2020年10月19日

地位と名誉が「『共同幻想』専用語である件」を簡単に

特定社会における専用語と言えば、
野球界の「ゲッツ―」だとか、サッカー界の「シュートをふかす」であるとか、
宗教界における「お布施」などのことで、

「地位と名誉」は『共同幻想』社会の専用語であり、
『単独者』の世界には、そのような概念が成立しようがありません
(人が個別単独に存在するため、社会の上下関係?という概念が成立しない:『単独者』の認識する社会は”ネットワーク社会”であって、ヒエラルキーのあるピラミッド型社会では無い《『単独者』から見ると『共同幻想』型の社会は”謎のカルト集団”のように見える》)
 ↑↓
ベタな表現で言えば、
●「詩人を相手に、チームプレーで大事にしていることは何ですか?」とか質問します?
(その質問した記者の頭は大丈夫かって話になりますよねww)

大雑把に言えば、論壇など文芸の世界(代表は小説家など)、
ほとんどが『単独者』なワケで、
「森鴎外相手に、プレー中アイコンタクトで重視していることは何ですか?」とか聞く?


ことほどさように「地位や名誉」というのは(個人の尊厳にかかわる名誉は例外だけど)、
『共同幻想』社会適応人格以外には、全く関係の無いもので、
(一匹狼の”八百屋さん”にとって、社会的地位に応じて接客内容が変わるとか無いから。:これに対して社会の権威構造を利益に当てこむ《高級ホテルなど》業態は違うでしょ。後者が『共同幻想』利権構造の上に乗っかっている業態であるおとがよくわかる。)


<オマケで言えば、現代比較多数の『歩留まり』選択者の場合>

勿論頭では「地位と名誉」などトンチキな集団心理みたいなものだぐらいのことは百も承知、
『歩留まり』曰く、
「それはそうだが、近代以降の”信用通貨経済”を考えるとだ、インセンティブは《物々交換や直接的利益供与から》個人が自由にその権利を行使できる”マネー”に代わったわけで、社会のインセンティブ論が時代遅れだとしても、実体経済《自分の生活含めて》考えれば”金はいるよね”」
●ここ重要なところですが
『歩留まり』選択者の合理性は、貨幣経済の登場によって”色やヒモのついたインセンティブでは無く”、一度《何にでも個人の選択で使い方が選べる》”カネ”の登場により”留保”されている。
 ↓
『歩留まり』曰く、「一度財布の中に入った金に地位や名誉の色はついていない」
(『歩留まり』選択者は、名刺やスーツのバッジを誇示する行為は「は?バカなの?」と心底思っていますが、”限度無しのクレジットカード”については大いに反応するワケですよ。←残念ながら”金《カネ》”の存在には一理あると、それを無視するのはバカげている。)

つまり、『歩留まり』階層の特徴として、「所得格差には敏感だが、所得の大小に社会的地位まで関連させて【いない】」のが特徴です→確認しているのは純粋に所得の金額差だけです、
(個人の投資で”大儲け”した話は、素直に「あらいいわね」と羨ましく思える。)
(同時に、「所得の大小は重要な要素”だが”、それが決定的な要素では【無い】と強く思っている」のが『歩留まり』階層の特徴になります。)

※ある意味『歩留まり』階層にとって一番悩ましいのが
(彼らがよく使う表現で書くと)
「とっても性格も素敵なミュージシャンンのフリーターと、キモイんだけど所得額が凄いオヤジ、選ぶのはどっち」ってテーマでさww、女性誌なんざ、ほぼほぼ毎号どこかしこにそのネタが入り込んでいたりするワケで、
(そこが『歩留まり』固有の逃れようの無い矛盾《打算》であり、テーマ《本音は抜け出したい》でもあるからです)

この貨幣経済論自体が(いわば現代経済学)、
仮想通貨の登場により、大変革する可能性があって(MMTも同じく)、
この時『歩留まり』階層を繋ぎとめていた「マネー発明による打算的合理性」も雲散霧消する可能性があります。
<いやこれがまたね、仮想通貨デジタルマネー時代の経済学がどうなるのが”正直わからない”>

