2020年12月03日

『被(こうむる)』と『抗(あらがう)』の確率論

ここんとこ続いてるシリーズを引き続き、

強迫系というのが「過去用例の再現」にあるというのはご理解いただけているかと、
(その典型がエピソード記憶であり、トラウマ論である、PTSDにおけるフラッシュバックであり)
その確率的根拠は「二度あることは三度ある」って心理です
(文法で言えば過去形:英語の場合主張のニュアンスが”推定調”で弱くなる←政治家の演説では《へなちょこな印象になるため》用いられない)

これに対し”自由意志”と実存系となる『抗(あらがう)』の場合、
(文法で言えば、現在形、現在進行形、未来形→或いはポジティブ断定言い切り)
”そのまんまギャンブル”なので、
一見すると、過去用例の二度ある三度ある心理に”確率論的に負けます”
しかし、パスカルの賭け的な証明により「結果論には意味は無く、自由選択の真骨頂はプロセスです」←動機形成と戦略や戦術そのものに意味があり、
結果の勝ち負けは【極論等価値である=”どうでもいい”】
「結果を問わず”やるかやらないかの話”であり、実は確率上のリスクは皆無に等しい」

■ところが

脳の快感原則は『興奮』獲得期待値で決まります、
そして、
『被(こうむる)』のが『抗(あらがう)』より”思考の仕事量は楽”なんです。
(ぶっちゃけ低コストで誰でもいつでもできる)

しかし、
困ったことに”快感代謝”(快感獲得の確認メッセージ)としては、仕事量も多く”やった感””疲労感”がある方が優れており、実はこの点で脳は矛盾する選択をしているとも言えます。

●さて上記をぼーっと眺めていると「鬱構造の道理」に気が付きませんか?
 ↓
ベタな事例としてパチンコで考えてみましょうか

<<まず大前提を確認しておきますゲームのルールみたいなものです>>
1)結果論には意味が無く、快でも不快でも、勝ちでも負けでも脳が『興奮』を獲得できればよい
2)快感代謝の証明(やった感、達成感、疲労感)が無いと、欲求不満は解消できない

<『被(こうむる)』パターンのシナリオ>
「昔この台で連チャンしたので、またきっと大当たりするかもしれない」
(戦術も戦略も無く、その『興奮』期待値だけで選択:実に簡単)
打てども打てども当たらず、大負けしたとする、
しかし、この選択には戦略も戦術も無いのですから、反省も修正の余地もありません
 ↓
そして再び
「昔この台で連チャンしたので、またきっと大当たりするかもしれない」を繰り返す


<『抗(あらがう)』パターンのシナリオ>
「パチンコ台は概ね200分の1程度の確率で設計されている、回転数から確率の収束を意識するべきか、ホールの出玉設定を読むかの選択になる」
(手帳を取り出して小一時間の作戦会議の後)
「よし、今日はどこそこシマの〇番台で行く、1クールはいつもの6000円」
まずは打てども打てども当たらず止まり、だったとする、
(手帳を取り出して再び小一時間の作戦会議の後)
「いや待てよ、回転数からこの台の収束は明日でもできそうなので、新台を試してみるか」
結局こちらも最後は大負けしたとする、
手帳を取り出し何やら再び小一時間
「うーん明日は、〇番台の確率回収からだな」

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posted by kagewari at 19:44 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月02日

■再度挑戦「”快感代謝”総生産のシェア争い」

なんかまた呼び名が変わったな(笑

この話には確率論も大きく関係していると思う、
「確率と心理」ってテーマです
東京都宝くじ、当選確率が何々%とかありますよね?
この宝くじをA氏とB氏が同数購入する場合、当然確率は同じ。
ところが、「当たるかも知れない」と思う心理は激しく個体差があり、
=つまり、人類ヒト科の心理は”確率”に比例しない

何からの背景事情で、確率を踏破して(無視して)なんぼでもあーでもないこーでも無いになるんです。
(あまりご存じ無い方いるかもですが、法的に宝くじは明確な”ギャンブル”です)
「あなた、また宝くじ何枚買ったの!もういい加減にして」
「いやいや、お前わからないだろ、当たるかも知れない」
(ちなみにギャンブルとして見た時の返金率は、競馬やパチンコのが遥かに良心的とも言われる)
 ↑
合理的に考えれば(普遍的論議では無く、他のギャンブル比較の相対論として)
●「宝くじは滅多にあたらないというの判断が合理的」


