2017年04月10日

「承認欲求」を掘り下げてみる

『依存問題』の説明に鉄板で出てくる話と言えば「承認欲求」です。
今回は、ここを掘り下げて考えてみる。

「承認欲求」は凄く簡単な構造に乗っかるもので、
どっかの誰かが(世間がも含む)権威上位者として当事者を”認める”という図式無しに成立しない。
主体的欲求では”無く”図式それ自体が依存的乃至従属的欲求となります。
(当事者スタンスも強制的に『被(こうむる)』形になってちゃっている。)

もっともわかりやすい台詞で言えば
「弟子にしてください」
「○○団の一員として認めてください」
「立派ななんとか役として上司や仲間に認められた」
「偉い先生に褒め”られたい”」
などなど、
いずれにしても自分が主体的にどうしたのかと全く関係無く、権威や(世論的意味の権威性)外部に自分が『被(こうむる)』側として、従属的に受け入れられたか否かって話です。

その反対は、孤高の芸術家などなど、
(ありがちなパターンは死後巨匠として評価されるとか、最後まで誰にもその価値を理解することができなかった謎のなんちゃら作家で一部マニアの間だけでカルト的人気だとか、、)
孤高の芸術家なんてものは”歩くエゴイズム”というか自主性の塊みたいなもんですから。
(周囲の意見を一切無視できるから独自路線なワケで=やれ誰かに認められるだとかそういうどうでもいい話には関心すらない。)

■つまるところ
「承認欲求とは”一歩間違えば”奴隷根性に過ぎない」代物です。
自分で自分の評価ができていれば、他者とか関係無いのですから。
一行前の”一歩間違えば”ってのは、認定者となる上位権威を当事者自体が「こいつスゲー」とか心底思っているか否かです(ここ所謂『共同幻想』確信犯的選択ってのと同義)。
 ↑
自分で自分の評価がでていればって部分について「所詮自己満足に過ぎないのでは」との見解もあると思いますが、そこは当該人物が「タイトルなどの”妙な快感獲得に関連する自己顕示欲”が目的化していないか」などでその是非が確認できるので、自己満足か否かの判定は難しくない。

勿論『共同幻想』社会適応社会の原理はこの「承認欲求」が機能したもので、
『共同幻想』社会において重要な欲求ですが、
そもそも論として、これが合理的に機能するためには「当該人物が『共同幻想』社会へ(確信犯的選択としてその権威正統性を自ら認め)入隊意思があること」、「入隊そのものが組織に承認済みであること(入隊意思が歓迎されている)」が条件となる。

更に付け加えると、
近代以降昭和初期まで文明発展論的に当時は(生存競争的・安全保障的に)『共同幻想』が社会学的意味で半ば無条件に合理的である時代もありましたから、その場合は当事者の確信犯的選択性は大きな論議とならなかったが、先進国化以降その意味合いは大きく変わり(ブラック企業などの判定)、『共同幻想』なら無条件に権威合理性があるって判定はあり得無くなっている。

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posted by kagewari at 04:51 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

経験値と現実認知

たとえばクマの子供が巣穴から出た時、
あるいは草食動物の子供が出産直後に草原で立ちあがった時、
「ここが現実ですか」を知るわけですが、本能がバリバリ現役の動物の場合そのファーストインプレッションはナチュボーンであり、種として”高いレベルで共有”されます。
言い換えるなら本能と自然の関係性における種としての”普遍的共有認識”(概念では無く『共同幻想』では無い)。

勿論全く同じ現実認知を獲得するワケじゃありませんが、個体差というより自然環境の気まぐれのが大きく(偶然水の無い気候変動期に生まれる場合もあるでしょうから)、そんな差異すら現実そのものにより支配される(社会の概念は無くその自然環境としての現実があたかも神に匹敵する絶対の権威として実存しているかのように)。

直立歩行が原因とも類推されている人類ヒト科の場合、
生存のために本能を壊して(或は摩改造して)繁殖期における特異なモチベーションを常時発動する格好の”哺乳類としての特性からの乖離”によって自然環境との親和性と申しましょうか、運命共同体的関係性が切れちゃっている生き物は、
母体内にいる時から奇妙な音楽聞かされたり、
「私がママよ」などという荒唐無稽な言語という『共同幻想』に速攻さらされたり、
「そこは戦場だった」まで、始めて視界に入る景色も千差万別と、

