2018年06月09日

「空耳と電波」(補足編)

うってつけの報道がありました。
これです
通行人にしょうゆかける 中国人留学生を逮捕 「悪口言われたと思った」
http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/180605/evt18060520350031-n1.html
<一部引用>
同署によると、韋容疑者は調べに対し、「自宅で勉強していたら、外で話し声が聞こえ、悪口を言われていると思った」と話しているという。男性らが、犯行後、自宅に戻る韋容疑者を目撃しており、逮捕に至った。
●典型的な「空耳と電波」です

やれ2chあたりでは彼がなんとか失調症だろうだとか、知見も無く適当な事言ってますが、
そういうことは「どうだっていんです」。
「空耳と電波」現象がどのような人物達の関係性の中でどのような証言を背景に発生したのか。←ここが全てです。
(※何度も言うように「空耳と電波」現象は誰にでもあることだからです)

可能性を考える上で有意な何かを挙げるとしたらですよ、
日本語に決してネイティブほど堪能では無い留学生の耳に人の声が聞こえていた。
 ↑
これだけで十分条件なんです。

人間の聴覚性能はどちらか言えば「たいしたことが無い」ので(猫より数段劣る)、
極論、殊更関係の無い人達の発言は(先読みシミュレーションの正確性など全く期待できないので)「どうとでも聞こえる」のです。
(※前段2018年05月24日記事において、私が《既に営団地下鉄の台詞がなんだかわかった後でも尚》「発車サイン音」がどうしても「発車”酸””イオン”」に聞こえるぐらいなんですから。)
 ↑
●重要な点「え?今なんて?」だとか「(仮に瞬間湯沸かし器的に激昂し)もう一遍言ってみろ(何て言ったの?)」などのように、聞きなおすプロセスが入っていない以上(先読みシミュレーションのできない赤の他人の発言は)、にわかに「なんつった?」状態に留まるのが人類ヒト科デフォルトの聴感能力限界です。

と こ ろ が
逮捕された留学生は、躊躇なく「醤油攻撃に出た」ワケですね。
どういうことですかこれは?
(「え?」とか「あんだって?」や「もう一遍言ってみろ」でも無く)
彼には、明解にはっきりと(本来正確に聞こえる事があり得ない屋外の赤の他人の会話が)日本語を正確に聞き取る言語能力も無いのに、”こうだ”と”断定”できる恰好で聞こえたって事です。
 ↑
このように”断定”できる能力は「強迫心理」の介在無しに”不可能”です。
●言い換えれば、人間の聴感能力上も、人間の脳の能力的にも、人間の自我OSの機能的にも、
「強迫心理」の介在無しにそのような状況における事実認定の”断定”は不可能である。

彼が特殊なのでは あ り ま せ ん
状況によっては、人間はそのような本来正確に聞き取れない筈の音声が明解に自分の悪口を言っているように”本当に”聞こえることがあり得る(彼が証人)。←ここが重要なんです。
「その状況が何かは特定できないが、同じ状況が再現されるのであれば、誰でも彼と同じように”そう聞こえた”だろう」←ここが重要なんです。

■(2chの無責任な書きこみじゃないけれど)いかにもオンザレールな『共同幻想』な人がいいそうな解釈に→「ワケのわからない言葉が聞こえる病気なんだろ」みたいなアホみたいな話がありますが、
(※前回のテキスト記載してますが、心理学的にはなんちゃら病やらなんとか症やらあれこれ障害などの分類には”全く意味が無く”、全ての現象は誰の自我においても起こりえるものである。)
そもそも論として、知見の無い人は”妄想”やら”幻聴”やら”電波”やらが何ぞやを知らずに語ってますからいい加減なものです。

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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 05:22 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月07日

事実認定における”断定”と「強迫心理」

(6/9 この原稿もかなり重要に思うので基本用語リンクに入れておきます)

どうにも(心理学がどうとかともかく)メンタル問題に関して「社会的に理解が及ばない」ところあるので、まずそこから始めますが、
90年代ぐらいでしょうか、米国で特定の抗鬱剤が大流行していたころ「全米でうん百万人が精神的な疾病や問題を抱えている」なんて(出所のよくわからない統計で)報じられていたりしたものです。
(ウォール街の住人は薬なしにやっていけないとかまことしやかに語られたものです)