前述のやりとりとしては、以下のような投げかけになると状況が変わります
「あなた、また宝くじを買ったの?もう勘弁して確率が悪いんだから、パチンコや競馬にしてよ!」
「ええ、、、そうなのか?、、、」

※確率論を無視したポジティブ解釈は躁状態に過ぎず、ポジティブ・シンキングとならない
(根拠の無い楽観論は『抗(あらがう)』では無く、「承認欲求自己陶酔」に過ぎない)
合理的なオルタナティブを提示すると”曲げられる”


■その反対もありますね、
「気分転換で今日は何々をしてみましょうか?」
「何もいいことなんかある筈無いんで興味ないです」
 ↑
あくまでも前者の投げかけは(前例の無い方向の動機形成提案なので)
十分に根拠のあるものです(不明の確率可能性)
→提案には「ダメが出ているとか無いだろ」程度の根拠はある
ところが、その可能性を予知能力でもあるまいし全否定できるのは(いわば鬱状態)、これまた確率論の無視です(お前は自然科学も踏破した超自然の存在なのかと)。


<<<さてみなさん、躁状態・鬱状態これら判断の出所は何か?>>>

『エピソード記憶』です(二度あることは三度ある効果)
マクロ経済学とミクロ経済学の話にもなるんですが、
「今日仕入れたホウレンソウが売れるのか?」と、
「現在日本におけるホウレンソウの流通」は概念として違いますわね、
(かといって今日仕入れたホウレンソウの販売に全国統計が全く無関係と言うことも無い)

つまり?ネガティブ(後ろ向き)とポジティブ(確実な間違いの無い)論で言うならば、
個別に(社会性をすっ飛ばして)自己中心的に考えるド・ミクロ論と、
自分を社会のひとりとして見る場合と(実は『単独者』ってのはネットワーク型社会性に拠る存在なのでマクロ的なんだわ)、
そこに分岐ポイントがあるだろうと考える。

一見すると『共同幻想』社会適応こそ社会人に見えると思うけれど、
これは全くの間違いで、『共同幻想』社会は”排他閉鎖系イントラネット”だからね(故にピラミッド型の上限関係がある)。
これに対して『単独者』社会ってのは、”開放系インターネット”となる(故に関係性に上下が無い)。

■躁鬱を考える場合『共同幻想』専用語である「孤立」が関係してくる、
そもそもイントラネットで実はマクロ的着眼に乏しい『共同幻想』社会で(『共同幻想』に見切をつけるでも無く)「ただ孤立する場合」イントラネットの中で更に退行(内向→自己中心方向)するため、認知がド・ミクロ志向になってしまう。


●『共同幻想』系において(せいぜい産業別ミクロ経済的発想のこと)「俺だけは」と言えば孤立した個人を意味し、もうこの段階でネガティブなんだわ(確率論から離れてその日の気分で躁になったり鬱になったりを繰り返す)。→そうならないため『共同幻想』社会適応人格の場合、現実との関係を維持する方法が「無限に上昇志向であること」となってしまう(『共同幻想』専用語の「前向きに」って奴)。

●これに対し『単独者』社会は、そもそもがネットワーク型の社会性を持つので(マクロ的確率論の延長上で事象を認知する)「自己都合含む個別各論に左右されない」、現実から乖離しようがない概念になる。
存在の在り方がポジティブと言えばポジティブであって、
(エンタメとして悲観論などが消えるワケじゃないけれど)

俺は思うんだけど、
だから『共同幻想』社会には”奇跡や神話や終末論まで”あり得るのだろうと(現実との乖離も上等だから)。一見常識的に見える『共同幻想』社会は(常識って言葉も『共同幻想』専用語なんだけどさ)、非現実的なのですよ(笑

『単独者』における常識はその語彙が違っていて、(内輪の論理では無く)確率論から見た現実性のことだから。
現代社会でも、左翼リベラル界隈『共同幻想』社会において、保守系『共同幻想』を批判する時に「欧米ガー」ってのあったでしょ。彼らは人類全体の確率論や合理性で語るのではなく、勢力争い的論争になりがちなんだわ。

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posted by kagewari at 15:23 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月23日

