説、ラノベ、アニメや漫画の青春漫画の主要登場人物数は、2、3人)
(サラリーマン奮闘ドラマの”群像シーンでの部下は多いが’”大事な密会シーンは必ず2人)


●この集落の目的だけれど
原始『共同幻想』から言えば、世帯の構成・結成(性対象の発見)を促す、
コアである”家幻想”外郭メンバーの補完だよね(その周辺の下部組織:サブセット)
※故に家長は門限設定など「交友関係での遊び時間などを管理する権限」がある


<<<<故にそもそも論として、>>>>
■「交友関係であるとか仲間意識」なる概念の理解は、暗黙の『共同幻想』肯定の始まりで、
 ↑
その概念を共有するんだから、母体組織となる”群れ”そのものへの共通認識(仲間意識)無しに不可能だから、”仲間意識感覚”って言語がもう『共同幻想』なんだと言える。

結果として「同世代などの交友関係や仲間ってのは(ヤクザ社会なら兄弟の盃)、家族『共同幻想』の予行演習やその補完や代用品」と位置付けられる。

逆説的に言えば、現代個性化多様化社会の場合、
そもそも論としての「仲間意識」なんて〜な概念を最初から知る必要も無いのだよ。
(日本国民としての共同体意識は別次元だから→災害などで助け合うのは”仲間同士では無く”、見知らぬ者同士の共同体意識です。→共同体意識とは災害救助や安全保障など「社会的合理性の事」→災害解決後即時解散する。)
 ↑
(民度の高い先進国国民なら災害時など協力する事が合理的であると考えるのが”インテリ的意味で常識”であるため。『単独者』的には”その用”がある時にはいつでも呼んでくれ)

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posted by kagewari at 05:41 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月27日

「怒りのスケール論」再挑戦


前回はひも解く材料として「復讐」に拘るあまり、一面的になり過ぎたかなと反省。
まず、基本の『他所様』現象から取り上げてみる。
●閲覧記事の参照マストでお願いします
http://kagewari.seesaa.net/article/471644884.html
http://kagewari.seesaa.net/article/471656915.html



■まずモデルとして崩れる前の近代前後の旧『共同幻想』で考えてみる
(打算化とか世俗化前なのでそのがわかりやすいから)
『共同幻想』とは権力構造そのままに階級制のピラミッド型社会で構成される。
わかりやすく言えば、
「家庭道徳<公衆道徳<フォーマルな格式<権威儀礼<王の勅令<宗教的神託」
 ↑
「おてんとう様」「世間様」ってのは事実上神を暗示する”様”だよね
「他所様」はもうイメージからして人間界の話だから、神属性では無いが”様”がつているので上位概念に置かれている。
「人様」となれば(何ら権威性が無くても)赤の他人というだけで上位と認識するようにって意味でしょう、
(個人の正義感や家庭内道徳より上位である)

(※ちなみに権威性認知と無関係な『単独者』は、特別その合理性に自分の実存が阻害されない『共同幻想』は「あーそんな文化があるのね」的にとりたたて意識しないので、慣習程度の認知となる。→相手が欧でも標準語なので言語的暗示にひっかからない。)


「お前、他所様相手になんてことしてくれたの!」という叱責や
「人様のものに手を出すなんて、なんてこと!」とかね
(ヤクザで言えば「テメーこら、カタギさん相手に手ェだすなんざチンピラのすることじゃねーか!」「客人、スイやせんでした、コイツにはあっしがケジメ付けときますんで、ここはアタシの顔に免じて許しちゃくれないだろうか」→後に弟分をボッコボコ)
 ↑
この会話に権威的正統性が発生する理由は→言語の暗韻が上位概念だからでしょ