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posted by kagewari at 19:02 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月17日

「論理性と自我」

<注:今回の話は試論も含まれるため、難解な上にまとまりを欠く話になっております>

「何々をかくかくしかじかに思える」だとか、
「ってことはこういうことかなと考える」だとか、
 ↑
それ抜きに”本音”の動機形成は不可能です
(思いつけない、想像が及ばないことを実行することは不可能ですから)
(重要なことですが「それを模倣することも不可能」です→ピカソのキュビズムの絵を模倣するには、そら何らかの知識でイメージぐらいはできていないと不可能)

●さてしかしみなさん
「人間には思いもしない、想像も及ばない言動は無いのか」と聞かれば?
誰にだって、なにがしかそれっぽいことある筈です、
それは以下のような言葉で表現されることが多いです
 ↓
「何かの間違いで」

その違和感こそが「本音じゃないから」ってことです。
つまり『自意識』が自立的に行った動機形成では無いの意味、

「論理性の無いものは自我に導入できんのです」
(学校教育で考えれば誰でもわかりますよね?「はい、みなさんわかりましたか?」←このやりとりの中で概念なり思考というのは導入されます。逆に「わからないものは導入できない」)
 ↑
それが理解力の差異ならまだしも(時間をかけりゃわかることの範囲)、
最初っから論理性の破綻している事項を導入しようったって100パー不可能です。
(=それは本音になりようが無い)


<ちょっと分析的に考えてみましょうか>

「何かの間違いで」→代表例は?→「うっかりミス」
さて「うっかりミス」って何?
連想による錯誤行為ですよね。
 ↓
「あなた今日のコロッケは※※※※なので、いつもの癖でお醤油とかやめてくださいね」
と言われてんのに、
醤油をジャーで、
「ちょっと何をしてんのよ!!」「あっ”うっかり”」


■記憶法に連想法ってのがあります(所謂一夜漬け記憶法みたいな奴)、
「指=銀行」「耳=貝」「足=歴史」、、、、、←こんな風に”絶対忘れようのない”指や耳や足とかのキーワードに”関連付け”することで、通常なら忘れる事項もしばらくは覚えてますよって手法。
もうひとつ「ナクヨウグイス平安京」って記憶法もありますね、
「平安京=794年」
これはエピソード記憶の模倣です(ストーリー仕立てというか絵日記手法による疑似エピソード化)

トラウマ論で考えれば一目瞭然でしょう、
エピソード記憶や連想により「判断する猶予(考える間も)無しに超越的に答えがもう明示されているもの」(超自我領域の道徳野もその典型になりますが)
判断や、考える間も無いんですからどうなりますか?→『自意識』による判断や考えを超越する

「俺にとってコロッケは醤油」←この格言が「八紘一宇」みたいに自我内に君臨している場合、
『自意識』マターもバリバリ全開に緊張でもしていない限り、
(ちょっとでもオートモードになれば)
コロッケ見た瞬間、自動人形のように醤油をジャーっとやっちまうんです。
 ↑
人間の自我はそういう仕組みになっとるワケで
(これを全てパブロフの犬で説明するのは違うと思うのね)


●そこにトラウマ論をはめ込めばもっとよくわかりますよね、
「こっぴどいパワハラ受けた上司の顔見た瞬間お腹痛くなる」
 ↑
お腹痛くなるのは本音じゃないでしょ(お腹いたくなりたいなんて思ってないんだから)

人間の心理に度々起きる「強迫心理現象」ってのは、
ある意味「広義のトラウマ論」と置き換えることもできます。
「どうしてもそう思ってしまうんです」←よく聞きますよね、
=その意味するとこは?「本音じゃない」

と こ ろ が、
なかなか当事者には「本音じゃない」部分は強く自覚されません。
 ↓
「あなた今日のコロッケは※※※※なので、いつもの癖でお醤油とかやめてくださいね」
と言われてんのに、
醤油をジャーで、
「ちょっと何をしてんのよ!!」「あっ”うっかり”」
●「いや〜本音じゃやないから(悪気は無いだろ)」←平気でこう言えと「開き直るのか」なんて余計叱られますよね。


