2017年11月29日

『共同幻想』論 「空気を読む」とか(3)

現代社会において何が起きているのか?
母親と娘が「姉妹みたい」と呼ばれて喜んじゃったり、
イクメンの父親が、離婚後も親権を取ったり、
(幼児虐待の論議はひとまず置くとして)
権威的裏付け何もないまま親権の運用任される事に誰しもが薄っすら違和感ありますから(20代の若僧夫婦に何がわかるのかって←故に『共同幻想』バリバリの時代には嫁姑なんて当たり前にあった訳でしょ)、必然的に晩婚化や非婚化の流れも出てくる。

専業主婦に対する偏見の背景には、
「(親は)保育士の資格が無いから」みたいな発想も本気で奥底に流れているかも知れません。
(実際高度先進国においては、教育の権利は子供個人にあって親権を制限する方向に行くんだと思います。)
子供の生存も、本質的に子供手当は(制度名称変わってますが)”子供個人に支給”され、親はその代理で受け取るだけって認識も周知されていくでしょう(子供は少なくとも所得負担において親世代に恩義を感じる必要が無い的な)。

■「ペットはあんなに大事にされているのに(ネコ飼いやイヌ飼いは早く帰宅するために真剣になりますから→残業あるからペットホテルに預けようとか思わない)、人間の子供は他人に預けても苦痛感じるどころか親世代はほっとしているんだな」←ここに気が付く勘のいい子もザクザク出てくるでしょう。

夫婦別姓しかり、血統やら後継者やらの『家幻想』はすっ飛び、
欧米の例から類推するなら「子供のある世帯の半数以上がシングルマザーだ」みたいな状況もそう遠くない将来に到来すると思われ。


個人の100年人生において、子供が独立するまでの期間20年は「あっという間」なので(下手すればイエネコの寿命より短い)、
結婚し世帯を構成するにしても、(往年の大家族時代では無いので)夫婦生活において家族社会時代の期間はほんの一瞬という事になります。
「いや〜俺も親になったぞ」みたいな体感も人生トータルを母数に考えるとそれほど大きな比重にならない(更に養育費から教育費まで国が出す時代になっていきますし)。


■現代社会において「家族の肖像」はどうあるべきか?
彷徨い続ける中(そもそも答えなんて無いですから)『単独者』化が先行していくのだろうと思います。
●「家族社会の中で読む空気など無くなり(家族社会『共同幻想』崩壊)」、
各人自由意思で自我を構成していくことになりますから、「強迫心理」由来のようなメンタル問題は後退する方向になります。
(勿論過渡期において、様々なところで発生するにしても大きな方向性は上記でしょう。)

しかし、フロイト発見以来の「乳幼児が親世代などに見るデフォルメされた絶対像」であるとか、「幼児期に親世代との間で形成される性愛的な関係性の記憶」などが消える事は想像し難い。
子供世代はいかに『反抗期?的な』経過で(初期から権威役を降板する親役を相手に)、現実アップデートを行うのか(新世代の新興宗教ブームなんてことになれば目も当てられませんし)、
或は、近現代のようないかにもな『反抗期』は消えてゆき(親世代への認識もエディプス的なものでは無く話のわかる大人程度に留まるとかで)、
利害関係社会との間で(或は哲学的に)ダイレクトに選択されていくのか、
今後はわかりません。
いずれにしても「原始的子供時代の現実アップデート」はどこかで何らかの手法で必要だし、模索されることになります。
(※「新卒社員3年以内3割退社」が実社会における現実アップデートに関係している可能性もありますが、社会現象として検証・確認されていくにはまだ時間が必要でしょう。)


●空気を読む時代は終わり、
「各個人がどういう空気感を纏うのか」みたいな時代に変遷していくのだろうと思います。

(※すごくベタな事例になりますが3Dプリンターじゃないですけど、AIが産業にバシバシ導入されれば衣類などもフルオーダーになる可能性だってあるワケで、衣類デザインにおける『共同幻想』コードもはっちゃけていくのだとしたら、各人各様の意味や文化的うんちくもパッと見わかる水準で分化していく可能性もあると思います。)



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posted by kagewari at 16:17 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

『共同幻想』論 「空気を読む」とか(2)

前回に引き続き、今回は「社会性のズレ」についての話です。
社会性って何の事?っていいますと、
社会学上の代表的分類
『ゲマインシャフト(Gemeinschaft)』血縁や地縁社会
『ゲゼルシャフト(Gesellschaft)』近代以降の会社などの利害関係社会
経済学もからめていくと、
社会解約説やら宗教革命からフランス革命まで含めての、伝統権威と権力が一致していた封建社会から民主主義(世俗主義)社会への変遷という位置づけになります。

更にこの先があるとするなら「権威性崩壊(ヒエラルキー構造崩壊)による(国民が皆一家言語る)クラウド社会(民主主義も本格機能)」みたいなものになるでしょう。
言わずと知れた『単独者』が多数派になることで形成される高度先進国社会を意味してます。

