2020年01月25日

イジメ論の補完「所属している錯覚」による弊害:『社会的密室』

動物行動学における(ローレンツ)「一撃必殺の瓜や牙を持つ動物には(非生産的な同種殺しが起きないように)本能レベルで攻撃衝動をストップさせる機能がビルドインされるが、鳩のように攻撃されればとっとと飛んで逃げられるのが自然界のデフォな生き物にはそういうストッパーが無いので、鳩小屋の中で争いが起きると鳩は相手を殺すまで攻撃を止めない」てな〜話と、

人間に一番近いかも知れない霊長類チンパンジーの大好物は「サルを殺して食うこと」
(これから狩りに行くぞーって時に上げる奇声とその時の表情が人間の”笑顔”の原型であるという説もある。)

この辺を組み合わせて考えると、
・赤軍の総括連続殺人やオウム
・あさま山荘もそうだけれど勝手に追い詰められていく集団心理
などなどの人間特有のヤバさってのがわかると思う
(尼崎だかの監禁事件もそうだよね)

■公式に存在する閉鎖的社会の代表は「刑務所」だけれど、
事実上24時間監視で、強権に相当する上位権威が秩序を維持しているからなんとか成立しているようなもので、管理が緩ければいつ組織内で殺し合いになってもおかしくはない。
(心理学的にはそこで厚生なんかちょっと考えられない話で、近代前後の発想は軍隊以上の『共同幻想』強制参加体験させれば適応の何たるかだとか忍耐を学ぶだろうみたいな、投げっぱなしな発想に始まっていると想像される上に、それを刑罰の一環だってんだから、見方変えれば自分達所属の『共同幻想』適応自虐史観みたいな謎の発想でもある。)

(ちなみに心理学的に刑務所をどう考えるのか?ってご意見あるかもだけれど、刑務所の存在は社会契約説的延長の法治国家のすることなので《民主主義的帰結みたいなもの》、心理学が横からコメントするような事では無いことを前提に、あくまで横から何か言うならって水準になるが、団体行動訓練みたいな事しても意味無いので《強迫性が悪循環する可能性もある》、少々の自由時間と”強制的な教育”ってのが一番効くのじゃないかと思う《何か罰的教育では無くってそのまんま放送大学の講義聞かせるみたいなユニバーサルな教育な》。加えて模範囚の早期保釈にはむしろ反対かな。つーか少なくとも犯罪に関する論文書かせてその評価とかのプロセス抜きに釈放してどうすんだいと思うわな。)

■■■<さて、話は戻って>■■■

問題はさ、そっくりな矯正施設みたいな運営なのが
「クラス《階級》編成の義務教育」ですよ、
これ確実に『社会的密室』だから、
それと忘れちゃいかんのが「家庭空間」ですよ、
(逃げ場が無いからな。「家庭空間」なんか一歩間違えば”速攻ワンマンオーナーのブラック企業”だから)

この双方に「クラス《階級》幻想」「家幻想」なるやっかいな問題認識が起きがちで、
登場人物や環境の問題は別途あるとして(そこの個別各論始めたら収集つかないから)

俯瞰で見ればどうなるのかって考えるのが早い、
”心理的に追い込まれる可能性は構成員全てにかかる”←ここがキモだよ、
虐待含めての攻撃側にも、被害側にも”その双方に”この心理状態が発生するため面倒な事になるワケだよ(攻撃側もエスカレート、被害認知もエスカレートする)、

今回は攻撃側の心理ではないので(●だったら次回攻撃側にしましょうか)
被害側の心理について話しますが、
つまりこういうこと
 ↓
「被害実態は全く同じでも、酔っ払い運転の車にひかれて骨折したのと、組織内部上位権力者からの暴力で骨折したのとでは心理的受け取りが大違いだ」って話さ。
 ↑
このブログで個別各論や被害実態がどうやらって具体論に全く意味が無いって説明しているポイントはここ。「何をしたとか、何をされたとか(やれどうしたらいいのとか、その派生全部)」←ここ全く意味無いから(仮に加害原因が酔っ払い運転の赤の他人なら何ら心理的ナントカ起きないので)。

