2005年10月14日

精神分析的平等論

「平等」を叫ぶ人の大半は、左翼的だったり人権派左翼的だったり、新自由主義だったり様々だ。理由はそれぞれの視点が違うからで平等の意味すら違う。

左翼的には既に死語の「プロレタリアート革命」じゃないが物理的にも結果としての平等が求められ、人権派的視点だと「守られるべき尊厳を保障する乃至保護する公平性」って事になる(だいだい回復すべき権利を発見すると訴訟となる)。新自由主義的には「機会の平等」が重要なので、規制や既得権益の保護を前提とする法律の緩和が求められる。
しかし全てに共通しているのは『平等は損なわれ得る』という前提条件だ。

精神分析的にはそこに矛盾を感じる。

彼らの求めているのは果たして「平等」なのだろうか?
各論者が考えているのは、現在考ええる彼らの「不平等感の改善」がきっかけになっている。
言い換えると「不平等である現況を認定」しているって意味、

それでは「平等の普遍性を認めていない」事になる。
果たしてそうだろうか?
現況が普遍的ではない不平等だとすると、これを改善すると普遍的に平等になるワケがない。何故なら現実によって不平等や平等にコロコロ変るのだから、意識的に持続的に維持しなくていけない『ある状態』が、それぞれの論者の「気に入る平等だ」って意味になる。これは「平和の概念」に似ていて、ほとんど政策であって平等という概念じゃないだろう。
そのまんま言うなら、彼らは皮肉にも「不平等を肯定しちゃっているからだ」。
「不平等である現在を認定している」のだから、平等というのは容易に壊れるもので、むしろ不平等になり易いと考えている事になる。

「世界はむしろ不平等である事が多い」
こりゃ、「そもそも人間は普遍的に平等である」と言っているのではなく「そもそも人間は普遍的に不平等になりがち(平等は政策的努力目標)」→人間の平等とは不安定だと言っているのと同じだ。

話を元に戻す、
果たしてそうだろうか?
精神分析的には人間は普遍的に平等だ。
「だって同じ人間だから」
ここは“動物行動学の観察”を想像してもらうとわかりやすい。
「サバンナで自然な状態のチーターを観察した」
この観察記録によるレポートに「おいおい個体差があるんだし、そもそもそれはそこのチータだろ!」という抗議があるんだろうか?
そりゃ何々地方のチーターにはこういう特徴が例外としてあるとかって事はあんだろうけれど、自然な状態のチーターはチーターだ。
何故って「チーターはチーター」ってチーターである事の普遍性は種として実存しているんであって、「貧乏なチーターと富裕なチーターの所得の分配をチーター権の回復だと論議になることは無い」。

一体人間の言っている平等ってのはどういう事なのか?

精神分析的には「人間は同じ人間で普遍的に平等だ」終わり。
になる、
結果として人のする事は様々だけれど、社会性のために形態まで変化するアリや蜂の群れと同じではない。
アメリカ大統領には「大統領になりたいという個体特有の動機」があるのであり、その動機を「よりによって何故なのか?」と考えるのが精神分析で、そこには『普遍的な平等性』を前提としないと「彼は大統領になる人間(終わり)」になってしまう。
これじゃ動機の分析の意味も、深層心理はなんだの論じている意味が無い。
極端に言えば「そうする人やあーする人」がいて「理由もへったくれもなくそういう人だから(終わり)」であって、結果は『人間の平等とは不安定だこれの回復が政策的な目標である』と同じになってしまう。

自らの思想として理想とされる社会性と平等は同じじゃないでしょう。

精神分析的マターの多くは「コンプレックスや葛藤要因を発端にした社会的ストレス」であり、そこに登場する表層的不満は「現況の不快感」である。逆さまに言うと「こうあるべき」という理想像が無意識にあり、その理想像が現実世界に実現されていない事への不満がストレスなんだが、精神分析が取り扱うのは「その意識下に沈んでいて自意識に捕捉出来ないイメージは、コンプレックスや葛藤が原因であり最初から無理がある(自意識が最初からわかっていたら自分でもそう思わないだろう)」と分析するところにあるので、非常に重要な事は「常在平等」の普遍性だ。

「そのままでいい」って事。

自意識が個別に持つ目標は、強迫ではない。
つまり「自分がこう思う」を発端とするなら、それは自分固有の信念であったり、努力目標と認知される筈で、強迫的発想とは「それが当たり前の筈だ」と思ってしまう事になる。

話を元に戻してみよう。
「それが当たり前の筈だ(というストレス)」
これって、最初の「巷が考える平等」と全く同じだ。

つまり「巷の平等論」ってのは「共同幻想のドグマ」であり、普通と言う名の強迫性(その社会のアイデンティティー)となる。
精神分析が、ある意味普通である事すら「一種の強迫」と考えるのはそれが理由で、そもそも精神分析が登場するのは「自意識が不快に感じる強迫」であり、不快感を感じなければ登場の必要が無い。

なんとなくわかってもらえるとおもうんだけれど、理論的に精神分析の存在は「社会にとっても疎ましいもの」で、フロイドがEUでパージされちゃったりする。
文(学)系だったり芸術系だったり哲学系はアブノーマルが横行する学問だから(笑、、『アリ』
だけれど常識的な世界である医療や、政治的には『ナシ』って事、

アメリカ映画なんかでは(特にウッデイアレンなんかとか)頻繁に登場する精神科医は、決して医療の世界のメジャーになることは構造的にあり得ない。
これ精神分析的にそういう結論になる。
むしろ精神分析が政治的に肯定されるのは(精神分析としてはオカルト系の傍流「ユング心理学」がナチに曲解されて信奉されてしまった歴史的経緯がある、同じマンダラじゃないがチベットの僧侶を政策ブレインに入れていたりナチのオカルト贔屓は有名。なのでEUなんかで「ユング・ユング」なんていうと白い目で見られまっせ、ちなみに俺は当然アンチユングです。)歪で、アングラに流れているので丁度いい。

こればっかりはどうにもならないことで、精神分析だけが自我構造にアプローチできる手法だと信じて疑わないが、これが医療サイドから重要視されることは構造的にあり得ない。
それが可能になるには「共同幻想に依らない実存的社会の到来」が前提になるだろうけれど、共同幻想に依らなければ、そこの群体は「果たして社会か?」ってな哲学的なテーマになっちまう。

「コンプレックス」「内向化」「深層心理」「そもそも心理学」「脅迫(強迫)」「抑圧」それぞれの言葉はつまみ食い的に一般用語になっていくが(「共同幻想」もそろそろ一般用語になりつつある)、理論的背景は受け入れられる事は無い。
求められるフェーズは犯罪心理学とか、現実の鬱症状とかやっぱ白兵の現場から求められる。