また「所謂閉鎖病棟に事実上強制入院禁固罪状態」な”患者”とされている人や(現在欧州では同入院措置そのものが禁止だし日本にも十何年も前からWHOがしつこく改善勧告出してる)、精神科通院歴のある人の犯罪発生率は所謂一般人と変わらないなど(この話も統計の出所はよくわからないのだが)、至極当たり前の話が”あたかも特別な事”のように語られていたりする。←冗談ではない話。
(※この話は過去に何度も書いてきたけれど俺が刑法39条に反対の理由として「動機形成の点から、意図して犯罪行為をワザワザ選択する上で『自意識』が関与しない事などありえない」的に説明している。←ある意味理論的に『自意識』に抑圧傾向のある精神的問題を抱えている個人は、主体的行為全般を企画・選択する事自体難しいのだから違法行為実行の可能性はむしろ低い推論が成り立つ。→故に「必ず犯罪の責任は問える」という結論。)

某NH○の放送で「意味不明に禁固うん十年級の事実上の強制入院患者のドキュメンタリー」があったが、その行動規範は実にどこにでもいる(どちらか言えば『共同幻想』な)人そのもので、彼を主人公として複数の同様事例から解放された患者の話が続くんだが「ショーシャンクの空に」かと思ったわ。

■重要なことですが、様々な局面で派生する精神的問題はその機能として通常の自我論の中において説明可能である以上(その可能性は誰にでもある)、何か特定の自我に疾病や疾患のように発生するのでは”無い”。

このブログで繰り返し指摘している「強迫心理」と「抑圧される『自意識』」の問題ってのは、(誰にでもある心理的状況に起因する不快状況などが)それが自我構造論的に”恒常化”したり、高い頻度で繰り返される可能性を論じているもので、
「ぶっちゃけ”ナントカ病”のような病気は”無い”」
(※確かに遺伝的問題が別途ある場合もあるだろうけど、逆に言えば”それは精神病では無い”ワケだから。)
誰にでもあるごく普通の腹痛ありますよね?仮にその時々ある腹痛が四六時中恒常化したらどうなります?事象自体は誰にでもある胃腸の具合が悪い程度だとしても、これ毎日何度も反復してたら日常生活に支障きたすでしょ?←メンタル問題ってのはそういう話しです。
 ↑
この話をする場合慎重になる背景の一つに、オンザレールな『共同幻想』業界において鬱症状などを「怠け病やらやる気の問題」など、あっちの世界の誤解や偏見に繋がる(彼らの専売特許の”いじめ機能”そのままに)ネタにされては困るからで、
●アホらしい誤解の心配が無いのであれば
「特定の自我に疾病や疾患のように発生するのでは”無い”」って部分は優先的に論じられる事項。

ここの話の背景として、
何故いろいろめんどくさい無理解があるのかと言えば、
■結局のところ「強迫心理とは何か」って事がそう簡単には理解できないってところに行きつく。
 ↑↓
困った事に、それは”論理的”に「容易に理解されない事が証明」されているのも同然なんです。
=心理学が「誰にでも理解できるものではない学問である理由」にも通じている。
(※この辺経済学における状況にも似た部分があると思う。)

■「強迫心理」ってのは”そんな人”みたいな人格があるのでは”無く”(無意識人格なんて言葉としてもう矛盾してますから)、”概念”なんだけれど、
経済学で言えば「やたらと財政再建に拘り口を開けば緊縮財政論になる人」とか想像してもらえるとわかりやすいかも知れない。
「こうなったらこうなる、そしてこの話は凄く大事な(『自意識』の主体性を上回る)上位概念である」←みたいな”固定的に筋立てられた考えや予断・想定”の事。

言語論ってほどの話じゃないが、そこ文法表現上に顕著なのが”断定調”です
●さてここで問題です「ニワトリが先か、卵が先か?」
『自意識』が(上位概念に)行動抑制(抑圧)されているから、その概念は自動的に”断定調”になる(『自意識』には「そうかな〜、どなんだろう」などと考える余地が”無い”のだから)。
或は?
それだけ”断定”されているのだから、もはや『自意識』には(そんな上位概念に)介入の余地が無いのだ。←と考える事もできる。
(どちらもあっているので、どちらがどうって事は無いんだけどさ、)

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posted by kagewari at 01:45 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

「空耳と電波」

電波と聞くとガイキ○ネタ的にそれを揶揄する表現で使われる事が大半ですが、
「いやいや、電波が聞こえる的な現象は誰にでも日常あることだから」
今回はそんな話です。

■空耳とは何か
「タモリ倶楽部の空耳アワー」で検索してください。
(洋楽の外国語歌詞が日本語に聞こえるとこんなに変みたいな伝統の企画コーナー)
「そうだと言われると確かに(そう)聞こえる、空耳アワーのコーナーです」ってな具合です。