この場合の謝罪は前段の
「あなた今日のコロッケは※※※※なので、いつもの癖でお醤油とかやめてくださいね」←これに同意していたのに、生返事で(『自意識』の覚醒不足)無意識に「いつもの過去用例が優先された」ため、
「本音じゃ無い方が”出ちゃった”」ことを謝罪しているワケです。
(自我管理責任と申しましょうか、、)

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タグ:強迫心理
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2020年10月01日

現代『歩留まり』論(3)


今後の課題(まさに『歩留まり』選択な方には余計なお世話ですがww)

やっぱここかな?
(前回論議の)「実は社会変革の進捗遅れに一番イラついてるのが『歩留まり』選択者なのだろう」についてなんだけど、
かと言って『単独者』の雑感じゃないが、
彼らは様々な社会的概念を若い頃から自分で再定義(再選択)してきたワケでは無いので(若い頃はまだ『共同幻想』も現役で当時は思考停止リミッター下にもあった)、一気呵成にことを運べば準備不足のリスクもあります。

こういう時、人間ってのは「わかりやすいエンタメ性(大袈裟とか大風呂敷広げた話)」に惹かれがちなので、唐突に海外移住であるとか、うっかりド左翼系イベントにもっていかれたりなど、
事を急げば大失敗も連発し兼ねません。
(※『単独者』論の本筋である「実はたいしたことをやらないのが『単独者』」って話と相反するでしょ)

●相対的には『歩留まり』の存在が急峻な変化への安全装置となるんだが、
(自作自演じゃないけれど)そのソフトランディングが『歩留まり』階層に広範なリビドー蓄積による欲求不満問題にもなり兼ねず、これが階層的な場合”社会問題”であるとか、一部勢力に煽られる形で革命圧力に転じるリスクもある(現在米国で頻発したデモや暴動がそれに近い現象ではないだろうか)。


着実に自由化(左翼という意味じゃない方の”リベラル”ね)政策を進める政治体制は必須で、
進捗に遅れがあると、社会不安が発生する。

 ↑
■これを監視するのが「無党派層浮動票」となる
現代特有の政治現象でもある
”いい意味のポピュリズム”原動力(トランプ現象や安倍政権支持世論)
 ↑
時に左翼からネトウヨなどと見当違いなレッテル貼られる場合もありますが、
(『歩留まり』から見れば、左翼政治思想『共同幻想』適応者は”守旧派抵抗勢力の一種だから”嫌煙して当たり前)
彼らが時にネオコンに見えるのは『歩留まり』合理性の真骨頂で
「自分の命が大事(安全保障)とか最優先だろ」にガチっと共有意識があるからで(そこを壊してどうするよって)、ドン・キホーテやお花畑みたいな論議を受け付けないからです。
(道徳的見識では無く合理的判断として「バカはどっちだ」って趣旨)

冒頭説明のようにイライラが溜まればあられも無い方向に社会現象として暴走するリスクはありますが、(そっちの方角はバカのすることだと気が付く人達ですから)長続きすることはありません。
私の政治意識もそうですが、
基本的に無党派層浮動票は「保守系リベラル」に収れんされてきます。
「ノンイデオロギーな現代的リアリスト(社会的合意は合理主義で)」ってことですよ。

(小学生が考えても賢い選択ってこっち方向ですもの:注「正しい」って意味では無くね)
 ↑
概ねネット世論として知られる(SNSには左翼の工作も入っているのでアレだけど)世論の動向は世界的にそっち向きになる。
(欧米の場合は「現代的リアリスト+宗教的世俗主義者」って感じかな)
言語として「ネット世論」なるものをちょいと補足すると「風呂やトイレの中の世論(仮想『単独者』傾向が最大化した状態)」こそが”ネット世論”のような形で観察されているのだろうと思う(ネット世論=プライバシー最大化時の”論”)。