『共同幻想』適応者にとって上位概念との接続は、
間接的に上位階級の偉いさんの言葉と同義である。
(さっきのヤクザの事例の、兄貴分の説諭って図式そのまま。仮に親分の言葉ならもっと大変な事になる。)
「自分が上部構造に出世したワケでは無いが、上位概念との接続は高揚感に繋がるよね?(或はエディプス的畏れ《おそれ》←畏れ多い)」
 ↓
 ↓
■偉いさんに声をかけられ「恐縮です」
(偶然好きなタレントさんに握手できた時にも似た雰囲気になる)
”恐縮”だよ”恐縮”、恐れ縮あがるんだぜ?
畏敬の念じゃないが、種類の違う『興奮』に変換されてるよね。
やはり一種のカタルシスかな(この件《興奮》は上位の俺に預けてくれないかと似てる)

※カソリックで言えば「懺悔効果の一種」とも言えるかも
※吐き出す(本音や愚痴を吐露する)って意味のカタルシスで言えば、同列階級の日常の中では無くて(相手が友人でも)「ちょっと話を聞いて欲しいんだが」になると”相手に微妙な移転が行われ”その時だけ『他所様』見做しとすることで「仮想的にちょっとだけ上位者に置いてる」→話の後で「ありがとう」言うのが自然になってるからね。

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posted by kagewari at 03:21 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月26日

「怒りのスケール論」(未完)

えー先日の「投影論」お読みいただけたでしょうか。
かなりの力作なので、閲覧マストでお願いします。
http://kagewari.seesaa.net/article/471644884.html
http://kagewari.seesaa.net/article/471656915.html

(そう言えば何段活用的にあれだよね、もう一段あった→『おてんとう様』>『世間様』>『他所様』>そして「人様」ですね)


この原稿の中で「怒りのスケールってのは自身の考え方(認識の操作)で自由自在に可変できるのではないか」と書きましたが今回はそんな話です。

■いきなりですが「復讐論」
江戸時代なんてのでは”仇討”ってのが公儀にも認められておりまして、
(時代劇のあれだと仇討状みたいな書面があるんだっけ)
重罪人を遺族が復讐で殺害することを認めてられました。

社会契約説的に現代の法治国家において日本では復讐は認めてられませんが、
道徳『共同幻想』元祖論から言えば(古いほど原理的正統性は高くなるので)
「復讐による殺人は道徳的に正しい行い」です
(現代でも探せばOKな国あるのじゃないでしょうか)

●そんなワケで、ハリウッドから邦画まで「復讐モノ」なる映画・ドラマ枚挙にいとまがありません。
「瞬間的復讐クライマックス」な点から言えば、
クリント・イーストウッド主演監督『許されざる者』でしょう
(この動画は過去紹介しましたね)
さて、そんな『復讐劇』においてそれが成功する秘訣は何?
やる気というかモチベーションの点では非常に強いものありつつも(ここは後述)、その行動は冷静で決して『興奮』に流されないハードでクールな主人公達です。

●こちらも道徳的問題を訴求されない事案に『復讐戦』ってのがあります。
「ガダルカナル奪還戦」などの戦争における作戦行動の種類です。
米国の伝承には「アラモ砦を忘れるな」ってのもありますね。
「許さネー、全員ぶっ殺す」勢いでございます。
 ↑
だいたい血気盛んな若手がいきり立って危なくなるシーンの後、
冷静な主人公が「そうじゃネーだろ」的に締めてからの、
待ってましたの大攻勢って流れでしょう。

●史実の復習戦としては大坂の陣の真田丸
真田幸村はそのまんま織田勢を挑発し、いきり立ってきた先兵を各個撃破する戦術できりきり舞いさせます。『興奮』した方が負けだと。

事案としては「最強に怒って当然の状況」において、
事の正否を決めるのは「冷静さ」という矛盾した状況があるわけで、
(モチベーションは旺盛なワケで、「冷静っても」やる気の無い透明人間みたいな状態じゃありませんからねww)
そこで戦果を挙げるのは「怒りのスケールを自由自在に操作できる奴」です。
「『興奮』した方が戦に勝つ」なんて戦訓ありませんからww
(※元ガンマニア的には呼吸整えないと鉄砲なんて当らないのであって。それこそフーッと息を吐いて”自分の存在すら消し去るような無我の境地”ってんですか、それができる方が勝つ。)