音楽における代表的な空耳といえば(意味取り違え空耳)、
昭和のアニメ巨人の星の主題歌、
「おもい〜こんだぁあら(思い込んだら)」このシーンにおいて主人公星飛雄馬がトレーニングのためにグラウンドローラーを引いているのですが、この絵から「重いコンダラ(ローラーがこのような名前の器具だと勘違い)」と聞き違えていた人が多数いたこともあまりにも有名です。

かくかくしかじか、歌の世界では無数の聞き違えや空耳あるワケですが、
●最強なのはどれか?
洋楽における外国語の歌詞です、
洋楽を鼻歌で適当に歌う場合、100%に近い人がヘンテコ英語やなんちゃって英語でしか歌えず(使用されている英単語が中学生レベルでも)、歌詞カード無しに単語を聞きとる事は至難の技です。
「何故なのか?」
日本語の歌ですら正確に聞き取れないのです「英語の歌詞なら尚更」
いえいえ、それだけではないでしょう。

人間は言語ってものを(前述の外国語が聞き取れないのがその典型)「ある程度先読みしてリスニングしてます」。
つまり日常会話などは、シーンに応じてや、話の前後の流れから相手の言いそうな会話の流れを”聞く前からシミュレーション”しており、実際に耳にする時には「答え合わせするように」聞いているワケですよ。
(脳内には既に歌詞カードがある状態)
ですから、外国語の聞き取りは容易ならざる事になるのです。

●かくいう私は、東京暮らしうん十年ですが
それでも営団地下鉄の「発車サイン音が鳴りましたら、無理なご乗車はご遠慮願います」
今でも延々としつこくいつもいつも毎度の事聞き違えます。
「発車サイン音」←この単語が頭に入っておらず、
「発車サインオン??」が転じて(何故か「発車サンイオン」に聞こえており)、
いっつも「発車”酸””イオン”、、イオン?(電解質の水溶液)って」と聞こえるのです。
わかっていても、毎度聞き間違えます。


■さて、この現象言い換えればどうなります?
予め自分の脳内で想像できない会話や単語はほとんど聞き取れず、
加えて、予め自分の脳内で強迫的に認識される概念や単語は「相手が言ってもいないのにそう聞こえる(空耳)」って事です。
 ↑
これは誰にでもある現象で、心理的にどうであるとか無関係の話。

たとえば?
(脳内)「あら〜、このバックきっとお高いわね。1万はするわね」
「すいません、これはお幾ら万円かしら?」
「5千円になりますね」
「えー5万円!」
「いえいえ5千円5千円ですよ、今クリアランスセールですから」
「ビックリしちゃったわ、あらそうそれはお得ね」
 ↑
こんな感じの状況は誰にでもある。

故に
「え、ゴメンナサイ聞き取れなくて、何て?」←このフレーズは日常生活で山ほど出てきます。
接客業など対人関係の多い業務などしていれば、1日に1回は使うフレーズでしょう。
「え?」とか「は?」とか「ん?」とか「?(表情だけ)」←この状況が間に入らない会話はあり得ないほどです。

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posted by kagewari at 19:47 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月01日

『実存時刻』(そもそも何故に死が怖い人がいるのか?その2)

前回のつづき

●前後10分以内に死ぬかも知れない確率
「NASAの宇宙飛行士としてスペースシャトル発射5分前」
「ステージ4のガンを宣告された瞬間」
 ↑
説明するまでも無く「前後10分以内に死ぬ確率」が高いのは前者ですね。
と こ ろ が
死の恐怖に怯えるのは後者です。

どうしてなんでしょうね(笑


■心理学の出番そして経済学です。
「菊花賞、絶対勝馬はこれだ!確信して馬券を買いました。最悪の展開って何?」
ワケのわからない群衆の一人が飛び出して大騒ぎに。レースは中止になりました。
「耐えられませんよね、何かに対して暴力で訴え無い限り帳尻が合わないぐらい腹たちませんか?」
「10分後には俺は勝者で、おいくら万円儲かった筈なのに。(大金持ちになる筈だった10分前の自分を返してくれ)」

