2018年02月06日

「イジメ論」の補完事項

この話になると(例のいい悪い論のレトリックてやつで)
常に「わかりましたイジメられる側が悪いんですね」などの”斜め上”の話になるのでうんざりする部分もあるのだが、
●「イジメ論」の原則は=『共同幻想』論なのであって
最もわかりやすい説明は
「野球部が練習中に一般人がフラフラ歩いていたら100%排除される」という”構造”であり、
社会学やら文化人類学やらに及べば「やれムラ社会の論理」だの「村八分残酷物語」に及ぶ、前近代的な社会の特徴みたいな話です。

(組織や社会とは”排他性”を備えていないと液状化・カオス化して雲散霧消するのであり、組織や社会は”排他性の代名詞である”と言ってもいいワケ、)

●極論すれば「イジメは『共同幻想』の代表的商売(伝統芸能)のひとつ」です。

(イジメ問題ってのは、社会学的に『共同幻想』はそろそろ全滅してもいいではないか?みたいな時代変遷と、個性化やメンタル問題などの過渡期特有の個人との間に発生する「致命的な相性問題」であって、イジメ根絶を目的とするのであれば、真っ先に世界の『共同幻想』を廃滅すべしって事になる。←ここを民主主義の現代政治はどう考えるのかって話なワケです。それこそリベラリズム的に、)


<どこの誰が勘違いしたのか知らないが>
憲法上の教育を受ける権利が「兵役義務?」みたいな解釈の中、
行ってみた先は共産主義者の教師と(三流官庁の風評でなにかこじらせているのか)意味のわからない文部省の政策立案による学校制度という(これゲマインシャフトかよって)前近代な階級社会(クラス社会)運営の義務教育において、
意味不明に『イジメの法則』が斜め上に花開いているという事であり、

「イジメ論」の原則として
●最優先すべき解決方法は「当該組織に疑いの目をかけられていたり、同目的からテストのような行為を強要されたり、拷問取り調べに相当するイジメ事案に発展した場合、即座に被害者を組織から避難させる事」に尽きるワケです。
(「私は野球部員ではありません」なのだから)


●背景事情として考慮すべきことはメンタル問題特有の『自意識』共犯です。
これは「強迫心理」に押しつけられ従属的扱いとなっている『自意識』が、うっかり”自分の売国奴的な振る舞い”をしてしまう話ですが、
「承認欲求」も相まって、と に か く フラフラと無意識に吸い寄せられるように『共同幻想』社会との関係を模索してしまう状況があります。
(てか凄く多い!)

所謂抽象概念としての”普通の人’というモデルが深層心理ではあっちの方に象徴化されており(承認欲求が謎の権威者の認定で満足している人物像)、「承認欲求」を抱える自我は”自動的に”『共同幻想』社会と関係しようと試みます。
(「野球部に入ったつもりは無いのに」)

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posted by kagewari at 14:22 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

『リビドー』と『デストルドー』

「エヴァンゲリオン」の話じゃありませんよ。
フロイト心理学において性欲と訳してしまったため(訳自体は正しいんですが)『リビドー』の理解があっちの方にいってしまった件をちょっと詰めておこうかと思います。

■フロイト自身からして、その研究の中『リビドー』を狭義の性欲から広義の性欲へ概念拡大しているので、心理学書などの解説書で「直訳的な”性欲”という表現そのままになっている」ケースも少なく無いことが、誤解を拡大させてる部分もあるでしょう。
(今回の記事も心理学テキストですが用語解説のとこにリンクさせておきます。)


果たしてここで言語的解釈の必然性あるのかわからないのですが、
語源のラテン語「libido」の場合「気まぐれ」とかの意味らしく(むらっ気みたいな意味もあるんでしょうか?)それが何故西洋語圏で性欲の意味に転じているのかも不明です。
フロイトが対立概念として説いた(これもまた「死の衝動」としてそれもどうかと思う訳になってしまうわけですが)『デストルドー』。
この『リビドー』『デストルドー』の対比関係「エロスVSタナトス」でも同じだよって説もあるんですよね。
言葉として(リビドーでは無く)「エロス」なら広義の意味で解釈できます(なんと言うかルネッサンス的な)。