ネガティブ・シンキングとポジティブ・シンキングから再度挑戦

ここんとこ再三話をまとめようとしている
■「自我内部における”快感代謝”のシェア争い(国の経済で言えばGDP的な)」
(今回もまだ中間レポートかな、、)


・不快(による『興奮』獲得)産業がトップシェアになれば優先順位が上がり、無意識に不快『興奮』を訴求してしまう(無意識に同じネタの悪口を何度も繰り返してしまう→後に悪口の対象を悪魔か重犯罪者のように憎悪するように転じるなど)、
皮肉な事にイジメ問題のトラウマ論やPTSDなどの背景にもこの構造が関与していると思われる
勿論認知は受動形『被(こうむる)』主導する認知は無意識
 ↑
この全体像を俯瞰で見た様子が「強迫構造」である
(米国臨床系ならそれを”ネガティブ・シンキング”)

・快感(による『興奮』獲得)産業がトップシェアになれば優先順位が上がり、どう考えても失敗や不快事例では無かろうか、はたまた事故事例のような現実に対しても(オルタナやサブカル反抗が発生し)、「なんかこういうこともあったけどさ、アレじゃん?〇〇〇◎▽◇(笑」とか、
やせ我慢なのか(ボクシングの「嘘だけど、効いてない、効いてない」ポーズなのか)「簡単には不快『興奮』に堕ちない」強度も発生し(意地でも快感産業)、
この時活動する「オルタナやサブカル反抗(『抗(あらがう)』)」とは、
確実に(思いつく発案者が必要なのだから)『自意識』マターである
 ↑
この人物は事象と全く無関係な(実際にはどんな被害状況があろうがなかろうが)
能動的選択者であり(それを決めるのは俺だ:被害など無い、効いてない)
”思いつく人”
(米国臨床系ならそれを”ポジティブ・シンキング”)


●うーむ、ちょっとまとまってきてるのかな、、
てな話を「ネガティブ・シンキング ポジティブ・シンキング」から再度補足してみる、


■ そ も そ も が 英訳 的 に

negativeには「後ろ向き」って意味があり(示唆するのは”現実時間からの退行”)
positiveには「確実な、間違いのない」って意味(示唆するのは”言い切る”『自意識』)
 ↑
つまり、単純化して言えば、
前者は無意識受動形(感情論)幻想世界なのであり
後者は『自意識』マター能動形実存主義となる

現実から乖離するのが前者(反動係数)
そこに現実を選択し宣言するのが後者
(ボクシングの判定すら”覆す”→負けを勝ちに上書きさえする)

一見素直で無抵抗に見えるのが前者(まず被害を訴えたい)
往生際が悪く、憎たらしいのが後者(まだ勝ち目はある)


●などなど、いろいろなパターンや傾向が関連付けられると思うのね、
うーん、なんか適当なとこもあるので、間違ってるのもあるかもしれんな


<今日はここまで、何かアレだなこのネタはいつかまたやる>




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コメント欄に問題となった同趣旨の投稿が続いたため、ブログコメント欄を閉鎖します。
詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
コメント欄の削除があった件(関係障害について)
http://kagewari.seesaa.net/article/402054291.html


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タグ:快不快原則
posted by kagewari at 22:36 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月19日

「人の悪口は言うもんじゃない」格言”そのつづき”(隣室音事件の注意事項)

面と向かって論争するとか、激論を交わすとか、殴り合いの喧嘩まで、
紛争それ自体は(怪我の心配は横に置くとして)何ら問題は無い、
好感・悪感も自由だし、それが心理経済にこれという影響を及ぼすことも無い。

注意が必要なのは「悪口」で(止まる状態のこと)、
「悪口」ってのは【概念】として基本的に『共同幻想』専用語である道徳との関係が派生する、
そんな道徳の論理性ってのは(道徳野とか呼んだりしているけど)
『共同幻想』論で言えば、権威性の強制力を伴う上位概念(簡単に言えば自分より偉い人の正しい考え←みたいな幻想)になるから心理学では”超自我”とか言うワケ、

ちなみに『単独者』に上位概念が無いってことでは無い、
(絶対あるってことでも無いけど:自由主義者として権威そのものを認めない個人もいるだろからね)
個人的な美意識や行動様式として(例えばすごく簡単な例で「複数色が選べる時、俺はまず黒からだな」←これも選択におけるヒエラルキー構造だから)何らかの優先される事項として与件化されている項目ってのがあります。←それが全くない人を探す方が難しいと思う、
言えばこれが『単独者』の超自我に相当する(ネタバレ崩壊対象でも無い個性や趣向)、
『単独者』特有の”信念”は厳密に言えば超自我では無く、超自我を無効化可能な高いレベルの(admin権限)『自意識』マター領域にある概念だと考えるべきだと思う。

