2016年11月10日

トランプ大統領の可能性は5割超えと書いてきたワケだが

7日の記事でトランプ大統領の可能性は5割超えと書いてきたワケだが
(判断する上で参考になったのはニコ動系かな?右派論壇のアングラニュース評論番組でした。)
■『トランプ大統領』となりました、

彼には能力的にも、政策的にもほとんど期待できるところは無いので、
トランプ大統領の今後はどうでもいいことですが(笑
●この選挙の意義、或はトランプ大統領最大の偉業は「”彼が”勝ったことです」。
個人的にはサンダース氏が大統領になってくれればどんなによかったかと思いますが、この際ですトランプ大統領でもいいじゃないですか、押しの強さなら彼のが数段上ですからね。

アンチ・エスタブリッシュメント
「エスタブリッシュメント」なる言葉に馴染薄い人いるでしょうけど、昭和の政治論においてほとんどその意味合いは黒幕的陰謀論的なものでした。横文字の増えた現代社会では文字通りの意味になってきてますが、キャッチコピー的に横文字に殊更含みを持たせた昭和の意味合いのが今回の選挙における実態に即したものだったかなと思います。
(※ちなみに上記の反対で、欧米では陰謀論的意味合いもある「グローバリズム」なる言葉は、グローバルがそのままの意味で日常的に使用されていたため日本では単なる国際的?みたいな解釈になっている。)

既存メディア・既存政党・既存支配階級それら全てを包含する概念はド・デカいダメ出しを食ったのですが(勿論予告編は英国のEU離脱)、
ヒラリー優位なんて報道してきたメディアは誰か責任取るんでしょうか(笑
明らかにトランプ勝利の背景に「メディアのヒラリーごり押し」があった事は間違い無い。
それから(引用元の米国の図がそうなのかもだが)メディアの「ヒラリーとトランプどちらが勝っているのか色分け表」のスケールが全然数字と違うとか(現在230VS300だとするともっと勝ち負け表のトランプ赤い色はもっと長い筈だろうに)。姑息すぎる、、

加えて今回得票数ではヒラリーが上になりそうなのだが、
これはトランプが「カリフォルニアとNYを最初っから捨てていたから」ではないのかね。
英国のEU離脱国民投票の時にも「アンチロンドン」みたいな国論があったと言われているけど、「アンチ・エスタブリッシュメント」の延長には「都会の高所得なインテリ左翼でポリティカルコレクトな人」も含まれており(”高所得のインテリ左翼”ってのも随分”プロレタリアート”から乖離していると思うのだが、、、)、先日の東京都知事選的なものも含まれている話だと思う。
もっとわかりやすく言えば、情報取得をクオリティーペーパーと呼ばれる新聞に依存する階層への反発(新聞とかそのまんま読んでる人的な)。

つまり「アンチ・エスタブリッシュメント」は「高所得な都会のインテリ批判」に波及し、
「マスメディア批判」は「そんなメディアの言う事をそのまんま見聞きしている人への批判」に波及している。
『共同幻想』治世主義みたいなものに対する社会的な不快表明ですな。

ちなみにですが、トランプ氏、
政策的には左翼的な人として知られています(演説でいきなり角栄的な所得倍増論をぶち上げていたとおり)。オバマケアには批判的ですが、トランプケアのような?皆保険制度そのものは肯定しているなど(そこが宇都宮サンダース氏支持票と被っていたのだが)、「共和党基本政策と相反する部分多数」なのです。
安倍政権が政治思想的には右派なのに政策は左翼的なのとよく似ています。
17日にも会談が行われると報道されていますが、想像以上に意気投合する可能性もアリです。


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2016年11月07日

トランプ大統領の可能性はひとつの事例と思われ

トランプよか民主党代表選においてサンダースが健闘した事の方が「中身」としてはエポックな事件だったと思う。トランプの登場しかり、各政党が泡沫候補を党候補として「なんちゃって」でも抱き込んでポーズだけでも「民主的なんですよ」をアピールしないと党存続の正統性を保てなくなっているからだ。
(※ちなみに現在トランプ大統領の可能性は5割超えていると思う。)

日本の政治におきた話も念押ししておくけれど、
民主党による政権交代ショックが無ければ安倍総裁の可能性は”無かった”のであり(だからこそおおさか維新が安倍氏の離党を促し党首に担ごうとしていたぐらいなのだから)、規制政党の党内意識に高い緊張感を与えたからこそ結果として各党と民意との格差は縮まったのである。