予防的って言ったらおかしいが、一定の社会的認知も難しい面があり(そもそも世間の人が当たり前に常識を懐疑的に見出したら大変だ)、現在は人文系の『心理学』の座に位置付けられる。


そんな精神分析の在り方を不平等とかは感じないね〜、
『精神分析』だけに
タグ:平等
posted by kagewari at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談

2005年10月02日

野村再登板だねぇ、プロ野球界

「嫌われ者」ってジャンルもイロイロだが、これほど極端なキャラクターも無い。
野村克也:通称「野村監督、ノムさん、ムース」
現役時代は王:ワンちゃんに次ぐ大打者でありながら、何故か監督として有名、嫌われ者的側面はサッチーで有名。

マスコミやアンチな人に攻撃される時には常にサッチーか、彼のキャラクターが挙げられるが、打撃成績、捕手、選手、監督と彼のキャリアに文句をつける人はいない。(ケチをつけるといえば「パリーグスパイ時代」のサイン盗みの話ぐらい、門田が反抗したとかね)

特異なのは「嫌われ者や、はみ出し者」と相性がいいこと、
江夏、江本、門田、山内、吉井、
そして清原(彼が色を変えてジャイアンツでも使いつづけたライオンズのヘルメットが元野村監督のヘルメットだったのは有名)
ある意味嫌われ者のサッチーとも相性がいいのも特徴か、

ノムさんの特徴は「酒が飲めない」ってとこで、飲み会でコミュニケーションをするのが特異な名将「ヤクザ仰木(この人との対戦が見られないのは残念)」と好対照だと言える、
直接選手とコミュニケーションするのが苦手な野村は、捕手として有名になった「ささやき戦術」じゃないが、コーヒー片手に番記者相手にゲーム前に「ぼやく」事で、選手の寸評をするのだが、これまた評判が悪かった。

何処から見ても「体育会系」ではない。
この人物がスポーツの世界にいることが異例で、そのユニークさがスポーツ界にとって貴重な存在でもある。彼は「南海ブレーザー時代」にメジャースタイルの合理的戦術を吸収し、継投や用兵など日本のプロ野球では最も近代的な野球を推し進めてきた(本来は巨人がメジャー志向で海外キャンプ等を通じて昔は最もインテリジェントな球団だった)。
嫌われる理由は、この『異端であるところ』だろう

※古田は実は野村直系ではないが、その特異さ(古田がスポーツ推薦ではなく“受験勉強”して立命館に入っているは有名)で、共通する土台に立っている(古田が野村をライバル視するのはごく自然)と見るべきで、「文系プロ野球選手」という異例の特徴を持つ。
なので、野村が古田に向けた情熱は、ちょっと比較する選手がいないほど

この野村がプロ野球界にもどってくる。
そりゃ楽天キックオフの時に、野村系(カツノリもいるしな)の人脈が多かったので「嫁がワイドショーでサッチー批判なんかやった田尾で大丈夫なんかな」と思ったぐらいだ。
野村の楽天入りも、ありそうな話だ、
あの新規球団でライブドアと争った時に、ライブドア側にも野村人脈あったので、野球界にとってなんやかんや関わり続ける人生なんだろう。ある意味野村にはそういった貢献をしてもらわないと困る。特に落合登場まで、セリーグの野球はえらくレベルが下がった、牛島が後に続いて随分とイメージ変ったが、監督って特殊な職業が勤まる人材はそうそう多くない。
(なんと言ってもプロ野球の監督は「元プロ野球選手」なのだから、どうしても「名選手から」になりがち、メジャーのように監督もマイナーから職業人として起用されるのとは大きく違う)

ここで、改めて「高齢化社会」を考えてみたい。
惜しまれながら健康問題で引退する「ヤクザ仰木」にしても70歳だ、政界などでは「若返り」がよく論議になるが、日本社会の写し鏡でもあったプロ野球というものがやはり先をいっている。
人材は人材「何歳超えると現役引退」これも短絡的な発想だろう。
健康に問題があることを感じれば、自分から辞めるっての。
仰木なんて、そこいら辺の管理職のオッサンより若く見えるしね

「70歳野村VS40歳古田」何の違和感も無い、

話は野村に戻るが、彼が選手の意識革命で選手生命を延ばしたり、これまでに無い成績をあげさせる名人である原型は「テスト生からのし上がった自分の人生」だろう。
「プロの世界なんだから、あらゆる手段を使って戦う」
彼の有名な言葉の「頭を使わなアカン」ってのは、頭脳プレー中心主義を言っているのではない(そりゃ新庄の育て方見ればわかる)。反射神経オンリーの戦いで鳴かず飛ばずな中で「頭使ってなきゃプロとして怠慢じゃないのか?」って意味だろう。

チェスもスポーツってな、西洋のスポーツの概念から考えると、体育をスポーツと履き違えがちの日本では野村の存在は異質に見えるが、実はごく標準なアイデアの持ち主だ。
「あらゆる手段を使って戦う」
ここに人間の実存、
そしてプロってカテゴリーが単独者的な世界観を持つプロ野球の世界で際立つ、
言い方かえれば「生き延びる(現役)ために手段を選ばない」
ルールの範囲であれば、どんな事でもやる(選手に演技力を求める監督はこの人ぐらいだろう)ってスタンスは、痛快でもある。

巨人の凋落、阪神の隆盛、メジャー人気、長さん倒れる(人間宣言)、ストを経て交流戦、野村の復活、古田君の選手兼任監督、落合と牛島、バレンタインロッテと王ソフトバンク
プロ野球界も、ちょっとだけ風通しが良くなってきた。
又見るかな、「プロ野球」
posted by kagewari at 12:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 精神分析時事放談

2005年09月24日

古田君にひとこと

かく言う俺は古田ファンである(歳も同じだしね)。
元々は野村監督ファンであった事がきっかけだけに、いろいろ苦言もあるワケだ、
元々古田君には「どっか一線超えないもどかしさ」がある。

首位打者なんかタイトル取ってバッティング好調の時にも、自分から4番を打たせてくれ的野望を感じない。(僕ら古い野球ファンとしてはライオンズの太田卓司じゃないが、4番は勝負強ければ良くて数字ばかりじゃないって思いがあった)あの当時のヤクルトファンとしては「古田4番待望論」だったのだけれど、なかなか実現しなかった(ほんの時たま4番になったぐらい)、
野村は「4番じゃ負担が大きい」が口癖だったが、本音の部分では本当のチームの顔としての関わりに「まだまだ」ってとこが残っていたからだろう。
野村は4番をチーム編成のキーに考える、阪神での4番新庄がその現れ、
新庄君を思い出して欲しい