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posted by kagewari at 03:41 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月21日

時には『共同幻想』思想を代弁してみる


えーーちょっとパスカル的にいってみようかww
(これ半分冗談だからな、一種のレトリックであってそこ勘違いしないように)
得意の別人格をシミュレートしてガチ近代の『共同幻想』適応保守系人格になったつもりでお送りします(さてどうなることやら)、狙いは”崩れる前”の『共同幻想』社会を回顧してみようというものです。

タイトル
「プロ野球選手引退時の振舞いに宗教的『共同幻想』道徳と天国と地獄の実存を証明する」
 ↑
めんどくさい話に見えるでしょww
実際はごくごく簡単な話ですのでご安心を

■人間の自我は言うほど(件の臨床ナントカが言うほど)統合して”いません”
火事場のクソ力状態を記憶していないとか(無我夢中で覚えていない)、
犯罪者を担保してみたら「会社ではとっても温厚ないいひとで」だとか
悪辣なイジメっ子が自宅ではいい子だったり、
腰の低い営業さんが自宅では亭主関白だったり
 ↑
完全に自我統合してっか?
俺はそう”思わない”のですよ
(特にそれぞれ所属先で俗称《役名》を持つ、『共同幻想』では更に顕著となる→同時に彼らはコスプレイヤーでもあって→「ネクタイ巻くとスイッチ入る」みたいな)

そうそうその典型例に”女装趣味の人の変身願望”ってのがあるでしょ
これ自我が統合していたら楽しめませんよね?
別人になるから面白いのだろうから。

●ことほど左様に人間の自我が言うほど統合しておらず(記憶の継承も案外ずぼらだったりする)、あるキャラクターの再上映が無い事は「事実上の臨死体験に相当する」と考えらるんです。
(ウルトラマンに返信できないハヤタ隊員の姿は、ウルトラマンの死を暗韻として踏んでいる)

もうわかりました?
わかったでしょ
「退職鬱に代表される自分の一部が死に直面する事案」
劇場的にそれが極端に観察できるのが「プロ野球選手の引退」です。
●引退を前にやたらバタバタしたり、絶望的に思いつめたりする選手ってどういう人格なのか?←仮にその場に聖職者がいて、なるほどこれが死かと観察しているとする。
「(やけ酒飲んだり)バタバタする選手は死後《引退後》きっと地獄がまっているのだろう《現役選手を辞めたら何をしたらいいかすらわからない:無間地獄だ》」
これに対して、
いさぎよくという意味ではないが(ギリギリまで現役にこだわることもするが)、いざ引退を前に泰然自若な選手を観察して、
「引退を前にしてもおだやかに普通にしているということは、死後《引退後》きっと天国にゆかれるのだろう《引退後も野球に関われたらボール拾いでもうれしい他、引退で何かが終わる感覚は無い》」 ↑
違いは何よ?
「普段の行いや考え方《お金の使い方含めて》」だよね(笑
 ↓
これが『共同幻想』論における道徳倫理の論理だと思うのだよ。
「宗教道徳的にちゃんとしている人は天国に行けるが、ダメダメな奴は《どれほど現世での経歴や所得が立派でも》地獄行きだ」

はたしてこれ理論的根拠はしっかりしているんだよね(笑
(※想定に登場する普遍的道徳や倫理の概念が《幻想にすぎず》存在しない点を除けば)

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posted by kagewari at 13:38 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月13日

『幻想世界』の猿芝居と「ヘアースタイル」


これって次に書くテーマと被る話なので、
是非次回予定の「未完の心理と伝染」も読んでおいてください。

「本題と違う話をする」てな現象があります、
これが無意識だと投影や移動とかの話になりますが、ほぼほぼ自覚があっての話が今回のテーマです(次回は半分だけ自覚のある話)。
■人間生きているといろいろあります、
プライバシー保護も大事ですから何から何まで表沙汰にはできません。
ぐっと自分だけの中に収めるなんて誰にでもあることです。
(恋愛用語には「秘めたる思い」なんてあるじゃないですか)