すっかり世の中ではグローバル経済の失敗による経済格差の話が目立ってしまったけれど、
広がった格差は間接的に民意と規制政党間の格差に繋がる(政治活動と経済は切っても切れない関係ですから)、この政治意識の格差を埋める方法論を先進国は持っておらず(日本は偶然55体制による自民党永久政権という謎の政治体制が存在したため単純な政権交代だけでショックは大きかった)、唐突に極端な主張の民意との距離の近い新興政党の台頭や(欧州)、極端な主張の民意との距離の近い大統領候補の台頭という形で(米国)その姿が現れている。

●「選挙に金がかかる、経済との関係が強すぎるのが問題では?」な意見もあると思うのだけれど、小池都政の状況を見ればわかるとおり、先進国の政治というものは既に様々な可能性を歴史的にも検証された中、経験則による賢人主義のように構成されており、「誰の目にもわかるおかしなところ」は通常存在しない。
(※東京都政がエポックだったのは「盛り土が無いというナンセンスが唐突に登場したため=誰の目にもわかるおかしなところ」←ニュースとしての価値が何百倍にもなっわワケ。通常はこれほどの馬鹿は起きない。)

目立つところといえば各国財務相の「緊縮財政強迫心理」ぐらいのもので、
各国意識に差異はあるけれども(米国は元々国民皆保険意識があまり票に繋がらないなど)、政治として実現可能な民意はおおよそプルーフされており、ぱっと出た政治家がわかりやすくアピールでるような政策は存在しない。
■故に、大阪都構想のように自分でブチ上げるか、
欧州の右派政党や、サンダースの社会主義であり、トランプ氏のメキシコとの壁であり、
ちょっと時代遅れかも、馬鹿らしいかも、とわかっていても「民意との政治意識格差を縮めていますよ」を”空想”であっても主張していかないと大きな支持が得られない(=既成メディアによる”評論”が延々続くだけ)。大きな動きにならんのです、
●この様子は、インテリメディアに言わせると「ポピュリズム」として批判されているのだけれど、
そんな単純な話では無いワケですよ。
たとえば、
食料品スーパーが文化としてその内容がほぼ社会的にプルーフされ、誰が考えても大きな差異無く・大きな欠陥も無く、結果として没個性化する場合(コモディティ化みたいな)、「タイムセール」みたいな(メディアに言わせればポピュリズム水準の)目玉を売り込むぐらいしか差異を表現できない。
かといって、既成スーパーの枠を超える新業態を目指す場合「もうその段階で情報格差により受益者格差を発生させる」のであり(今度はわかり難い)、結果としてその需要が本当にあるのか?(その民意は存在するのか?)現実世界でプルーフできない(最初から最後まで母数や商圏が限られる)。

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posted by kagewari at 16:12 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月02日

栗山監督は名将か

プロ野球ネタで、且つアホみたいに長文です(昔プロ野球ファンだったものでスイマセン)、
興味無い人はスルーでお願いします。

野村監督ファンだった立ち位置だと、野村門下生と果たして言えるのか微妙な栗山監督ですが、少なくとも監督としては”古田を超えている”。異論ある人は誰もいないでしょう。
「どこにその強さがあるのか」(今回の日本シリーズは久しぶりに面白そうだったので)シリーズ通して観察していたのですが、

この人ナチュボーンなのかわかりませんが、すっごく心理的に巧妙な手を使っていると思いました。
「あーなんかパ・リーグの各監督の間でもきっとこの怖さはなんとわなしに感じられているのではなかろうかと、」
一見すると”悪い意味”で金ちゃんファミリーのようなそのナントカっぽい栗山監督ですが、
策士としてのどん底までの腹黒さみたいなところって「あるね」と確信しました。
いやいやどうして、そこは野村監督バリの黒さだなと感心したワケです。

野村監督と言えば(実際のところは確認しようがありませんけども)、
■イチロー全盛時代のオリックスとの日本シリーズにおいて、メディアを使い「インサイド攻めしかない」とワザとらしく公言し(イチローもそれが餌巻きだぐらい百も承知だったと思いますが)、実際は徹底的な「アウトハイ直球によるボール球」で攻略したことありますが(メジャーの今でもイチローは150キロ近くの球威があればアウトハイに弱い)、
野村のようにキャッチャーを作る事はできない栗山監督は、配給をどうこうしようと難しい内容をキャッチャーに期待していないようで、もうそこは諦めて「パ・リーグならではの用兵」において突出した強さを見せます。