■課題があるとすれば
「そんな世論が形成されても、意を受けてくれる政党や政治家が存在しない時にはどうするの?」
ってとこかな

まあそこはオカルトじゃないけども、
「歴史がそういう時にはそういう人を用意している」と思う。
てか、これも需要と供給でしょ
(そら歴史に歯向かおうって《退行派》『共同幻想』抵抗勢力は総力挙げて攻撃するわな)
 ↑
ここの戦いで、無党派層浮動票のみなさんも(民主主義の真骨頂だから)、
マスメディアのデマに負けず、自覚もって戦いましょうって話で。
課題は課題だけど、それほど心配するようなものでは無いと思っている。
(『歩留まり』な人達も十分わかってますって)




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2020年09月30日

現代『歩留まり』論(2)


その”社会的意味”とは何か

「『共同幻想』の夢《インセンティブ》破れる」
なんせバブル崩壊もあり、これじゃ誰でも真面目にやる気無くしますわね(笑
なーんにもいいこと無いんだから、
いちおうと、歩留まり(不良品)レベルで形だけ適応している『共同幻想』の利益供与物語を真面目に信じている人などおりません(そりゃ局面で the ノスタルジーで感極まるとかはありますが)。
仕方なく、嫌々(付き合いとして)適応しているものだから、極論何も信じちゃいないワケです。

その姿は「TV出演のために某宗教団体に入信する芸能人」のような打算で、
学歴主義やら、所得の高い世帯法人(家族)の起業やら考えれば『共同幻想』式の常識適応が得策だ(いきなり奇人変人みたいな『単独者』堕ちはご免だ)、
かといって適齢期近くで高額所得な結婚をして、子供も(旧来の『共同幻想』コネクションを利用し)”いいとこにやって”、経済的優位を確保する。
(しかし内心、「うーんその合理性は金だけなんだよね」って悩ましい部分をはらんでいる)
 ↓
何か物足りないですよね?(笑

●当然部分開放しているプライバシーが大事になる
よく「自分の時間を大事にしたい」って『歩留まり』用語を耳にするじゃないですか、
しかし困ったことがおきます、
偽装的に『共同幻想』に適応選択している自分と利益相反してしまうんです。

そこで、この『歩留まり』さんが「自宅SOHO、週休3日だいや4日」などの方向に社会を引っ張る原動力になるんです(スローワークやノマドもそうです)。

象徴的なのがミニマリストかもしれません
(なんとなく気が付きませんか?)
適応する部分の最小化(ミニマル化)
「いっそ『単独者』になってしまえばいいのに」←これを言っちゃおしまいよってね

ジワジワと歩留まり率を下げようってワケです
確かにこの戦術は安全策であり、
社会に与える影響をソフトランディングに導く(中途半端とも言いますがww)コアになると同時に『歩留まり』選択は比較多数派ですから、民主主義的にも彼らの手によりソフトランディングな『単独者』化という方向性が定まっているのだと思います。



■保守派のみなさんいとってこの動きは「一歩間違えばアナーキズム」に見えるかもですが
全然違うので安心してください。
(※そもそも『単独者』からしてアナーキストじゃ〜ありません→「今日の晩御飯は何かってしょうもないネタに人生賭けるギャンブラー」に過ぎませんからね)
『歩留まり』の皆さんこそ、『共同幻想』の内容的評価はシビアに見つめており、
国家の安全保障は、”自分の時間の利益になりこそすれ不利益になりようが無い”ことをオンザレールな社会適応者よりよーくわかっているんであります。
前述記載のとおりで、穏健派と言えば穏健派なのです。
(多分彼らは世俗主義の流れの中で、天皇制も初詣やお盆休みなども文化として大事にします。)

ド・フリー論を語ることも無く
(フリーJAZZにおけるジレンマもよくご存じ→やり過ぎると音楽としても壊れる)
徐々に徐々に”自分の時間”という名前のプライバシーを拡大する人達です。

大事なことなので、付記しておきますが、
勿論交友関係も(所謂友人との付き合い)「ぶっちゃけ”自分の時間の邪魔”」なので(オフタイムは別ですよ、そういう時こそ息抜きとしても交友関係は生きる:イベント性とかエンタメ性ジャンルから外れるって意味です)、
彼らが発明した「おひとりさま」という行動に付随する文化はどしどし拡大していくものに思います。
(スマホゲームの拡大にしても、社会的需要も”そちら”が優位となっていくのでしょう)