<ちょっと話は戻って>

ことほどさように、「悪口」なる道徳や超自我マターの概念を持つ個人は(=『共同幻想』適応者、『歩留まり』選択者、「強迫心理」下などにある未選択者、などなど)
 ↓
「人の悪口は言うもんじゃない」のですよ、

それは何故か?
●そこにどういう問題があるのか?を説明していこう
(誤解を招くといけないのでしつこく言っておくが、個人的に「それは道徳的にどうなのか?」など意見を持つのは自由だし、心理経済に何か影響を及ぼすとか”無い”、それが行為や動機形成として「悪口」になることそれ自体がヤバいワケ)

『共同幻想』バリバリ時代の近代前後で考えてみよう
悪口に至る対象ってのは(冤罪でも誤解でも単なるレッテル貼りからまじない師の勘違いでも)
速攻とっ捕まえてリンチして殺したワケです(中世の異端審問・魔女裁判でお馴染み)
悪口だけ言って放置するとかあり得ないのだよ。
実際リンチにかけて殺さないのであれば、
その悪口は”なんちゃって”だろ?
(言えば道徳ゴッコだよ)
 ↓
つまり、面白いからやっているようなものなのさ「不快『興奮』エンタメ」として
(TVのワイドショーも連日やってたじゃん”アベガー”ってさ)

誤解のないように繰り返し注記するけど、
・個人的に道徳なり美意識なりなんでもいいけど「それはナントカだ」と見解持つのは問題無し
・面と向かって言い放って取っ組みあいの喧嘩になるのもOK
●ヤバいのは、だからといって何をするでも無しに「悪口だけ言ってる」ってのがヤバいのよ、
 ↑
無意識にそれは不快産業エンタメとして脳はその『興奮』で快感代謝しちまう、
しかも「悪口」は実に手ごろでノーリスクで簡単に手に入る道徳的『興奮』であり、いつでもどこでも何度でも再現できる。
 ↑
実際考えてみりゃ、上記のような状態は道徳に対する冒涜だって落ちがつくんだけどね、
(本当に悪いと思うなら、暴力でも何でもいいから直接行動に移すべきだろ?←それを判断するための道徳なんだから。)
 ↓
逆説的に言えば?「本人もそれほど道徳的問題だと思ってないのさ」
こじつけって言うと極端過ぎるけど、「こういう見方もできるじゃん程度の根拠だから、悪口だけで止まってしまう」←これって犯罪捜査で言えば完全な証拠不十分ってことだよね、


■ところが人は「悪口」ってのを得意げに、鬼の首でも取ったかのように語ることがある
(このエンタメにハマるとヤバい、寝ても覚めても悪口ネタで”快感代謝”しようとする)
●アル中予備軍が、わるーい安酒見つけちゃったような話さ
本人の自覚は乏しいが、明らかに無意識に「その悪口ネタに快感代謝が食いついてる」、更にネタを盛って『興奮』獲得を更に割り増ししようとする。←こいつがヤバいんだよ

※これに対して「上司の悪口を肴に酒」はアリ(全然別の話だから)←これはパロディだったり形態模写の芸を伴っていたり「ひとひねりある(ちょっとオルタナ)」、一方的に道徳的興奮を煽っているのでは無く、コメディのネタに転じているため(不快ネタでは無く快ネタに転じている)、事実上の上司愛みたいな話で全く別の論議。

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タグ:快感代謝
posted by kagewari at 23:03 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月15日

「考えなくてもいいこと」論の続き(2)

書いていくうちに存外に面白い話になってきたので(笑
これはちょっと論文っぽくまとめてみようと思った次第です

元記事はこちら
『単独者』の雑感「考えなくてもいいこと」(俺も得意なワケでは無いのだが)
http://kagewari.seesaa.net/article/478437780.html


ざっくり要旨をまとめると、
・不快興奮でもズルズル継続させてしまうと「再現期待の優先順位が上がってしまう」
・単純に『自意識』企画の動機形成で獲得する”快感代謝”の時間を奪われる
・知らない間に、マジに「その不快事項が重要なネタかと錯覚していってしまう」
 ↑
●これを「自我内の”快感代謝”『興奮』総生産のシェア争い」としてまとめてみよう