シリーズ中においても大谷君の二刀流を実に巧みにコントロールし、ひょっとしたらそこで会得したのかも知れませんが、とにかく選手交代含めて用兵が上手いし、交代時の思い切りも凄い。
「空気の読めない瞬間湯沸かし器兼瞬間冷却器でもある岡君」シーズンを観ていない私には彼を何故使うのかわかりませんでした(素人目には彼は香車(きょうす)でいいのかな?早い球に強いが変化球にはからっきしタイプに見えた)、早い球に強そうに見えましたが明らかに構えた時バットが長くみえる(ヘッドが遅れる)、おおよそ調子よさそうにも見えなかった。
ひょっとして陽は(FAのことでは無くて)故障隠しているかな?と思われだったので、調子動向ではなく岡選手しか使えなかったのかも知れませんが、とにかく謎でした。

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posted by kagewari at 22:01 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月19日

リアル『単独者』の台頭

(※10/20あまりに校正ガタガタにつき再編集)

今となっては笑ってしまう話ですが、私の世代が思春期の頃「新人類」なんて呼ばれ方で(現代のゆとり的に)その異質性を旧世代から云々されたものですが(語源的にはガンダム世代ってことで「ニュータイプ」とやらも関係していたのかも知れません)、もう旧世代もいいところです(笑

ゆとり世代の進化に関して、半ば俺は過去記事でも予測として書いてきたところなのだけれど、ついに『ナチュボーンの単独者』が台頭してきたかと思うワケです。
全く角度の違う話から展開してみようと思うのですが、
ロシアのスポーツ界には「性的関連事項をパフォーマンスのために制限する場合もある」なんて話があるそうで(あまり根拠のある話だと思いませんが着想はわからないでもない)、その意図は仏教における「煩悩払い目的の粗食」逆張りですわね、
成功していたのかは置いておくとして、心理学における「広義の性欲論・狭義の性欲論」でお馴染みのように、総括的な生物の繁殖欲求全体を見た場合「牡同士の闘争やボス争い」もそこに含まれるワケで、人類ヒト科における出世競争含む社会的競争は「広義の性欲(生物としての包括的生存欲求)」に含まれます(性行為を連想される”性欲”と表現するのは不適当なのかもしれない)。

「60年代安保の団塊から新人類程度の世代における『単独者』」ってな〜奴は、なんだかんだあからさまに性的欲求も各所にちりばめつつの世界観でした。
たえば、ウッドストック的平和運動にフリーSEX的乱交が暗示されていたり、どんな著名ロッカーでも思春期にバンドを始める動機は「カッコいいから」「もてたいから」だったり、それ以前の欧州における実存主義哲学始まりの頃って言えばやれ『第ニの性』だとか、哲学者自身梅毒で死んじゃうのが「わかるわかる」って話だったり、性的側面もそのまんま包含する世界でありました。
(※勿論その対抗面における保守系『共同幻想』社会の力の源泉は結婚制度と配偶者の斡旋権力やみだらな行為を権威性道徳で許認可制にするなど、こちらもあからさまだったのですが。←故にこれに反抗する60年代の運動はなにがしかフリーSEX的「ラブ&ピース」な着想に傾倒した。)

しかしフロイド心理学における『昇華』を考えた場合、
本筋『昇華』は偶然に「強迫心理的モチベーションがそのまんま投影できる芸術なりに出くわした人の話」であり、おおよそ褒められた状況では無いのですが、その意図は間違ってもカサノバ的な成功者をイメージしたものではありません。
人類には誰にでも「強迫心理」がありますから、梃の原理で言うところの圧倒的パフォーマンスを可能とするためには、何らかの反動形成を「待ってました」とばかりに実行できてしまった”偶然”が、トンでも芸術やトンでもスポーツ選手などの「あだ花」とでも言うべき結果を、社会が奇跡と認めざるを得ない場合の事例です。
(心理学的に言えば、反動形成に至らず平和裏にオルタナ選択を発見するのが賢い選択となる。)

ここまで書いてきた構図は「時代はなんだかんだ『共同幻想』優勢につき、『単独者』は反動込みの反抗者や反骨の闘志や戦うアウトサイダーみたいな事になりがちだったから」つー部分あるワケですよ。
しかし時代は文明化により勝手に『共同幻想』が崩壊する時代に突入し、
『単独者』もことさら『共同幻想』的世界を意識する蓋然性が大幅に後退しきました。
そしてゆとり教育の登場(事の是非はともかくAO入試なんてのもそこに含まれているんでしょう)、
様々批判があるとおりで、成功したとは言いません。
しかし「ナチュボーンな『単独者』台頭」を後押ししたのは事実だろうと思います。

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posted by kagewari at 05:15 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