『歩留まり』選択者の社会的意味とはズバリ”社会の安全装置”なんだろうと思います。
(※実は誰よりも『歩留まり』さんこそ改革進捗が遅いことにイラついてたりするんですけどね)




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2020年09月29日

現代『歩留まり』論(1)

「中途半端や便宜的」を意味する『歩留まり』に論もクソも無いっちゃ〜無いんだがww
(所謂比較相対多数の『歩留まり』な皆さんからも余計なお世話でございましょう)
現代社会の基礎知識的にちょっとまとめておこうかと、そういう企画です。
3回シリーズぐらいかな、
(これまでブログではインパクトが強い『単独者』論をメインに取り上げてきた来た部分もあるんだが《それのがわかりやすいから》、『歩留まり』から『単独者』を知るって角度も無いでは無いだろうから、念のためって側面もある:総論としては”ネタバレ崩壊後に起きる自我再選択論のバックグラウンド”であり、その一部って事になる。)


まず初回は「発生の経緯」からいきますか

■これは伝統宗教と宗教改革(リベラリズム)なんかの経緯で考えるとわかりやすい
(宗教改革の場合は保守サイドの制度疲労もあるので同列には語れないが)
そもそもが日本伝統の『共同幻想』主力はローカル『共同幻想』であって、高度経済成長を機に集団就職や出稼ぎ労働になどにより地方の『共同幻想』が単身赴任的離脱により崩壊を始めるあたりから始まる。
前段の集団就職や出稼ぎが(現代から考えればなんだか知らないが)悲劇的に捉えられるのに対し、後の受験戦争などの高学歴化の中で子息が都会の大学に進学など(この場合は何故かまったく悲劇的なネタとならないww)、ズルズルと雪崩をうって崩壊を始めた。
 ↑
きっかけとしては経済事情
(根本的に『共同幻想』存在の合理性も合理性なので、経済事情の変動でその根幹が壊れるのは自明といえば自明)


●案外忘れられがちだが、後発で女子の高学歴化が後を追う
(女子の最高学歴はついこないだまで短大だったのです)
この背景は結構重要なことで(米国の性の自由を発端とする女性解放運動とは大きく異なる)、
それ以前の昭和の女子のオンザレールは「職場でお嫁さん候補として斡旋させるため、お茶くみ業務に励む」ってもので、そのために男性社会を学歴で刺激しないように”女子短大”なんて(悪い言葉で言えばコンパニオンあっせん学歴みたいなw)ルートがあったワケさ、
しかし、親サイドとしても素朴に考えて(核家族化少子化の流れの中)
なんで女子が四大いくもんじゃないとかあんの、おかしくネーかと思うワケで(リベラル改革)、
うんで四大出の女子がお茶くみはおかしいだろと、
 ↓
後の「男女雇用機会均等法」成立
(これは同時に、女子を一般職に縛り付けることが”そら奴隷労働だろ”となりほぼほぼ”女子は一般職で”が女性差別だとなり)
 ↑
※これさ大転換なんだよ、すっごい大転換
以降、男子は「頑張って勉強して一流サラリーマンになると、おくゆかしく短大卒で我慢しているハイグレード女子を嫁として斡旋してくれる」という物語が唐突に終了した。

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posted by kagewari at 10:06 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月28日

異端者の視点(エキセントリックに至る事象の背景を探る)

一見一般人然とした所謂『共同幻想』適応な人物が多数を占める空間に、
(障害でも人種でも生き様でもファッションでも)異端者がいた場合、
『共同幻想』特有の反応として「同調圧力ビームからの異端者警戒信号の発生(風の谷のナウシカ、オームの警戒信号みたいな奴)」←よく見かける現象ですよね