<さて前回の続きだが>

振り返りたいのはココだよこココ
 ↓
●クソみたいなやりとりで「『興奮』伴うほどに怒ってしまうとか得策では無い」と話したけれど、
ここもも少し補強しよう
うっかり不快ネタなのに『興奮』を伴う感情的な認識を行うと、快・不快原則(脳は快でも不快でも獲得された『興奮』を1日に必要な”快感代謝”の獲得値としてカウントする)により、『興奮』獲得値としてカウントされてしまうため、一歩間違うと”再現期待フラグ”が立ってしまう。
(不快『興奮』の期待は、自我に「不安」として認知される→「またおきてしまうかもしれない」)

ものは考えようで、外部からの深い刺激で激高しやすいとかさ、
(被害者的な)不快体験があると「根に持つタイプだ」とかあるだろ?
 ↑
何かに似てないか?

ちょっと触られたぐらいで「痛い!暴力反対!」みたいなのさ、
(その反対もある、腹筋鍛えた極真の人が腹何度殴られても笑顔のままって芸があるでしょ)
ボクシングで考えてみなさいよ、
判定を有利にするため、(実はいいとこ入ったパンチでも)
「効いてない、効いてない」ってやるのがあるでしょ(これ元記事で出したたとえ話だけどさ)
その反対に、たいしたパンチが当たったでもないのに蹲って痛がるってのあるじゃん、
(時に嘘泣きもともなって)
 ↑
相手に「加害者だろ(悪いんだ)攻撃」する技として子供がよく使うけどさ、
この技はほんとお勧めできないんだわ。
(なんつーか差別になっちゃうけど、この技「女がよくやるイメージってかシナリオ設定」あるよな)
注】上記認知は『被(こうむる)』である:鬱フラグ


●一歩間違うと「不快興奮に”快感代謝総生産”のシェアを奪われる」
(1日の代謝ノルマを不快興奮で達成するのが癖になることもある:この土地では”不快産業”が名産ですみたいに)

類似例の真逆にこんなのもある(性差別上等で言えば”男の子”がよくやるシナリオ)
街歩いてる親子(お母さんと男の子)、お子さんがずっこけて転んだ
「あらだいじょうぶ」
「全然大丈夫、痛くもなんともないや(涙目)」
「ちょっと血が出てるからお家で消毒してばんそうこうはろうね」
「いいって、平気だって言ってるだろ!」
「ママ今日大根買ったでしょ、重いからそっち僕が持つから」
「偉いのね、後でアイス食べようね」
 ↑
周囲に対して「被害なんてどこにもないだろが!(不快ネタなど無い)」とごまかす技
(男の子の動機は「恥ずかしいという興奮イベントに抗い《興奮物質アドレナリンを伴い》それを断固拒絶している」)
この技は”ほほえましい”ですよね(笑
注】上記認知は『抗(あらがう)』である:自由などの『自意識』能動性フラグ


<<<「さてお立合い、もうひとつ面白い話がある」>>>

時々このブログ記事で「ポジティブなんとかやらネガティブなんとかとかいうインチキ」って書いてきたけど、
ポジティブシンキングってのがさ、本当ならどういう意味か解説してみよう。
(それ専業でやってるインチキセミナーとかではそこわかってない筈だから)
思うに”このネタ”も米国のどこぞの臨床心理から出た話だと思うんだけどさ、
 ↓
こういうことさ→「前述の不快興奮でノルマ達成するのが癖になったら大変だろ?」


■だったらその逆は?
「少々面白くもなんでもない事でも、なんか面白かったねと言えるテンションがあれば?」→脳を騙せる
(「悪いけど、今日もガッツリ快興奮で100%だ」とね)
快・不快原則は?→再現性を期待する(或いはその再現を志向する)
(脳を騙しているので、満額面白かったワケじゃないけれど:ある意味『歩留まり』)
「それでも、腹八分の幸福が再現されるなら、身の丈に合った幸福だよね」
 ↑
ほれ、なんていい人なんだろ(笑