人類ヒト科は『現実の原風景』というようなイメージにべらぼうに個体差があります。

そりゃね、どこかで現実を認知する場合”ものさし”ってものがなけりゃ事の軽重を判断できません。
この初期的認知は(「驚く」というつかさつかさで何度も更新されますが)「原始トラウマ論」とでも捉えられる代物で、
なんだかんだとその後の現実認知を左右します。
特に、何事もデフォルメにより誇大視してしまう”幼児期”ともなれば、人類ヒト科大半の「原始トラウマ」はトンでも級に現実から乖離しているでしょう。

この辺を(大きな驚きが派生するポイントとして)各種反抗期に大規模アップデートするのはするのですが、
「潮の香が懐かしいぜ」なーんて日活アクションみたいな台詞部分は(成長期における認知修正項目外でもあるため)そのまま温存されもする。

■メンタル問題ともなり得るこの初期現実認知「原始トラウマ」ですが、
「すっごくあーじゃないか」のようにですね、どこかに感情的興奮を伴うエピソード記憶となっていると、リスクとなる可能性が大きい。
”エピソード記憶”がいかんのじゃないのですよ、
詩的情緒的な感動であれば興奮を伴っていてもメンタルリスクにはならない(デフォルメ係数かかってても対物評価ぐらいのものだから→どこにでもある木や石が誇大視され芸術的存在となっても自我構造の日常にほとんど関係が無い)。

人間関係などにおける(快体験でも不快体験でも)興奮伴うエピソード(或は幼児特有の勘違いによるデフォルメ)、こういったものが「三つ子の魂伝説」なんかのネタ元なんだろうと。
何事もケースバイケースなので(中の人が違えば結果も違う→双子が同じ人格とか無いし)、それが全てって意味でもありません。
「そこにも合理的根拠がある」って類の話です。

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posted by kagewari at 12:09 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

『共同幻想』としての『家族』(社会)の崩壊

シングルマザーが急増しておりまして、
これといったわかりやすいグラフは無いので以下ソースからかいつまんで説明すると
総務省 www.stat.go.jp/training/2kenkyu/pdf/zuhyou/single4.pdf
子育て世帯数 http://todo-ran.com/t/kiji/13533
シングルマザーの現状って世界的に見てどうなの!?
http://shinmama.jp/childcare/1771/

ちょっと古いDATAですが(2010から11年)
子育て世帯総数が約1200万でシングルマザー世帯が約124万なので約1割、
日本のシングルマザー世帯は微増ですが、その一割を占める「未婚のシングルマザー」はここ10年(2010年時)倍増の勢いで、全体として微増のシングルマザー総数を押し上げる主力となっている。

(ちなみに現在日本のシングルマザー総数におけるその原因は離婚が圧倒的。ちなみに婚姻数に対する離婚数という割り算の離婚率は約3割となるが、離婚率ってのはなかなかこれという統計の取り方が無いのでここは参考で。→親が離婚した経験を持つ子供総数の割合統計だと1%とか整合性が取れない数字もあるので誰か整理してください。後述DATAだとシングルマザーの出産率だけでも2.3%なんだが、、)

2016、17年にかけて更に上記傾向は更に強くなっていると思いますが、
世界の傾向は「婚外子の割合DATAが以下」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1520.html


各国倍増しておりまして、フランスやスウエーデン、デンマークは50%超えてます。
(オランダ、英国、スペイン、米国も40%越え)
●日本も「子供手当」が充実してくれば諸外国に近づいていくと思われです。

理由は簡単で、『共同幻想』としての『家族』運営する場合親の権威性の建て前というか合理性は相続する家督があるから派生するもので(わかりやすく言えば欧米なら貴族、日本なら武家の跡継ぎに始まり、家伝統の農地や商売などの継承)長男総取りなどの男子相続があるから現責任者の男親には物理的な権力が発生し、その権力をバックに権威実力が発現するワケです。
よくサラリーマン世帯の男親が「どんな父親であるべきかわからない」なんて話もよくありますけど、そりゃわからないのでは無くって(笑、家督相続を前提としない家族運営における父親の親権は法律上存在するだけで実行力のある権威は最初っから”何も無い”のです。

■もうちょっと簡単に言えば「跡継ぎの男の子の産めない嫁はクズ」みたいな時代が終わったのだとしたら、『共同幻想』としての『家族』も”結婚幻想”も終わったんだよって事。
(勿論その趣旨は女性差別『共同幻想』の終焉であり、女性特有に広範に見られるメンタル問題である「結婚願望」における”結婚”という言葉に連想される権威的タイトル感の消滅。)