あえてガチ右派の方へ書いておこうと

ちなみに私は政治的に「保守系リベラル」ですが、
■古い世代の政治評論家は「左派と福祉=大きな政府」、「右派と自由主義経済=小さな政府」と規定しますけれど、それ大きな勘違いで、
福祉に関して言えば、先進国の場合民間やNGO・NPOの社会資本を前提に(所謂民間公共セクター)、福祉政策を行政に依存する必要性が無いことと、所得分配を進め自由に選択できる福祉とするのが筋論だろうと思うからです。
すべからく「所得分配による小さい政府の高福祉」がモデルになります。
そこに右も左も差異はありません(これ同時に経済政策ですから)、

政治と経済政策というか、大きく分けて「経済学的には大きな間違いと思われる緊縮財政派」と、「財政含めてインフレターゲット派」がありますが、特に日本の場合政治資金含めて官僚のお世話にって議員さんもおりますので(政党と関係無く)、選挙に弱い議員は前者・選挙に強い議員は後者の政策を標榜する傾向があるって感じです。

(ちなみに福祉を行政に依存するから、天下り含めて無限に行政コストが肥大化してしまうのであって、所得分配系の選択的福祉の場合小さな政府志向となる。)

■現在の安倍政権は現代先進国政策を模索するなか「小さな政府の高福祉」にチャレンジしている側面もあり(政策内容は小沢民主党に近く、あー見えて小沢氏本音は安倍政権評価していると思います)、ご覧のとおり、迷走している民進党も(政権時代に財務省派が台頭してしまっため)政策内容が矛盾だらけで見えにくいですが「小さな政府の高福祉」とならなければ表向きの政権公約と辻褄が合わないのも事実。←そのまんまだと実は違いが無いというか、政策論だけで言えば民進党はおおさか維新的に非主流派である安倍政権を支持していてもおかしくなかった。

大きな対立軸が”無い”ものだから、国会では「なんだか妙なプロレスのための対立」みたいな斜め上の話になっているところです。

この辺から本題ですが、
●与党野党において本質的対立軸を求めるとすれば「安全保障」でしょう。
「日米安保を前提とした軽武装」か、
「自主防衛系を前提とした重武装」なのか、
(※自主防衛で軽武装の可能性は末尾に記載)

■重要なことなので抑えておきたいのですが、
日本の国防予算は世界的に見れば「異例に少ない」です。
(世界を標準することはないけども、抑止力論で考えれば世界標準にしなければ均衡しないことによる空白が、日本一国の問題だけで無く地域の安全保障そのものを不安定化させてしまう→周辺国に軍事的冒険主義を台頭させてしまうなど。)
●世界標準を前提にするなら国防予算は「少なくとも現在の倍」は必要になります。→日米安保のコストでどうでしょう総額1兆円ぐらいかかってるかなと思いますが、それでも「年間3兆円程度はお得」になる計算。
ちなみにですが、防大系識者の計算では「今から日米安保無しの地湧防衛整備をするなら(著しく現行装備が不足しており)少なくとも10年間は25兆円近く(約5倍)積み上げてようやく整う」計算になります(整った後にダウンできるととしても)。
自主防衛を考えるなら、憲法趣旨が非戦ですから打撃群を大幅に割り引くとしても最低100兆円近くはなんとかしなければならないでしょう。
しかもその増額規模は周辺国や左翼思想な方からやれ軍国主義だと批判されるだろう事は言うまでもありません(=そのままだと実現性が無い)。
 ↑
ガチ右派の方や反米独立派の方は、日本が戦争に負けて一度完全に武装解除されちゃった事実を忘れちゃいけません。
国防費を幾分かでも低額のまま整備を進めるつもりなら、何らかの「革新的な軍事ドクトリン」をセットに政策提言しなければ単なる空想になります(周辺国も迷惑する)。

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posted by kagewari at 23:16 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月09日

オーディオ(原理主義では無く)現実主義

かく言う私も若かりし頃は重厚長大系「故長岡派」でありまして(ミニマル派である江川氏も参考にしてましたけど)、ややもするとオーディオ原理主義みたいな方向性だったように思います。
憧れのNECプリメインアンプA10には最後まで手が出なかったですけどね。

オーディオと趣味の世界の話かと思う方圧倒的多数と思いますが、ま〜聞いてやってください、最後には心理学の話でまとまりますから(笑

そんなオーディオ原理主義とはどういうものか?
昔を思い出して列挙してみましょう。
・ケーブルは太ければ太いほどよく、且つ最短距離で、
・機材は重ければ重いほどよい
・音は高低フラット、ダイナミックレンジ重視で
・アンプのトーンコントロールはご法度(回路的にも最短距離・接点最小化)
・音速は早く(振動板は軽量高能率なほどよい)
・最も重要なのは電源である(お金持ちはマイ電柱を目指せ)
・アナログレコードはデジタル音源より音がいい(実際ここは一理あったみたい)
この方向性で詰めていくと、異論反論ご意見多数覚悟で言い切りますが「ストレートだが躍動感的にどうだろう?聞きやすいかな…」というか、マニアの耳とマニア音源でしか良さがわからないなんて〜な事になるのでした(笑