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タグ:投影
posted by kagewari at 05:37 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月25日

「強迫心理」と時制のズレ(保守傾向)


リクエスト記事にその関連をちょっと書きましたけど、
「強迫心理」に『自意識』抑圧されている状況において、妙に時代錯誤な現実認知がある点についての解説です。
なんだろう「心理的保守傾向」とでも命名すればいいのかしら。
(「心因性」とか書くとイメージ大袈裟にもなるから”心理的”のがいんじゃないかと)

あれこれ思いを馳せてみると、、
女子特有の「結婚願望」あれこれだとか、
男子固有の「マチズモ(男性誇示)」であるとか、
この辺も関係してんじゃネーかな

■原則論として「強迫心理」の形成が子供時代であるのは事実で、
長い目で見れば思春期『反抗期』の不完全燃焼によりそれが残留するから、それ以降特に「大人の『自意識』との間で強い対立構造にも至る(ストレスが強くなる)」プロセスとかも考えれば明白なことであり、

鬱傾向の知見的に、なんでしょう漠然と皆さんもイメージあると思うんだが、
「生真面目な人」って傾向がよく観察されるよね。
生真面目って何だろうと考えた時にもさ、
保守的傾向と言えないかい?
(所謂自由主義的というか改革派的な野心が見受けられないってことから、『抑圧』が主たる要因と考えるのがまずとっかかりになると思うが、大人特有の打算的というか”いい加減さ”が無く真面目だって事になると、頑固な年寄りにも似た傾向とも言えるよね。)

正確な対立言語では無いと思うけれど
「生真面目な人」VS「現代っ子」
当らずも遠からずと思うんだよ。

●そんな周辺のからみはともあれ、子供時代の自我をベースとする「強迫心理」の所謂”現実認知するための用例分類(あーいうものだろうとかこういうものかのひな形)”
人物像としてのロールモデル(理想像イメージ)の着想にしてもそれ子供時代の話でしょ。

ここは”ある意味”だけれど、
急峻に時代が変遷している現代『共同幻想』崩壊時代だからこそ、
二次的テーマが浮上しているんだと思うのさ。

心理学的には、子供時代の自我(当時の『共同幻想』適応や強制と反動形成など)
子供時代の『共同幻想』特有のエスカレーション(権威の主体、大人や特に親等を偉大だとか凄いとか怖いとか思ってしまう現象)←エディプスコンプレックスそのものだけれど、
それがエディプス感満載なのは、子供だからなんだよね。
 ↓
そして、それが思春期『反抗期』時に”越えられない壁”みたいになってしまった時、
大人化していく『自意識』を相対的に子供時代のそれより『抑圧』する、口語調に言えば敵対勢力のような存在となる。

この場合よく見られる「自虐史観」とも重なると思わない?

自我内で起きている闘争を脚色してみるとさ、
怖い顔した旧世代の権威が「お前なんか大人を名乗る資格ないだろ」「かくかくしかじかができなければ大人の悦楽楽しむ資格なんかお前には無いぞ」←あたかも無意識下にこんな余計な事を言う年寄りがいて、思春期に大人化を目論んだ『自意識』を『抑圧』幽閉してしまう。
 ↓
更にそれが(平成以降の時代の変遷速度凄く早いから)
●ひとりの自我内部で「世代間闘争」みたいな話に及んでしまうんだと。

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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 06:14 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月21日

「投影」ってのを個別に説明したことなかったよね(2)

●放っておいても脳は勝手に投影やらかします(エンタメ性による『興奮』体験のチャーンスだし)
「同じだ、あなたも(お母さんみたいに・お姉ちゃんじゃなくて)私だけに(なんとかかんとか)なんでしょ!!」
周囲の人は、、、「はっ?」(と口ポッカンに、、)