彼は数字的にも最強のバッターではない、どちらかと言うとパフォーマンスで有名だ。
しかし新庄君はそんな風評と違い、実はとても責任感が強い。自分はチームの顔だとして疑わず、今彼は日本ハムの看板選手でファンサービスについても「かぶり物」なんかで有名、
日ハムで最強のバッターは疑う事も無く小笠原だけれど、新庄は阪神・メッツにおいてもクラッチヒッター(チャンスに強いバッター)だったし、チームの勝敗の要に置いておくにはやはり適任、


古田君は「遠慮や配慮」で、そこまで堂々と目立つような事はしない。
ところが、肝心かなめのヤクルトの選手やヤクルトファンにとって、「ヤクルトとは古田のチーム」これを疑うものはいない。
ヤクルト優勝の鍵は常に“古田”だった。
その存在感は新庄君を数段上回る

古田ファンとしてはね〜、どうしても(ストライキの時もそうだったけれど)「もっとバンバンやってもいんだよ古田君、君がリーダーだ」って不満がいつも残る、
野村の評価はって言うと
「捕手として目立ちたがっている」
これどういう意味かって、ピッチャーが目立つ(正攻法)というより、捕手が目立つ配球をしているって評価で(古田のフォークボール好きは有名)、こと配球について日本有数の2人の捕手の意見は常に違っていた。(メジャーについての考え方も違う)

ちょっと変でしょ、
野村の評価は「古田は配慮と遠慮の人ではない」のだ、
そうでなきゃあれだけの配球とバッターとしての勝負強さはあり得ない。
本来は彼は「星野の何倍も闘将」の筈、
そこいらへんがバレバレなので、古田ファンとしては「俺に4番打たせろ、広沢じゃ負けるだろ」ぐらいの勢いが本来の古田の姿だと思う。
実際古田は野村の後継者というより、彼の事だから野村をライバル視しているだろう、
なので、本人余計に「監督兼選手」ってのに抵抗ある筈。
又もや「野村後継者史観」から逃れられない、
なので古田君的には、「野村越え」が狙いだろうから、予想通りヤクルトサイドからの監督要請に「ハイ引き受けましょう」と簡単にはいかない。

彼の監督受諾の条件は「戦力の補強と、ファンサービス」だ、
これま又優等生的に「FAという選択肢もある」なんて事までコメントする。
そのゴタゴタ中はヤクルト連敗、若松監督までカリカリしている、

なんか思惑が逆効果になってるよ古田君

『野村再生工場』
これ古い野球ファンはみんな知っている事だけれど、クビになった選手を「発想の転換」によってレギュラーとして復活させる野村監督の有名な手法。
所属球団が貧乏だった事が背景なんだけれど(阪神には金があったので、正攻法の補強が星野に引き継がれた)、貧乏であることを批判はするが「補強が無ければ監督を辞める」ってものじゃない。
「無いなら無いで、自分の手腕で考える」のが野村、

もどかしいんだよね〜
古田君にも再生工場を期待しているのじゃないが、古田ファンはそれほど「野村後継者」も意識していないし、「ヤクルトのチームの諸君は誰より古田監督を望んでいる」だろう。

「光栄ですやりましょう」スパッと去年言っても良かった。

ライオンズの伊東見るとわかるけれど、監督になると選手時代に見えなかった「勝ちへのこだわり」がよく見える。(エラーで負けた試合後お客がまだ残っているのに守備練習したりね)
その人物の「勝ち方」が、
古田ファンとしてはこれが見たい
「マジになった古田」
“監督兼選手”期待してますよ古田君、これが一番のファンサービスでしょ。
posted by kagewari at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談

2005年09月13日

自民党大勝利、その心理的考察

「こりゃ大勝利だ」と、
かくいう俺は世界の平和のためにと「民主党に一票」
完全に死に票だった(笑
東京は管直人以外全滅したワケだ

小泉の勝利は「概ねみんな予測していた」とはいえ、これ勝ち過ぎなぐらい勝った。投票した有権者の心理として「彼が衆議院でもスレスレ参議院にいたっては負けた」という国会運営から「こりゃ少々わかりやすく勝ったとわかるぐらい勝たせてやらないと」と思った事は事実だろう。
言っていることがマトモで、特に政策的に結構イケル民主党は「小泉の今後を心配する有権者」にはむしろ心配材料に見えたのではないか。

そこで余計に「わかりやすいぐらいに勝たせてやらないと」となった。

今回の選挙を「事実上首相公選的な小泉の信任投票」にもっていった小泉は戦略上「既に勝っていて」、後はどれくらい勝つのかが問題だった。
有権者に「小泉を勝たせてやろう」って部分は投票前からムードとしてあったのであって、
民主党は全体像を完全に見誤った。

「俺の不信任だから、是非国民に聞いてみたい」解散に打って出たのは小泉で、今回の選挙は不信任案可決によるものではない。
彼が勝手に仕掛けた戦なわけだ。
この時点で民主党の存在は「ほとんど眼中にも無い」状態で、マスコミとしても「郵政民営化反対派(元自民党)対小泉」の図式で報道しているのであって「今回の選挙における民主党の位置付け」なんて何処にも無かった。

なんと言っても、民主党が小泉を国会で追い込んだのでは無いのだから民主党も「単に解散させられた側」に過ぎない。

小泉は自分のとこ(自民党)の集票マシーン「全国の特定郵便局長」を切って捨てているのに対し、民主党は「支持母体の労働組合なんでしょ」というイメージを最後まで払拭できなかった。
第一、基本的に郵政民営化の大枠に賛成なら法案は後に(政権を取ってから)修正すればいいのだから参議院で否決されそうになった時にオープンに党内論議して「勝手に賛成する」戦術を取っても良かった。
しかし「絶対賛成できない」
誰がどう転んでも「労働組合だわな」と思ってしまう。

『改革』
このイメージとして、小泉はわかりやすい。
何と言ってもこれまでの支持母特定郵便局を切るワケだ、当然その先は「地方に利益誘導する財源なんか無いよ」だから、自民党としてはどえらい改革になる。
今回の選挙で自民は「都市型政党」になった。

なんとなく都市型の受け皿として、浮動票を集めていた民主党は急激に株を下げた。
元々政策的に同じ保守系の二大政党のひとつである民主党にとって、「より都市型だから」を強烈にアピールできないといかんかったのだが最後まで目立った動きは無く、その違いを鮮明にする事はできなかった。

「いや〜けっこう民主党に入れる人がいるかも知れないぞ。マトモなだけに」な不安感(民主党は負ける前提で戦略を練るべきだった)が「小泉大勝利」に繋がり、憲法改正も可能なぐらいの大勝利の結果に、、
次の首相はタカ派で、A級戦犯岸の孫“安部ちゃん”だぜ
こりゃ外交が大変だわ、、

