東京に暮らして20年になりますが、これといった空調無しになんとなく過ごしてきました。今でもクーラーが快適なのは最初の1時間で、どうも苦手です。
扇風機を買おうと思ってはや20年ですが、これがなかなか買えない、
自分でも不思議なぐらいです。
確かに俺は北海道生まれで、扇風機もクーラーも無い暮らしをしてきたのだけれど、意地になってるでもなく、なんとなく買いそびれているのです。
暑くて汗だくで不快に違いはないのだけれど、本人自身あまり不快がっていないようです。イロイロ考えた結果「意外と外は涼しい」がひっかかっているらしく、つまりなんとかすれば外と内の環境を同じくできるのであって、、
俺は反射的に常識どおりに行動する神経が無いので、この結論が出ないとなかなか扇風機も買えません。
そのくせ暑いってのが自然現象なもんだから、あまり真剣に格闘する気にもならなく、かといって秋になると涼しくなるじゃないですか。
考えて、買おうかって頃にはいつも秋です。
仕事(不動産)してる時には「エアコン付かないの?あら〜」となるのですが、そういう自分自身はエアコンを付けようとも思わないのであって、
自分の中の「空調対策はこれでいいのか」への答えが出るのに、後5年、、10年かかってしまうかもしれないな、こりゃ。
2004年07月07日
2004年07月06日
最近の話なんですが、「人間関係の捉え方の相違について」
このテーマで、ちょっとした論争になりました。
俺は人と人の関わりを実存だと思っています。話しているのは自我同士ですから、その関わりの曖昧性は実はとても深く、そこをはっきりさせるために、現代社会は属性優先(役名)なワケです。
確かに属性での関わりは効率もよく、語り口調もおのずから決まってくる(上司には敬語)ので自我にも楽と言えば楽なんでしょう。その代わりにその関わりが「属性関係の流れ」に支配されて(この反対が「無礼行」)話が回りくどくなりがちです。
最近「ぶっちゃけ」という表現が広く使われている背景も、そこいら辺へのストレスと思われます。ここには危険性も含まれます、オフレコじゃーないですが、「ぶっちゃけ」として無防備になる準備が出来ていないと、「ちょっと待ってくれ」となるからです。
俺は思うんですが「俺だけ俺だけ」という公開性が自分にだけある的な、雰囲気があれば、この危険性も表に出る事が無いので、いんじゃねーか、、と個人的には考えています。
ともあれ、礼節とフォーマルな取り決めは、文化全体の表現力が問われている部分でもあるので、「ぶっちゃけ」が広まっている背景は、表現へのストレスなのでしょう。
ここが難しいとこです、全く無防備って事は単独の自我にもあまりありえない事なので、一定の基準を自分自身で考えなくちゃならんのですが、雛形になる個人がいるワケでもなしで、コミュニケーションとして言葉はどこまでいけんのかって言うと、難しい面が様々あるように感じます。
実際俳句や詩には、「基準と制約があるからこそ、より豊かだ」という逆説が成立しているからです。
「ぶっちゃけ」が所謂「ためぐち」で終わってしまうと、ストレスの開放は自分の側にだけあって、会話はよりギクシャクするでしょう。
目の前の人物を「役名の人」と勘違いする事だけは、「こりゃどうか」と思いますが、自分がどこまで「俺だけ俺だけ」で話していいものか、、
俺自身まだ決まった話し方を持っていないのです。
俺は人と人の関わりを実存だと思っています。話しているのは自我同士ですから、その関わりの曖昧性は実はとても深く、そこをはっきりさせるために、現代社会は属性優先(役名)なワケです。
確かに属性での関わりは効率もよく、語り口調もおのずから決まってくる(上司には敬語)ので自我にも楽と言えば楽なんでしょう。その代わりにその関わりが「属性関係の流れ」に支配されて(この反対が「無礼行」)話が回りくどくなりがちです。
最近「ぶっちゃけ」という表現が広く使われている背景も、そこいら辺へのストレスと思われます。ここには危険性も含まれます、オフレコじゃーないですが、「ぶっちゃけ」として無防備になる準備が出来ていないと、「ちょっと待ってくれ」となるからです。