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posted by kagewari at 21:55 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

現代社会の『共同幻想』

『共同幻想』崩壊時代なんて言われていますが、
現代社会だからこその『共同幻想』も存在します。
(軍隊はロボット化AI化が進むまでいつの時代も『共同幻想』が中核なので例外)
今後も残る典型的『共同幻想』は体育会系部活であったり(理由は軍隊と同じでチームで戦う共通認識が存在そのものであるため)、商工会などの一部地域共同体であり(商店街の不動産立地により半ば強制的に運命共同体となるため)、徒弟制度の伝統料理厨房などやはり限られたものになります。

これも残るだろうって部分もかなり怪しくなっており、
『お祭り』→昨今盆踊りの音にもクレームがくる
『企業組織』→ブラック企業批判であり、現在政府が進めている働き方改革、
『労組』→日教組の組織率すら怪しくなっている
『家族』→シングルマザーの増加(右肩上がりのうなぎのぼり)
(注:家族が『共同幻想』として機能するには継ぐべき”家督”がその権威性の後ろ盾として必要であり、父親がいても高度経済成長サラリーマン世代以降の家族はクラス《階級》として既に『共同幻想』としては崩壊し”なんちゃって化”しており、解放予備軍であった。)
文部省がイジメ問題理解の根本的間違いに気が付けば、少人数化に応じて学校もクラス(階級)運営を止めオープン(単位制)化するでしょう。

■話のメインはここではありません
残り続ける『共同幻想』とは、組織ではなく”概念や文化”としての『共同幻想』です。
「文化や慣習法としての道徳心」だとか
「言語(地域方言も重要項目)」や
「国籍(=民族を意味しない「国としての伝統や文化」)」など
そして「民主制による統治(多数決を是とする仕組み)」もそうかもしれません(『集団的安全保障』もその延長上にある)。
 ↑
政治のとこに違和感ある人いるかもですが、
昭和を代表する『共同幻想』のひとつに「国民的大歌手」という存在があります。
映画スターもそうでしたが、国が豊かになるにつれ大スターは(国民の趣味性が多様化するなか)どうしたって分散化によりスケールが縮小化し、アイドルが握手会するに至るのですが、
握手会の代表選選手と言えば政治家ですからね。

ざっくり言えば、『共同幻想』が組織や集団を束ねる状況は限定的なものとなり、
現在残っている状況も早晩滅びていくのだと思いますが、その”概念は残る”。
●確信犯的『共同幻想』保守選択は滅びの過程の中でもまだまだ存在し続けますが、社会帰属性を目論むような選択は母数の崩壊により難しくなる。
注:『共同幻想』社会が形成されなくなるのではありません。権威的に共通認識のある組織を意図的に運用するような仕組みが崩壊するだけで、ナチュボーンで共通認識のある個人が集まれば(志願制の)『共同幻想』社会が形成可能ですから(軍隊や体育会系部活などと同じパターンです)。
 ↓
結果として将来の『共同幻想』選択とは「ダイレクトに組織に所属したりなど社会帰属性を意味せず、伝統保守思想を支持する生き様や政治的スタンス」のようなものになるのかなと思います。

即ち『共同幻想』は社会システムとして崩壊後も保守的選択系「哲学」として残り続ける。

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posted by kagewari at 04:08 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

DV問題における「関係性」について解説しておこうと思う

DV問題ってのは、心理的にどうしてそうなっちゃうのかって部分無しに理解できない。
関連する事項は説明するまでも無く『共依存』関係の可能性です。
『共依存』は恋愛がらみの局面において、メンタル問題系の典型事例のひとつであり、
(※静の典型に『引きこもり』があるとすれば、動の典型に『共依存』があると考えてもよい)
中でもDV関連の相談事例として「次の男性もDVですか」みたいな状況があれば、『共依存』事例であり具体的状況の前にその「関係性」を分析しなければ全体像を見失う。

よく似た状況としてメンタル問題当事者が過去イジメ関連など人間関係の経験がありながらも「何故なのか(確信犯的選択無しに)『共同幻想』社会に半ば強迫的に関係し、またイジメ被害に合いました」のような現象があり、決して少なくない事例です。