てか(そもそもフロイトの「死の衝動」論は力動論の説明がしたいばかりにかなり無理筋に出てきたものという見解もありまして)、
『リビドー』内向化をナルチシズムと定義しちゃうと『デストルドー』はどこいったの?みたいな事にもなるのであって、
■私は岸田心理学『共同幻想』論の着想から(フロイト力動論の構成をちょっと見方の角度を変え)「経済学で考える方が無理筋無しに辻褄が合う」と考え、
転じて(エネルギーだとか情動量などで考えるより)「需要と供給と投資の関係」みたいな角度で説明する方が力動論の説明趣旨に合致していると判断しています。
(サプライサイドかデマンドサイドかみたいな分析もできるし)『被(こうむる)』と『抗(あらがう)』で解釈していくことで、フロイト心理学力動論部分を補完するだろうと。
 ↑
●(原書も読めいアングラ研究なので)日本語説明上の都合でこうなっている部分もあるかも知れません。
リビドー論の原則や解釈に変更加えたものじゃありません。

もうひとつ考察入れると、当時から欧州の文化的に経済学ってものを容易に学問として見ていいものかって部分あったでしょうから、そういう意味でも経済学はモチーフとならなかったのかも知れません。
(更にフロイト時代と言えば、経済学も「古典派経済学」の時代で”まったく役に立たない”だけでなく、その後の近現代経済学からしてフロイト心理学の影響を受けていると考えることもできます。←故に現代では力動論を経済学的に説明すると理解が早いのかも。)


■話をフロイト心理学が何故に「リビドーを性欲」と捉える事を(さぞかし当時のキリスト教圏からのやんやの批判も出るだろうに)「あえて選択したのか」ってとこを考えてみましょう。

説明するまでも無いんだけれど、
フロイトは自我の発展段階をほぼ「反抗期に符合させる形」で説明します。
(自我の主体性などがどのように親子関係など間で発現するのか観察のなか、どのように論じても「各『反抗期』が、次のフェーズへの切り替えポイント」になりますから。)

そこで、
「エディプスコンプレックス」の発見に際して、
思春期『反抗期』の在り様は決定的要素になるし、この思春期『反抗期』時における(性的関心に対する罪悪感などの)心的抵抗の原因は乳幼児期に遡って解釈しなければ説明ができないし、
大人の性衝動の中においても「そのまんまバレバレの幼児期関連のフェチシズム」が観察されることから、「幼児期不能者の性欲(快不快原則に関連する幼児期対人関係の関わり方)」と断言するワケじゃないのですが(乳幼児にも普通に存在する)所謂性愛関係というくくりの中、
 ↓
人類以外の哺乳類に見られる『繁殖期』とそれ以外の日常の本能による行動様式を見た場合、岸田心理学的な解釈として(ここはローレンツなどの生物学的解釈ですが)人類ヒト科を「本能規範が壊れ欲求がカオス化した生物」と定義する流れから、
この辺前後をまとめていくと
 ↓
●人類が「大元は本能なのか、『繁殖期』を司る衝動なのか、それはともかく」
「繁殖期の24時間36日化による進化」を根拠に、カオス化した欲求をインフレさせている生物である以上、「生存・生命・生きる全般への(主体的能動的)欲求」を、『リビドー:性欲』と定義することで、大きな転換点である思春期『反抗期』に自我に発生するプロセスの重要性を証明できるのです。

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posted by kagewari at 02:13 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月26日

『監禁症候群』について(2)

●『監禁症候群』と「イジメ事案」の相関図
※『ストックホルム症候群』とは長期膠着状態になったハイジャック事件において、人質が無意識に犯人に親近感や共感を感じてしまった得意な事例から論じられた話。

前回に引き続き『監禁症候群(勿論便宜上の”仮称”)』についての話です
『監禁症候群』が「エディプスコンプレックス」の構図を模倣する事で成立しているのだとしたら、『抑圧』下の自我は容易に閉鎖空間設定に飲まれてしまというようなところまで説明してきました。


言わずと知れた事ですが
『共同幻想』とは「舞台設定のような仮想空間」です。
現実はお芝居とは違いますが、『共同幻想』社会では登場人物設定と決め台詞などいくつかの”お約束”の中、「設定上の登場人物が言いそうな台詞を連歌のように連ねる即興芝居が行われている」と考えても間違いではありません(いい役悪い役や得な役損な役などクラス《階級》上位者が決めていく)。

【以下ポイントが重要】
本来「何かの縁で始まる『共同幻想』歩留り的オンザレール」や、「軍人や部活など自らの意思で志願して参加する」など、『共同幻想』社会適応であっても”選択的なもの”であり(ここに確信犯的再選択も含まれる)」、
『家族幻想』における子役を例外に、当該人物にはなんだかんだ参加の意思があって自らその舞台設定(見方変えれば特定閉鎖空間)に身を投じます。
上記の”選択性”は当事者が『反抗期』(現実アップデート)を通過した事により反証される。
(※故に、就労についての年齢制限もあるワケで、)
(※加えて、上記説明の「『家族幻想』における子役を例外に」←ここが特に重要)