俺は思うんですが「俺だけ俺だけ」という公開性が自分にだけある的な、雰囲気があれば、この危険性も表に出る事が無いので、いんじゃねーか、、と個人的には考えています。
ともあれ、礼節とフォーマルな取り決めは、文化全体の表現力が問われている部分でもあるので、「ぶっちゃけ」が広まっている背景は、表現へのストレスなのでしょう。
ここが難しいとこです、全く無防備って事は単独の自我にもあまりありえない事なので、一定の基準を自分自身で考えなくちゃならんのですが、雛形になる個人がいるワケでもなしで、コミュニケーションとして言葉はどこまでいけんのかって言うと、難しい面が様々あるように感じます。
実際俳句や詩には、「基準と制約があるからこそ、より豊かだ」という逆説が成立しているからです。
「ぶっちゃけ」が所謂「ためぐち」で終わってしまうと、ストレスの開放は自分の側にだけあって、会話はよりギクシャクするでしょう。
目の前の人物を「役名の人」と勘違いする事だけは、「こりゃどうか」と思いますが、自分がどこまで「俺だけ俺だけ」で話していいものか、、
俺自身まだ決まった話し方を持っていないのです。
2004年06月27日
喫茶店が好きです
立ち寄り先にだいたい決まったお店があります。喫茶店が無いと落ちついていられない人格の持ち主らしく、知らない街を歩いていて、感じのいいお店があると、つい入ってしまいます。
自分なりにこの原因を考えてみると、「家族的な共同幻想が非常に希薄である」「転校暮らしだったので、人の前に、街に馴染む性癖がある」「自宅での生活重視というより移動が好きである」「東京に来てから18年同じJAZZ喫茶に通った経験が人格に影響を及ぼしている」「他人が交差する環境が楽である(自由往来な感じがして)」「幼児期の家庭環境の中で、夕食がお店風の雰囲気(ひとりひとりが任意に食事した)だったため」「子供時代から居間(自室で無く)にひとりでくつろぐのが贅沢と思っていたため」、、等いろいろな原因が考えられます。間違い無く俺のアイデェンティティーの一部です。
そのせいかPCも持ち歩けるノートでなければならず、何かと不自由もしてる筈なのですが、これが俺のパーソナリティーなので如何ともしようがないのです。
人のライフスタイルを考える時に「便利、効率」は全く関係無いでしょう、「まいったな〜」「しょうがないな〜」なとこにこそ面白おかしいとこがあるもので、そこを自己規制するとけっこうストレスです。
『喫茶店に行く』
俺の「気まま」には欠かせない生活の一部です。
自分なりにこの原因を考えてみると、「家族的な共同幻想が非常に希薄である」「転校暮らしだったので、人の前に、街に馴染む性癖がある」「自宅での生活重視というより移動が好きである」「東京に来てから18年同じJAZZ喫茶に通った経験が人格に影響を及ぼしている」「他人が交差する環境が楽である(自由往来な感じがして)」「幼児期の家庭環境の中で、夕食がお店風の雰囲気(ひとりひとりが任意に食事した)だったため」「子供時代から居間(自室で無く)にひとりでくつろぐのが贅沢と思っていたため」、、等いろいろな原因が考えられます。間違い無く俺のアイデェンティティーの一部です。
そのせいかPCも持ち歩けるノートでなければならず、何かと不自由もしてる筈なのですが、これが俺のパーソナリティーなので如何ともしようがないのです。
人のライフスタイルを考える時に「便利、効率」は全く関係無いでしょう、「まいったな〜」「しょうがないな〜」なとこにこそ面白おかしいとこがあるもので、そこを自己規制するとけっこうストレスです。
『喫茶店に行く』
俺の「気まま」には欠かせない生活の一部です。
2004年06月24日
やはり小泉人気が下降なんですね
そんな気がしました。(最近新聞をまとめて読むってか、見る生活な物で、ちょっと遅れ気味のニュースですが)
人気って何でしょう?