「あら〜驚いた」のは有権者も同じで、、
ちょっと面白い事になってきた。
『自民296』この国のダイナミズムを実感する数字だろう
心理的にこの国が完全にデフレから抜けた事は間違いない。
posted by kagewari at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談

2005年08月31日

中ロ軍事演習に思う。

これはあまりにも以外というか「まさか」というか、、
時代錯誤としか思えない軍事演習(イベント)が中ロであったわけだ。「乗るロシアもロシア(これはビジネスでしょ)なら、真面目にロシアとの軍事演習で軍の近代化を誇示する中国も中国」で、

「アメリカのイラク侵攻やりすぎ厭戦感」は、ナンセンスの代名詞として定着している。
「アメリカって、そういうところがアメリカだよね」
これは皮肉にも最近のアメリカのイメージで、確かに武力行使に躊躇しないって部分には違いない。
しかしだ、現実的にアメリカが考えているのは「小規模地域紛争」ってのは世界中にバレバレで、次に狙うとすればイランか北朝鮮以外にあり得ない。それにも国連のある程度の承認が名目だけでも必要になる。
何故って、今アメリカにはそれほど大規模の軍事侵攻を維持する国力が無い。
既にイラク戦への兵士の不満は大きく、派遣のローテを組むのが大変で(人員不足の結果)、州兵動員の結果になり、日本を含めた他国の協力は『現実問題マジ』だった。


台湾問題で、軍事的な緊張が高まるとすれば「中国発」以外あり得ない。これは小学生でもわかる
まさか台湾に中国を侵攻できるわけでも無い、そして台湾の軍隊はアメリカとの友好関係もあり「けっこう最新式」「人の数ばかりで内容はたいしたことない中国」という図式が中台間の安定になってたともいえる。
実際アメリカのグアム、アメリカの戦術的要所沖縄、こんな地域で軍事的不安定が起きると大変なので、安全保障としてアメリカも相当警戒するだろう(冗談だとわかっていても)。

中国の台湾侵攻話っていうと、昔は北朝鮮のTV局の報道並みの「冗談でしょうよ的ネタ」だった、中国は何度も「台湾が独立すれば軍事的オプションがある」とか、目の前で軍事演習もよくやってきたが、共産党特有の「形式」ってイメージで、興奮していたのは「アンチ外務省(外務省には中国留学の中国派がいる)」な人ぐらいで巷はやれやれとしか思っていなかった。


何が変わったのか?
そりゃ最近の中国の反日を見ればわかる
中国の国力が大幅に伸びて、この国力自体がアジアの不安定要因になっている。中国政府は、国内の不安定要因を抑えるために「各種イベント」が必要で、そこには「ナショナリズム」も含まれている。
そもそも一党独裁と文明国は馴染まない、
かつてどっかの評論家は、経済の民営化と政治の独裁は中国の国内問題で干渉すべきではないという論調だったが、とんでも無い間違いで、今ごろ「政治の民主化」だって話になってる。


何が危険って、共同幻想崩壊過程で最も大事なサブカルチャーはいいも悪いも無くジャーナリズムでしかあり得ないんだが中国にはこのジャーナリズムが無い。「政治的民主化は遅れても、報道言論の自由は必須」だろうこれ天安門事件の時にもっとやって良かった。
中国共産党的には「天安門事件が起きたのは大失態」って事になってしまっている(このムードは、意味合いは違うが戦前の2.26事件の在り様に似ている)。ここから世論の誘導が始まった、
しかし、近代国家でジャーナリズムが国家権力に誘導されると「大失敗して逆効果になる危険性」は誰にも明らかで、現在中国は「まったくそのまんま」な状態にある。


経済で考えてみよう。
「市場経済が結論」に至ったのは、一部の官僚に計画経済として国民の心理を予測するなんて事は不可能だからで、市場調査って言葉があるように、これを計る方法は「市場」しかない。
ある意味「資本主義と共産主義の結論が出たのではなく、結論は市場経済だった」のだ(報道も言語として「市場経済」を使う)。これ言論でもそうで、言論報道の自由が無ければ、国民の心理を計る方法は無く、民主主義はこれを政治に反映する手段だ。

よく「開発独裁」のモデルとして、民主化も市場経済も怪しい戦後日本の名前が挙がることがあるが、状況が全く違っている。当時の日本の需要はもっぱらアメリカによるもので、それもその需要の中心は朝鮮戦争なのだから「計画経済で経済成長先行」しても取り立てて違和感が無い。
つまり心理学的に言うと『需要』は『個人的欲求』なのであって、当然ここには「個人の独立と自由」がくっついている(なけりゃ需要など存在しない)。
ほとんど社会主義の日本には内需などほとんど存在していなかった、この国は貯蓄性向が高く(需要する『個人』が少ない)、その資金力が国際問題にさえなったほどで、今でも日本の需要は『国が債務の形で肩代わりする』という構造に大きな変化は無い。日本では個人が独立していく形ではなく、文明の進歩に耐え切れず共同幻想が瓦解する方向で「独立志向」が後追いしている(その後をジャーナリズムと政府が追っている)。

ところが中国には「思い切り勝ち組」が存在し、案の定「反日デモ」の中心には「勝ち組み富裕層」がいる。
あからさまな独立志向(個の権利を国家に投影する形のナショナリズム、構造としてはファシズムとは違う)で、

これは危ない。

おそらく今回の中ロ軍事演習は、中国の国内向けのデモンストレーション(ほとんど軍事ショー)なのだろうが、こういう事をしていると「勘違いして本気になる」事がある。
その加熱に水をかけるのがジャーナリズムなんだが、中国の自称ジャーナリズムは“これを煽っている”。まるで戦前の日本の新聞社のように。
日本が戦争に突っ込む動機となった「ハルノート」は、当時の日本のおかれた心理状況としては「国が滅ぶ」ぐらいに思う事だが、アメリカがフセインに突きつけた戦争前の条件提示もそれほどたいした違いは無く、今の日本なら「ハルノート賛成!」で、戦争等おっぱじめるような心理にはならなかっただろう。
アジアの植民地解放は遅れただろうが、日本の会戦の動機として「植民地解放」はスローガンに過ぎず本気ではなかった(日本が植民地にしちゃってるのだから)ので、国内世論は戦争回避を歓迎しただろう。

危なっかしい事は、諸外国の対応で決まるのではない。
イラクにおいては、「フセインを打倒するか、アメリカの軍門に下るのか」の選択だったわけで、物理的にはアメリカの軍事侵攻規模の被害を覚悟していれば彼ら自身でフセイン打倒に成功する可能性は高かっただろうし、確実にそのほうが死者もインフラの被害も少なく済んだだろう。いいも悪いもフセインを打倒できない国内世論によって、結果「戦争を防げなかった」。
これ言うと、悪いのはアメリカ的なひとに随分言われそうなんだけれど、心理学的には「そう」。
この「アメリカ悪者説」の人が大好きな、「アメリカの何が悪いっのかといえば」の代表的理由が皮肉にもそれを証明している。
『イラクの大量破壊兵器』だ
だって無かったんだもの、
いいですか、なかったら国連の査察なんか「どうぞどうぞ見てやってください」でしょ、これ何処が一体問題なの?それでイラク戦争は無しだった。