上記はいずれも歴史的変遷の中、
■「近現代にかけて後者の社会にシフトしてますよ」って話なのですが、
これって、個人自我心理学にとって、子供時代から大人時代への変遷でそのまんま(世界の歴史と同じ流れで)辿る道筋も同じなのです。

さて、前回解説にあるように、
●メンタル問題における「強迫心理」の元ネタは子供時代のデフォルメされた『共同幻想』です。
即ち、現代社会における利害関係社会において、「強迫心理」とは封建社会的認知な『共同幻想』を継続するかのようなことになります。
例として適当じゃありませんが、現代サラリーマン社会に唐突に戦国時代の武士が登場するような”乖離”です。
(読む空気の時代が違うみたいなズレが発生します)
 ↓
子供時代のデフォルメされた『共同幻想』は、権威者の偉さ感が凄く大きなイメージですし(この世に殿様や我が王家が存在しているかのような)、お家の(家族ネタで)一大事ともなれば切腹しようかって高まり(興奮)を見せたり、権威や道徳や礼節じゃないですが立ち振る舞いに関わるナントカに非常に敏感であったり(言葉使いをキッカケに想定外な興奮に至るケースも多い)、
立派な”何々”に成人しなければもう生きている意味が無い(家督相続の資格が無い)ってな勢いで自身を強迫してしまったり、所謂症状として知られる過大な興奮を伴う不快や不安の背景構造であったりもするのです。

■見方を変えてみます
古代や中世に詳しい統計は残っていないので、ざっくり現代社会における発展途上国と先進国の分類なども参考に考えた場合、
メンタル問題は古い時代なら「皇帝病」、中世なら「貴族階級」などに限って発生するもので(権威性や家族制度などがガチでハマるケースは同階級にしか存在しなかったため)、更に『共同幻想』の神聖化も強力なので、庶民階級においては1家庭の上に強烈な上部構造が存在する事も明白で(自分の親は非常に末端の管理職に過ぎないなど親子におかる上下関係の距離も近い)、
通常庶民階級には「メンタル問題」は発生しません。
 ↓
メンタル問題が庶民階級に波及し出すのはフランス革命以降の話で
(ニーチェがそれに怒ったじゃないですが、フランス革命後庶民は貴族階級の暮らしを模倣し貴族の文化が広く普及していく、)
封建社会のような強大な権威上部構造が崩壊すると、小さなお山の大将じゃないですが(事実高度経済成長期のサラリーマン社会のマイホームの夢は「一国(一石)一城の主」のキャッチコピーで呼ばれた)、国家単位でピラミッド型に構成されていた『共同幻想』は、議会制度などのリンクは残しつつも崩壊し(軍国主義などの反動時代も経つつ)、民主化されます。
 ↓
民主化ってのは、結果としてその過渡期のおいて「王様役や神官や巫女も家庭内民間ベースでお好きにどうぞ」って事になる訳で(これが昭和の受験戦争に繋がる)、
小貴族主義みたいな展開を経ます(プチブルなんて呼ばれたりした)

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posted by kagewari at 19:57 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

『共同幻想』論 「空気を読む」とか(1)

この解説に何の意味が?と思われる方もいらっしゃるかもですが、
メンタル問題の解説において重要な「強迫心理」の元ネタは(子供時代に認識していた)デフォルメされた『共同幻想』認知なので、『共同幻想』の中身を理解する事はメンタル問題への理解も早めると、このような訳です。

■『共同幻想』社会における「空気を読む」とは何の事か?
メンタル問題との関連で言えば勿論「関係障害」となります。

『共同幻想』とは一種のお芝居です、
所属社会の属性名称が”配役名”となります
(課長・係長・主任・パート・学生・警察官・教師・母親A・父親Aなどなど)
厳密に言うと、
自我発展に呼応して対象となる社会そのものの属性(社会学的な分類や内容)、これもまた人類の歴史をなぞるように差し替えられるのですが(ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの変遷)、この話やり始めるとべつの意味で大変な事になるので、次回とします。

さて、話は戻って、
■所属社会の属性名を”配役名”とするお芝居と考えた場合
前提となる社会の想定は”舞台”となります。
「何を舞台とする何のお話か?」
「何々社会における自分の”役”割」
上記のような対比というか、そんな感じです。

舞台における空気を読むってのは、演出上の趣旨として「何がテーマの舞台なのか」って話になります。各登場人物はそのテーマに沿うために配”役”されており、役名の無いモブキャラ群衆は(映画やドラマならエキストラが演じる)役名は無い。
上記を『共同幻想』社会適応論で言えば、
「何が目的の組織で、誰と誰で構成されているのか」となります。