ここには”他所様(よそさま)とのボーダーライン”みたいな概念が更に関係してくる


岸田心理学において「(ユダヤ人だった)フロイト時代のキリスト教系一神教権威性認知をベースにしたエディプス・コンプレックス論」を、西欧限定でそら汎用性に欠けるだろうと、吉本隆明氏の「国家契約論から宗教や共産主義など諸々を包含する『共同幻想』論を用いて説明したものが『唯幻論』なのだが、
その時岸田教授が示唆したのは
「日本の文明は一神教では無いし、天皇制も宗教というか習俗というか、厳しい戒律の宗教文化が無い代わりに、その権威性イメージは”世間様”をあたかも神に見立てた世間様教みたいなもので、、」
 ↑
ということなのね(岸田心理学ではあまりにも有名な部分)


■さて、そこには似た言葉があるんですよ

「あんたね、他所様(よそさま)に向かって、なんてことしてくれたの!!」
 ↑
昭和後期生まれの人にはもう耳にすることなかったかも知れません
上記台詞は「明治生まれの母」という言葉に代表された『共同幻想』ガチガチ堅く厳しかった時代(武家の歴史の尾っぽを引き摺っていた)、日本近代『共同幻想』時代の有名な躾ワードです。

この『共同幻想』道徳の基本構成は

本来大人になれば「家幻想と(性愛的関係性)一般社会の違い(赤の他人同士)」を説明する必要性ありませんが、子供は「他人の子供に対してあたかも自分の兄弟に対するような(無礼講の)節度を欠く関わりを行うことを”それは最悪である(○○家の恥)”として禁じたもの」で、
・『世間様』がそれを神に見立てたのなら
・『他所様(よそさま)』は守護天使ガブリエルみたなもんスよ
「他所様は、『共同幻想』公的関係者であり、「家幻想」のような私的関係者では無い」
(極論すれば、明治の厳しい時代の子育てにおいては、他所様相手に私的感情をあらわにすることさえはばかられた《女子は笑顔を見せるな的に歯を見せるな的指導》、公的な場《『共同幻想』社会》でその態度はなんですかと厳しく罰せられた。)

何の事って、
●ガキが調子こいて、赤の他人相手に「お母さんなら違うもん」みたいな甘えた依存的態度を見せる事は「○○家の一大事」に相当する”恥”だった。
(てか当時は家の中においても、武家では家族同士も敬称付けて会話してましたし、”家幻想”空間においても「大きな声を出したり」「感情を露わにしたり」「親に逆らう行為そのもの」が厳しく禁じられていた。)

たとえば、この時代のイジメ問題などのケジメの付け方は
「イジメられたのでやりかえした」なんて事があった場合【既にやり返しているとこが鍵】
「あんたね、他所様(よそさま)に向かって、なんてことしてくれたの!!」と、
明治の母は(自決用の小太刀を)【帯刀し】
相手の家に出向き(一方的に最初に非があったのは先方でも)、
「○○家の恥、大変申し訳ありませんでした」と口上切って、
玄関先で自分の子供を土下座させ、
「とっとと謝りなさい!」(と自分の息子に激しい体罰)
土間に小太刀置いて自らも命を懸けて二度とこんなことはやらせないと明言した。
(もしもの時にはこの土間で私が”自決”すると)
 ↑
この行為が、”相手様”にも「下手したら刃傷沙汰(にんじょうざた)で死人が出るよ(相手は武家筋のシグルイ(死に狂い)だからね)」の脅しを伴って、
(”お宅”様のガキが当方○○家とわかって意図した狼藉なら、赤穂浪士みたいにあんたの家”皆殺しにして自決ずるぞ”と、)
 ↓
「失礼しました、御免なすって」の後に、
 ↓
相手方の家では、イジメ主犯の子供に対して殴る蹴るの体罰が自動発令するって仕組み