と こ ろ が
■場合によればメンタル問題に発展もする「『抑圧』下の自我」の場合、
理由にもならない理由や、『抑圧』下であるが故に顕著ともなる「承認欲求」的動機により”強迫的に(フラフラと)”『共同幻想』社会と関係する”事情や背景”を抱えやすく(そうなりがちな背景事情がワンセットになりやすい)。
 ↑↓
どういう意味か補足します
『自意識』マターの『抑圧』が無ければ、主体性・独自性の自由がありますから、経緯はどうあれ「選択曲面は『自意識』判断」で決定されます(『反抗期』経過証明)。

しかし、肝心要の選択曲面の自由(自己責任所有権)が、『反抗期』アップデートの不全などにより十分に確保されていないと、(わかりやすく言えば何をするにも権威上位者や権威的概念の承認を求めるように)権威的に振る舞う人物や、権威的構造の社会や、権威的概念を根拠とする組織に(友達グループや学校や会社など)、無意識に追随・従属する結果(強迫的選択)を招きます。
(※「法律用語によく出てくる”なになにに対抗できる”」←のような役割は権限的に『自意識』にしかできない。)

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posted by kagewari at 22:34 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月17日

『監禁症候群』について(1)

あまり大きな声では言えないというか、注意も必要なのですが、
昨年「某監禁殺人事件死刑囚親族のその後」のようなドキュメンタリーがありました。
その中で(人権問題がどうこうの話では無く)、
死刑が確定している犯人が「監禁連続殺人犯行時、心理学も研究していた」という話があり、、
これは衝撃的でした。

思うに、本格的にフロイト心理学というのは考え難いため、
書店などによく見られる洗脳やマインドコントロールなどの書籍じゃないのかと思うのですが、
それでも(一般教養水準の)そういった書籍ほど『ストックホルム症候群』などの引用があるのではなかろうかと思ったのです。

※『ストックホルム症候群』とは長期膠着状態になったハイジャック事件において、人質が無意識に犯人に親近感や共感を感じてしまった特異な事例から論じられた話。


<問題提起も含めて>
この現象を広義の『監禁症候群』として説明してみたいと思います。
かなり広範に波及する話なので2回シリーズとします。

■「実は誰にでも身近な問題だった『監禁症候群』」
・締切間近な小説家が編集者にホテルに缶詰めで執筆活動
・厳しいトレーニング法と言えば?『合宿』
・明治から昭和初期の頃までに見られた子供に対する処罰は?
「ゴメンナサイ言うま物置などに閉じ込める」
・家庭教師を含む、集中的トレーニング法は「マンツーマン」
・暴力的先輩が後輩を呼びつけるのは?「ちょっと裏までこいや」

あれこれ考えるうち
「ちょっと待てよ」と、、
●強圧的な腕利き刑事の取り調べにおいて発生した「冤罪事件」
 ↑
これでしょうこれ、これこそ『ストックホルム症候群』の典型だろうと。

あまり大きな声では言えませんが、
鉄拳制裁でも有名だった「俺が育てた」で有名な某監督の手腕についても、
「ちょっと待てよ」と思うワケです。
体罰のアリな体育会系指導者の中には、(仮に刑事事件なら冤罪にもなり兼ねない)『ストックホルム症候群』における心理反応を「自分の指導手腕」と勘違いしている人物が無数にいたのではないか。
●勿論それは「育児、躾と称し昔から行われてきた行為」そのものであると。


<話は戻って『ストックホルム症候群』の仕組み>
こいつを分析します。
『ストックホルム症候群』とは「エディプスコンプレックス」の応用に過ぎません。
「エディプスコンプレックス」を仮想空間でバーチャルに再現するものです。
「エディプスコンプレックス」の発生要因は?
幼児には自主的に生存能力が無いので、権威者側が生殺与奪の権利を有する。
同時に幼児には「家幻想的空間」から、この関係から(物理的には家出)容易に脱出できない閉鎖空間として認知されている。
且つ、権威者側が(何らかの事情で)幼児側に強い関心のもと、快不快原則的関与を行う。
以上です、

わかります?
「監禁事案」にもっていけば、実行者は被験者に(あたかも)「エディプスコンプレックス」下におけるような(快不快原則)による誘導が可能となる。

し か も
『基本用語』の解説などでお馴染みのように、
快不快原則とは(脳が『興奮』を確認すればいいだけで)被験者に快として認知されても”不快として認知されても”有効である。
(注:被験者はコーチの体罰を「愛情があれば許される」などワケのわからない共感を示す)
(注:場合によっては被験者は暴力を振るう先輩コーチ監督を「恩師」として賞賛する)
(注:冤罪事件の時、無罪の罪で証言してしまう被害者は「強引な取り調べをする刑事に強要された調書にサインし、刑事に褒められる時に感謝さえする」場合すらある←だったような記憶あります)