さて、それじゃ欲求不満になりますね。
同じ欲求不満でも仕事など諦めというか(『歩留まり』適応じゃないですが)その不満を自ら合意している場合は、欲求不満解消は「完全に切り替えて」やけ酒であるとか、趣味のスポーツであるとか、ペットに癒されるだとか”切り分けられた話”になります。

しかし、そもそもが(やっぱり認知としては『被(こうむる)』が多いと思うんだけど)
一見周囲にも何かあったかわからないような不満ってあるじゃないですか。
たとえば、「誰それにちょっと言われたことが(自分にしかわからない事情で別の意味で逆の”ツボ”ってか)すごくカチンときているんだけれど、表情には出さなかった」とかね。


●こんな時に人間は”暗号ゲーム”のようなことをします
(これもまた言語学的にはメタファーどうしたって関連あると思われ)
ふと「なんかさヘアースタイル変えようと思うんだけど、どう思うコレとかどうかなぁ」と振られたとする。
これだいたいのケースで、話の本質は(言えないだけで)
「ヘアースタイルではなかったりする」のですよ(笑
 ↑
なんかそんな話で、何かをどうにか、そこそこに、ちょっとだけ、ちょっと楽しくなれるかなっていうか、
『共同幻想』バリバリの空気を読むプロは「ピーンとこる」ことでしょう。
(本題では無いけど、このネタできっと少しだけ楽しくなりたいのかな?と)
「えーー!ヘアースタイル変えちゃうの〜ヲ!!見せて見せてどんなのにするの」
即興猿芝居の始まりです
中には逆に空気を読んで
「金髪、絶対金髪にするべき、モヒカンもいいねぇ!」という悪乗りする奴も現れたりしつつ
宴もたけなわ舞台は踊る、、

第三者『単独者』から見れば、
「(髪型どうした関係ないんだよね)何かあったの?」なんだけれど、
それを言っちゃ〜おしまいよみたいな世界があるのも事実、
(そしてこの手の技は『共同幻想』上級者《ハイレベル:俗称”いい人”》が得意としており、場合によれば猿芝居を忘れて大いに盛り上がったりする。)

さて、考えてみれば
『共同幻想』が関与する世界って”過半がこの猿芝居なのでは無いか”
(てかSNSにおける論議の過半がそれ系なのではなかろうか)
本音を持つことは建前上禁じられており(共有自我を前に本音は風呂とトイレの中だけってことになっており)、それでも尚(隠れキリシタンのように)持ってきてしまっている本音がらみの事件を(もうこの段階で公開できない)、放置すれば欲求不満で別の病気にもなり兼ねない、
「何かするしかない」のであり、
話題として「ヘアースタイル(もうこの段階で何やら怪しげな概念)」なる『幻想世界』が何かの代用物として必要になる。

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posted by kagewari at 19:37 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月12日

しつこく「快・不快原則」をおさらいしてみるPart2

過去記事末尾の引用
(リアルに”これできるな”と容易に思えることは実際にやらなくてもいいと思えてもしまう《全部が全部では無いが》→ちょっとだけできそうになさそうな事へモチベーションは移動する論←『興奮』結合で考えれば基本的な論旨はわかりますよね?←この現象《ベタな表現なら向上心だが》角度変えると「失敗への『興奮』にも見えるよね」)

話のネタは12/28記事の「ふとした時に、よからぬ事を考えてしまう」心理が存在する話
しつこく「快・不快原則」をおさらいしてみる(ノストラダムスの大予言)
http://kagewari.seesaa.net/article/472851616.html