●空気を読むとは(或は「読まれている空気とは」)、
「当該『共同幻想』社会の特定と組織の目的や、構成員の特定と求められる役割の理解」
上記の事で(ぶっちゃけ”舞台設定”って話ですよ)、
「そうそう空気を読み違えるとか無いだろう」と思われるかもですが、
いえいえ、そう簡単なものでは無いのです。
『共同幻想』は重層的に重なっており、場面場面で切り替えが行われます。
「複数の舞台をリアルタイムで掛け持ちしている」ようなもので、
配役名の呼称が変わる時、舞台のスイッチが切り替わります。
 ↓
「課長〜っ(仕事舞台、メンバーは同課の同僚)」
「山田っ(大学時代からの友人、メンバーは二人の掛け合い)」
「山田さん(同期の同僚社会、メンバーは同課同期生)」
「あのお客様(飲食店とお客舞台、メンバーはお店と入店客全員)」
「山田さーん(歯医者待合室、メンバーは他患者達と受付)」
「今日は山田さん(歯医者治療室、メンバーは医師と自分二人の掛け合い)」
「やーまだー(大学時代の友人と飲み、メンバーはここにいない友人も含む)」
「あら山田さん(キャバクラの飲み、メンバーはキャバ嬢と”自分”だが、キャバ嬢の方は店全体と目の前の客→思惑違うもの同士のプロレスドラマ)」
「お父さん(帰宅ドラマ、妻と個人としての自分)」
「お父さ〜ん(ホームドラマ、子供と親職としての自分と同僚としての妻)」
「俺って奴は(浴室私小説ドラマ、この時だけは『単独者』アドリブドラマ)」
などなど

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posted by kagewari at 01:23 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

不安や(激怒興奮)と安全圏

それは見方の問題って言えばそれまでですが、
「惑星の寿命で太陽が爆発する事を(自分個人の不安として)心配する人はいない」ってのがありますね。
・個人の寿命はぜいぜいが100年なので、それを遥かに超える事象を(理論的にそれが確実だとしても)視野に入れて憂慮する事は無い。
・プライバシーエリア的には視界に入る(江戸間4畳半とか6帖とも言われる)自分周辺の空間以外の距離に位置する事象はそれほど気にならなかったりする(他人事的に)。

権力者や概念としての国家(国籍感で言えば”ほぼ普遍的”『共同幻想』論的ナショナリズムにも及ぶ)であれば、安全保障上だったり地政学上の”安全圏”ってな発想にもなるでしょう。
(故にバルカン半島じゃありませんが、ここが何故みたいな諸国を巡るうん百年係争が発生したりする。)
ガチ安全保障で考えると「想定される(周辺他国も含む)安全確定圏まで考えて、戦闘機の航続距離がどうこう」って論議にもなるでしょう。

■ここからメンタル問題の話です
心理学の原則論から、
「強迫心理」が介在すると「現実との乖離」が起きる。
即ち(「強迫心理」もと元ネタが子供時代特有のデフォルメされた『共同幻想』であるため)、不安と対象性を成す安全圏の範囲ってものが、(射程距離的にも)無謀に広がったり、逆にものすごくどうでもいいような瑣末な事象がトンでも不安を引き起こしたりします。
 ↓
この事象に対する合理的な安全圏が見えなくなる(視野が漠然と無限になったり・逆に狭窄化したり)この妥当性や合理性が想定できなくなる要素は、個別事象の問題性より大きい。
 ↑
やっかいな問題で、確かに不安な案件として遡上にあがるテーマの個別具体論に何らかの解決的な方向性がみつかれば沈静化するのは”事実であるように思える”のですが、
のですがー
「そうではない」のです。

●個別具体論に何らかの解決的な方向性がみつかったり提案された途端、
これがトリガーとなって
「あー言えばこういう的に次から次へとモジュールが発動し機能全開に」
なんて事にもなるのですですよ。
「個別具体論に対しさくっと解決的かつ有効な方向性を”提示しない方がいい場合もある”」ぐらいの話なのです。

何故なら?
■そもそも論として、不安の射程距離的に「ないでしょう」が確認される場合(理由として語られる事象のスケールと自我興奮の水準がアンバランスである)、
論議の中心は「ナントカな要素が(それだけではあり得ない水準で)自我興奮のトリガーとなってしまう仕組み」にあって、個別具体論としてその事象なり案件そのものじゃないって話なのです。
いやいや、確かに挙げられる事象やテーマに全く意味が無いって事は無いのですが(解決した方がベターな案件もあるでしょう)、
ちょっと考えてみてください
「ふたした周囲の一言(=この段階で深い意味は無い)で殺意」だとか、
「国家予算のプライマリーバランスが不安です」みたいな、
何故そうなっちゃうの?って部分こそが解決しない限り「次から次と挙げられるネタも無限にみつけられてしまう」ワケで、際限が無くなります。
(だからこそ、自分自身では解決に至らないと判断もされているのであり→なんとなく当人も薄々エンドレスな状況にある事も認識している。)

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posted by kagewari at 20:37 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