長らくそんなオーディオへの拘りもどこへやら、あたふたしていると生活の忙しさに追われうっかり20年ばかし過ぎ去りました。
諸般の事情で自宅でも喫茶的な空間が必要になる事情があり、現在はすっかり「おおよそオーディオファンなどと自称できなくなった」今日この頃でしたが、ちょいと自慢のセットを鳴らしてみようと思い立ちました。
30年選手のマランツCD60のスイッチ入れますと「う〜ん、とスン」しか言わないワケです。
しかし(コンデンサーが完全放電とかしてたのでしょうか)しばらくONOFF繰り返していると復活するんですね〜さすがCD1メカ搭載「安いながらもギリギリ名機」、無事に復活してCDトレイもひゅーつと出てきてくれました。

ちなみに現在のシステム構成上「まったく必要無い存在である」某英国製真空管プリアンプなどかれこれ20年一度もスイッチ切っていないなど、アレな世界もあるのですが(笑
パワーアンプに見立てている、バジェットハイファイとして知られるド・チープな中華デジタルアンプで、60年選手か70年選手のアルテックを鳴らしますと(もうユニットはツィーターにフォステクスとエレクトロボイスのアルテック後継機種フルレンジに換装されている)、
聞くに耐えないハイあがりじゃないですかww
帰省時には実家のオンボロステレオの調整などもしていたため、耳がそっちに慣れたからかなと思うのですが、迷わず「トーンコントロールをON」しましてバランス取った次第です。

この歳になるとオーディオも現実主義と申しましょうか、
・機材はダイナミックに鳴れば軽量でも無問題(高能率重視はこの場合も正解)
・ケーブルごときで音は変わらない
・リスニングルーム大音量でも、小音量ニアフィールドでもトーンコントロールは積極的に使え
・サンプリング周波数によってはひょっとするとPC(ハードにデジタルな)のが音がいい
・電源はタコ足に注意するぐらい(間違っても高価なテーブルタップなど拘らない)
・録音がどうこうより好みの”音楽”を鳴らせてナンボ(リファレンスはありますけどね)
・それっぽい事したければツィーターのコンデンサー交換ぐらいで
・ウーファーは小口径でも十分使える(大音量再生の渇望は消えました)
なんてことに”躊躇なく”宗旨替えしているのです。
(喫茶でこの辺の下書き書いていると絶妙のタイミングでドナルド・フェイゲンが流れてきたりするのであります。)

現在の自分から見れば、若かりし頃は(間違いだって言うんじゃありませんけど)「バランスより構造」だったかなと思います。
心理学で『歩留り』論を展開したもの40代越してからだったかな〜と思ったりもします。
確かに融通無碍にバランス重視するのは(根拠となるものが不足してしまうので)「それもまた際限がない」という矛盾に突き当たるので(妥協論には終わりが無いですから)、どこいら辺までアリなのか考える上で根拠となる構造論なり原理原則ってもが重要でありまして、

ああなるほど、原理原則や構造論ってのは「そういうことを考えるためにあったのか」と安いオーディオ鳴らしながら思うのでした。
心理学的に考えるなら「ワイドレンジからダイナミックレンジまでフルスペックでリニアな特性」なんてな、あたかもノーリミットな『自意識』の完全勝利のような概念もあくまでも概念であって、
本物の無重力空間は自由なのか?に疑問があるように「それじゃアイデンティティーの置き所もネーよ」って話になるのであります。

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タグ:『単独者』
posted by kagewari at 18:05 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月22日

「面白さ」と”甲斐”や”鬱”

それは同時に”賭け論”なのかも知れません。
(ちなみに『共同幻想』論的な”甲斐”は次回記事化の予定)
原則論的な意味の”甲斐”ってのは、つまるところ「動機形成=行動企画の可能性」であり、
そこで”賭け論”がそこを補完するワケですが、結果の可否は”賭け論”が成立している以上「どうでもいいこと」になります(賭けは利益目的の”投資では無い”ため)。
宝くじじゃありませんが賭けは究極「夢を買う」ものであり具体的成果を希求するものじゃありませんから。