悪循環の解決を優先させるのであれば『共依存』の理解が不可欠となる。

■話が少々複合的になるので限定的にイジメ問題のおさらいしますが、
集団が登場人物として関係しないと(社会的問題としての)イジメ現象は100%不可能です
極論、ひとりではイジメ問題を引き起こすことできない。
階級や組織として形成されている社会や集団には『共同幻想』が存在します。
仮に、その反対となる社会を定義するなら特定集団化を伴わない「烏合の衆状態」でありながらも”テーマや利益関係”で集散している状態となる。
典型例では無いけれどもわかりやすい事例のひとつが2chなどのオープンなネットワーク社会。
イントラネットとインターネットの対比で考るとわかりやすい。
(■■■同じネットワークでもSNSは仮想『共同幻想』なので趣旨が真逆であり要注意■■■)

2chなどでは日常社会以上に罵詈雑言が飛び交うが(ある意味どうしてなのかが明解に言語化されるので)何がどうしてこうなったという事実関係も明確なので(ガチの闘争は起きるが)イジメの構図にはならない(不快なら退出すればよいだけだから)。
 ↑↓
逆説的に言えば、イジメ問題対応初動の鉄板法則は「まず当該社会との関係を絶つこと」となる。

『共同幻想』は血の掟じゃありませんが、共通認識や権威性認知の共有により成立するため(構成員としての忠誠や組織に対する帰属愛)、組織加盟意思の曖昧な個体が参加するだけで集団心理として組織的不安に陥り(典型例が左翼運動の内ゲバであり裏切り者がひとりいる系ドラマ)、集団的防衛反応を引き起こすため、メンタル問題当事者が強迫的に組織に参加した事だけで(極論参加の噂があるだけで)イジメフラグとなると考えておくべき(そもそも『共同幻想』はそういう性質の概念だから)。


■『共同幻想』系の集団組織化って概念自体、古代から近代までの話であって、現代の先進国社会の場合(部活や軍隊などの確信犯的志願制の組織を例外に)既に通用しない話であり(プライバシー保護的観点からみてもNG)、現代社会の先進国においては積極的に『共同幻想』崩壊を前提に考えなければならない代物で(故に現代社会においてイジメやパワハラやセクハラやブラック企業などの問題としてそれが表面化している)、存在そのものからして問題視してもいいスケールの話になる。
ですから、無理筋の関係者を何らかの技術で仲良くしましょうみたいな発想は完全な”ド間違い”。
 ↑
見方を変えると、現代社会における『共同幻想』とは(そこに存在していれば)既に「社会強迫的概念」と捉えることもできる(現存することそれ自体が間違いであり「ブラック企業」の原因)。
(※企業の組織編制もそうですが、本来文部省はクラス《階級》編成による学校運営をとっととやめて大学などにおけるオープンキャンパス的な運営に切り替えないとこの問題は根本的に解決しない。)

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posted by kagewari at 18:10 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

心理学における空間的な認識

この話は試案であり、何か結論めいたものも導き出せていないので、
思考中のメモ書き的に残しておこうと思う。

たとえば、地下鉄や電車内でお馴染みの迷惑行為小集団を見つめるその他大勢の暗黙の視線なんて状況ありますよね。
さて、この時”なんとなく”周囲のその他大勢に認知されるのは「某集団を包み込むような空間(雰囲気とも呼ばれる小世界)」、極端に言うと「そこだけ異国のような違和感」みたいな?
確かにそう認知される”境い目のある特定空間”が存在しているのは事実。

さて、その空間が主体的に実存しているのか、無意識に、或は周囲の観察認知により後発的に実存しちゃうのか?様々な視点はあると思うのだが、心理学にとっての関心事項は「当事者自我にとって何であったのか」なのだから、それぞれの自我からどうなっているのか考えてみる。

その他大勢の観察視点の場合、
見えているのは間違いなく迷惑集団の『共同幻想』空間であり、その『共同幻想』そのものが異質なのでは無く、電車内などの公的空間の場合そこに私的空間を持ち込む事は不文律的にタブーとされている(車両内でのメイクにあれこれ批判があるのもこれが原因)。
何もこれは堅苦しい慣習の話では無く、元をただせば法治国家のルールであり、まさか電車内で下着の着替えをするものがいないように(時にわいせつ罪にもなり兼ねない事例もあるのだし)、プライバシーは保護されると同時に、公共の場で披露するのは(広義の解釈をすれば)その反対に”違法”なのです。
つまり、その他大勢の視点が見たものは
「おいおいどっかのトンチンカン集団が身内の論理(プライベートな)『共同幻想』を公共の場に持ち込んでるぞ(電車内は花見の公園じゃネーよ)」となります。