「おおよそ1時間半の演劇を観ています、そろそろラストの犯人は誰か?謎解きのクライマックスです。最悪の展開って何?」
ワケのわからない聴衆の一人が舞台で暴れ出した。警察が呼ばれ公演はそこでストップ、公演は中止となった。
「耐えられませんよね、何かに対して暴力で訴え無い限り帳尻が合わないぐらい腹たちませんか?」
「10分後には待ってましたのクライマックスだったのに(想像もできないカタルシスで茫然自失になる筈だった10分前の自分を返してくれ)」


ところが。
「NASAのパイロット、今の自分がパイロットである事自体だけでも興奮のピークだ」
「これからは特別集中や興奮する要素の無い病院暮らしで、(きっとどこかにあるだろう筈の)まだ見ぬ俺の人生のピークが、アレレ、無くなっちゃうのか?」

●凄く大雑把な分類になりますが、
『単独者』は死の恐怖に鈍感です(構造論的にその筈)。
確信犯的『共同幻想』再選択者も、同じです(典型が職業軍人)。
ところが、
オンザレールな『共同幻想』適応人格や、反動的な『共同幻想』適応人格とも見て取れるメンタルに何らかの課題・問題意識を感じている人格の場合、どうなりますか?
そこに共通する背景事情は、
「今の自分が個別に実存するような集中力が最大化するプロセスに”無く”、”今の自分”が散漫になるかのような事情に自我が置かれています(将来のオンザレールな人生設計や、将来への不安や)」、

●それはあたかも”現実に自分が全部出しで存在していないかのような”状態です。
●逆に言えば、漠然とした時間のスパンの中で自分は漂っており、自己の実存はこの全体としての台本に書き込まれており(実存がそこに依存するのだから)間違っても不足の自体で、この話の腰が折られるような事があっては困る。
反動化している場合は、
「かくかくしかじかの人間として認められる(られなきゃいけない)筈なのに、どうしてこうなのか。」←違うようで、実はオンザレールと構造は同じです。
外部の『共同幻想』長編台本に自らの実存を”依存”する結果、「今という時制が希薄化するというか常にその一部でしかない」。
(約束された未来の想定が実現しないのであれば私は実存しないも同然じゃないかとなりますわね)
 ↓
結果何に拘る・執着するって言えば、長期計画された台本を演じ、(実は誰も何も約束なんかしておらず幻想なんですが)約束された、何者かになって認められる事で自分は初めて完結できる。という物語としての生への執着がどうしても派生します。

もう一度逆転させて『単独者』や確信犯的『共同幻想』再選択に戻ると、
「今(自分全部出しで)バリバリに実存しており、今井外の自分が誰だったか忘れている。常に実存しているのは今の自分である。」

ぶっちゃやけ死んだらどうなるのかなんて知りません。
しかし、寝ている間の自覚もありませんね。
明日起きたら「その時の自分」として、今の自分と個別に連続性無く新たにバリバリに実存するのだとした場合、練る前の今の自分から見て、明日の自分は何者か?って事になるのです。
故に「あらら。死んでたなんて事あるかもね」だとしても、
●今100%の状態で実存している自分は何ら影響を受けない(そら想像も及ばない次の自分の話ですから、考えてもトンチンカンな事でしか無い)。

厳密に言えば「死の恐怖を感じないのではありません」(ましてや死が大好きって話もナンセンス)。
死と恐怖の間に言葉としての関連性が無いのです。
「死んだらおわりそれまでよって事なんでしょうね(好き好んでそうなりたいとかある筈ないけれど)。今100%で実存しているので”今の自分”にとっては全く関係の無いことだが。」
(仮に結構高い確率で、5分後にロケット発射に失敗し死ぬかもしれないのだとしても《勿論それは全力で避けたいが》、集中力全開の今の自分と恐怖を通じては関連する事項では無い。)

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posted by kagewari at 05:12 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

『実存時刻』(そもそも何故に死が怖い人がいるのか?その1)

●果たして「今」として自覚される時間とは何時(いつ)ですか?
前後10分でしょうか、それとも前後30分?はたまた前後1時間なのでしょうか。
(なんだかモーガンフリーマンの某チャンネルドキュメンタリーみたいな前フリとなってますが)

そう、聞くまでも無く「ひとそれぞれ」「現在進行中の状況次第」でそれは変化します。
のんびり1時間かけて朝食とる人なら、食事の今は前後合わせて1時間でしょう
せっかちに食パン咥えて飛び出す人の食事の今は前後合わせて5分でしょう
遠出のドライブで峠を攻めている人は、その運転時間トータルで今でしょう。
慌ててバス停に走る人の今は、せいぜいが前後数分である筈です。