不思議なもので日常生活の食事や睡眠など身体上の本人が自然に欲求する行動はその動機形成も案外地味で(面白いことがあるとそっちのけになる)、たとえば食事に関して「面白い事ジャンル」となれば”おいしいもの”のとうな別のフラグが立ちます(同時に行為の賭け論も成立する)。

さて、ここで考えるべきは、
「面白い(外部事象がある)から動機形成されるのか」「その動機形成が(アイデアとして)面白くて行為としての賭けが自然派生するのか」みたいなところです。
内容的には前者は微妙に『被(こうむる)』っぽく、後者は自立系『抗(あらがう)』っぽい位置づけとなります。そのまんま断定するのはアレかと思いますが「前者は幼児系であり、後者は大人の自我マター系である」分類でしょう(あくまで大まかな分類ですが)。

ちょこっと補足すると、HPテキスト関連事項ですが、
「”やりたいこと”など無い」「”おいしいもの”などない」それは抽象概念だからみたいな話に被っても来るんですが、「これ面白いんじゃないか」的主体性の中でアイデアとして「これやりたいかも」だとか「おいしいものかも(おいしそう)」←こっちはあるんです。
 ↓↑
HPテキスト的に”やりたいこと”が見つからない論の話は、「それはやりたくないが権威的認知としてやるべき事項だ強迫に対する(抑圧された)自意識の薄っすら忌避感じゃないの?」的説明になっていたかなと思いますが、
本来自意識が抑圧や拘禁や拘束状態に無い場合(本来の生業として)、放っておけば充足されてしまう欲求(生存するため行動発現を促す生体的ストレスの総称”広義の性欲”)こいつをなんとかしなければ欲求不満ストレスにまで及ぶので、「なんか(面白いこと)ないの」と動機形成を探します。
飢餓状態の第三世界なら「穀類発見」だけで脳内快感物質(興奮による快感代謝)全開となりますが、飽食の先進国の場合食欲の運営的にですね、てんこ盛りの白米だけ目にしても脳はさっぱりカタルシス的振舞に至らないワケです。これを放置すると別の意味にもいかようにも変質する欲求不満ストレスなる別の意味の話にまで発展します。
意味わかりますよね?→特に専業主婦のみなさんならよーくわかる筈です。
「今日何食べたい?」←この投げかけは「今日の”これおいしいかも”は何?」つー意味なんです(はい、自意識は”思い付き業務”をしてくれと)。
そこでいろんなものがぐる〜っと逆転して更に180度ほど旋回すると→「そうだな、何かおいしいもの作ってよ」などという答えで夫婦離婚の危機なんて〜なことにもなるワケです(それを仕事してと投げかけているんだろ?そんな返され方したらこっちが反動化しちゃうだろーが!みたいに)。
 ↑
『共同幻想』末端でもある夫婦における原則的な強迫構造的に専業主婦のみなさんは『被(こうむる)』側である宿命を帯びる側面も合わせて考えるとわかりやすいかなと。

さて、そんな話を踏まえつつ戻ります。

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posted by kagewari at 03:46 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月08日

『シン・ゴジラ』のネットレビューから見えてくる”別のもの”があるのです

それって一部「海外の翻訳サイト」にも通じる部分あるのですが、
市井の人の知識や評論水準の”想定外の高さ”、そこに本当の意味の(リテラシーがどうこうでは無く)『単独者』の台頭って姿を現実のものとして見ることができます。
動画レビューで一番驚いたのが、某アマチュアボディービルダーさんの「試合に負けた脱力で特別企画でゴジラの解説を」みたいな評論で、それがすこぶる内容がいい。
昨今の私は映画館で映画を観ようって体力がもう完全に枯渇しておりまして(思春期の頃嫌ってほど観ましたから十分です)、実際ゴジラ観るのははDVDになってからかと思いますが、数々のレビューを見て読んで、おおよそ脳内では一回ゴジラ観た状態になっております(伊達に心理学やっていないので脳内シミュは大得意ですから)。

今回のゴジラは「右派には右派の、左派には左派の見方で楽しめる」という卓越したシナリオを特徴としており、『共同幻想』崩壊以降大ヒットコンテンツという概念が構造的に不可能となった現代において3.11災害モチーフによる半ば強制的に不特定多数の人が共通体験する事案を使うことで(だから見た人の感想が無数に分岐している)エンタメ性と高収益を両立させた稀有な作品です。
10年いや20年に一度の金字塔的評価も目立ちますが、その理由は「そんな頻繁に大災害も無いから」という連想もあるのだろうと(そこまでリアルな災害体験として映画化に成功した)、そんな風に思います。