■「リスクを取る=賭け率(穴狙い)=余裕で成功する行為よりちょっと成功しなさそうな行為にモチベーションが移動する」
 ↑
この一見期待率的な話は一種の向上心のようにも見えて、
実のところ、(合理的に考えれば負ける確率高い方が魅力的に感じる心理なワケで)明らかな”破滅願望的『興奮』”をぶら下げている。

それこそ「ふと思う、よからぬ事」ってのかな。


■はたまた、
「メンタル性万引き症候群みたいな事例も」、
考えてみれば「できなくちゃいけないと思っている目標が失敗に終わる不安に襲われ、八百長や(カンニングや)不正をすれば不安が解消するのでは無いかという”よからぬ事”に執着してしまい」→「つい魔が差して」だとするとさ、

「正規ルートの日常だけじゃ向上心が発生しないだろ」的な、
破滅性博打根性みたいな何かが、後ろの方で囁いているって話なのかしらと思うワケで、
 ↑
こりゃ一体なんだろか、


●はたまたあれか?「退屈したら死ぬ病」出ちゃってるのかな〜
安定的日常が平和に回ることを許さない「退屈しちゃうんだ僕」的な、
だとしたら、人類ヒト科は「平和の敵」じゃん、
どうしたらいんだこれ。
(終末論待望エンタメなんてのはこっちかな)

どちらにも合理性あるから、上記双方の複合的な可能性って事だろう、
これだって特定は難しいように思う。

あーあとね、終末論エンタメでひとつ思いついたわ、
「面白くて楽しいエンタメにはなななか思い至らないのに、終末論エンタメにふと期待してしまう理由」
面白くて楽しいエンタメって、今無い事でしょ→新しく発生する、
思い至るにも創造的アイデアが必要なんだよ、
しかしさ”終末論エンタメ”は誰しも容易に思い至ることができる。
そらそうだ、既にあるものが破壊・破滅するだけなの「誰でも簡単に思いつける」からねww
実際スポーツなどでも
「勝ち切るイメージには知力も体力も使うだろうけど、負けるイメージは楽々思いつけるよね」
 ↑
ここって鬱病心理を紐解く鍵のひとつかも知れない
(疲れていたり、強迫下にあってアイデア担当の『自意識』が抑圧されている場合、自ずと快感代謝ネタ的に被害的・破滅的ナルチシズムに頼らざるを得なくなる的な?→一度これに成功すると、この成功体験はイメージと『興奮』の結合により《及び再現性確率論的にも》、悪い癖のように中毒的反復をしてしまう。)

「こんな風に頑張って成功しちゃうぞ」よか遥かに「失敗したらどうしよう」のが楽だもんね



あんだかんだ、人類ヒト科が「平和の敵」なのだと思えてきた、、、。
(なにせ平和ってのを退屈と読む人もいるだろうからね)




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2020年01月11日

【知人の話はNG】論の補完と【いい悪いのNG】論の補完”


みなさんジャーナリズムって言葉はご存じですよね、
事象を”何だったのか”を語る上でエビデンスになるのは”第三者視点”がある場合で、
この報道記者などが、そのレポートで「当事者の証言」を取り上げますが、
この「当事者の証言」ってのが【知人の話】になります。
 ↑
暗黙の了解の中でそれがどう切り分けられているのかと言えば、
(裁判における証言の判断もそうですが、利害関係のある当事者の証言は切り分けわれる)
当事者の証言はその当事者の事情フィルターで”偏る”のが自然なので(人間に限らず動物は現在の関心事項に関係することを優先する)当事者の話は→そこから当事者性を割り引いたところだけがエビデンスになる事象になります。

『共同幻想』や「強迫心理」(構造的に両者は”同じもの”:違いはその概念の共有)
それらの影響下にある自我の当事者証言は【知人の話】なので”正確では無い”んです。
●つまり「何々がこうだった」と断定した段階で”もうあっちの話”になってしまう。
(なので当事者は「私が当事者なので”そう思ってしまうのかもしれませんが”」と切り出すのが自然)