『論理」と心理学

(この話はまだ推敲段階であり、確定的な結論は出ていません。しかも何かこう注目すべき内容が書かれているとかも無いのでww、心理学そのものに興味の無い方はスルーでお願いします。「選挙結果」などの時事ネタは次回やります。)

自我を構成しているのがロジックであり言葉であるのはご存じのとおりです。
(それがたとえば絵画や画像イメージだとしても象徴化された概念と捉える事もできる)
概念やイメージや言語などなどが「ロジカルに、或は時系列に」構成されたものが自我であり、

古い作品ですが『Thief (1981)ザ・クラッカー』なるマイケルマン監督ジェームス・カーン主演の映画があります。作中主人公は「これが俺の全てだ」とモザイク状に貼りこまれた写真を取り出す演出がありますが(最後マフィアに殴り込みかける前にこれを握りつぶして捨てる)、まさにそんな感じです。
市川崑監督や、市川監督をリスペクトしているアニメの庵野監督などが得意としている、映像や明朝体の言葉が映像中にフラッシュする演出も同様でしょう。

さて、この時自分の過去が「どんな大きさで・どんな貼り方で・どんな表情で・どの位置に・どんな言葉で」などなどの部分がロジック(なにがどうしてこうなる)。
(無作為では”無く”ロジカルに貼られるからこそ人格の構成《できあがる画風の差異や特徴》が個別に成立できるワケで)
「どういう素材が選択されているのか」などが構成要素となる。

<ここから本題>
■逆引きすれば、同じ論理性があれば(或はその論理性に対抗可能な概念なりが成立していれば)人格構成そのものに何らかの言語なりイメージなりが干渉できる(アクセスしてアップデート可能)。
 ↑
これが「感動だとか、衝撃だとか、省みるだとか、影響を受けるだとか、なんちゃらリスペクトだとか、説得だとか、説明だとか、論証だとか、交渉だとか、ベタな場面では営業であるとか」、
それらに類する事です。
勿論、新体験が自我を構成する要素として追加されていくプロセスも同じ。
但し「当該人物自我構成や構成ロジックに関係の無い事象が完全消滅するワケでは無く」、PCで言えば「ゴミ箱行き」だとしても、何らかの記号化圧縮され「関係の無い事項」に放り込まれるだけで記憶から消滅するワケでは無い。

ちょっと道逸れますが、
「記憶法」ってありますね?
所謂項目を身体部位などに関連付け、事象に構成要素として決して忘れない身体部位をインデックス的にくっつけるみたいな手法で、
つまるところ「思い出せるか否かの差異は、検索しやすさなどによる取り出すことができるか否かの差異のことである」であって消却やら消滅処理の過程は存在しない(もしそれがあるのだとしたら記憶喪失なんてな状態を症状として認識しないだろうし)。
(※ある意味「テスト前の一夜漬け」ってのは、記憶が格納処理される前段階の管理メモリのテーブル上に置きっぱなしにし→いわば目のつくところにリアルタイム事象だよみたいに置いておく手法)

追加で道逸れますが
■「打てば響くの共感」つーのは自我構造図上のどこに何が貼ってあるみたいな部分が共有だったり、その大小の論評などが肯定的である場合などに発生する”共振”のようなもので(共感として体感されたりするもの)自我構造そのものにはアクセスしていない。
鳴りやすい周波数に共鳴している状態なので、
現状肯定感(やナルチシズム)を拡大する効果となる。
(実存主義や『反抗期』論的に言えば「追認であって反抗的では無い」となる。=心理学的に言うところの『抗(あらがう)』スタンスでも”無い”。言うならば「気持ちのいいグルーブ感」みたいな状況です。)


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posted by kagewari at 00:17 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月11日

哲学的なアレをやろうとは思わないのだが(心理学関連だけ)

確かに岸田心理学には時代背景もあって、実存主義哲学抜きに語れないところがあるのだが(故にこのブログにおいても『単独者』などの概念が頻繁に登場しているワケで)、哲学は専門じゃないのであまりその辺触れていないのだが、心理学に関連する部分だけちょっと書いておこうと思う。
(※そもそもフロイト心理学における精神分析手法が哲学で言う構造主義関係だと”そっちサイド”から論評される場合もある。)

割とどうでもいい話なので、心理学テキスト期待されている方はスルーでどうぞ、

■自我論としての実存と心理学の原則である「結果論には関係が無い」関連
論旨における重要なポイントでありながら、ややもすると難解なイメージのある上記点を(哲学的側面にも触れながら)ちょっと書いてみようと思う。

時に承認欲求などで問題が深刻化するケースにあてはまる事なんだけれど、
「社会において何か成し遂げるみたいな幻想」に振り回されるのが大半かなと、
(勿論それは『共同幻想』特有の社会適応強迫でもあるワケだが)
端的に言えば、社会的地位などの殊更の意味があるように”思ってしまう”概念ですね。
人類にとって、直近の生存に関わる生産が過剰生産に及ぶ文明化された現代においては、大雑把に言えば派生する仕事は趣味性に関わる事項になるので(これ経済学では経済のソフト化だとか成長分野が第三次産業へシフトしていく発展段階などの話)、極論それ自体に大きな意味は無いワケです。