その結果、いかにも左翼で無職っぽいおっさんがチェーンスモークしながら1時間以上熱く語るみたいなレビュー動画があったり、報道番組司会者の方が「興奮で昨日眠れませんでした語りたくてしょうがない映画」と絶賛するなど、
『媒体としての映画』のような構造が『シン・ゴジラ』に成立していた。
 ↑
■ここが何を表しているのか。
『共同幻想』リミッター無く「俺はこう思うんだ」的な欲求が(シン・ゴジラをリトマス試験紙として)「もう我慢できない私もカミングアウトだ」のように噴出している。
この様子こそ『単独者』時代の到来を告げるものであり(評論としてしっかり内容のあるものが次から次無数に湧いて出てくる)、
古くから「ひとりで読むスタイルが一般的な書籍や音楽、意図的に上映時暗くなる映画は『単独者』的仮想空間を醸成するというか刺激する媒体」でした。
昭和の思春期『反抗期』などでは文系学生はそりゃ読むわ読むわ、あるいはそこからやれ演劇などへ派生してな〜んて格好で自我の底を開拓するかのように仮想反抗期を過ごしたもので、
 ↓
履歴書趣味欄のトップスリー「読書、音楽鑑賞、映画鑑賞」ってのは、仮想単独者状態(プライバシー全開時)空間を持ってくる媒体の定番だったのであり、

■”マニアの論議”に見受けられるように、同じコンテンツで語れるのは小社会に限定されました。ところが『シン・ゴジラ』は大ヒットしており、エンタメとして誰に対しても勧めやすい。半ば自動的に「マニア論議を広範に語れる」という構図が成立するため、
「にわか『単独者』が強烈な風速で増加した」と考えられます。
勿論、その体験は『単独者』心を刺激したでしょうから、『シン・ゴジラ』を契機として日本の言論空間そのものが構造的にアレする可能性すらあるのではないかと思います。
(それが経験したことのない面白さとして認識されているのではないか。)

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タグ:『単独者』
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2016年08月16日

心理的なんとやらと居住内容の関係

■「メンタル問題などの解決を意識するのであれば、(できれば都会の)一人暮らしが望ましい」
この原則論に関しては”絶対”と言い切るべきところでしょう。
その意味ですが、
素朴に『反抗期』の定番「一人旅でもするか」です。

何度も心理学テキスト記載してきたとおり、メンタル問題からの離脱過程(リハビリ過程でもかまいませんが)、言うならば『思春期』反抗期状態の自我となる「仮想単独者状態」が求められます。
常識や権威性認知による余談などを排し、同時にエディプス的対象人物との関係をひとまず疎遠にして(近くにいれば問題の中核を成す権威性認知や抑圧が刺激されますから)、安心して(或は安全に)ひとりになれる状況の確保が望ましいからです。
付け加えると、私が個人的に定義している「『共同幻想』社会の取り巻き(中途半端な友人関係や知人との関係です)」ここも是非切っておきたいのが本音です。

と、考えれば住環境からして「ひとりぐらし」が好ましく、
可能であれば「それも都会で」がベター(関係者とのアレを踏まえると)。
 ↓
見た瞬間こう思う方が多数でしょう。
●「なるほど昭和の進学や就職で都会にって流れはいろんな意味で王道か」←そのまんまです。
実際のところこれといったメンタル問題を発現せず、まだまだ潜在期状態な自我の多数がその環境でナチュラルに「仮想反抗期状態を醸成し離脱過程を踏んでいるパターン」ってものが想像以上に多かったのではないかと思います(特に文系は有利って注釈必要かもですが必ずしもそこは重要じゃないでしょう)。

※建て前が個人主義と呼ばれる(実際は違うのですが)欧米社会の場合、子供部屋は生まれた乳幼児の頃から準備すべきものですですし、日本の戦国時代やら所謂皇室の帝王学のケースもひとり暮らしじゃありませんが幼児期から親との関係を疎遠としましたし、欧米における上流層の学校は全寮制でなんて世界も世界の帝王学系のアレにおいて(自立を早期から高い強度で促すという意)定番です。

■話を戻しますが、
加えて、現代『単独者』予備軍とも言える「新卒入社で3年以内に3割退社」パターンの自我においても、その居住条件として「都会の一人暮らし」がいろんな意味で優位性が高いと思われます。

●反面『ローカル共同幻想』との関係で言えば、
当該人物が確信犯的『共同幻想』選択や、『歩留り』選択の可能性が高い場合=「批判対象から除外し鉄板の権威(聖域)として『ローカル共同幻想』を位置付ける場合」、地元居住の方が有利となるので「都会の一人暮らし」が絶対とは言い切れませんが、その後の選択は予見できないのですから(確信犯的『共同幻想』選択で『ローカル共同幻想』を重視することになればUターンすればいいであり)、原則論として「都会の一人暮らし」がベターである事に違いはありません。