時に「強迫心理」案件になればなるほど、上記の『断定』が多くなるんですよ、
(強く「こうでなければ」などの概念に自我が押し込まれている状況ですから)
心理学的にはそれは「強迫心理」にとって都合のいい”取巻き”論的な(「強迫心理」を肯定する上で都合のいい断定が連発する)問題を多く含む心理的ウィークポイントとなるので、
ウチの事務所では【知人の話引用はNG】なんです。
(本人得する事何もないから)

端的に言えば、『共同幻想』適応系の自称一般人の方の「知り合いに対する証言」は、必ずどこか間違えている(正確性を欠く)ってことでもあります。←これを”色眼鏡”だとか”あばたもえくぼ”などど言う場合もある。
人物評の条件が「第三者による客観的意見であること」だからです。
逆説的に言えば『単独者』は客観的現実認知を得意としていることになります(そら情報共有により合理的現実認知する『共同幻想』に対して、自営業的に自分のアンテナだけを頼りとするのだから自然な話)、ただし『単独者』は特別その方面に知見が無い限り(『共同幻想』のように広範な事項への関心は無い)「関心が無いのでわからない」ということになるので、どっちが上とかありません。


●心理学なる特殊な状況(人間の自我構造などに関しては殊更詳しい第三者)
これって、言い方変えると「ルール違反なぐらい人物評が得意」と似たようなもので、
(だから何ができるって事では無く、聞かれたことには何でも正確性を論理的に担保したレポートが可能というだけ。)
そういう仕組みになっとんのです、
故に心理学の論議になっている時に「それとは違う知人がいます」みたいな自我防衛抵抗反論を始めちゃうと、物凄く回りくどい堂々巡りが始まっちゃうワケで、
■わかりきっている事なので事前に【知人の話はNG】になっちょるんです


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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 17:09 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月01日

どうにも『共同幻想』論を未だに勘違いしている人がいるようなので


ムスリムの人は失礼があったらゴメンだけど、
たとえとしてわかりやすいのでイスラム教をベースに説明しておこうと思う。
とにかく記事リクエスト依頼文など読んでいると『共同幻想』論の理解を間違えている人が多すぎる。

日本は(岸田教授が提唱したように)「所謂世間様教のようなもの」であるため(一神教系の伝統宗教のようにその権威性認知が明快ではない)その曖昧さから宗教的に見えないし、実際宗教では無いのだけれど(これって慣習法か名文法かの違いのようなもので)その構造は同じ『共同幻想』であり(権威性やそこに派生するドグマ《教義》や権威性道徳などを共有する社会構造)、
 ↓
凄くベタに言えば
仮に日本が中東諸国であれば、その『共同幻想』はイスラム教を中核とする構造になる。

●現在の日本の『共同幻想』を語る上でそこに何ら違いは無いので
日本社会が”アブラハムの宗教のひとつ”イスラム教であった場合で考えてみる、

オンザレールな『共同幻想』適応とは
イスラム教徒の家に生まれ生まれた時から信者として暮らしているものであり、
非適応者とは(この段階でイスラム法に違反した行為などが確認されていることになるので)、この段階で異端であり(ISなら他の家族含めて一族郎党躊躇なく殺す)、
どれだけイスラム教徒の真似を努力しても認められるも何も無いワケで、

非適応として一度地域構成員から見られている事を前提に、
彼らと絡んで仲間的認定を得ようとするなら、
私はイスラム教徒であると、再度宣誓し(シャハーダ)
「ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドッラスールッラー」
                        لا إله إلا الله محمد رسول الله ●
「アッラーフ(神)の他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。」

 ↑
これをやって(確信犯的再選択者として)ガチで入信して認められる必要があるし、
一度異教徒として認定されているのだから、よっぽど敬虔な信徒として振舞わないと認められないことがわかる筈だ。


●仮にイスラム社会の『歩留まり』が何かと言えば、
それを”世俗主義”と呼ぶ(トルコ軍部であるとかバース社会党などの考え方)