た と え ば さ 
(あーなんかカーチャン今日の味噌汁しょっぱいな〜と思っても)
「今日も美味しいね(ここに演出家の蜷川が「感情移入テンション入れてっ」)」
 ↑
ベタでそれが嘘だと、そういう演出でもリアリズムに欠けてしまう
クレバーなご主人ならどうするか→そこを解決する(アドリブや)小道具は?
(『抗(あらがう)』技「the オルタナティブ」発動、類似技に「the サブカル」もあります)
目の前にあるホウレンソウのお浸しをひとつかみ味噌汁に入れて
「うん、ちょうどいいよ(本当に美味い)」
 ↑
”パレート最適”←この動きが”ポジティブシンキング”であり、
●継続すると、より脳は「快感で代謝総生産100%なんだ」と認識する(或いは錯覚するw)


この反対(『抗(あらがう)』に対して『被(こうむる)』だったら?)
●「ハイ、今日も不快興奮シェア最大ですね」と脳は認識する、
脳は『興奮』獲得可能性の高い方を志向しますから、
無意識に「今日も不快で快感代謝」を期待することになる=不快なので「不安」と体感される
「私は何々なので、明日もこんな風に不快や被害が待っているんですよね?」←ここまでの一連の動きを”ネガティブシンキング”って言うワケさ、
業種的には「不快産業」みたいな流れに陥るって事。

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タグ:快不快原則
posted by kagewari at 16:51 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月14日

ついこないだ雑感で書いた「考えなくてもいいこと」論の続き(1)

書いていくうちに存外に面白い話になってきたので(笑
これはちょっと論文っぽくまとめてみようと思った次第です

元記事はこちら
『単独者』の雑感「考えなくてもいいこと」(俺も得意なワケでは無いのだが)
http://kagewari.seesaa.net/article/478437780.html


ざっくり要旨をまとめると、
・不快興奮でもズルズル継続させてしまうと「再現期待の優先順位が上がってしまう」
・単純に『自意識』企画の動機形成で獲得する”快感代謝”の時間を奪われる
・知らない間に、マジに「その不快事項が重要なネタかと錯覚していってしまう」
 ↑
●これを「自我内”快感代謝”『興奮』総生産のシェア争い」としてまとめてみよう

そのまんま国内総生産GDPに占める産業別の比率の話と”全く同じ”です
(地場産業が観光産業なら=観光振興策が【重要】になるでしょ、地場産業が競馬なら=競馬や周辺飲食店振興策が【重要】になる。←それは地域住民が望んでいるのか否かに”関わらず”だ)


元記事論議で、
■クソみたいなやりとりで「『興奮』伴うほどに怒ってしまうとか得策では無い」と話したけれど、
ここもも少し補強しよう
うっかり不快ネタなのに『興奮』を伴う感情的な認識を行うと、快・不快原則(脳は快でも不快でも獲得された『興奮』を1日に必要な”快感代謝”の獲得値としてカウントする)により、『興奮』獲得値としてカウントされてしまうため、一歩間違うと”再現期待フラグ”が立ってしまう。
(不快『興奮』の期待は、自我に「不安」として認知される→「またおきてしまうかもしれない」)
 ↑
危険回避上の判断として重要事項でない限り上記は「百害あって一利なし」である

(注:これは動物として人間に限ったことでは無く、厳しい環境で生き残った狼や野犬が「人懐っこい」と思うだろうか?常に些細な物音にも警戒し唸り声を立てるだろう。生存時間の過半を不快興奮で代謝するワイルド環境の個体も少なく無いと思う。)


●ひとつ「もっともヤバい例」をあげてみようか?→「隣室の音をめぐる傷害事件」だよ
隣室の騒音それ自体は1個だけ挙げて調べりゃ「全く些末でたいしたことのない音かもしれないが」
この音が何らかの原因で(実際にそう響いたり・聴感上の特性でそう聞こえたり)「継続的に、毎日1時間おきに聞こえたら?」→「何!この音」という不快『興奮』で”快感代謝”生産量の半分以上を占められてしまう、
すると?「たかが物音による不快が、親の仇かってぐらいの(トンデモ優先順にエスカレートし)殺意にまで至るケースもある」←言っておくけどこれ人類誰にでも起きる可能性あるから、
 ↑↓
国家間の戦争だって似たようなものさ
「毎日毎日尖閣諸島に領海に中国の海警艦船が侵入して挑発する」←狙いは日本に一発撃たそうってことだよね、それでマジに戦争になることだってあるんだからさ