最近の東京だと、都心の地下鉄なぞで何の理由かわからない上から目線の白人ファミリーが大騒ぎなんてことになると、(そら彼らにはまったくわからないのですが)日本人だけが感じられる警戒信号が車内全体に広がったりございますでしょ(笑
 ↑
岸田心理学『唯幻論』においても、
異端とされている人物の人格を意識的に周囲が「だよね、そうだよね」と追随した場合、所謂メンタル含む異質性は埋没し、それが半ば強制的に『共同幻想』化するって話が論じられてますが、
(これ周囲が演技でやれば異端者を騙すことも可能)

■ひとつ視点を変えてみましょう

『共同幻想』サイドがあれほど”たった一人の異端者であっても発生する警戒信号ですが”
いやいや、異端者の側から見りゃ周囲全員が異端者なワケで(笑
二次災害とは言いませんが、
事実上派生的問題が発生しますわね、
(周囲の人間が宇宙人か何かって世界に生きているのですから)


これは具体的例では無いけれど、
思考実験として考えてもらいたい
●ある未開な部族の風習のコミュニケーション手法において
非言語なおたけびが(あちゃーとかチェスト―など)挨拶なり、感情表現における伝統だとしましょうか。加えてミュージカルのように、意欲的局面では大声で歌を歌わなければならない。
ここに軽度の自閉症患者がいた場合、
(前述の周囲がそれに合わせりゃ何でもそれが『共同幻想』になる原理で)
場合によると、自分の症例をさほど気にしない可能性ありますよね
 ↓
さて現代社会に戻ってきました
現代社会はどうなっていますかって言えばさ、上記の真逆だ

つまり異端者は(周囲が全員宇宙人だぜって派生状況に)二段構えの対処が必要になります。
事程左様に、
メンタルとは違い、明らかに身体障害を発端とする異端状況においても、
周囲の『共同幻想』の都合であんなことになったり、こんなことにもなるんだと。
この派生局面を演出しているのは当事者では無く『共同幻想』サイドなワケでね、、

(※実際剣道を代表に武道などでは逆の狙いで上記のような『共同幻想』を使い分けている)


だから何って話をしたいのではありません
ごくごく単純な話、
「全裸族に生まれた個体は全裸であることに羞恥心を感じない」
「同じ個体が現代文明に生まれれば、全裸に羞恥心もあるだろうしみだりに全開すればわいせつ罪だ」
(原則的なことを言えば、素っ裸を恥ずかしいと思うか否かは”根源的本音では無く”、環境によって刷り込まれた後天的仮想人格の反応ってことになる。)
 ↑
心理学が個人自我心理学系である以上、
社会的派生部分は(まあ時代が変わればどうとでもなる枝葉でしかないので)
本人が体感する思惑とは別に、「まーそこは本音じゃネーすから(どうでもいい事項)」という理解を忘れるとめんどくさくなる
ぜって事さ。

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posted by kagewari at 15:18 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月24日

気にする、気にしない

「気にしない、気にしない」「気にすんなよ」←って言葉ありますね

これは何でしょうか。

「心にとめる(とめおく)」って言葉もありますな、
実際のとこ、「気にしない、気にしない」が”忘れてしまえばいいじゃん”的な意味であることは説明するまでも無いでしょう。

(思うに「気にすんなよ」よか「気にしない、気にしない」的リフレイン構造のが《おまじない的に》効果的だと思う)
すると?それは一種の自己暗示手法ってことになりまさ〜ね
”フラグ返し(フラグ無効化技)”ってとこでしょうか、
リフレイン使って、暗示かけるのも定番になってますが(「痛くない、痛くない」「アーアー聞こえない、聞こえない」「なんでもない、なんでもない」「ねむくな〜る、ねむくな〜る」)暗示ってのはアレなんだろうね→●「無意識領域に干渉する」

なんか実に単純ってか、ベタすぎネーかって思うけど、
自立的機関とは思えない無意識領域が相手だから(しかも前例主義)、
「大事な事だから二回言ってみた」が効果的なのかしらね
 ↑
しかしこれが皮肉で、
この2回繰り返しの無意識領域への干渉ってさ、
「『自意識』マターじゃありません(フラグ消去)→無意識領域へ送る、以上」ってメッセージでしょ
(忘れてもいい圧縮イメージ化処理しとけって)