持ち込まれたプライベートな『共同幻想』単体を批判しているのでは”無い”。

では、同時者である迷惑集団の視点はどうか
感じられているのは間違いなく派生しちゃった(視野狭窄も含む)『共同幻想』ルールの優先性(個人の勝手な判断は許されず組織に追随協調しなければならない)に押され、優先順位のジレンマの中で「あたかも車両内という海にプライベートな『共同幻想』の屋形船が浮かぶように」周辺だけに限定される小空間に限れば(グループ内向き視線で外郭を視野外にすれば)的判断が無意識に進行し、結果として「優先順位のジレンマが空間として実体化してしまう」→なんとなくここだけ浮いている感触はわかっている(わかっているから迷惑集団がDQNの場合同時に喧嘩腰の防衛行動も発令されるワケで→「何見てんだよ!」)。

■素朴にこの現象の謎解きすると
電車などの公共の場では(組織を制度的に強要される修学旅行じゃあるまいし)プライベートな『共同幻想』を派生させるような構成の団体行動は本来抑制的でなければならないワケです。
(ここは一般車両と新幹線や遠距離の特急指定席など”明らかに”持ち込み度合は使い分けられてる)

極端な事例で言えば「図書館にどこやらの不良グループがいつもの”彼ら”の『共同幻想』の日常を演じただけでトンでもの迷惑行為になる」ことからも確認できる。
■大事な事は『共同幻想』や社会適応を慣習的に是としてきた歴史のある日本であっても、どこでもここでも下層ヒエラルキー『共同幻想』(友達関係や家族社会などの私的『共同幻想』)の露出を禁じており←いやいや説明するまでも無く『共同幻想』ってのは権威性認知を背景とする階級社会(ピラミッド型ヒエラルキー)を前提とするのだから→上部構造空間にそれを持ち込めば自らが下部構造として所属している階級社会構造に対するソフトなテロになってしまうのだから、説明するまでも無い話。

(欧米などの『共同幻想』と日本の”世間様権威社会”との違いは、欧米はバレバレにその上部構造がダイレクトに教会であるため、日本のように重層的な階層構造になっていないため。であるから公共の場でもかなり大胆にプライバシーを披歴する欧米文化圏の人間も「教会の中でも同じように騒いでもいい」という感覚は”無い”。彼らにとって公共の場とは「異教徒すら存在する無法アリ地帯」な解釈も可能なので一見個人主義に見えたり私的『共同幻想』の披露に遠慮が無いかのように”見える”のだが、『共同幻想』適応選択者は常に宗教上の慣習・道徳感により無意識に拘束されている。)

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posted by kagewari at 17:56 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月13日

現実世界と自我の認知

ちょっと前の話に被る話です。
生き物は現実そのものを”リアル”として認知”できません”。
五感で得た情報を脳内で再構成することで認知しています(実際に情報処理タイムラグも存在し認知が”リアルタイム”ではない事は確実)。

過去ログで、何故映画のBGMに違和感感じないのかなんて話をした事ありますが(日常生活に効果音とか無いからみたいな)、
SONYがウォークマンを開発して以来、通勤時だとかジョギングする時に音楽かけながらって姿は一般的な日常風景です(60年代から80年代における「デートの時にカーオーディオで何のカセットをかけるのか」なんて世界もありました)。
実際にBGMかけながらの生活が実体化している。
この場合映画と違って、自ら積極的にBGMを選択し現実世界を演出しつつ自分の現実を補完しているのであり、体感されている世界はこの段階で”既にバーチャル”です。

前から思っている事ですが、
VR技術が進歩した世界では現実をより多様に”選択”できます。
媒体としてそれが各個人や階層のリビドー解放にどのように関係するのか予測できませんが、産業革命超えるインパクトを与えるだろうと思います。
VRコンテンツ成功のポイントは思ったとおりの(夢に見たまんまの)世界に耽溺しようって事では”無く”、「現実”同様に”容易に思う通りにならない仕様」です(難度の高いゲームが好まれるのもこれが原因)。
前述括弧の話じゃないが、ゲームの世界において欧米は日本と比べ極端に難易度の高いゲームを好みます(日本版には存在しないモードがあったり)。求められている世界は「容易に思う通りになる世界では”無い”」からです(欧米の高難度志向も彼らの文化固有の「リアリズム体感の壁」なのかもしれない)。