フセインは、それなりのカリスマで「大量破壊兵器を持ち、且つその力を持ってしてブッシュ親子を恫喝するタフな男」このイメージは国内向けに必要だったのであって、
つまり「ありもしない大量破壊兵器があると思っていて、戦争になったのはイラク国内の大問題だった」事になる。
いかにもフセインの弾圧や独裁者としての振舞いが、目立っていたが(これアメリカ憎しの人も)、それが原因だとすると「アメリカの戦争は民主開放のための大儀があった事になる」。

やっぱ今の中国は危ないと思うよ、心理学的に。
posted by kagewari at 15:36| Comment(0) | TrackBack(2) | 精神分析時事放談

2005年08月22日

堀江出馬に思う。

さて「小泉思ったほどじゃないな」の失望は完全に裏切られた形になり、彼が総裁選に出馬した頃のノリが復活した。
思うに小泉って男は相当用意周到な知的な男に違いない、
今回の郵政民営化解散は、彼が総裁選に出馬していた頃の言論から考えれば“らしい”ぐらいで何も驚く事じゃない。
彼はもっと若い頃に郵政大臣を勤めた事もあるが、この時民営化で大騒ぎはしていない。今回も参院の解散まで民社党の言うところの「これで民営化と言えるのか」ぐらいの(法案としてはどうかというぐらい)妥協を重ねる。自民党の総務会ではそれでも反対派の同意は得られず、見切り発車で衆院の採決となる。

ここで、彼の思惑は明白だ。

「今回の郵政民営化法案も大事だが、これを民営化できない政治体制の解決無くしてこの先は無い」
田中派→経世会→小渕→橋本派の破壊、しかし小泉は参院の青木あたりともよろしくやりながら参院の採決までこぎつける(ところが今回の採決の調整で、この青木の参院えの影響力まで削がれる結果となった)。
かなり確信犯だろう、
ひょっとすると「郵政解散・反対派は未公認」これは随分前から彼の頭の中にあったアイデアだろう、ほとんど待ってましたの感もある。

そこで堀江の登場となる。
堀江の切れ味の悪い最近のコメントはともかく(笑
ともかく堀江をかつぐ度胸があるだけたいしたものだ(これまでそういう芸当ができるのは小沢ぐらいだったから)、竹中に関しても今や小泉内閣に欠かせない人物で、猪瀬の起用などこれまでの自民党にはできない人材登用を行ってきた。狙いは結果というより派閥順送り人事の破壊の側面が強い、実際小泉の狙いどおり(橋本に検察けしかけたのも彼なのじゃないか)自民党の派閥は壊滅したと言える。

そこに堀江だ、
自民党内には、堀江の影響力(そりゃ当然彼と「いろんな意味で」仲良くしたい若手は相当いるだろう)を恐れて相当の人物が自民党公認に反対したらしく、堀江は無所属となった(結果この方が良かっただろう)。
アメリカの上院議員辺りには実業家や弁護士など、別に“本業”持っているのが多い、堀江の登場は本格的な金持ちの私財投入型議員を意味していて(誰の援助も受けていないので発言や政治判断に成約が無い)、もしこの人物が「継承型派閥」のアンチテーゼとして「ベンチャー型派閥」など結成されたら、自民党の派閥の残滓も木っ端微塵にやられてしまう(順送り人事を信じて「ポスト待ち」している有力者には大問題になる)。

この堀江かつぎに小泉らしさが最も現れている

堀江の動機はわかりやすい
プロ野球参入で、経済人としてもたいした事の無いオーナー連中に面接されて「君はダメだ」なんて扱いを受けて、フジTVの日枝辺りに「失礼な奴だ」扱いだ、
そりゃ「こいつらコノヤロー」と思うわな
ここで民主党(実はライブドアには擁護的だった、おそらく打診は民主党からもあった筈で、彼はそれを断っていることになる)から出馬したのでは面白くない。
実際ライブドア証券を中心に、彼は金融系の複合企業としてライブドアの将来像を考えている、「郵政民営化」は彼の本音だろう。今の日本にとっていかにマネーフローを民間に流すのかが経済政策的な課題であり、金融系の会社を経営している彼にとって「郵政民営化」はビジネスチャンスを意味している。

さて、面白くなってきた。
田中康夫のメッキも剥がれてきて、今回はこれまで出揃ったタレントの中で使えるのはほんとは誰と誰なのかがハッキリする選挙になりそうな気がする。

確かに寝たフリしていた小泉は食えない奴だ。
posted by kagewari at 06:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談

2005年08月06日

精神分析的視点(5)「出生率低下問題」を考える。

「出生率低下」と言えば、政府や世論の論調は「女性の権利拡大策や、労使関係の問題」になる、
「住宅問題」と考える人もいるだろうし「これは教育(費)問題だ」と言う人もいるだろう。
これがそもそもおかしい。
子供を産むのか産まないのかは、個人の自由であって、上記のアイデアってのの前提は「産みたい気持ちを断腸の思いで断念している人が沢山いる」って事になる。

しかし、最近の出生率の問題は
「そうじゃないでしょうよ」
「子供ね〜、どうしようか」ぐらいでしょう。
だとすると「産みたい気持ちを断腸の思いで断念している人が沢山いる」事を前提とした「産めなくて困っている問題」は存在せず、「産みたいのに産めなくて困っている問題の解決策をなんやかんやと考えたところで、政策の趣旨が→女性の権利拡大、労使関係、住宅、教育そのまんまになるだけだ」。

話は戻るが子供を産むのか産まないのかは、個人の自由であって出生率の低下などどうだっていいのだが(高齢者問題と出生率を結びつけるのは単なる民族主義で、一見「アリ」の論議にも見えるが実は暴論と考えていい。国内経済の労働力は別個の問題で、移民政策などで若い労働者の移転を助ければいい。そもそも人口爆発が問題になっている国もあるのであって「国際政治」だの「日本の国際化」などと言う事を本気で言っているなら、そっちの政策をさっさと考えるべきだろう、日本のアイデンテイィティーを守りつつ国際標準たるって方向性は「もう踏み出しちゃっている」んだし、デフレで現在の労働力さえ完全雇用に出来ない政策をやっている時に、将来の労働力がどうこうじゃないでしょう
現実労働生産性が飛躍的に向上する可能性だってあり得るのであって、当面する経済の問題は「半世紀前と変らず完全雇用」には違いが無い。