※ヤクザのケジメと似ているのは「ヤクザ社会が武家文化を模倣している」ため
(切腹:詰め腹→転じて「指を詰める」、「他所様」→転じて「カタギに手を出すな」)
ヤクザの親分は十手持ちとして(帯刀は許されていないが)地元警察業務を幕府から委任されており(銭型の”親分”・清水の次郎長”親分”)武家の下部組織でもあったため。


■つまりね、
ストーカー心理とかってな〜、赤の他人相手に(下手したら口をきいたことも無い相手に)あたかも親子関係みたいな快感依存関係が成立した場合の、甘えた子供のバックグラウンドを投影しているから。
「(お母さん・お父さんは)なになにするって約束した筈なのに!!!!」
無意識に、他所様相手に自分の家幻想社会を投影しちまってんですよ。
 ↑↑↑↑
明治の名家『共同幻想』を体現する保守本道の権威から言えば、
秩序が”乱れている””崩れている”(『共同幻想』崩れ)って形になる。


■そもそもがー
近代『共同幻想』の『自意識』『抑圧』レベルってのは半端無いもので、
好き勝手に『自意識』の存在を露わにすることもはばかられたって感じでしょうか。

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posted by kagewari at 19:48 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「投影」ってのを個別に説明したことなかったよね(1)

TVドラマやアニメや映画、小説から演劇から歌やゲーム、ダンスや祭事もそうかな、
”感情移入”ってあるでしょ。
「主人公や登場人物を”あたかも自分に見立てて”その場にいるかのように(プレーヤーとなって)やりとりされる事象を実体験のように認識し(まさに脳内ヴァーチャル)感じいる様」
 ↑
ざっくり言えば、自分を「投影」しているのです

逆パターンって言うとアレだけれど”感情移入の類似例”に、
”自己を投影する”能動《抗(あらがう)》では無く・”自己が投影される”受動《被(こうむる)》)、
確か漫画アニメの『ヘルシング』(ドラキュラと英国貴族のその討伐秘密組織の話)
劇中で、主人公の”アーカード”(ドラキュラの逆読み)が、
「お前は俺と同じだ、あの時かくかくしかじかしてあれこれどうこうし化け物になってしまった俺と同じだ、ダメだお前は化け物になってはいけない、俺のような化け物を倒すのは人間と決まっているんだアンデルセーーン」←こんな感じの台詞あったと思うんだけど、
 ↑
これは「自己投影」では無く、なんだろうね
「連想や同一化による背景や境遇の投影が”不意に発生してしまう”」みたいな
 ↓
もう一つ同じシナリオが黒澤の名作「七人の侍」にも出てきます
自称武士(絶対嘘で百姓の生まれの)菊千代が、野武士との戦闘の中で(躯となった母親の手からだったかな)孤児となった赤子を見つけ抱き抱えます。
そこで初めて菊千代は号泣し
「お前は俺だ、俺と同じだ、俺もこうだったんだ!!」と叫びます

(それぞれ内省的な感情が連想・同一化された対象を媒介にして溢れ出す現象、大規模ノスタルジーがトリガーとなるフラグを原因にパッシブ(受動系《被(こうむる)》認知で)発現する)


●投影ってのは”一種の錯覚”です
(自分だったら?それは自分かも知れない?自分に起きた事が再現したのか?)
(ある種の「フラッシュバック」と解釈することもできるかも知れない)
シミュレーションです

 で、

「感情移入」は自己の投影ですが、
「投影現象」そのものは(前述のとおり)自己だけとは”限らない”

たとえば、
■車のことはよくわからないだけどさ、ボディ剛性がハンドリングに大きく関係するって話は、格闘技で言えば体幹ってことでいいのかな?

■■■<<<<さて、ここで問題です>>>>■■■

投影は「その対象をよく知らないので、自分の記憶や知識のストックから似たものや・フラグを踏む連想性のある過去事象をあてはめて認識する」って能力です。←実に合理的手法であり、自我活動において必須の能力でもあるでしょう。
※誰でも日常的に行う認識技法である
(これって言語学的なメタファーのなんとやらだの比喩がどうしたみたいな話にも及ぶと思う)

●さて、自己のメンタルに問題意識を持つ個人(略して”メンタル問題”)に関わる重要なポイントはどこだろうか?