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posted by kagewari at 17:31 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月04日

「(昭和的)オンザレールな『共同幻想』適応自我」と「現代メンタル問題にもなり得る自我」構成の同一性

前回記事でこの辺補足説明が不十分であったかなと思うので、個別記事にまとめてみました。

自我構造論的には「(昭和的)オンザレールな『共同幻想』適応自我」と、「現代メンタル問題にもなり得る自我」の基本構造は”同じ”です。
●背景事情的にオンザレールな『共同幻想』適応ケースには事後追認的な『歩留り』選択が派生するため、社会的強迫関連の不安やエスカレートする『興奮』などありつつも”一定幅に収まる”ため、当事者に「メンタル問題と認知されることはほとんどありません」。
(※エスカレートする『興奮』の存在は、当時のエンタメにおける熱血ドラマのようなシナリオを多数派生させた。)

このように説明すると、
「にわかに信じがたい」思われる方いらっしゃるかもですが、
仮に現代社会において、
「自らはお国のために命をいとわず、国体に異議唱えるような輩がいれば躊躇なく暴力に及ぶ」人物が唐突にタイムスリップして登場したら?
 ↓
■実際にほとんど同じ状況が現実に発生した事例があります。
昭和世代には有名な「戦後帰還兵小野田さん」です。
(戦争終結を知らず、フィリピンに30年間潜伏しひとり戦闘を続けていた人物。)
彼は戦後日本の『共同幻想』を受け入れられなかったのか、一度ブラジルへ移住、
反戦どころか、その後右翼的活動家として帰国、東京で亡くなられておりますが(wikiなどにも詳しく記載あります)、
(※確かにダイ・ハードな小野田さんが当時においても異例な水準の確信犯的選択人格であったことも類推されるので、典型事例と呼ぶには違うと思いますが、彼が戦中『共同幻想』社会適応人格であった事は事実。)


同様に、国が違えば『共同幻想』も全く違うワケで、
近代以前に限れば『共同幻想』とは(近現代の法治国家へ連なる)「社会統治のための概念」であることがわかります(なので時代や国が変わると中身も変わる)。
(当時の左翼活動家には、小野田さんの振る舞いは「軍国時代の洗脳」としか思えなかったのでしょう。)

注:「(慣習法的)憲法と(名文法的)憲法典」の事例にあるように、社会統治の事情とは別に連綿と続く文化歴史が存在するのも事実であり(非幻想的歴史や文化の実存)、だからこそ「時代の都合ででっち上げられる『共同幻想』のナンセンスさ(ドグマ性)」は必然的に”現実から浮く”のであって、
現代で言えば、中東に発生したISってありましたね?
イスラム原理主義を標榜していながらその実態は本家イラスラム教研究者などから「おおよそイスラム教と違うだろ」な解釈満載で運営されていたことは説明するまでも無く(ISの『共同幻想』はテロリスト国家を形成する事が目的であるため)、
本物の文化伝統と(非幻想的歴史や文化の実存)、ご都合主義の『共同減幻想』は全く違うものだってところも大きなポイント。

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posted by kagewari at 16:04 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

「依存性と強迫性」

事実上「依存性と強迫性」は個人差ありつつもワンセットのものです。

まず、メンタル問題と構造的には同様の、
■「(昭和的)オンザレールな『共同幻想』適応人格の場合」
『共同幻想』論で何度か説明してきましたが、
所謂、軍国全体主義時代や昭和高度経済成長期の一般社会の傾向であった「オンザレールな『共同幻想』適応人格」の特徴は、同調圧力の形で認知される強迫的情報共有(プライベートな旅行の報告や記念撮影画像の共有)だけでなく、日常生活の振る舞いを確認する意味で、
「○○でいんだよね?そうだよね?」
「○○ぐらいでいいのかな?そうだよね?」
などの確認行動も”無意識に”派生します。

確認行動はプライバシーレベル(羞恥心度)に対応し、
「日常性の高いよくある事項」は→所属組織全般誰でも間
「個人的な生活に関わる事項」は→休憩時間を過ごす仲間の誰か間
「極めて個人的な事項」は→親しい友人関係間
 ↑
だいたいこんな流れになりますが、
上記の行為は事実上の「権威承認的な依存」です。
(端的に言えば「依存」とは「個の実存」の反対であり、自己の存在が希薄になる様子=没個性)