競技者が全員パーフェクトスコアを出すゲームはゲームですらありません。
ゲーム性とは「難易度とそれに挑戦することで発生するリアリズムのこと」である。

時に保守派のみなさんはVRなんてのが拡大すれば、人類は怠け者になるみたいな前近代な発想するかもしれませんが、開発者が挑むのは「たとえばそれが登山VRならいかにリアル登山に符合する難度を組み込むか」となるでしょう(勿論命の危険まで織り込むことは無いけれど)。
怠けるどころかVR世界における動機形成の水準は特Aクラスとなる可能性もある。

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posted by kagewari at 17:01 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

所謂ナントカ妄想というのは実態として妄想では無い(が、結果として妄想となる)

過去に公開掲示板過去ログで『性の嫌悪』系の相談事例の中で、男性全てに強い敵愾心が発生し(文中では殺意とまで表現され)何回かのやりとりでその認知の流れの矛盾を理解してもらったことありましたが、この件は所謂認知症における関係障害にも関わる話なので個別に論じておきたい。

■本筋、これに類する認知の偏向は「メンタル問題と全く関係無く誰にでも起きる」のです。
典型例が「(発表会やスポーツ大会などにおける)プレッシャー心理」であり、
ゴルフなどにおけるイップスも同じ。
それを不安心理と片づけてしまうのは簡単だが、認知のプロセスを追うと「その恐怖が脳内では(嘘では無く)事実である」ことがわかる(厳密に言えば不安とは言えない側面もあるワケで)。

どういう流れかと言えば、
プレッシャー心理とは「失敗した場合の観客や周囲の反応をシミュレートして、あたかもそれが本当に起きたかのように(教訓として重視すべき過去事例であるかのように)認知されている」。
人間は映画や小説をリアルであるかのように感情移入できるように、外世界にある現実をそのまんま認知することは不可能であり、その他の動物と同様になんやかんや五感などで取得された情報を脳内でイメージ化して認識している(凄く微小だけれど現実時間との間で僅かのタイムラグも存在する)。
言うならば現実認知の仕組みは取得された情報から脳内スクリーンで上映される形で認知されているワケで、
(絵の上手い下手があるように)元ネタを視覚情報で確認しているとは言え、脳内で認知されている情報イメージはそのままの現実では”無い”(直感像記憶は特殊症例ジャンルですから)。

二次創作とまで言わないが、監督なりプロデューサーなり『共同幻想』なり余談なり様々なフィルターがかかった映像でそれを理解している。
「ジャーナリズム的にだとか客観的に、中立的に」などの文言があるのは、意識的にフィルターを解除するように(自意識マターで)もっていかないとなんやかんやと偏向しているのが常態であり(好き嫌いや危険フラグや様々の付箋用紙もくっついている)、
「どの花が綺麗に見えるのか?」が千差万別であることからも推察がつく。
(その人が綺麗と感じる花は映像イメージの中で何らかの強調が行われていると考えるのが自然だから→故に絵画は芸術となるのであって、、)

話は戻るけども、
「失敗した場合の観客や周囲の反応をシミュレートして、あたかもそれが本当に起きたかのように(教訓として重視すべき過去事例であるかのように)認知されている」プレッシャー心理ってのは、一度脳内でやらかしてしまうと(ゴルフのイップスじゃないけれど)、事実認定ジャンルとほとんど違いが無い。違いがないから「二度あることは三度ある」心理から本気で強いプレッシャーの形で認識され、その恐怖は嘘でもなければ妄想でも無い(脳内スクリーンに上映されている形式は現実とほぼ同じなのだから)。

でー
プレッシャーと言えばそのまんま「強迫性」に関連付けられるのだし、
認知症の場合など失敗シミュレーションをやたら自分自身で反復してしまい(重要なのは失敗することそのものを気にしないことが肝要なのだけれど)、輪をかけて極度のプレッシャー下におかれているかのように(=あたかも「強迫心理」下の自我のように)、興奮状態になりやすくなったり次から次と些細なことまで重大事案であるかのような悪循環を生む。
スポーツなどのプレッシャー論で言えば「アレ失敗したらどうしよう、これも失敗したら」といくらでも拡大可能であり、一度陥ると際限が無い。

■心理学における「強迫心理論」なるところから考える場合、
強迫心理の手前、一般用語の語彙範囲の単純な”コンプレックス”さえあれば「結果論としての妄想」はなんぼでも発生してしまう。
その妄想とはスポーツなどにおけるプレッシャー心理のネタ元となる「失敗が連続する想像を現実と誤認する」形の結果論としての妄想だ。
スポーツ心理のところで説明したとおりで、そのイメージは嘘では無く脳内では現実とほとんど違いが無いのだから、当人にとってそれは「決して妄想などでは無い」のだが、理論的・結果論的に説明すればそれは妄想に他なら無い(まだ現実には起きていないのだから)。