しかし、本能の壊れた人間(その代替として自我を持つ)にとっても、
「種が滅びる結果になる行動選択が行われている現状は自然か?」これは考えてもいいだろう。

例えは極端だけれど
「ダイエットブームで国民の半数が栄養失調だ」
これはどっから考えても自然ではない、
本能が壊れたとエキセントリックな表現を使うと、何かいかにも「反動的退廃」なイメージになりがちだが、そもそも本能は自然との関連の合理性から育まれるもので、「自我は合理的でない」なんて事になってはむしろ不自然で、均一性の点では本能に及ばなくても思考の点で合理的な可能性を求めるのは「本能も自我も同じであり」その差は、運用面だと言ってもいい。

つまり
共同幻想と各個の自我は補完関係にあり、以前は「家族であったり出産」についての合意性は「共同幻想マター」であった、その共同幻想の権威性が「良くも悪くも後退している」のだから、これは「個人の手に委ねられた」事になる。
しかし、「家族出産」なんてものは「共同幻想マターだ」な発想がスパッと一朝一夕に自我に移行する筈が無い。
出生率の低下の背景にあるのが「晩婚化」であるのは明らかで、
「なかなか判断するのに簡単ではないので時間がかかっている」でしょ、
何か殊更社会の危機であるかのように騒ぐ事では無い、
それこそ政策サイドにできる事は「いろいろ考えて不安も多いだろうから、側面から不安の一部をサポートする」事を考えるべきだろ。

「サポートする」なんだから、希望に添う公共サービスを提供する事を考えりゃいいのであって、まさか社会の女性の大半が「キャリア志向」なワケが無く(俺は男だがキャリア志向など無い)十分に育児手当があれば、働かなくていいのだから「保育所問題がどうとか」「育児休暇後の会社復帰の話とか(そもそもそんな体力は一部の大企業にしか無い事は誰もが知っている)」人権だの平等だの、話が反れる政策論争など起きないし、夫が『退職して育児休暇を取る自由』なんて発想も出てくるだろう。高額の育児手当は「育児に対しての社会的評価」なのだから。
当然金になるので、保育所であったり関連サービス産業も伸びるので、益々環境は良くなる。

一時高齢者医療費が問題になった事があるが、これは生産(納税)としての将来像が無い話だからで(簡単な話、高齢者がそれだけ医療機関を使って健康になるのなら、彼らの雇用を考えればいいのであって、一律に医療費の削減を考えるのは順番が違っている)、子供の養育費は、将来の生産者への援助であって「長期的レーガノミクス」だぐらいに考えても少しも惜しくない。意味不明の公共事業や、貯蓄性向が高いってのに減税するよりよっぽど「ほとんど消費に回る養育費」は経済政策としての効率も高い。

だいたいが、「シングルマザー」が言葉として流行したことがあるが、
『政府はシングルマザーを支持します!』何故言えない。
片方で「片親だからと差別はいけない」とか「私生児だからと結婚差別があるのは前近代的だ」って言っておきながら、何かシングルマザーが社会問題でもあるかのような雰囲気ってのは論理矛盾だろうに、
なんで「積極的に応援しましょう」とぶち上げられないのか

政府サイドには「共同幻想の番人的保守性」が存在しているのであって、出生率が問題になると「家族を再生」とか「結婚奨励」とか、話のピントがずれていく
そもそも、何時何歳で結婚しようが個人の自由だろうし、それを基本的人権っツーんだろう



「なんとなく子供は3人ぐらい産むものだ」という常識(共同幻想)が昔にはあったのであって、実際俺の世代の子供時代には「一人っ子なの?」と、子供一人はユニークな側だった。
実際能動的に自意識選択として「あ〜○人子供が欲しい」と思うことってあるだろうか?
『自分にとっての理想の家族構成』って発想があったとしても「私はカレーが食べたい的」欲求として「無性に3人子供が産みたい」なんて思う事はあるだろうか?

こういう事をいうと誤解されるのを承知で言うのだが、
ペットを飼っている人の大半は「多頭飼い」を考える、
「沢山いたらもっと楽しい」
不謹慎な話と受け取ってもらってかまわないが、単純に「自分の子供が可愛い」と感じる確立は高いだろうし自然な事だろう、実際の夫婦でも「(なので)もうひとり産もうか」というケースも少なくない筈だ。
いいとか悪いとかではなく、「出産を巡る不安が無ければ、自然に出生率は上昇する」と考える事は非論理的なんだろうか?

現代家族の形態は多様だし、家族である必要があるのかないのかも論議があるだろう、
離婚率が50パー超えてるのも現実だ、
家族なんてカテゴリーでは無く、「この国の女性が不安無く出産育児ができるシステムを整える」それ以外に何の政策が必要なのか?育児に不安があるのなら(昔だって乳母はいた)「出張乳母サービス&カウンセリング」があっていいのであり、幼児虐待がある現代だからこそ「独身の里親」がいてもいい(適任者の認定などの社会体制を整える力こそ先進国の知性ってもんでしょうよ)、

どうも未だに「共同幻想は壊れても仕方がないのであり、今後はいかに個人(自我)というものに社会を委ねていかなければならない」という認識が欠けているのじゃないのか、
それが、まんま『民主主義』だろうに
posted by kagewari at 05:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談

2005年07月06日

精神分析的視点(4)-1「ニート論」を考える。

前回の「政府が考える間抜けなニート論」の補足を書いておこう。仕事をするってことの意味についてになるが、前回の話は「意味不明の呼称ニートの諸君のポテンシャルは高い」って話だった。極端な例で話を簡単にしてみよう

芸術家の大半は「自称」であって、商業演劇批判があるように、芸術の世界では「飯を食うのに特化する」事は、むしろ芸術の本旨から逸脱する行為だと見られる。故に「エンターテイメント」という言葉すらある
いかにも社会に認知されるような事をする奴は「腰抜けだ」と言ってもいい。

歴史的哲学者や、思想家は当然“貴族”なる特権階級で、ご存知の通りクラッシック音楽の作曲家は貴族のパトロンがいないことには飯が食えない(なにせ元々が宮廷音楽家として飯を食っていたりする)、

クラッシック音楽にしても、庶民がそれを楽しむ風土のある土地(ウィーンやロシア等)なら食うチャンスも多くなるが、日本じゃなんとかしてN響にでも入りゃないかん「そう簡単には食えないので」職業としては“食うのが難しい”。
つまり重大なテーマは「どうやって(それらしい仕事をして)食うか?」難しい事は特別に無い。
どうやって食うのかだけだといってもいい。
だからフリーターってのはしのぐのに悪い商売じゃなかった、デフレの時代の雇用者側ニーズにもあっていた。