(注:昭和的な『共同幻想』社会適応は、戦争の時代や高度経済成長などの社会的合理性が強いインセンティブとなり「強迫的要素も適応すべき普遍的現実と仮想される結果(幻想)」、無意識に定着。自我は強迫的認知下にあるが《時代背景が時代背景なので》「事後追認的な『歩留り』成立」に至り強迫性は一定幅に収まる。時に『興奮』を伴う不快認知やエスカレートした行為が見られても、自身にはメンタル問題として認知されない。)



■「志願制の職場や部活や恋愛婚姻や職業軍人など予め確信犯的選択社会の場合」
よくある事項は→「で、いいかな?」
個人的事項は→「なのかな〜」
極めて個人的事項(トイレや浴室のプライバシー)→確認せず
 ↑
上記のように「選択が確信犯的である分(応じた自己責任が担保されている)だけ」、”確認や報告程度”の情報共有は行われるが、依存性は後退する。
「帰属性は高いが、依存性は低い」
(軍人の場合は、語尾が「であります!」に変化しますが、依存性が高い事を意味しない。→というか軍人の場合高い水準で個としての判断も求められる訳で、)

前者と後者の違いは、
●「選択の場面において、それが自覚的か無意識的か」の差異であり、
選択の自由度にも関係する→親子関係のように関係性の選択に自由が無い場合「事後追認的選択しかできない」ため、自動的に強迫性・依存性の高い関係性となる
(自覚的か無意識的かの差異=自己責任担保の有無=担保が無ければ所有権が派生しないので「無自覚・無意識的」となるって流れです。)


そのため、
地方公共団体の条例や法律で、未成年の性行為などが人権を保護するため禁止されるワケで(子供が誘拐されてしまう構造も同じ)、自我の依存性がその背景にあるからです(能力的に自己責任の担保金が制限されているため=依存性の分量だけ自己決定の証明が不足するって寸法です)。
幼児教育における「褒めて伸ばす」なんてのも同じ線上にあります。
(半ば自我の依存性を利用している話で、現代においては「一歩間違えば過干渉」です。)
 ↓
極論ですが、「(権威的に)なになにすればいんだよ?そうそうよくできました」←この投げかけで、依存性の高い自我は”釣れる”構造にある。
幼児教育の是非はともかくですが、、依存性を利用する褒めて伸ばす手法だと「自由選択意識はむしろ狭まる」のだから自主独立性が抑制されるのは事実。
(専門外なのでいい加減な事は言えませんが、現代における教育の在り方は「知的刺激としてサバイバルと合理性をからめ選択の可能性をその都度説明する」って事なんだろうと思いますが。)

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posted by kagewari at 21:48 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

論議が難航するポイントに「いい悪い論」があります

どうしても出てきてしまう、
避けられないと言ってもいいでしょう。
(特に鬱病などの症例で顕著だと思いますが、)
何の話かと言えば、
(※このテキストもかなり重要なので『基本用語』リンクに入れておきます)

<たとえば>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Q)かくかくしかじかの事象は何故起きて、どうしたらいいのでしょう。
A)この状況だと無意識下の「強迫心理」が、このように刺激され(はたまた「強迫心理」の裏付けとなる権威者のイメージがあれこれなどに投影されであるとか)、自我は『被(こうむる)』認知にあるため(『自意識』が抑圧されているため)、この刺激がもろに不快(や落ち込み)『興奮』のトリガーとなってしまっているんです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ↑
「いい悪い論」が関係してくると、上記のようなやりとりで「もうアウツ」です。

カウンセリングなどの場合では(HPにもそのテキストあるんですが1章3項)、
必要に応じて「まずいい悪い論を使用しないでください(半ば文章としても使用禁止です)」と予め注意する場合があるだけでなく、
実際のやり取りの中で何度も繰り返しこの点注意事項として伝えても、
それでもアウツなケースが頻発します。
 ↓
どういう方向かって、、、
●「私の問題があるって言うんですか!納得できません」みたいなズレ方です。


(※「流石にその反応はレアでしょう」と思われるかもですが、この展開は”決して少なく無い”のです。→思いっきり「強迫心理」の防衛反応なので心理学知見のある方には「そのまんまじゃないかもっと注意して説明しろ」って話でもある。←そういう簡単な話じゃないんです。)