ここでやるべきことは(対処すべき点はそりゃ対処すべきだが【そこは別論議】)
「はいはいはいはい、ないないないない、たいしたことないから、みせもんじゃネーぞかえったかえった」
 「たかが物音が殺意に至るなんてバカらしいことこの上ないだろ?」
(なんでそんなマヌケな罠にひっかからないといかんのだ?)
 ↑
ま、それが戦争小説ならばだ、
「艦長、いかがしましょうか、いつもの警告音声流しますか?」
「踊ってみせてやれ」
「は?」
「盆踊りでも見せてやれ」
(ニヤリ)「わかりました」
「全乗員に告ぐ、手の空ているものは甲板に集合、解放軍に盆踊りをお見せする。通信は音出せるか?」
「いけますが、やすき節しか今手元には、、」
「OKだ、諸君、盆踊り変更、やすき節を踊る」
「艦長よろしいですね」
(無言でうなずく)

隣室の音でこれはできないけどさ(ベタな対応で「音には音で」はダメよっ)、
ま、なんか手がある筈なのでそこはみなさん個別に考えようじゃないか、
(管理組合や管理会社に連絡するってのは別途やるとして)
具体的な戦術だよ、
うーんたとえばブルートゥースの高級ヘッドフォン買うとかさ、、、
マジDIYで遮音対策する力業もあるでしょ(コストパフォーマンス的にこれはあまりお勧めできないが)
【ここに注目】→なんとかして状況に『抗(あらがう)』のが吉だって話

(※一見正攻法に見えて一番高リスクなのが「”道徳的反発”からの直接抗議」である事は説明しなくてもみなさんわかっていると思う←この点はいつか詳しくやるけど「不快興奮エンタメを煽る効果」あるのが大問題なんだわ、→速攻で大事件でも起きたかのように興奮がエスカレートする:言うならば「親子喧嘩によく見られる道徳ネタの普遍的ヤバさ」ってとこに被ってると思う)

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タグ:快不快原則
posted by kagewari at 22:56 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月08日

選択肢論「思ってしまう」への対抗概念「思いつく」

「かくかくしかじかと”思ってしまうんです”」←ハイこの段階で「強迫心理」確定
(それは本音と利益相反しているってことだから)

これに対抗し得るのは「自ら思いつく」ってことですが、
(或いは”考える”でもいいけれど)
経過として何か思いつかないといけない状況は何?
困っているとか、変化が必要だとか、作戦だとか何らかの状況の打開が必要なケースでしょ。
日常のルーチン業務では無い、
■積極的な『自意識』の出番が登場しているってことです。
 ↓
たとえば?

「醤油が切れてる!」(じゃあどうするのか)


これに対して(強迫心理の)「思ってしまう」状況は?
本来は必要無いとわかっているのに、帰り道にドーナツを買う時、
「どうしてももひとつ余計に必要だと”思ってしまう”」
本来事前に『自意識』なり確定した計画なりで決まった数量があるのにも関わらずのケース
日常のルーチン業務の筈なのに、
■本来『自意識』の意に反して”何かが”浮上しているってことです。
レジの前で
「あっ、また1個余計に入ってる」

<<<更にこの思ってしまう状況には上位レベルがありまして>>>
「強迫心理」の影響力が(超自我などの威を借りて)『自意識』を『抑圧』している場合

帰り道に足を進めている段階で既に”何か違うテンション”になっていて、
あたかも思考停止している人物のように、
何だか目が据わった人が、次から次とドーナツを、、、
■『自意識』を無視する振る舞いに、暗闇に似た罪悪感のような不快感の中
レジの前でも感想無し
(レジのバイト君に向けて)
(「きっと多過ぎとか思ってる」)トレイがカタカタカタカタ
 ↑
これは当人かなり既に苦しいワケです

しかし、これぐらいの話なら私が発明した「バカか俺」技で、結構対処できます。
(昭和の人にしかわからないと思うけど、植木等のコントにおける落ち「お呼びじゃない、お呼びじゃない、こらまた失礼しました」的なタイミングで、声に出して「バカか俺」というと、それをトリガーに『自意識』を呼び出せる。←根本的な解決では無く対処法ですけどね。)