ある意味今問われているのは、そんなフリーランスの仕事の労務環境で国民年金だけでは心もとないし、実際低賃金に抑えられる事も多い、そもそも独立事業主をフリーター等という意味不明の呼び方(30数歳になると「スローワーカー」になるらしい)自体も困ったものだ、、
生きている事を肯定するって事が「どうやってしのぐ(ヤクザのしのぎ的意味)のか」であり、この際何だっていいのであって、妙に堅気の仕事を斡旋したところで、動機の面からミスマッチなんであってほとんど意味が無い。
タグ:メンタル
posted by kagewari at 18:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 精神分析時事放談

2005年07月03日

精神分析的視点(4)「政府が考える間抜けなニート論」を考える。

出生率についてもそうなんだが(これは次回のテーマにしようと思う)、政府の見方ってのにはほとほと呆れる事がある。
最近目に付くのは「ニート」とか呼んでいる、非就職者につていの話だ、
この話は「フリーター問題」の時と同じで、見当外れも甚だしく、その考え方は救いようがない間抜けだと言ってもいい

そもそもフリーターの時にも、就労意識に欠けるアルバイト志望とかいうワケのわからない話になり、既に政策としている破綻している社会保険にまで話は及んだ(社会保険につていは完全に制度上の問題で、これにフリーターの話を結びつけるナンセンスは頭が悪いとしか言いようが無い)。

実際「社会の構造的疲弊」は、文明の進歩とパラレルの関係にあり、自分の存在を社会適応の形で提供する力を社会が失えば、格個々人で、それを探さなければならない。
話の前提が「社会適応の形で提供する力を社会が失っている」のだから、フリーターやニートと分類された諸君に働きかけてどうにかしようと「社会の側が考える」事は、構造的にナンセンスなワケだ。

政府が考えるのは、社会保険制度の失策を早急に改善して「フリーターやニートと分類(この分類や呼称自体にも全く意味は無い)された諸君の“社会的不利益”に対し何らかの担保をする事」であって、「君たちノーマルな会社に社員として勤務してくれないか」等と言う話はナンセンスだ、
そもそも国税からの負担がこれから増えつづける国民年金等に至っては、源泉徴収で税負担をしているのに、この期間未加入でも全く救済措置が無い、とっとと国税負担100%として消費税を福祉目的税化することは「ほとんどの政治家が、それしかないとわかっている」のにだ、

社会の構造は、ベンチャー産業等の増加で徐々に変わってきているが、まだまだ自立的な個人が風通しよく働ける環境(=力を最大に発揮できる効率性)を真面目に考えている会社は少ない、
なので、仕方なく個々人が「独立事業主」になったのがフリーターであり、ニートとは事業を起こすきっかけを失っている人達で、潜在的なパフォーマンスは高い。

これどういう意味かと言うと、人間は平等なので『基本的に能力差は無い』のであり、個々人のパフォーマンスの差は「リミッターの差」だけで、天才と呼ばれる人物は(肉体の能力差は別だが)偶然自分の人格に適応性の高い社会や職業に「縁があった」のであって、結果の差は「ほとんどモチベーションの差」と言っていい。
◆当然、社会適応は自己に成約や制限を持たせるもので(自分自身にとっても利益になる「マナー」や「慣習」とは違い)、リミッターには違いが無いので、この社会に適応性が無い人物達は構造的に潜在的パフォーマンスは高い事になる。

動機が無い事には行動があるワケがなく、
「そういうものだから」という動機と
「こうしてみたい」という動機は

 大きく違う

今社会は、個々人の独立性に後追い(大いに遅れながら)しているのが現状で(正社員採用に関しての社会保険の負担額の大きさも問題で、個々人の独立性が大きいという事は、それだけ個体差が大きいってことで、採用する会社にとってもリスクは高くなるのであり、ここのハードルを下げる事も大事で、そういう意味では社会保険制度の改革がいかに重要かっては事実)、人材としては「ニートの存在は、この国がそれだけ最先端を走っている事の証明」なのだから、「早いとこ追いつけや」ってとここそ問題であり、「ニートは問題だから解決策を考えよう」なんてアイデアは完全に的外れなナンセンスだろう続きを読む
タグ:メンタル
posted by kagewari at 02:34| Comment(0) | TrackBack(2) | 精神分析時事放談

2005年06月16日

爆発事件を精神分析する

事件の背景は「無口を原因とするイジメ」となっている。
そこでそもそもイジメなるものを精神分析すると

イジメってぐらいだから、背景には母集団となる群れが無くちゃならないのであって、クラスや会社組織等の複数の人間の社会が存在しない事にはこれは発生しない(差別も同じ構造)。
で、イジメの動機だが、母集団の側から言えば「これまでが“そうであったような”予想の範囲内の構成員への排他性」であって、人体における免疫系の動きにも似ている。
つまり「異分子」の排除が目的になる、
しかし同じクラスだの会社だので、主体的に「いちぬけた」と言えない状況だと(なので、ドロップアウトしフリースクールって手段は最も有効)構造的にそれから逃れられない。

この「異分子」として排除される雰囲気って何か?
当然「異分子」でも尊敬を集め歓迎されるケースもある
「オリンピックに行った」「登山家だ」「芸能人だ」「プロの棋士だ」「プログラムの開発をしている」「イラストレイターだ」等々
これを「社会的に成功している人」と、捕らえるのは大間違いで、「異分子が社会的に認知されると、その人は普通じゃないのだから(異分子なので)、これを肯定するために社会の側は、自分達がそうではない立場から考えると、成功者と認定して、自分達がそうではない事から身を守るために、この人物を別格(この人は違う)と棚上げするしかなく、結果構造的にこの人物を尊敬せざるおえなくなる」って事。
この背景に「素の状態で尊敬しているのではない」という本音があるので、ホリエモンやノムラ、小沢のような引き倒し的転換は常にあり、有名人のゴシップが人気があるのは不思議な事では無い。
有名人が引き倒されるのはイジメとは呼ばれない、何故なら彼らが比較強者だからだ。
しかし、構造はイジメと全く同じ。

実はこれ簡単な話で、集団や社会を形成する事を肯定的に取るなら、必然的に個人主義的異質性は(母集団への批判性として影響力を持つので)その脅威である。


爆発物を投げた彼は、無口だった。
無口であることをからかい笑いものにしたいという動機は、何処にあるのか?それは集団を形成することは個々人全員にとってストレスであり、なんらかの「持ち出し」や「それなりの無理」をして、場を盛り上げたり、面白くない話に笑ったりなんて事が裏にあるんであって、それができるのは「そうするもんじゃない?」(これ秩序ではない)というなんとなくの合意(共同幻想)があるからで、集団の個々人はこの「そうするもんじゃない?」という雰囲気の脅迫(強迫)下にある。
そこから覗くと「個人的事情で、それを無視する言動」は、特権階級的振る舞いになる。
つまり、イジメられている側とは『比較強者』である、
で「なんで?」から始まり
それに誠意ある答え(=自己紹介「なんでかって言うと」の明快な答え)が無いと、この問いかけを愚弄されたと感じるので、それがからかいにエスカレートしても、母集団はむしろこのからかいに共感する。