イスラム社会は、日本や欧米社会のように『共同幻想』と文明化の相克の中で、『共同幻想』がダダ崩れしない傾向が強いと言えるけれど、
(ムスリムの人怒らないでね)
実際にはそれは存在しており、典型例はイランの庶民など(実はアメリカンナイズだったりする)、この(宗教的に言えば”乱れ”)を正すため、ホメイニ革命が台頭し、現代におけるISなどの原理主義も”崩れ”に対する反動的保守のような位置付けになる。

じゃあ非適応者が(仮に日本がイスラム国家であった場合)生き延びる方法は(勿論そこには『単独者』も含む)、トルコのように異教徒も混在で暮らす社会で、表向き嘘ついてキリスト教徒を名乗るか、(彼らもにわかに中身を知らない)日本人で宗教は神道ですと名乗るか、

或いは、

「自らAKを手に戦うかだ」

(現在の日本の無神論系『単独者』は決してイスラム社会では認められないので、殺るか殺られるかAK持って戦わない限り生存することすら不可能です。←ここがイスラム教と文明論のジレンマみたいな話の核なんだけれどね。←現在その解答を語るカリフの登場を待っている状態)


間違っても(シャハーダの宣誓も無しに)、ヘジャブやニカブ被ってみたり「私も社会適応しようと頑張ってます」みたいなトンチンカンな行為は、もろにイスラムに対する冒涜であって、
敬虔な教徒の集落だったら真っ先に殺されます。
(そういうふざけたことする異教徒を殺さず見逃すことは、イスラムの正義に反するし道徳的に許されない。)

●実際に、過去欧州のどこだかの調子こいた左翼の政治家が(大臣クラスだと思うけれど)イスラム国家訪問した時に、ベールのようなスカーフだったか被って「信教の自由を認めるリベラル政治家でございます」みたいな事をした時の現地からの批判は凄まじいもので、
殺されなかっただけよかったみたいな話になってる。


少なくとも、
日本において勘違いして『共同幻想』にフラフラ近づくのは間違いだって言っている背景と、
今回の話は全く同じものなので、
日本の『共同幻想』は優しいからみたいななめた認識でいたら大変な間違いだから、
(ドグマの中身や厳密性などに違いがあるだけで『共同幻想』サイド思考構造は全く同じ)


●加えて実際の日本社会の実情は世俗派どころか無神論系『単独者』をも受容する社会であって、
その最大の特徴は”社会非適応”それ自体を全く問題視しない(個性と言ってもいい)、
ドグマに依存しない、その文化的特徴が「寛容」である異例の国家であることで、
社会適応している『共同幻想』適応者からが、
「好き好んで適応なんてするものじゃない(早晩この時代は終わる)」とか思っている社会だってこと。
(事実新卒入社3割退職事例《自ら非適応への離脱を模索》において、それを悪辣に批判する世論は”無い”からね。)
 ↑
だから日本は後期先進国化に成功し、同時に(社会非適応が比較多数となる世界を予見するように)メンタル問題も観測されるって図式なんだから、余計にその状況で”非適応”状況にある人が、フラフラと『共同幻想』と関係しようとする行為の(意味のわからない)矛盾性ってのもよくわかるって話(故に同様行為のほとんどが「適応強迫」である確率も高い)。





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2019年12月28日

しつこく「快・不快原則」をおさらいしてみる(ノストラダムスの大予言)

※今回は推論の域を出ない話なので悪しからず

■「『自意識』ってのは存外に”欲求不満”に鈍感だ」
 ↑
こいつが鍵かな

厳密に言えば鈍感なのでは”無い”と思う。
ロジカル構造の自我、とりわけ中の人の『自意識』にとって、その(抽象的な無いとか欠乏の)状態を概念として認識しずらいのではないか?
獏とした欲求不満状態には「何々が足りない」のような具体性を欠くからだ。