●さて、この時『自意識』がどうやって戦うか?
答え自体はとてもシンプルです、
「どうしてそんな事を思ってしまうのか?」
この段階で”何か原因なり発端となる事情に思いつければ”速攻勝利です。
しかし「抑圧」が構造化していると、
「何も考える事ができない」みたいな「思いつけない状態」に抑え込まれます

こんな時に親族や友達なんてものが役に立つワケありませんよね
「食いしん坊だからじゃない?」
「それぐらい食べたいときってあるよね〜」
「アンタ、糖尿になったらどうするの?」
(火に油です、下手すりゃそれをキッカケに決定的な関係悪化もあり得る)
 ↑
この状況は(相談のやり取りでは無く)近しい人物が”見るに見かねて”失言的に言ってしまう場合もあります。→これは余計に最悪で「食べすぎとか思ってるんでしょ」(ズンドコまで落ち込む)
 ↑
何故最悪なのかわかりますよね?
「誰よりもそれがイカンと思っているのは本人だからです(だってそう思ってしまう状況に追い込まれる・追い立てられているのですから)」


●心理学も使いようって話とは限りませんが、
(そもそも世の中にはフロイトの名前知らない人だっています)
対抗策の”ひとつ”として説明してみましょう

「必要の無いものを買ってしまうってお話ですね」
「さて、それはどうしてなんでしょうね、起点となるエピソード記憶を探してみるとしましょうか」
(心理学の知見が’無くても、ベテランの腕利きカウンセラーなら経験から上記の対応となっているのではなかろうかと思います。)

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posted by kagewari at 00:39 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月06日

ネタバレ論は(推理小説なら見せ場の)エンタメなので

ガッツリネタバレやれば(カタルシス効果もあるんだと思うけど)
過去用例「強迫心理」を破壊(幻滅)できる。

●勘違いしないで欲しいんだけど
「フェチシズム」に代表されるような、強迫傾向とも個性とも悪い癖とも分類のできないもの
何から何まで解体すべきエピソード記憶だって話では”無い”
(それを煩悩やカルマと読んでその撲滅を目指す仏教みたいな宗教もあるけどさ、、)

「クジラにとって体表のフジツボは困ったことか共棲なのか?」←こういうこと
共存共栄が可能な場合、それは個性の一部と解釈できるのであり、
(そんな暇あったら他にやることあんだろってこと)
鹿の角にだって普段はたいした使い道無いんだからさ(笑

結局「本人がどうしたいのか?」が全てです、
(棲み分けできる=どうでもいいことである)
欧米のような一律な歯の矯正を常識化する話もどうかと思うけど(なんだか割礼をイメージしてしまう)、当人が気になって「歯の矯正しようかな」って自由意志は尊重されるべき、
つまり「ケースバイケース」


■なんつっても「エピソード記憶」ってのは、
言い換えれば(その是非はともかく)「〇〇の思い出(the ノスタルジー・カード)」には違いなく、
片っ端からやっつけるべきって話では無い。
(※確かyoutuberとしても有名な高須クリニックの幹弥先生チャンネルだっけか?彼は依頼受ける時にカウンセリングを重視しているんだけれど、「その整形が本当の必要なことですか?」←ここ一歩間違うと、整形やり過ぎて人形化する”アレ”みたいな話にもなるらしいのね:整形依存)
参考:高須幹弥高須クリニック
https://www.youtube.com/channel/UCwywumWHI4_hQtZpJwsC8cw
(メンタル系の相談が多いことでもよく知られている)

心理面でもさ「やれここも直したい、あそこも直したい」ってなれば、
何か違うく思うだろ?
(ニュアンスとしても”直す”って表現がもう間違いだろ)


心理学の使い道も同じで、
(ナンセンス語のひとつに「性格美人」ってあるけど、「心理学の用途を性格美人を目指した整形」みたいなことだと考えるなら”完全な間違い”だし、たとえば刑務所における犯罪者の厚生プログラムをどうするのかみたいな論議と《合理性の置き所が全く別物だから》ごっちゃに考えたら大変なことになる。)
●素性が変わるどころかさ、
『抑圧』されている本性を回復するのが心理学だから
 ↓
それこそ”極端に言えば”さ
「洋服がきつくて自由に手も使えないです」
「いやいや、長袖シャツに手を通さないと意味無いでしょ。自作自演の拘束着ごっこですかww」
(こういった種類の話です)
「(袖を通して)ああ”本当は”こういう服だったんだ」

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posted by kagewari at 23:09 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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