何を言っとんのかと申しますと、
上記で語っている”今”という言葉の後ろに”自分”をつけると?
「今の自分」って言葉になりますね。
その意味というか反語は?今じゃない自分を表す言葉です。
「未来の自分?過去の自分?」
だとするなら、
「未来の自分や過去の自分って言葉から連想するものは?」
「今の自分では無い」です。
「お恥ずかしい、あのころはまだ若くてかくかくしかじか」
「自分の将来?さてどうなってんのかね、年寄り批判している今と正反対に”今時分”の若いものは、なんて愚痴っているのかしら」

”今時分”って何?

時の感覚はかくかくしかじかで”実は連続性がありません”。
”何期””何時代”などのようにその時進行していた上位概念的テーマで「独立した物語」のように語られる事も多い。
あたかも役者がその都度別の役柄を演じているその時の演目のようです。

と こ ろ が
”当事者”って言葉があるように、
”今に夢中”のあなたは、前後の”今では無い自分”の事などほとんど忘れています。
自覚が無いと言い換えてもいいでしょう。
それはどんな比率で起きますか?
”今現在に集中していれば集中しているほどに”の筈です。
「毛ガニを食うのに夢中な時、あなたはホテルに置き忘れてきたメモ帳の事など気にならないレベルどころか、この世にメモ帳なんてものがあるのかすら怪しいぐらい存在を忘れます」

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posted by kagewari at 03:43 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月24日

インセンティブ論「ちょっと補足」

■経済学との関係がイマイチぴんとこない方いるかもなので前回記事補足します。
高度経済成長時代の米国50年代に起きた有名な話と言えば、
庶民向けでタフで廉価なT型フォードを開発したフォード自動車は、
社員の給与もどーんと上げて、自社生産の車を買えるようにした逸話です。
 ↑
このモデルが、まさにインセンティブと『共同幻想』の夢と経済循環と高度経済成長期の社会モデルそのままなワケです。

対極にあるのが(実存主義が左翼かぶれに誤解された時代)
●60年代米国のヒッピームーブメントである
若い世代全員反抗期みたいな(笑
(働かず長髪で意識してだらしない恰好をし、野宿などしてドラッグに浸りフリーSEXでラブ&ピースであると。)

●インセンティブ再びってのは事実上の「ヘリコプターマネー」みたいな需要政策によるもので、確かに米国経済は成長するも(財政赤字による成長)、原動力はベンチャーなどを中核とした個性化社会であって、50年代から60年代に連なる産業の衰退は止まらなかった。
但し、米国においても「ローカル『共同幻想』は強く」→後の新保守主義の台頭となり
 ↓
同時に、リバータリアン原理主義的な保守系リベラリズム(左翼では無い自由主義)も呼応した。
(※新保守もリバータリアンも「アンチ『守旧派』」であるところがポイント)

●米国においても左翼政治思想『共同幻想』だけはしぶとく残り(言うならば20世紀から21世紀にかけて最後の宗教)、PC(ポリコレ)やらフェイクニュースの殿堂として笑いものにもなり、
その反動なのかガチ「アウトサイダー」のトランプ大統領を登場させる。
(※トランプ大統領は『単独者』では無いと思うけれども、『共同幻想』論などの知見の無い社会にとっては「イメージだけなら凄い『単独者』」みたいに見られたのではないか?)

注)欧米諸国は伝統文化的に『単独者』へテイクオフするハードルは高いので、勢い『単独者』時代の台頭を予見する事は難しく、「アウトサイダーやアウトロー的イメージの世界」がまだまだ主力になっていくのではなかろうか。

■■■現代米国若者世代の習俗的分類に以下のようなものがあるけれど■■■
(これ某翻訳サイトさんが紹介してくれた貴重なネタの引用です。ソースの記事URL見つけられなくて翻訳サイトさんゴメンナサイ。)

emo/scene/goth は欧米の若者のうち、社会の枠組みから外れた「オルタナ系」の若者を分類する言葉である。上下関係に縛られたがらない点で不良の一形態とも言えます。
特別視されたがる彼らはそれぞれに発散の仕方やファッション、好む音楽などに差があり、
その源流に当たる音楽や文化に由来する名前で区別されています。