「いやいや退屈だって言葉があるじゃないか」←確かに
しかし、よーく考えてくださいよ。
それって(無駄な残業に付き合わされているとか、ながらでつけているTVが罰ゲーム並みにつまらないなど)あからさまに不自由な状態に拘束されていると『自意識』にもバレバレのケースじゃないか?
(※あと「あーもう本当は何々したいのに」が具体的な時)


つまりここで問題にしているのは、
漠然とした欲求不満の話です。
どういう状態か?←それが説明できたら苦労しないんですよww
言語化され一般化されていないから知覚できないんですから。
しかしその存在は(ダークマターじゃないけどさ)周辺の状況から類推できます。
 ↓
●いくつか具体事例をあげてみよう
「何かのはずみでうっかり」←”何かのはずみ”の何かって何か?
「虫の居所が悪くて」←”疳(或いはかんしゃく)の虫”の虫って何?
「気が付いた時にはもう、、」←(結果だけで無く)何に気が付いたのか?
「未必の故意」における犯行動機が”未必”なのは何故か、
「魔が差して」←この”魔”って何?
(典型例はマラソン選手の万引き症候群事件でしょうか、、)

そして常に社会全体に蔓延する”終末論”とは何か?
代表例が「ノストラダムスの大予言」ブームです
(根拠が無いことはあからさまだろうに)
『エヴァンゲリオン』人気の背景も物語の骨格が”終末論”だったことだろうと、

勿論社会的な終末論期待の背景は『共同幻想』論です、
(そもそも聖書の黙示録から始まってるワケで)
「こんなめんどくさい事やらくちゃいけないんだけど(構造的欲求不満構造)、最後は全員滅亡でチャラだから」みたいな(笑
カタストロフィーで大カタルシスだねっ


<推測も含む見解ですが>
人類ヒト科は「元からまさか自分が欲求不満状態であることをなかなか自覚できない」のではないか?
(本質的に異様な進化を遂げた人類ヒト科ですが、自然(ワイルド)想定では、生きるのに精一杯の絶滅危惧種であったと見るのが妥当な線でしょうし、全力全開でなんとか精一杯だろうと設計されていても驚かない。暇で欲求不満になるなど”考えられない生物の筈”)
退屈を休養の契機であると”その必要性があって”織り込んでいる捕食獣などは(バタバタしても獲物が歩いてくるワケでも無いため)、沈静化作用の脳内物質があるぐらいです、→「退屈したら寝る病」みたいなもので、、種によって大きな違いがあると思われる。

とかく人類ヒト科に関して言えば「退屈したら死ぬ病」なのに(牧羊犬などにもちょいと似てる)、
「散歩行けなくなれば発狂するのでよろしく」のように、欲求不満とそれを埋め合わせる行為が具体的に”決まっていない”上、退屈するほどの豊かさや平穏も事前に想定されていると思えません。
●習性として「自分が欲求不満状態であることをなかなか自覚できない」のではないか?
 ↑
この推定、案外いい線じゃないかと思ってます。


「”ふと”何とかしてしまう(思ってしまう)」などの心象、
これこそ、潜在的に欲求不満が蓄積している所作なのではないか。
「ふっと、ふと、うっかり、何々してしまう、」などの未必の”ナントカ”ですよ。
これという合理的動機形成の”用事は無い”が、
ジリジリと「退屈したら死ぬ病」のヤバい分水嶺が近づいている状態。
(※「退屈したら死ぬ病」とは、実験などで検証されている人類ヒト科の特徴で、あまりにも退屈すると拷問的刺激すら自ら求めてしまう人類特有のの謎習性)
 ↑
こんな時に「ノストラダムスの大予言」だとか「謎の陰謀論」なんかがヒットする