■■■「いい悪い論」は勿論道徳感を根拠としますが■■■
基本的に一般的に流通している道徳とは(哲学的に検討された道徳論では無いの意)、
『共同幻想』社会内部の規約のようなものであり(わかりやすく言えば「宗教団体の教義(ドグマ)」)、
現代社会における、法治国家を前提とした広い意味で社会契約的な日常的なマナーだとか倫理だとかの慣習法的な(=処罰などには縁遠い)覚書水準では”無く”、
「何々の関係者がしかじかするとか悪いんじゃないですか」←この段階に及ぶと組織論としての道徳感になります。
(”いい悪い”の判定を上部構造の権威認定に委ねている《問いかける》ワケで→自動的に内部的な処罰にも及ぶ論議となる)

●仮にその道徳感が、
(ある意味『共同幻想』崩壊後の現代社会にあるべき方向として)「個人的美意識の範囲(乃至個人的哲学や信念)」だとしたら、別個性となる他者にはその適応を求める事に”なりません”から(極論自分の美意識と他者が真逆でもなんとも思わない)、
他者を指したり、他者との関係において自分を指したりして「いい悪い論」に至る事は”あり得ない”。
(所謂、一般論の道徳的に自分が悪いと感じても「忸怩たる思い」的な範囲に留まる。→何故なら自らの『自意識』の存在を賭けて選択している”美意識”なので、それから逸脱する事があり得ないからです。→逸脱するケースは「やむを得ないケース」に限られる=「忸怩たる思い」)


■説明するまでも無い事なのですが、
「強迫心理」の元ネタは子供時代の『共同幻想』であり、
(親権と子供や乳幼児の関係であり→圧倒的な上下関係下における階級社会)
この時代は親などの代表権威者がトップダウンで「それはいい、それは悪い」を決定します。
逆に言えば、その代表権威者に部下として合格の認定があれば、不快事例は全て外部事情が悪いのであり、「代表権威者がきっと罰してくれるだろう」のような認知がセットになります。
(ベタな言い方すると子供の「お父さんに言いつけてやる!」です。)
自動的に当事者には強い『興奮』を伴う処罰感情としてそれは認識されます。
(ある意味エディプス関係者との幼児期の性愛的関係性とセットになっているため。)

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posted by kagewari at 20:02 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

『共同幻想』論 「空気を読む」とか(3)

現代社会において何が起きているのか?
母親と娘が「姉妹みたい」と呼ばれて喜んじゃったり、
イクメンの父親が、離婚後も親権を取ったり、
(幼児虐待の論議はひとまず置くとして)
権威的裏付け何もないまま親権の運用任される事に誰しもが薄っすら違和感ありますから(20代の若僧夫婦に何がわかるのかって←故に『共同幻想』バリバリの時代には嫁姑なんて当たり前にあった訳でしょ)、必然的に晩婚化や非婚化の流れも出てくる。

専業主婦に対する偏見の背景には、
「(親は)保育士の資格が無いから」みたいな発想も本気で奥底に流れているかも知れません。
(実際高度先進国においては、教育の権利は子供個人にあって親権を制限する方向に行くんだと思います。)
子供の生存も、本質的に子供手当は(制度名称変わってますが)”子供個人に支給”され、親はその代理で受け取るだけって認識も周知されていくでしょう(子供は少なくとも所得負担において親世代に恩義を感じる必要が無い的な)。

■「ペットはあんなに大事にされているのに(ネコ飼いやイヌ飼いは早く帰宅するために真剣になりますから→残業あるからペットホテルに預けようとか思わない)、人間の子供は他人に預けても苦痛感じるどころか親世代はほっとしているんだな」←ここに気が付く勘のいい子もザクザク出てくるでしょう。

夫婦別姓しかり、血統やら後継者やらの『家幻想』はすっ飛び、
欧米の例から類推するなら「子供のある世帯の半数以上がシングルマザーだ」みたいな状況もそう遠くない将来に到来すると思われ。


個人の100年人生において、子供が独立するまでの期間20年は「あっという間」なので(下手すればイエネコの寿命より短い)、
結婚し世帯を構成するにしても、(往年の大家族時代では無いので)夫婦生活において家族社会時代の期間はほんの一瞬という事になります。
「いや〜俺も親になったぞ」みたいな体感も人生トータルを母数に考えるとそれほど大きな比重にならない(更に養育費から教育費まで国が出す時代になっていきますし)。


■現代社会において「家族の肖像」はどうあるべきか?
彷徨い続ける中(そもそも答えなんて無いですから)『単独者』化が先行していくのだろうと思います。
●「家族社会の中で読む空気など無くなり(家族社会『共同幻想』崩壊)」、
各人自由意思で自我を構成していくことになりますから、「強迫心理」由来のようなメンタル問題は後退する方向になります。
(勿論過渡期において、様々なところで発生するにしても大きな方向性は上記でしょう。)