カラフル度ではシーン>エモ>ゴス
自傷傾向ではエモ>ゴス>シーン
エモ(emo)=ビジュアル系《問題を自分の中に見るメンヘラ傾向》
シーン(scene)=アッパー系《内向的なエモより外向的でファッション的》
ゴス(goth)=ダウナー系《問題を社会、周囲に見る反社会的傾向あり》
 ↑
●こりゃ60年代のヒッピー世代の子会社みたいなノリですよね(笑
どうにも素の『単独者』にはブレークスルーできない。
(60年代ディランのローリングストーンの歌詞そのまんまで『単独者』の筈なんですけどね、、)
所謂『反抗期』の延長戦的な「仮想単独者状態」で寸止めされている感じです。
(だから欧米的には経済の展開も「インチキ白タク」や「仮想通貨」止まりになっちゃうのか)

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posted by kagewari at 17:46 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月15日

『共同幻想』インセンティブ論

個人的にここ最近トピックなネタなんですが、
インセンティブってものをしっかり考えてみようと、
背景事情として考えるべきことは、(働き方改革じゃないけども)インセンティブってのは『共同幻想』を”幻想”らしめる本質であり、心理学と経済学のなんとやらがわかりやすく重なり合う部分です。
(※この記事もなかなかに重要なので基本用語リンクに入れておこうと思います。)


■インセンティブってのは、『共同幻想』が新人勧誘のためのセールストークのようなもので、
「参加すれば立派に結婚できますよ」だとか、
「参加すれば年功序列で所得倍増ですよ」だとか、
「所得があるから車買えますよ」だとか、
「いつかはマイホームも夢ではありません」などなど、
 ↑
つらつら読むと、それが昭和の幻想であることよくわかりますね。
(現代社会で『共同幻想』のインセンティブの効力が落ちている理由でもあるのですが、)

そこって「白物家電の需要論」ともよく似ているんです。
昭和の時代には、白物家電を所有する事が殊更”特別な”象徴的意味を持った。
(それを持てないとあたかも惨めな落伍者であるかのような階級意識も刺激した)
そして現代社会において、白物家電はコモデティ化の中「チープな家電」なるジャンルに落ちていった(幻想の効用は消滅した)。


■話をシンプルにすると「所得や出世」です。
(それが個性化やクリエイティブって話になると、フリーエコノミー社会の方がその可能性が高いため、個性化時代において『共同幻想』の神通力は崩壊する。)
ここには経済学で言うところの貨幣価値やら金融政策的なとこも関わってきます。

「所得が稼げるのはとてもいいことだ」←この概念は既に『共同幻想』チックなワケです。
何故なら、その所得の使い道(金で買えるもの)インフラの生産を得意としている主体も『共同幻想』であり、『共同幻想』以外の使い道を知るためには『単独者』的趣味性の視点が必要になります。
意味わかりますか?
いわゆる「稼いだ人なら誰でも思いつけるお金の使い道の生産者は『共同幻想』社会」であり、
『単独者』のアングラ世界は、金があるかどうか以前にその個性的商品鳴り使い道の”場所”を知りえる知識が十分なのかって前提の方が大きいワケです。

●まだ微妙に意味わからないと思うので更に補足しますが、
「快不快原則」的快感代謝を何に依って実行するのか?
主体性を時給契約で売却し、所得インセンティブで仕事をし、且つ『共同幻想』が提供するお金の使い道で使用することで、合理的に生業を完結する(同時に経済尾循環する)。
 ↑
このモデルは発展途上国や先進国へのテイクオフ過程だと実に有効で(効き目があるの意)、
結果として「(『共同幻想』エンタメの消費活動もせず)殊更何をすると決まっていない休み時間」は凄くダメな(価値の低い”非生産的”な)怠け者の過ごし方みたいな印象になります。
 ↑
話がぐるーっと一巡するのわかります?
自由時間の価値が低いと体感される背景は、上記の循環する経済のインセンティブによって同時に派生している訳です。

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posted by kagewari at 10:55 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月01日

現代の『共同幻想』適応 「確信犯的選択」を考える

現代社会は社会学的変遷で言えば『共同幻想』崩壊時代です。
特にオンザレールで(環境調和的に)『共同幻想』普通の人志向でいけちゃっている人は、「就職後3年間のモラトリアム」であるとか、昭和世代であれば「老後に直面する『単独者』状態」などに岐路というか自動的に(この道は何の道?これから行く道はどうするの的)選択を迫られる事になります。