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posted by kagewari at 05:30 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

VR技術は世界を変えるでしょうね

開発会社のみなさんいいアイデア企画しますよ。
VRゴルフゲーム『(仮)全英・USオープン』
全方位傾斜機能付きウォーキングマシン・ゴルフクラブギア付属35万円
「定期バージョンアップでコースは改修され続けます、6台の扇風機が風も再現。」
6帖間の空間があれば本当のゴルフコースと同じ歩行距離・運動量、ネット対戦機能付き。
 ↑
絶対売れると思う(笑
これまでゲームに理解が無かった高齢者が腰抜かしまっせ。

これもいいかも
VRマラソンゲーム『ボストンマラソン』
VR釣りゲーム『渓流釣り』『カジキマグロ対戦』(手ごたえ数百キロ・器具の固定が必要です)
VR競馬ゲーム『天皇賞』(乗馬マシン付き50万円・武豊解説動画付き)
VR殺陣ゲーム『宮本武蔵』模造刀二本付き・刀ギアは正確な手ごたえを再現・ボディスーツが痛みを再現40万円(”成人向け”「付録『ゲルマンの傭兵』」)
VRツーリングゲーム『ツールドフランス』(傾斜機能付き室内自転車マシン付き60万円)

そして、
VR『重機で建築』ともなれば本当に遠隔操作で仕事ができるようになるでしょう。

●個人的には「リアル過ぎる本当にシューティングだけのゲーム『ブルズアイ』だとか『シューティングレンジ』(実銃同様の重量と反動のギア付属)」←これ出たら絶対買います。

「室内の家財が全て高級素材に見えるVRゲーム『大塚家具』」だとか、
「世界のあらゆる名画をあなたのお部屋に『ルネッサンス』」だとか、
「室内空間をスキャンしてリアルにペットが飼えるヴァーチャルAIペット『人語を話すよ』」や、
「室内空間をスキャンして死ぬほど怖いホラーゲーム『呪怨』(発売禁止→後に『エア家人』として再販→更に『エアアイドル家人』に至る)」や、
「赤の他人に見える『VR鏡』(性別もチェンジ可能・ボイスチェンジャー機能付き)」だとか、
必殺、VR登校ゲーム『学校』各種学校からハーバードまで「本校に負けないリアル勉強ゲーム」
(これ下手したら放送大学より上かもですぜ。)
VR受験ゲーム『家庭教師』←そのまんま実用可能でしょう。
VR裁判ゲーム『最高裁』本当の判例がDATA化「司法試験に合格するかも」(六法全書付き)


■バーチャルどころか「新しい現実」として認知される可能性すらあります。
社会をどう変えるのかわかりませんが、そこにロボット技術まで組み合わされてきますから、自我の個性化を加速させるのは間違いないでしょう(あらゆる可能性が無現に担保されるようなものですから)。
ちなみにバーチャルな世界の拡大でオタク的な引きこもり度合が高まる云々の話も「ポケモンGO」で完全に払しょくされました。
ヴァーチャルな空間を投影するのは部屋の中だけではありませんから。
ヘッドギアの共有リンクを可能にすれば、複数人で同じ空間なり人物なりを共通に認知も可能ですし「外社会において新たな『共同幻想』構築」も可能となるでしょう。

ラノベの異世界ものじゃありませんが、
異世界に飛ばされなくても現実世界そのものが変容しますので、”VRな現実”をどう定義すればいいのかわかりませんが、いずれにしても世界は変わりますね。
「ポケモンGO」な時に自然界の本物の昆虫への関心あーたらな批判もありましたが、そりゃね勿論「本物の丹頂鶴にしか出現しない”なんとか”」な方向でいかようにもモデファイされますし、
いつのことだったか「なんちゃってペットの声を翻訳するギア」みたいな商品ありましたけれど、それが更に発展すれば、「植物から虫や鳥からあらゆる生物を人語に翻訳」なんて〜なものも登場した時、どうすんのって。

以前google関連会社が研究していた「死者の再現」な話も込みで考えれば、
(俺は現代社会は無意識に『不老不死』への渇望を既に始めていると読んでいるのですが、)
現実社会における死生観そのものが変化していく可能性すらあります。
仕事に関してもホログラフィは無いけれど、ヘッドギア付ければ出社中のアバターを目で確認できることになりますから、自宅SOHO無限拡大の可能性もあります。

どうなることやら。


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posted by kagewari at 19:19 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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