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posted by kagewari at 07:16 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月17日

いじめ問題の補足(2)

トランプショックや英国のEU離脱に見られるように、
クローバリズムは地域『共同幻想』にとって”いじめ”みたいなものです。
話の流れ的には「保守VSリベラリズム(本来は対決構図では無く”相克”なんですが)」の話になるかと思います。
そして、左翼思想は(『共同幻想』なのだから本質的にリベラリズムと矛盾しており)リベラリズムの本質をはき違えてしまうって話でもあります。

困った事にグローバリズム覇権主義は「多国籍企業による帝国主義」みたいなものなので、左翼が標榜しちゃいかん話なのですが、何をとち狂ったのか昨今グローバリズム的リベラル主義みたいなんが左翼陣営で台頭したためワケのわからない事になってしまいました。
(この構図は民主党政権が盛んにTPPを導入しようとした様などにも表れたし、欧州リベラル層がEUを推進したのも同じ。)
左翼政治活動の深層には全体主義的『共同幻想』がありますかから(共産党独裁)、さもありなんと言えばそうなんですが、、。

それは権力や権威の主体と化したメディアの問題にも起因している(リベラリストが自ら権力者になるワケだから)。
リベラル主義ってな〜本来、保守的権威に対してそろそろ合理性が無いよって部分を自由化すべしみたいに突き崩す存在という役割なんですが、
コアは自由主義なのですから保守系『共同幻想』の存在も尊重するのが筋論になります(文化としてのその存在はむしろ保護すべきみたいな)。
実際そういう運動を左翼からしてやってます。「少数民族の言語を保護する」などなどです、

だとするならばですよ、
■民族の宗教的戒律だとか、ローカル『共同幻想』の方言や、ひいては地域性や慣習ってものも”体制的に強圧的なもので無ければ(世俗的自由選択を認めているのであれば)”存在を認め保護するぐらいの勢いじゃないと矛盾します。
しかし、グローバリズムってのはですね「移民の件しかり」共同体の不文律や慣習の連続性を破壊しかねない事になるだけでなく、左翼リベラリズムの代名詞にもなりつつあるPC(ポリティカルコレクトネス・表現の政治的抑制や配慮)、これは「半ばPCこそ標準語なのであり、それに理解を示せない人は反知性主義のポピュリストだ、無知蒙昧な極右だ」と弾圧するワケです。
地方少数派な伝統的コミュニティーの存続を認めない(大店法により地域の商店街が潰れた過去を思い出せば誰にでもわかることじゃないかと)。

グローバリズムを標榜する法人が社内公用語を英語にしてしまうとかね、イロイロありますが、、
同様にナンセンスだってワケです。
左翼な人はやれ「女性の権利運動」として旧姓の使用権などで大騒ぎしておきながら、地域共同体の慣習や伝統の存続を認めない(PCジャンルに記載無い文化は滅んでしまえとばかりに)。
TPPじゃないけれど、どこの権威様が決めたのやら上から目線で「これが国際ルールだ」とばかりに少数意見を認めない(選挙に勝ったので少数意見では無くなりましたけどね)。
 ↑
この状況にですね、
リベラリストこそ断固反対なワケです。

■一見左翼リベラリズムは人権だとか多様な意見をなんとかだと表向き言っていますが(なんせ左翼運動の本質も『共同幻想』ですから)、自分達が決めた教義に従えと体制側から弱小『共同幻想』コミュニティーを(異端であるかのように見立て)権威的に(自分達で決めたルールに)同一化するよう強いている構造に陥ってます。
この勘違いがトンでも無い話になっているから、トランプショックや英国のEU離脱になっとんのです。

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posted by kagewari at 07:58 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

いじめ問題の補足(1)

いじめの原則論は各所で書いているのだけれど「お家断絶的部分」に関して補足しておこうと思います、
■本題の前にいじめ問題の概略おさらいしておきますが、
・(相対論で言えば)比較強者は「イジメられる側」である
・いじめは『共同幻想』の典型的な組織防衛安全保障機能のひとつである(極端に言えばいじめは『共同幻想』の専売特許)
・『単独者』のように組織外の門外漢認定された個人はいじめの対象とならないし、物理的にいじめという行為が不可能である(隣町の見知らぬ人をいじめるとか不可能ですから→しじめは組織内部でしかできない現象)