どういう意味か?
(実は以降の話は、哲学上の本質から離れており、かなりベタな俗っぽい説明になってますが、これは話をわかりやすくするための便宜上のものであることをご理解ください。)
●「新型クラウンのここがこうかわった」これが種としての人類ヒト科の実存に何か大きな影響あるのかって言えば、せいぜいが趣味の範囲であって大きな意味は無く、
ミクロ経済で言えば、同業他社との競争の中で云々の話であり、仮に同車両がシェアを伸ばせばそれは(自動車そのものが何時でも過剰生産可能な経済ファンダメンタルにおいて)競争に負けた他社の生産設備が(これも社会の有意な社会資本であるにも関わらず)閉鎖されたり生産中止になっちゃったりする話なワケです。
●「土下座上等の飛び込み営業で、新規顧客の開拓に成功した」
説明するまでも無く、一歩間違えば押売り詐欺です。
しかも類する話を耳にする時、話の中心は”やれ売上”などの営業成績であり「肝心の取り扱っている財貨などの中身が、如何に人類ヒト科の実存に関わる重要事項であるのか」などは語られない。
 ↑
この辺の「それを言っちゃ〜」な部分は、なんだかんだ広く広範に薄っすら認知されているため、以下に転じる発想に至ります。
それが、こちら
 ↓
●「誰にとってもその有意性に疑問が無く、確実に感謝される(有意性が認められる)社会的実存としても疑う人のいない、医師になれば鉄板で社会は認めざるを得ないだろう」
確かに、中世や近代において感染症などの恐怖に怯えた時代においてその存在は救世主そのものであったのですが(経済の変遷と同様に)、現代社会において最大のテーマが「アンチエイジング」となったこの時に(割と有名な話ですが「病気が治る」という表現は実は国語的に間違っていて、長い人生において想定外な事故的な感染症などの不愉快な死は解決できるみたいな事であり、100%誰でも死ぬ件はどうにもならないのだから、治すという行為も延命に帰結しているだけで、、、)、
「これ、どうなんだろうと」
しかも、現代社会に並行する大きなテーマは「延命措置の拒否選択」だったりするというね、、

※勿論前述の医療が救世主だった時代の背景には、大航海時代を経て膨張する人類の人口が経済発展の中で遭遇する必然的な要素も大きく、文明論や経済学との関係抜きに語れない話。

■ここで語るべきなのが
『専業主婦論』です。
「立派な(無免許)保育士だろう」みたいなご意見もあると思いますが、、(これ現代では差別表現になりますのでPC(ポリティカルコレクト)注意表現です)、サルトル・ボーボワール夫妻のなんとやらではありませんが、DINKSの存在ですとかね、様々な論議あるワケですよ。
後に女性差別であるとか、一般職・総合職・男女雇用機会均等法に及ぶ社会的アレも関わり、なんだかすっかり「専業主婦」が悪役みたいな時代もありましたが、
めんどくさい論議は省きます、
基本的日常は「日々の掃除・洗濯・食事の用意」というこの属性スタンスは(近代においても跡継ぎの出産云々論ありますが当時跡継ぎ出産は妾も可であった大奥的側面も横に考えておくべきで)、前段の社会的活躍をやれ云々しようという論者の方々には、暗韻として「メイド職と同じじゃね」みたいな偏見にも至っていたワケで(逆差別だろうと)、

※女性解放運動されていた方の本旨は(勿論逆差別などではなく)「その選択が強制・強要される社会制度や慣習」にあったのであり、専業主婦への逆差別などでは決してありませんが、所謂この運動が社会に浸透するなか、暗韻として(十分に情報共有できない『共同幻想』末端階層などで)そういった偏見を拡大させたのも事実(ここに怒る保守もまた末端なので論議が噛みあわず反動と呼ばれたんですが…)。

※皮肉な事に、文明化による社会運動(『共同幻想』リストラ)が発生する前、”公の社会的地位”は本物の女性差別を含む法制度により低いものでしたが、『専業主婦』に対する前述のような末端からの偏見などは”無く”(むしろその逆)、女性社会内部的には上位職・名誉職でした。

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posted by kagewari at 05:50 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

現実認知や事実認定と「認知速度」

個人が素で主張や証言する「所謂事実関係の説明」と「”事実の認定”」は別物です。
明解にこうなればこうと中身について云々あるのではなくって、そこに脳や自我がどのように関わるのか”そのプロセスが違う”のです。

時に「強迫心理」案件で、この現実認知や事実認定のプロセスがスルーされがちになります。
ここが「どれだけ体感される現実の大きな差異に至るのか」
段階をおって説明していきます。