まあ確かに「エピソード記憶」も『自意識』領域外なので、
●「大事な事だから二回言ってみた」ってのはそっち領域意図なのかもしんないけど、
(だから作為的にエピソード感を演出するには「同時に一発殴る」ってのが効果的なんだけどさw:ハイ、この手は《近代『共同幻想』の得意技》現代社会ではNGとなっております)
 ↑
え「それエピソードに入れて?」なのかさ「『自意識』マターじゃありません忘れてもいい処理して」なのかさ、これにわかに判断できるのかしらね(笑


こいつはあくまで俺の推定だけど、
「それは『自意識』には言うまでもなくわかるだろ?」って預託されてんだろうと、
えー、そんなんでいいんですかね?
(人格が共有化されてる『共同幻想』社会ならまだしもさ)
「しつこく何回も繰り返すものだから、忘れてしまったじゃないか」
って話も少なく無いのではなかろうか(笑


(※本当に忘れないようにするには、声出しと指差し確認な←関連付け記憶法)




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2020年09月20日

コンプレックス論のオマケ(”できない事”は”やらなくてもいい事”かもしれない)

『共同幻想』的一般論では(構成員の能力も平均化《共通化》するため)
できない事に挑戦するのを”ことさらポジティブ”みたいに吹聴する”雰囲気”がありますが、
「はたしてそうだろうか?」
できない事はスルーしちぇうほうが合理的では無いか
あたかも「それができない事を気にしろ?(それはハンデキャップやコンプレックスに感じるべき)」ってのは、社会的強迫であり、個人を負け犬気分に追い込んでいるだけでは無いか?
 ↓
●それが証拠に
ストレートな人に「LGBTに挑戦すべきだ」とか
取り立てて性的倒錯無い人に「キテレツなコスプレでいないとか何だ」とか
「お寿司食べる時には、ワサビの外れが入っているべき」とかさ、
こんな話を真に受ける人はいないだろ?

●ってことは、前述の話はどういうことよ、
「みんなはこれができている、できなければいけない」って決めてるのは『共同幻想』に過ぎず、実のところさしたる根拠も無く(最近流行の形式で)今共有させたいインセンティブ・イベントの対応力などを求めているに過ぎないのではなかろうかって話。
(前述のようにできない事が問題だという単純な論理だと誰もがNGバカですかと思う)
「BBQのやり方って知ってる?」じゃないけどさww
「はい、これからかくかくしかじかのイベントをインセンティブとして広めたいので、
ルールなりみなさん周知お願いしまーす」←『共同幻想』に縁の無い人には死ぬほどどうでもいい話


「できる事、できない事」単体を素で考えればさ、
「得意なことは伸ばす方が(快感獲得上)ベターだ」←一択でしょ、
これ『共同幻想』適応系の社会においても児童心理学やらで推薦しとる話じゃん、
得意なことを伸ばしましょうやら、褒めて伸ばすじゃないが、
(その論拠の是非は話の方向性違うのでここでは論じない)
個性化前提に考えれば、伸びしろあるとこに働きかけるのが合理的だよね。
企業経営など考えても”ほぼほぼ一致する意見”だと思う。

●そこをワザワザ「できない事をできなくちゃいけないと思ってしまう」のは”なんか変”だわな
※本音で「サラで挑戦しようと思っていること」や、
※自立独立みたいに(性的自立)「生理的に求める道理の自立論」や、
 ↑
この辺は例外だが(優先順位として別次元だから)、
 ↓
もうちょい具体的に言えば、
(アレルギーでは無く)食わず嫌いで偏食があるなら(食のバランスは命や健康マターなので優先順のレベルが違う)「好き嫌いは少ない方がいい」に合理性はあるが、
「激辛料理が食えるか」には意味が無い
∴故に「一概に苦手なこと、(実はじっくり考えも無しに)できない事をできるようになった方がいいややら、ハンデだのコンプレックスに感じるのは(或いは思ってしまうことは)アホらしいことで、『一拍置いて』その合理性を考えるべきだ」って話。

→続きを読む

タグ:強迫心理
posted by kagewari at 02:51 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


Amazon 2
所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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