しかし、フロイト発見以来の「乳幼児が親世代などに見るデフォルメされた絶対像」であるとか、「幼児期に親世代との間で形成される性愛的な関係性の記憶」などが消える事は想像し難い。
子供世代はいかに『反抗期?的な』経過で(初期から権威役を降板する親役を相手に)、現実アップデートを行うのか(新世代の新興宗教ブームなんてことになれば目も当てられませんし)、
或は、近現代のようないかにもな『反抗期』は消えてゆき(親世代への認識もエディプス的なものでは無く話のわかる大人程度に留まるとかで)、
利害関係社会との間で(或は哲学的に)ダイレクトに選択されていくのか、
今後はわかりません。
いずれにしても「原始的子供時代の現実アップデート」はどこかで何らかの手法で必要だし、模索されることになります。
(※「新卒社員3年以内3割退社」が実社会における現実アップデートに関係している可能性もありますが、社会現象として検証・確認されていくにはまだ時間が必要でしょう。)


●空気を読む時代は終わり、
「各個人がどういう空気感を纏うのか」みたいな時代に変遷していくのだろうと思います。

(※すごくベタな事例になりますが3Dプリンターじゃないですけど、AIが産業にバシバシ導入されれば衣類などもフルオーダーになる可能性だってあるワケで、衣類デザインにおける『共同幻想』コードもはっちゃけていくのだとしたら、各人各様の意味や文化的うんちくもパッと見わかる水準で分化していく可能性もあると思います。)



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コメント欄に問題となった同趣旨の投稿が続いたため、暫くの期間ブログのコメント欄を閉鎖します。閲覧されている方には不自由となる部分もあるかと思いますがご了承ください。(再開までの期間は未定です)
詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
コメント欄の削除があった件(関係障害について)
http://kagewari.seesaa.net/article/402054291.html


■私のミスで記事のコメント欄が承認制になっていたりするケースもありますが(或いは昔の記事など)、現在の運営方針は「コメント欄閉鎖」です。仮に投稿があっても内容に関わらずもれなくことごとく削除となります。

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2017年11月20日

『共同幻想』論 「空気を読む」とか(2)

前回に引き続き、今回は「社会性のズレ」についての話です。
社会性って何の事?っていいますと、
社会学上の代表的分類
『ゲマインシャフト(Gemeinschaft)』血縁や地縁社会
『ゲゼルシャフト(Gesellschaft)』近代以降の会社などの利害関係社会
経済学もからめていくと、
社会解約説やら宗教革命からフランス革命まで含めての、伝統権威と権力が一致していた封建社会から民主主義(世俗主義)社会への変遷という位置づけになります。

更にこの先があるとするなら「権威性崩壊(ヒエラルキー構造崩壊)による(国民が皆一家言語る)クラウド社会(民主主義も本格機能)」みたいなものになるでしょう。
言わずと知れた『単独者』が多数派になることで形成される高度先進国社会を意味してます。

上記はいずれも歴史的変遷の中、
■「近現代にかけて後者の社会にシフトしてますよ」って話なのですが、
これって、個人自我心理学にとって、子供時代から大人時代への変遷でそのまんま(世界の歴史と同じ流れで)辿る道筋も同じなのです。

さて、前回解説にあるように、
●メンタル問題における「強迫心理」の元ネタは子供時代のデフォルメされた『共同幻想』です。
即ち、現代社会における利害関係社会において、「強迫心理」とは封建社会的認知な『共同幻想』を継続するかのようなことになります。
例として適当じゃありませんが、現代サラリーマン社会に唐突に戦国時代の武士が登場するような”乖離”です。
(読む空気の時代が違うみたいなズレが発生します)
 ↓
子供時代のデフォルメされた『共同幻想』は、権威者の偉さ感が凄く大きなイメージですし(この世に殿様や我が王家が存在しているかのような)、お家の(家族ネタで)一大事ともなれば切腹しようかって高まり(興奮)を見せたり、権威や道徳や礼節じゃないですが立ち振る舞いに関わるナントカに非常に敏感であったり(言葉使いをキッカケに想定外な興奮に至るケースも多い)、
立派な”何々”に成人しなければもう生きている意味が無い(家督相続の資格が無い)ってな勢いで自身を強迫してしまったり、所謂症状として知られる過大な興奮を伴う不快や不安の背景構造であったりもするのです。