その選択が確信犯的選択というもので、
古くは前述のように”それぞれの分岐点”で自動的に迫られるものでしたが、
根本的に『共同幻想』崩壊時代ともなれば、勢い(政治家の常在戦場じゃありませんが)津に日頃からこれからどうなっちゃうの?的な権威性認知の不安や崩壊・或は正統性への批判ってものが認識されます。
この場合、環境に迫られる場面を待たずに「俺はかくかくしかじかの考えでこの道を選ぶ」ことも自然です。

■更にその選択は(崩壊時代においても)『共同幻想』を再選択する事も可能となるのです。
(確信犯的『共同幻想』再選択)
この意味なんですが、
流れ的には実に簡単なものです。
『共同幻想』が文明化に従って崩壊する理由は
「そもそも論として保守や『共同幻想』の概念ってものが、文盲率も高い庶民に対し坊さんや思想家や貴族階級やら当時の高等教育を受けることができる階級が、神話や詩人やら様々のインセンティブをくっつけて、”こういうことだから”鵜呑みでどうぞ」と周知したもので、
そこに社会的合理性があったのですから、所属『共同幻想』のコアとなっている権威性の内容や哲学を所属メンバーは語れないし知らないって前提なのです。
(古い時代で言えば、庶民は文字が読めないだけでなく、聖書も出版されていいないので、高位を自称する坊さんなどの講和をありがたく聞くみたいなのが始まり→ルターの宗教改革で最も強烈なのは「聖書の出版」)

つまり、話の発端となる『共同幻想』の根拠となる権威性の裏付けを学問のように知り、中世時代で言えば坊さん役の補助要員程度の知識に至れば、大衆に唱えるための幻想では無く、
オリジナルの(現代で言えば文化としての)「かくかくしかじか」が語れるようになります。
自らが権威性の裏付けを知り、自己決定でその文化の愛好者を自認すれば、それは幻想では無いし崩壊する事も無いと、こういう話です。


●日本において、最初にこの再選択を大規模に唱えた人物が長嶋茂雄です。
(平成生まれの方には馴染のない人物かもですが、スポーツニュースなどで耳にする事多いと思います・著名なプロ野球選手であり読売巨人軍の象徴的存在。)
彼が引退式典においての発言が、昭和の代表的名言となっておりますが、
それがこちら
 ↓
「我が読売巨人軍は永久に不滅です」
(いやいやいやいや今考えてもどこからこの台詞が出てきたのかとても不思議で)

まさに、長嶋茂雄こそ「幻想から確信へ」(引退を期に)この一大選択を衆目の中で高らかに宣言する訳です。

■時に、この状況を「宗教と同じじゃね?」と思っちゃう方いらっしゃるかもですが、
それは逆で
「むしろオンザレールな『共同幻想』適応こそ宗教みたいなもの」なのです。
つか、前段説明で『共同幻想』の始まりを宗教における古代の布教事例で説明していワケだし、
(ドグマである教義の裏付けや哲学を一般信者は語れずに、なんとなくありがたいと同調圧力の中、指導者格の人物や年配者の言う通りに従う。)

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posted by kagewari at 16:46 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

運のいい人、悪い人

よくメンタル問題離脱過程の注意事項に
「とにかくいい悪い論をこの間停止してください」ってのがあります。
(強迫心理の原動力である道徳的権威性概念を抑えるのが主たる目的なのですが)
この話ってのは、上記のような心理学的要素の他に根源的な問題点もあるのです。

某宗教哲学にも出てくる話、
(神でも無い)人間ごときに事象のいい悪いが何故判断できんの?って話
ちょっと乱暴に聞こえるかも知れませんが、以下のような考え方なら異論挟む人いないでしょう。
 ↓
19○○年、この年にナントカ条約が締結され、後にこの条約は、、、
 ↑
これよかったのか悪かったのか?歴史にいいも悪いも無いだけでは無く、
それが誰にとっていいの悪いのって、
敵対関係国家で想定するならまだしも、主語が”人類にとって”となれば、どちらがよかったのかなんて普遍的結論をスラスラと答える事が出来る人はいないでしょう。
(それこそ神様にでもなったつもりのお花畑な夢想家でも無い限り)

もうちょっと補足しましょうか
「欧州にとってクリミア半島に対するロシアの介入の意味は?」
「いいと思います」「悪いと覆います」←小学生かよ!
答えになっていませんよね。
(いいとか悪いなんて事の分類は分類そのものが”その程度”なのです=どちらでもよい=どうでもいいことだ=感想に過ぎず取り立てて意味は無い)