■「人間関係の連想と投影」です

『反抗期』をプルーフしている自我の場合、子供時代の家族『共同幻想』は壊されていますから、よっぽど深いノスタルジー攻撃でも受けない限り、投影元として浮上することは”ありません”。
(トラウマ事象に及ぶような事件性のある固有体験があれば誘因フラグ的に例外事項も有り得るかも知れないが、本来それは別個のものだから、一律にトラウマが子供時代の家族『共同幻想』をぶら下げてくると考えるべきでは無いと思う。)

しかし『反抗期』のプルーフに不都合がある場合(多くの謎が残るとか、難解なテーマが存在するとか、過剰な関係悪化など←過剰な”快感代謝《エンタメ性》”が存在することを意味する)、
『反抗期』発現の理由である”思春期の生理的成長により獲得される大人の快感代謝”(わかりやすく言えば”狭義の性的関心事項”)では、子供時代の『共同幻想』を”獲得快感値の天秤”として越えられない場合があり得る事になります。

(そら勿論大人の快感代謝というのも主体的に想像したりイメージしたりしていかようにもなるので、『自意識』活動領域的自由度と深い関係があるのも事実。=幼児期の『自意識』抑圧レベルとの関係。←つってもこの抑圧レベルが全て外的要因って事に限りませんからね。溺愛への依存など子供の側から主体的に『自意識』抑圧に加担してしまう場合もあるのだから。←偶発的とさえ言える。)

いずれにしても『反抗期』の損得勘定(快感代謝の経済原則)が、バッタンと「大人の世界の勝ち」とならない場合、
思春期『反抗期』は大規模な(オーバーシュートするような)”大返し”には発展しない。
 ↓
子供時代の家族『共同幻想』が発言力(エンタメ性)を残したまま自我表層に留まることになる

<勘のいい人なら気が付いたと思うけれど>


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posted by kagewari at 00:54 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月19日

先祖信仰とピラミッドバランス(或はピラミッド構造イメージ)

『共同幻想』が基本的にピラミッド構造の権威社会階級組織であることは各所で説明してきましたが(現代で言えばその典型例は「会社や役所の人事構成」)、
考えてみれば、
保守政治思想や宗教などにも顕著な”先祖信仰”が脳内でピラミッド構造になることがわかります。
「あの家系図のアレですよ」

どうやっても先祖のルーツをたどる形を図にするとピラミッド型の末広がりとなる
『共同幻想』保守思想正統性の”割とベタなとこ”が先祖信仰です
 ↑
ちょっと話題変えますが、
実は宗教の写し鏡であり、実像は宗教反動思想なんでは?ってのが『共産主義』
で、某社会学的見解出してる教授が面白い発言してます
(なにやらかの有名な小室直樹氏の説とのこと)
『共産主義』独裁政権においても象徴的先人を否定や批判してしまうと、末端の構成員に(正統性に対する)動揺が走り「その『共同幻想』はゆくゆく崩壊する」。
(批判された先人独裁者に従いあれこれやらかした行為そのものが否定されるため、俺達はなんだったのか状態に陥るというもの)
崩壊典型例が「スターリン批判をやったソ連であり、それを免れたのがなんだかんだ毛沢東の権威だけは守った中国」という分析ね。
(創業者批判って表現でもいいかもね)

あらま、やっぱり原則論として「先祖信仰と崇拝」が『共同幻想』社会における正統性の構造的要素であると言ってもいいんじゃないかしら。
 ↑
●日本の伝統的人事規律「年功序列」なぞは先祖崇拝を投影した”そのまま”の姿だよ。