■見方を変えてみます
古代や中世に詳しい統計は残っていないので、ざっくり現代社会における発展途上国と先進国の分類なども参考に考えた場合、
メンタル問題は古い時代なら「皇帝病」、中世なら「貴族階級」などに限って発生するもので(権威性や家族制度などがガチでハマるケースは同階級にしか存在しなかったため)、更に『共同幻想』の神聖化も強力なので、庶民階級においては1家庭の上に強烈な上部構造が存在する事も明白で(自分の親は非常に末端の管理職に過ぎないなど親子におかる上下関係の距離も近い)、
通常庶民階級には「メンタル問題」は発生しません。
 ↓
メンタル問題が庶民階級に波及し出すのはフランス革命以降の話で
(ニーチェがそれに怒ったじゃないですが、フランス革命後庶民は貴族階級の暮らしを模倣し貴族の文化が広く普及していく、)
封建社会のような強大な権威上部構造が崩壊すると、小さなお山の大将じゃないですが(事実高度経済成長期のサラリーマン社会のマイホームの夢は「一国(一石)一城の主」のキャッチコピーで呼ばれた)、国家単位でピラミッド型に構成されていた『共同幻想』は、議会制度などのリンクは残しつつも崩壊し(軍国主義などの反動時代も経つつ)、民主化されます。
 ↓
民主化ってのは、結果としてその過渡期のおいて「王様役や神官や巫女も家庭内民間ベースでお好きにどうぞ」って事になる訳で(これが昭和の受験戦争に繋がる)、
小貴族主義みたいな展開を経ます(プチブルなんて呼ばれたりした)

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posted by kagewari at 19:57 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

『共同幻想』論 「空気を読む」とか(1)

この解説に何の意味が?と思われる方もいらっしゃるかもですが、
メンタル問題の解説において重要な「強迫心理」の元ネタは(子供時代に認識していた)デフォルメされた『共同幻想』認知なので、『共同幻想』の中身を理解する事はメンタル問題への理解も早めると、このような訳です。

■『共同幻想』社会における「空気を読む」とは何の事か?
メンタル問題との関連で言えば勿論「関係障害」となります。

『共同幻想』とは一種のお芝居です、
所属社会の属性名称が”配役名”となります
(課長・係長・主任・パート・学生・警察官・教師・母親A・父親Aなどなど)
厳密に言うと、
自我発展に呼応して対象となる社会そのものの属性(社会学的な分類や内容)、これもまた人類の歴史をなぞるように差し替えられるのですが(ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの変遷)、この話やり始めるとべつの意味で大変な事になるので、次回とします。

さて、話は戻って、
■所属社会の属性名を”配役名”とするお芝居と考えた場合
前提となる社会の想定は”舞台”となります。
「何を舞台とする何のお話か?」
「何々社会における自分の”役”割」
上記のような対比というか、そんな感じです。

舞台における空気を読むってのは、演出上の趣旨として「何がテーマの舞台なのか」って話になります。各登場人物はそのテーマに沿うために配”役”されており、役名の無いモブキャラ群衆は(映画やドラマならエキストラが演じる)役名は無い。
上記を『共同幻想』社会適応論で言えば、
「何が目的の組織で、誰と誰で構成されているのか」となります。

●空気を読むとは(或は「読まれている空気とは」)、
「当該『共同幻想』社会の特定と組織の目的や、構成員の特定と求められる役割の理解」
上記の事で(ぶっちゃけ”舞台設定”って話ですよ)、
「そうそう空気を読み違えるとか無いだろう」と思われるかもですが、
いえいえ、そう簡単なものでは無いのです。
『共同幻想』は重層的に重なっており、場面場面で切り替えが行われます。
「複数の舞台をリアルタイムで掛け持ちしている」ようなもので、
配役名の呼称が変わる時、舞台のスイッチが切り替わります。
 ↓
「課長〜っ(仕事舞台、メンバーは同課の同僚)」
「山田っ(大学時代からの友人、メンバーは二人の掛け合い)」
「山田さん(同期の同僚社会、メンバーは同課同期生)」
「あのお客様(飲食店とお客舞台、メンバーはお店と入店客全員)」
「山田さーん(歯医者待合室、メンバーは他患者達と受付)」
「今日は山田さん(歯医者治療室、メンバーは医師と自分二人の掛け合い)」
「やーまだー(大学時代の友人と飲み、メンバーはここにいない友人も含む)」
「あら山田さん(キャバクラの飲み、メンバーはキャバ嬢と”自分”だが、キャバ嬢の方は店全体と目の前の客→思惑違うもの同士のプロレスドラマ)」
「お父さん(帰宅ドラマ、妻と個人としての自分)」
「お父さ〜ん(ホームドラマ、子供と親職としての自分と同僚としての妻)」
「俺って奴は(浴室私小説ドラマ、この時だけは『単独者』アドリブドラマ)」
などなど

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posted by kagewari at 01:23 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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