言うじゃないですか、
「(どういう経緯なのか謎のまま)何かよからぬことを考えてしまう心理」
 ↑
【問題はここだよココ】
なぜ(終末論もそうだけど)”よからぬ事なのか?”です、
(有馬記念であたっちゃうかも〜とかの方では”無い”のさ)
繰り返しになるけど、この話は”ネガティブナントカ”とか論では”無い”、
『退行化』の一種であると考えられるけども、
(幼児の癇癪がどうして”意図して困ったことをやらかす”のかなど)

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posted by kagewari at 17:49 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月24日

欲望と『自意識』共犯(犯罪とは何か)


「犯罪は割に合う」と言ったのは、まだ中二病を引きずっていた学生時代の大藪春彦ですが、
(小説『野獣死すべし』より)
 ↑
非常にわかりやすいお題になるのであります。

小学生が好きな禅問答にこんなんあります
「どうして人を殺してはいけないの?」
答えは
「とっくに(そんな事抜かす)お前も死んでるからだ」ですが、

つまり経済学「割に合わない」って事です
(怨恨話はひとまず置いておいて)赤の他人殺してまで手に入れたい個人的利益があるってのなら、凄く頑張っている筈なんですよ〜、ええ「犯罪どころの話じゃないほど忙しい」とね。
●じゃあ何故、この豊かな現代社会でも犯罪はあるのか?
 ↑
てかね、この問いかけも統計的には間違いで、
犯罪最大の動機は「貧困」なので、先進国化していく中で日本の犯罪は急速に減少しており、絶滅しそうとまで言いませんがww、「反社の人が生活苦しいからカタギになりたい」本気で語る時代です。
(”組”もどんどん廃業してます)

凄くわかりやすいでしょ、
日常生活が豊かになったので「余計に犯罪が割に合わなくなっている」んです。
(個人的利益の経済学的に)
そこで、残ったのが「家族同士の殺し合い」で(殺傷事件の6割が血縁)、
ワザワザ何をやってんだかって思うでしょ。


●さあここでも重要なポイントが浮上します
「赤の他人だと思えていたら、血縁同士の殺人も減る」ってことっス
この現代社会でさ、
あれですよ(高学歴化で大人年齢も早くなってきてるから、有権者登録とかね)、
「18にもなれば、もう血縁とは縁切り、自立独立赤の他人です」
 ↑
こういう判断あるから、フィンランドあたりでは(家の所得と関係無く)子供個人に(家族ととっと縁が切れることを支援するため)幅広く奨学金が出ます(アパート借りる費用も支給あった筈)。

ちょっといい加減「お前ら幾つにもなってまだ親子の名乗り続けてんの、頭オカシイのか?」ってな時代になってきてるワケです。
(意識高い系『歩留まり』家族あたりが、子供のLGBTとかも案外すんなり受け入れちゃうとかになったのも「赤の他人」と思えているからです。)


■↑そこをとっかかりで一般の犯罪も考えてみよう
どっから考えても合理的な犯罪動機が思いつけないんだわ(笑
「趣味なのかな?」と本気で思うぐらい。
(※本当に中学時代、大藪の影響で中二病丸出しだった私は語るも切ない黒歴史ですが「近所の銀行の出金時間や、現金輸送車の編成や人数」とかチラチラ観察していたりしたものです。懐かしいですね〜)

そうなんですよ、
コンプレックスがベースなのか、ギャンブル依存症がそうさせるのか、
(薬物依存は犯罪と言えるのかな?ってとこあるのでそこは置いて置いて)
『自意識』共犯(=トンデモな勘違いをうっかり肯定してしまうこと)無しに、犯罪の動機なんていっくら考えても思いつけないんです。
「バカなの?氏ぬの?」←この言葉の始まりは、そんな感覚が(『共同幻想』崩壊で)”非適応系多数派”に急速に広まったからでしょう。

かと言って、六法片手に歩ってるワケないので、
(そこも『共同幻想』崩壊だから)
俺の法は俺が決める的な(byマイク・ハマー)、遵法精神だけどね。
「間違ったらごめんなさいね」的な、

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posted by kagewari at 07:27 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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