■ここんところを掘り下げると、再び心理学に繋がります。
脳にとって快感とは何か?『快・不快原則』ですよ。
(※脳にとっての快感とは、興奮を伴う動機形成や明らかに仕事量を担保するような動機形成が行われ、これが実行やカタルシスなどで代謝されたことが確認される工程の事)

ぶっちゃけ、脳は人類ヒト科の脳としてその性能を発揮しているのであって、
映画評論家ではありません。
自意識の関与無しに(所謂神経系としての条件反射などの局面において)、
「ホラー映画」というエンタメが、当該人物にとっていいのか悪いのか(快なのか不快なのか)判断する根拠も無ければ、そこを判断する機関でもありません。
”そのエンタメが興奮ネタ?”←脳にとってはこれが全てです。
いうまでも無く、興奮ネタであれば、脳はこれを”快感ジャンル”として認識する。
(人類ヒト科にとって欲求不満によるストレスの恒常化は致命傷だからです。)
 ↓
ジェットコースターもそう、悲劇のドラマを見て泣いている自身が(優れたエンタメに)喜んでいるのか悲しくて不愉快なのか?なんて無意識稼働中の脳には判断しようがありません。
ぶっちゃけ『快・不快原則』なるものは「退屈か否かしか判定していない」のです。
(故に、倒錯性行為であるSMなども心理学なら整然と説明できるのであって、)

無意識稼働中の脳にとってそれが「いいのか悪いのかなど関係が無い」。

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posted by kagewari at 07:05 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

「イジメ論」の補完事項

この話になると(例のいい悪い論のレトリックてやつで)
常に「わかりましたイジメられる側が悪いんですね」などの”斜め上”の話になるのでうんざりする部分もあるのだが、
●「イジメ論」の原則は=『共同幻想』論なのであって
最もわかりやすい説明は
「野球部が練習中に一般人がフラフラ歩いていたら100%排除される」という”構造”であり、
社会学やら文化人類学やらに及べば「やれムラ社会の論理」だの「村八分残酷物語」に及ぶ、前近代的な社会の特徴みたいな話です。

(組織や社会とは”排他性”を備えていないと液状化・カオス化して雲散霧消するのであり、組織や社会は”排他性の代名詞である”と言ってもいいワケ、)

●極論すれば「イジメは『共同幻想』の代表的商売(伝統芸能)のひとつ」です。

(イジメ問題ってのは、社会学的に『共同幻想』はそろそろ全滅してもいいではないか?みたいな時代変遷と、個性化やメンタル問題などの過渡期特有の個人との間に発生する「致命的な相性問題」であって、イジメ根絶を目的とするのであれば、真っ先に世界の『共同幻想』を廃滅すべしって事になる。←ここを民主主義の現代政治はどう考えるのかって話なワケです。それこそリベラリズム的に、)


<どこの誰が勘違いしたのか知らないが>
憲法上の教育を受ける権利が「兵役義務?」みたいな解釈の中、
行ってみた先は共産主義者の教師と(三流官庁の風評でなにかこじらせているのか)意味のわからない文部省の政策立案による学校制度という(これゲマインシャフトかよって)前近代な階級社会(クラス社会)運営の義務教育において、
意味不明に『イジメの法則』が斜め上に花開いているという事であり、

「イジメ論」の原則として
●最優先すべき解決方法は「当該組織に疑いの目をかけられていたり、同目的からテストのような行為を強要されたり、拷問取り調べに相当するイジメ事案に発展した場合、即座に被害者を組織から避難させる事」に尽きるワケです。
(「私は野球部員ではありません」なのだから)


●背景事情として考慮すべきことはメンタル問題特有の『自意識』共犯です。
これは「強迫心理」に押しつけられ従属的扱いとなっている『自意識』が、うっかり”自分の売国奴的な振る舞い”をしてしまう話ですが、
「承認欲求」も相まって、と に か く フラフラと無意識に吸い寄せられるように『共同幻想』社会との関係を模索してしまう状況があります。
(てか凄く多い!)

所謂抽象概念としての”普通の人’というモデルが深層心理ではあっちの方に象徴化されており(承認欲求が謎の権威者の認定で満足している人物像)、「承認欲求」を抱える自我は”自動的に”『共同幻想』社会と関係しようと試みます。
(「野球部に入ったつもりは無いのに」)

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posted by kagewari at 14:22 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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