■素で何があったのか語る部分は誰でも同じですから説明するまでもありません。
これに対して事実認定というのは「極端に言えば係争等の案件で裁判になっちゃったときに第三者も交えて認定される事実のこと」です。
勿論個人の自我に裁判所があるワケじゃないですから
 ↓
●”中の人”である『自意識』が『一拍置いて』から(頭冷やしてから)、「はてさて、一体どうなってんのかな」と一定の検証作業を経た後に語られる(『自意識』に認定された)事実関係の事です。

 この話は【極めて重要】なので、ゆっくり説明を進めますが
(今回も「用語解説」リンクに入れておきます)
●前述記載部分に「頭冷やしてから」って出てきますよね
そして『一拍置いてから(こちらは後日別途用語解説やります)』、
更に、世の中には「第一印象」って言葉もある。

人間の自我は即決即断が求められる”無意識的領域”があります
=「記憶や前例との連想による関連付けでオートマチックに再現されるストレス(刺激)認知」
この認知は「精度はアバウトでも(車の運転など)記憶や前例との関係で再現性と即応可能な認知速度の担保が優先されている状況」に応じたものです。
『自意識』出てきて、客観的な認定が行われる事項があった場合その情報処理は”後から”になります。
「えーと、さっきどこどこで何々のお店あったような、、」などなど、
 ↑
ここの説明に集約されているんですが、

●過去用例の無い(脳の記憶や前例などの分類ファイルフォルダに適合するものの”無い”)新規事項は、『自意識』が関与しなければ作成できません(素に戻って『自意識』マター立ち上げ以降の話)。
言い換えれば、「えーっとさて、どういうことなんかな」のプロセスが阻害されると、専ら初期認知の(ストレス(刺激)に起因する反射的認知)連想により記憶や前例と関連付けられるオートマチックな認知そのまんまに留まります。
それで何か困るのかって、大問題なのです。

■自分となんの因果関係も無い”歴史”論議で考えてみる
たとえばつらつらと「まず’時系列の説明」を聞いたとします。
これだけだと、その歴史の意味や自分なりの意見なんてものはにわかに答えられないものです。
時代背景やら、諸般の事情も検討し「えー何々時代におけるこの事件は」などなど、ここで初めて何があったのかが語られます。
勿論それで歴史に(判例のような)結論が出るとかの話ではありませんが、
そこから「歴史を語る段階に話が及ぶんだよ」とこういう意味です。

と こ ろ が ですよ、
■自分の利害関係に深く関係したりトラウマ論に代表されるような大きく感情的反射が伴う事項の場合
初期認知である「時系列の説明とオートで再現されるストレス(刺激)に応じた感情」
これだけで「こうなんだこういうことがあったんだ(結論部分は自身の感情説明)」と強い印象を伴って語られ、頭冷やさないと(感情的興奮が収まらないと)、
”後から”『自意識』立ち上げて「大変なことだぜって話はともあれだが、実際どういうことよ」って認定プロセスに移行できません。

●し か も ここに「強迫心理」が関わると
「強迫心理」は『自意識』を『抑圧』できるからそういう名前ついてるワケで(トラウマ論で言えば”想定外の重大事案”である”衝撃”により『自意識』による再検証なども難しい体験ですから)、
そもそも『自意識』立ち上げる事すら容易では無い状況です。
『自意識』立ち上げての認定プロセスは起動の機会を失い、「実際どういうことなのか?」という思考が経験的にも非常に少ない自我構成になります(それこそ認定プロセス立ち上げの過去用例が極端に少なくなる)。
=常に「過去用例とのリンクに起因する感情を伴った(オートマチックな)反射的認知(無意識的認知)」が固定化しがちな自我構成(脳の傾向)になります。

どうしたって現実を認知する精度が落ちてしまうんです。

●前述の歴史の話に置き換えると、
まず、つらつらと語られる「時系列説明」とした語られるエピソード毎に「なんとー!」「そんなー!酷いじゃないかー!」などの反射的興奮があれば、この刺激は初期認知において重要事項フラグとなります。
授業の終わりに「かくかくしかじかでスパルタクスの反乱について語ってみようと思います。当時の剣闘士とは何か、ローマ時代のなんとやらなど考慮しつつ考えてみましょう」となった時に、
(一段落したところで「ローマ時代と言えば云々」の思考を経た”後の”討議が予定されるのですが)
「悪いと思います、ひどいと思います」みたいな、、
意味わかりますよね?
『自意識』による事実認定のプロセスが立ち上がらない場合、歴史(事実認定)の話にならず、話を聞いて反射的に派生した感情的興奮や感想を述べるだけになってしまいます。