大問題なのは「イジメ」の対象者が「なんでかって言うと」がわからず悩んでいる事で、かと言って彼の人生や、彼の家庭環境を知る由も無い母集団ににとって、それは理解しがたい謎でしかない。継続する謎は母集団のストレスを増大させ、母集団の中でもストレス限界の低い(この人物もかなり「無理をしている」から、そうなるのであってこの人物にも悩みがある証明)から、過激なイジメに発展する。
母集団としては、無意識にこの攻撃に共感しているので「いき過ぎだな?」を止めることは出来ない。
(今回の事件では「僕のせいだ」と、当時の彼への「からかい」を臨床心理士に泣きながら話をしている生徒がいるのは事実)

何故なら薄々母集団の合意はイジメへの共感である事を感づいているからで、当然「これはいき過ぎだ」との行動は、意識的にも「全員を敵に回す恐怖」として感じられる。

@母集団の過半数が「いき過ぎだ」と思っていてもだ、

そして重要な事は、彼が爆発物によって内在するマグマのような(無口が原因で表現できない“自分”って奴を)爆発させた事で、自己紹介が出来ない事は「彼にとっての悩み」に違いなかったワケだ。

集団なるものを無理に形成しない事は、既に規定路線で、社会の構成員を要請するための学校なる存在は、会社組織でも今日日集団の社会性等というものより個々人独自の判断を要請されているというのに乖離していて、
学校なる組織はどちらかといえば、左翼が多く大企業等に反旗を翻す立場だろうに一向にこの集団を組織する事を批判しない。(日の丸君が代なんぞが争点じゃないだろうに時代錯誤も甚だしい)左翼も社会主義とかって社会性偏重の思想があるせいかも知れない。

今日、「それはともかく俺はこうしよう」という自立性は、それこそ「イジメる側にもイジメられる側にも」重要なテーマで、社会秩序の退廃は、底の浅い共同幻想とこれへの根本的は母集団のストレス認知が原因(息抜きと称してバカ騒ぎをしたくなる)で、俺はこう思うという自分が明快なら、自分にとっても損になる社会秩序の退廃など起きない。

学校なるものは、もっとゆるやかな組織であるべきで(相対として個人の自由度は高まる)、彼にも自分を考える時間的余裕があるべきだろう(軍隊じゃないんだからさ)。彼が思春期を迎えて前以上に無口になりふさぎこむようになった事は「彼にとっても無口であること」へのストレスの増大を意味する。
何か特別に配慮して「はいかいいえで答えられるように配慮した」等というトンチンカンな対処(それじゃ「無口でいなさい」と言っているのと同じであるばかりでなく、公的にも「彼は無口な異端者なんだから」と認めたに等しい)をしているようじゃどうにもならない。


今回の事件で、死人が出なかった事は不幸中の幸いで、
この“幸い”を教育関係者は重く見るべきだろう。
彼が怖くなり、二発目のグレネードを投げなかった事は不幸な話の中で、幸いだったのだと思う。
彼には殺意など無かったのだ。
そして彼が比較強者であった証明でもあった。
posted by kagewari at 03:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談
タグクラウド
QR
住まいの心理学(retour&kagewari)
公開掲示板過去ログ検索ボード
Comments
ここのとこ論議になる事が多い「報道」について考える。
 ⇒ 匿名希望 (02/22)
 ⇒ 匿名希望 (02/15)
 ⇒ 匿名希望 (02/01)
 ⇒ kagewari (01/25)
 ⇒ (2/17削除依頼により編集) (01/25)
HPとかブログ含めて全体のモデファイ始めてます
 ⇒ kagewari (01/03)
 ⇒ 匿名希望 (01/03)
 ⇒ kagewari (01/03)
 ⇒ 匿名希望 (01/02)
カウンセリングと病院の関係
 ⇒ 早恵 (11/12)
 ⇒ kagewari (10/26)
 ⇒ 早恵 (10/25)
暑い夜です
 ⇒ 早恵 (11/09)
テロとの戦い
 ⇒ kagewari (10/25)
 ⇒ 匿名希望 (10/24)
 ⇒ kagewari (10/24)
 ⇒ 匿名希望 (10/23)
バラバラ事件がマスメディアの”ネタ”になっている
 ⇒ kage (01/20)
 ⇒ 佐藤千佳 (01/20)
堀江裁判の続きなんだけれども
 ⇒ kage (11/03)
 ⇒ ゆでた孫 (11/03)
精神分析的視点(5)「出生率低下問題」を考える。
 ⇒ kagewari (09/10)
 ⇒ 得津富男 (09/09)
オルタナティブの前にさらっと前説やっておこうと思う。
 ⇒ kage (12/24)
 ⇒ Momoko (12/24)
ここのとこマシン壊れすぎ
 ⇒ 御案内 (12/14)
search
検索語句

RDF Site Summary
RSS 2.0



wwwSerch Site
TrackBacks
実存主義と精神分析
 ⇒ 思想がたくさんあります (02/17)
メディアリテラシー:Googleがヤバイ事に。。
 ⇒ 大家さんのつぶやき (10/25)
家族社会における心理構造の連鎖
 ⇒ 夜泣きには親にも原因があった−夜泣き (09/07)
 ⇒ 幼児・子育てに成功する方法 (08/27)
モバイルPCをfivaからIBMに乗り換えた
 ⇒ PC組立・パーツ (08/06)
 ⇒ PCパーツのオンライン販売で得する (07/12)
オシムはノムさんか?そして中田引退
 ⇒ 無料データバンク (07/13)
表情ってものを考えてみたい
 ⇒ スポーツ選手名鑑 (06/21)
筑紫の番組かな?アメリカの報道にも動きがあるらしい
 ⇒ 自動車 (06/20)
 ⇒ 出版ドットコム (06/05)
終盤に弱いワールドカップの話はともかく
 ⇒ サッカーワールドカップ2006-FIFAワールドカップ・ドイツ大会特集- (06/19)
 ⇒ サッカーは好きですか? (06/18)
LINK
□心身コンサルテーションHOW's
□ざわ と〜く
□なまずの独り言
□熱狂的マスコミファン
□TBN
□ば○こう○ちの納得いかない
□魚住取材ノートMouRa
■retour&Retour
□etc;;Blog

kagewari01