・何を理由にいじめが発生するかと言えば『共同幻想』の不安(『共同幻想』はその強迫性や神経質とも言える予定調和により成立しているものなので組成は非常に脆弱である)
・『共同幻想』は「誰それが何故そうなのか動機がわからない(そして組織内で共有できない)」だけで組織の存続に関わるような不安状態になる(この不安が共有されれば集団心理として形成される)
・基本的にイジメられる側が高度な自己紹介に成功しその共有に成功すればいじめは停止するが、そもそも『共同幻想』として共有理解可能な概念が低水準に限られており(そもそも『共同幻想』は機能限定のリミッター的抑制力無しに(集団で共有しなければならないから)成立しないので、高度な知見は理解されない→内部で限られた人物がその知見を理解するだけでも集団不安に繋がるケースすらある)
●実際にはあり得ないことだが、仮想上「仮にネタバレしていない強迫心理系メンタル問題が『共同幻想』に”共有されちゃった”場合」、その集団は集団としてメンタル問題を『共同幻想』に取り込んだことになるので(その集団にとって常識化された概念)、集団発病と言えば語弊があるが”そのような状態”になる(得意のインセンティブも機能せず組織構成上あり得ない)。
※それに似た『共同幻想』を挙げるとすれば「新興宗教などのカルト集団(教祖の存在によりなんだかよくわからないながらもインセンティブは機能するので集団化可能)」

■刑事事件に発展するいじめ問題のおさらい
・通常『共同幻想』基本性能のいじめは(最強の判断が下された場合)村八分に代表されるように対象者の殺害に及ぶほど苛烈なものだが、基本的にその目的は「職務質問のようなもの」である。
・故に”一般的”ないじめ条約は「”非公式”に非暴力的抑制のかかった行為」と考えることができるため、傷害事件に及ぶような判断が即決されることは”無い”(むしろそれ系の即決判断があり得るのは権威代表者による”体罰”)
●上記にあるように「社会面で報道されるような刑事事件に発展するような”いじめ”は『共同幻想』としても常識化された共有概念の破綻であり」=当該『共同幻想』それ自体が”事故っている”事を意味する(事故物件的な)。

このような問題を引き起こす組織は、封建時代「お上が廃滅措置」を下した。
それが「お家断絶」である。
極論になっちゃうけれども、封建時代であればレイプ事件を起こした「慶応大や千葉大は速攻廃校処分となってもおかしくは無い」ワケです。
大きなフレームの『共同幻想』ヒエラルキー全体から見た場合、そんな下部組織の存在が封建的ヒエラルキー全体の”不安要因”となるためで、
わかりやすく言えば上部組織が末端組織をいじめ(監査)し、最強の処分措置が決定された場合、躊躇なく「組織廃滅」が選択される。

現代社会は封建時代じゃありませんから(それもひとつの『共同幻想』崩壊レベルのひとつだけれど)、”お上”がいきなり「お家断絶」なんて事にはなりませんが、
少なくとも、学校などにおいて刑事事件に及ぶいじめ問題などが発生した場合、文部省が即座に(廃校は無理なら)「当該クラスの解体」を決定するのが(『共同幻想』の規約的には)正しい。
(※勿論個人の処罰はそれとはまた別に行われるのだが、運営上管理権限を持つ上部組織は”組織そのものの処分”を速やかに決定するべきなのが『共同幻想』の原則論)
●参考例は「暴力事件や喫煙などの非行が発生した時の”野球部”に対する処分」
 ↑
更に付け加えると、映画『フルメタルジャケット』じゃないけれど、全てを団体責任として懲罰を与える形の教練が「戦闘集団としての集団帰属心理(自意識抑圧と組織論のような合理化)を醸成する」のだけれど、そもそも職場や学校のクラス(階級)にそんな戦闘集団的な目的が現代社会に存在しているのか考えていただければ、「昭和の『共同幻想』はとっくに終わった時代なのだから」の理解もわかりやすいかと思います。
(※逆に言えば、最悪上官の命令で限りなく死亡する任務をこなさなければならない軍隊の場合、当事者があれこれ悩まずに済むためには、自意識抑圧も本人のメンタルにとって利益となるため(所謂合理化ね)、サムライという階級(クラス)が上位概念として自我構造を階層化するように、軍人という階級(クラス)が人としての存在より上位である構造が職業として現代でも合理的なのは事実。)、

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posted by kagewari at 19:36 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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