■だとすると
脳内イメージとして、正しくあるべき姿はどうしたって「ピラミッド構造の階級社会となる」
正しい形を造ろうと思えば、その時にはもう、
無意識に「ピラミッド型の社会を志向している」って姿ね。


■逆説的に言えば
『歩留り』選択者や『単独者』達の脳内には「そのような社会のデフォルトイメージは無い」
(クラウドだとかネットワーク社会のが彼らの”社会イメージ”だったりな)

案外こういうのってさ、
商品開発時のラインアップ構成だとかさ、不動産で言えばマンション開発時に高級ランクの部屋をどこに何戸配置設計するだとか「無意識にこうでしょ」と思う内容に個人差がスゲーあるのかも知れない。
時に英国オーディオには「バジェット・ハイファイ」なる用語があんだけどさ
(日本語で言えばそのまんま「お値打ちAV機器」的なもんかな)
果たしてそれは階級社会故のジャンルなのかわからんけど、
商品開発がそうなら、当然消費性向にもその影響はあると思うんだ。
日本では著名な評論家の江川氏が「ニアフィールド・リスニング」とかで更にド・貧乏路線を追求してたりしてね(考えるまでも無く『単独者』なんだろうねぇ)、
(※その思い付きに共感して、俺の部屋のオーディオのADプレーヤーはスゲー廉価なAIWAの800だったりする。←諸般の事情で今は年に1回も回って無いけどね)
 ↑
つまり『単独者』はピラミッとバランスから何らの権威的雰囲気を”感じない”という(笑
”ボトム”って言葉の意味が”面白い事”になってたりさ、

●ちなみにすっかり世間に認知された『B級グルメ』なるワードも
あれじゃネーか『歩留り』層のささやかな抵抗だったのかも知れない。

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posted by kagewari at 04:40 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月16日

「バカって何だろう」

■ひとつの(偏見も込みの)隠された”建て前”
「プチブル知的階級な意識高い系左翼な人達」
自称「自分達は頭がいいと思っている」であろうと
(事実その王である元首相の鳩ポッポは文句付けようのない高学歴です)

うーん
少なくともそんな世界の頭いいとかには多分”まったく意味が無い”んだろうと
このモバイル端末時代に、ネット検索で答えが出る事項を記憶していられたかどうだかって(まー文系のテストの大半)現実世界では全く意味が無い。

同時にほとんど人が「スイマセン負けました」的にかないっこないと思うのが
物理が理解できる”理系脳”ですが、
あくまでも個人的見解ですが、
理系脳って音楽がさらっと理解できる音楽脳に近いのかなと思ってます(脳の自我ロジカルの言語が違ってるみたいな→理系脳には方程式も言語の一部だったり、音楽が言語の一部で構成されていたら音楽脳とか)。


■生理学的な能力差って根拠出す人いるかもしれないけれど
(確かにアインシュタインの脳は特殊だったみたいなドキュメンタリー観た事あります)
人間は脳のパフォーマンスの3割程度しか使用していないので、
そこで脳の能力的をアレこれ論議しても意味ないかなって
(燃料の血糖どんだけあるんだってことも関係するだろし)

確かに、PC関係で言うとこの”リソース”の違いってのはあるかもしんない
でもそれってさ『自意識』活動時しか必要としないもので、
『共同幻想』みたいにマニュアル化された行為や動機形成の実行は(もうモジュール化しているから)リソースもクソも関係無いと思うのね(笑

かといって『自意識』マターバリバリの『単独者』は関心事項が絞られているから広大なリソースを備えているようにも思えない。

自我タイプだけで言えば『歩留り』が最強なのかも、
(同時にいろんなこと考えていたり、生き延びるためのインテリジェンス脳も凄そうだし、)
もし、この想定が正しいならば、
近代より現代社会のが自我構造上「頭良くなってる」ってことなのかな?
だとすると、同時に”疲れやすくなっている”可能性も注視しておくべきかもね、

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posted by kagewari at 23:12 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


Amazon 2
所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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