●「強迫心理」の関与により『自意識』立ち上げが阻害・抑圧される場合
あたかも「初期認知がそのまま事実関係決定事項となり」、
たとえば第三者が「ともあれだ(あなたの感想はわかったので)何があったのか各方面から冷静に考えてみましょう」などと投げかけすると、
「誰それの味方をするんですね、奴隷制度を肯定するレイシスト!」←みたいな…。
ええ、こちらは口ぽっかんで頭書くしか無いと言うか、ため息出るというか、、
(そもそも悪いだとか、酷いだとかの反射的認知を結論と関連付けているのは事実認定が行われていない証拠で「さて何があったでしょう」の論議と話のフェーズがまるで違ってしまう。)
「お前がスパルタクスなのかよ」みたいな事になるんです。

勿論上記の話が個人的体験云々となれば、
「誰それの味方をするんですね、奴隷制度を肯定するレイシスト!」←ここが
「誰それの味方をするんですね、全部私が悪いって言いたいですね」←となる


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posted by kagewari at 14:13 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

『結果論』(基本用語のまとめでは無いのですがそれ系で)

心理学の原則論として時折取り上げている「結果論には関係が無い」ってのがあります。
(少々文法的に怪しい部分もありますがww)
その意味はかなり深いので別項で説明しておこうと、このような趣旨です。

●用語集リンクにもオマケ的に追加しておこうと思います。

話の始まりは「パスカルの賭け+人生は賭けである+賭け事の結果になんだかんだ言うものじゃない」あたりになります。

心理学というより生物学的な始まりは、人類ヒト科特有の過剰なまでの動機形成は(年中繁殖可能とすることにより繁殖期における過剰な動機形成を常態化し進化した)、
勿論その進化の意図は生存するためですが、文明化を得て先進国化に至る現代社会では全くその意味を喪失し、趣味や実益と言ってしまうとアレですが当初目的にあった方向にその動機形成を発揮する必要性は無くなりました。

経済学によれば、高度経済成長期を経て過剰な資産状況となった時点で(需要不足となり)、公的な所得分配による”金を回す”ことが求められ、所謂GDPで言う生産に従事する事が国家の生存に関わる状況では”ありません”。むしろ生産能力は需要に対し過剰であって、労働では無く消費こそが求められる時代です。

社会学的に言うと、前述までの背景事情は、勿論の事組織的安全保障・生存手段としての『共同幻想』の必要性と深く関係しているため、極論『共同幻想』の幻想性から言えば、それ以前から「本筋結果論に関係無い法則は成立している」んですが、、
ま、そこは話の筋として外堀埋めておくほうがわかりやすいだろうと。

■そして心理学です、
とりわけ実存主義哲学にも関係性のあるフロイト心理学の場合、
経済学同様に「この欲求をどうすんだよ」という循環する代謝の仕組みを注視しており、「その欲求に基づく動機形成により、その先何をしたのか」の部分には全く関心がありません。
実存主義的に言えば『シューシュポスの神話(神に命じられて意味の無い岩転がしを一生続ける男の話)』で何ら問題無いのであり、人類ヒト科が各人「どんなによかれと思ったとしても所詮それは主観であって(『共同幻想』を幻想だと論じている時点で道徳も倫理も”幻想”なのですから)、仏教哲学ではありませんが、何をやったとしても所詮煩悩の振る舞いを超えない」っつー判断です。

米国大統領になろうが、ホームレスであろうが、殺人犯だろうが、聖職者だろうが、その結末には何の意味も無い(所詮普遍性をどこにも担保できない幻想ですから)。
重要なポイントは「お前はその欲求をどーやってんだよ」って話なワケで、

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posted by kagewari at 22:48 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

用語解説『歩留り』選択の補完

(当該記事リンクは基本用語まとめ『歩留り』選択記事にも貼っておきました)

前回の引越し足枷論を考える中、発見したところあり、
『歩留り』選択を補完するテキストをアップする事にしました。
何に気が付いたのかって、あれこれ「抗い拘る『自意識』の視野から外れるどうでもいいこと」がその歩留り論の特徴で、頑なに抗い続け(音符まで否定する音楽論のように)そもそも概念として意味の無い領域までいっちゃうパラドックスとの比較です。

民族差別問題は例外事項なので横に置いておくとして、
●人種や生まれた土地にすら強硬に抗い?
こうなってる段階で「それは強迫的思考であり『歩留り』論にならない」ワケですが、
(『歩留り』論成立要件は、用語解説テキストにあるとおりで基本『単独者』的である事)
付け加えると「そのどうでもいいID帰属関連の事象に悪感情は無く、むしろ好意的に認識している」事になります。→それ故に「どうでもいい事」として『自意識』の関心事項から外れる。

そしてこの素朴な好感の延長にナショナリズムなどもあり得るのだと
元ネタを自己愛と定義する事もできると思いますが、
心理学的には「どうでもいいこと」「そこに興奮を伴わない」「悪い気はしない程度の好感水準」などから”自己愛とは違うだろ”と考えるワケです(あり得るとするなら広義の自己愛みたいな話でしょ)。

たとえば、
■海岸沿いの街に生まれ、ベタベタする潮風は慣れた環境の一部であり(セーフハウスのような概念を連想させるフラグ)、別に潮風が大好きとかそういうのは無いが(日常なので感嘆や勿論興奮することなどない)、「故郷と言えばあの潮風を思い出す。」
(なんだが言語学のメタファーがどうしたみたいな論になってますが)
 ↑↓
これに対して、潮風に何の因果も無いのに強硬に解消すべくまい進し、潮風の無い海岸に大規模公共工事を行った場合、その海岸を連想させる有為な個性は排斥され「ここはどこですか?」状態となってしまう。
「これは個性の否定であり、、、」

『歩留り』論における「静かな好感」はすべからく(自己愛では”無く”)、日常性(自己実存を成し得ている生存環境)に対する肯定感でしょう。遠回りしていますが自己実存の肯定感に通じる鍵です(故にあり得るとすれば”広義の自己愛”)。
自己の生存を肯定することは説明するまでもなく「至極自然な事」なので、『単独者』的に現実を自然に認知している場合、取り巻く環境に対する”静かな(『興奮』を伴わないの意)肯定感”として『歩留り』事項もそれなりの規模で発現する”筈”で、、、

●さてここで論理矛盾です
『単独者』の概念とは『自意識』による自由獲得のため現実に対し抗(あらがう)様ですが、
おのずと『歩留り』事項も発現する(敵と味方を分類しているワケじゃないけど)。
前者は自分の色が拡大しているのに対し、後者は自分の色が縮小してもいい枷(保守性)が拡大している。
『単独者』の概念として、この両者はどこで合理性が成立するのか?

政治意識における「保守リベラルなリアリスト」そのままですね(笑
「保守・革新どっちなんだ」みたいな、
そこはそれ、保守リベラルの政治意識として”リアリストである部分”が合理性の鍵なのだろうと。

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posted by kagewari at 18:34 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

最近続けている「基本用語のまとめ」シリーズについて

実は本来この企画、
有料相談の方式をガラッと変えて(事実上直接のメール相談を廃止し)、
有料書籍のシステムを使って(自己分析を是とする方向性で)申し越し利便性を高められないものかと前から考えていた話の予告編みたいなものです。

何が予告編なのかって、いつもの事ですが計画は数年前からありながら忙しさや怠け者度も相まって遅々として進んでいないからなのですが、、、。
(有料書籍化に関してはまず不動産ビンテージ建築の奴を先にと、これ更にうん年前から続いている話なのですが、あれこれしている間に取材の建築物が次々取り壊しで「違う意味のビンテージになってしまった」状況もあり…。)

■趣旨はですね
心理学のメールカウンセリングの現場において、非常に似通った話が重複することとても多いのですよ。この理由は簡単で「強迫心理」の元ネタが『共同幻想』だからです。
故に悩みの構造も”共有”される傾向があるみたいな。
ある意味、臨床系が言うところの「ナントカ症」みたいな(意味があるのか無いのやらの)分類がありますが、それを可能としている理由のひとつなのではなかろうかと。

だとすると、
個別に類似する内容を限定的に繰り返している状況は、どう考えても建設的に思えないと、
勿論、「強迫心理」ってものはその読解すらアレしてしまうのも事実なので、メールなどの個別のやり取りに意味が無いワケでは無いのですが(故に完全に直接のメール相談を完全廃止するべきか否かは未定)、少なくともこのサイトでは各所で「必ずしも自己分析は危険とは言えない」点も根拠を提示して論じており(んな事言ってたら世の心理学書籍は全て出版禁止になる)、
●『読めるテキストの充実』には大きな意味があるだろうと、

実際私の命が(或は活動寿命というか)いつまであるのやらわからないですし、
無料のブログにテキストを残すことである程度の永続性が担保されるとかと言えば否です。
(自分のHPに残せばってご意見もあると思いますが、サーバー契約が切れた以降どうなるのやらって考える間でも無く←まだseesaaの継続性の方が堅いでしょう。)
有料書籍で一度出しておけばどこかに残る可能性を幾分か高めることができるかなと思ったところです。

正直、最近は岸田心理学だけでなくフロイト心理学の中核となる部分も社会的認知としてどうなのって部分もありますし、不肖私もなんだかんだ心理学に関わってから30年超えたかな?ぐらいになってます。経験から個人的に「ここがこう」な補足的論点もありますから。

つまり今回進めている「基本用語のまとめ」シリーズは、書籍化した折の末尾注を先に書いてしまおうかと、そんな趣旨で初めているものです。
勿論まだまだ続くのですが(シリーズ的には13〜15語ぐらいまでいくかも)、
「飽きた」というご意見も聞こえてきそうですが(笑

国際政治もきな臭くなっておりますので、完成まで延々とこればかり続くワケでもありません。
ご安心ください。



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posted by kagewari at 22:47 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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