最近のナベツネの発言も目に余るもので(巨人の人気もガタ落ちらしいです。観客動員は全体として増えてるって、前ニュースで見ましたから、これは実質「巨人だけ落ちてる」に近いものでしょう。故障した清原がスタメンじゃないとか、ローズ小久保がパリーグの力を見せ付ける事が、かえって凄いと思った『巨人』のイメージを素に戻したのでしょう。)これも「人気にあぐら現象」のひとつです。
これらの問題は「人気を自分のものだと思う」というとんでもない勘違いが原因です。
人知れず口コミで人気のある街のセレクトショップとはワケが違います。ブランドイメージによる人気は「そもそも共同幻想の側にそのニーズがある」のであって、実力(その人のものではない)と関係ありません。
一番わかりやすいのは「アイドル歌手」で、60年代〜80年代をピークに、現在はその「アイドル歌手」というカテゴリーが消えました。
「人気球団」というカテゴリー自体は後退し「プロ野球人気」を見なければならないのに、ナベツネは自分の球団が「=人気球団」だと勘違いしています。あるいみ本当の傲慢さはここにあって、いくら時間があまりないサラリーマンが、なんとなくつけるTVの野球中継がいつも巨人線だからって「この人物をバカにして」、「巨人が勝てばみな満足、こいつらは野球の本質などわからないんだから、とにかく巨人が勝てばいい」という態度は無知蒙昧もいいとこです。
最近の小泉にもそんな感じがします。頑張ってるのは、猪瀬や竹中、石原や 石破、辞めた福田官房長官で、小泉はこれといった仕事してません。それが今の「指揮権で口約束」・・です。こりゃとんでもない話で、国民は首相の口約束を信じなきゃならんのですか?
俺は左翼でもないし、義理の兄貴は陸情自衛隊です、しかし「指揮権は口約束」じゃ、何処の国の軍人がそんな指揮官の命令を素直に聞けますか?
「小泉人気」というニーズが共同幻想にあっただけで(誰も小泉君を個人的に知らないんですから)「小泉君に人気があるのじゃありません」
「小泉人気が下降」ほっとするニュースでした。
人気って何でしょう?
最近のナベツネの発言も目に余るもので(巨人の人気もガタ落ちらしいです。観客動員は全体として増えてるって、前ニュースで見ましたから、これは実質「巨人だけ落ちてる」に近いものでしょう。故障した清原がスタメンじゃないとか、ローズ小久保がパリーグの力を見せ付ける事が、かえって凄いと思った『巨人』のイメージを素に戻したのでしょう。)これも「人気にあぐら現象」のひとつです。
これらの問題は「人気を自分のものだと思う」というとんでもない勘違いが原因です。
人知れず口コミで人気のある街のセレクトショップとはワケが違います。ブランドイメージによる人気は「そもそも共同幻想の側にそのニーズがある」のであって、実力(その人のものではない)と関係ありません。
一番わかりやすいのは「アイドル歌手」で、60年代〜80年代をピークに、現在はその「アイドル歌手」というカテゴリーが消えました。
「人気球団」というカテゴリー自体は後退し「プロ野球人気」を見なければならないのに、ナベツネは自分の球団が「=人気球団」だと勘違いしています。あるいみ本当の傲慢さはここにあって、いくら時間があまりないサラリーマンが、なんとなくつけるTVの野球中継がいつも巨人線だからって「この人物をバカにして」、「巨人が勝てばみな満足、こいつらは野球の本質などわからないんだから、とにかく巨人が勝てばいい」という態度は無知蒙昧もいいとこです。
最近の小泉にもそんな感じがします。頑張ってるのは、猪瀬や竹中、石原や 石破、辞めた福田官房長官で、小泉はこれといった仕事してません。それが今の「指揮権で口約束」・・です。こりゃとんでもない話で、国民は首相の口約束を信じなきゃならんのですか?
俺は左翼でもないし、義理の兄貴は陸情自衛隊です、しかし「指揮権は口約束」じゃ、何処の国の軍人がそんな指揮官の命令を素直に聞けますか?
「小泉人気」というニーズが共同幻想にあっただけで(誰も小泉君を個人的に知らないんですから)「小泉君に人気があるのじゃありません」
「小泉人気が下降」ほっとするニュースでした。
何が何って事じゃないのですが
メインのモバイルマシンの候補に困っています。
いつもマシンを持ち歩いているので、A5マシンが欲しいのですが、今使っているCASIO FIVA206の後継が(CASIOはPC撤退したので)決まらないんですよ、、。
天邪鬼の俺としては、バイオはちょっとだし、、パナは高いし、
トランスメタの石に拘りたい気持ちもあるのだけれど、「タテマサ」どうなんだろ、IBMは、、と迷うのです。ほとんど中古のIBMに決めてるのですが問題はバッテリーです。ただでさえ重いマシンですからねIBM。
何事も体力なのかと、思うこのごろですねぇ
いつもマシンを持ち歩いているので、A5マシンが欲しいのですが、今使っているCASIO FIVA206の後継が(CASIOはPC撤退したので)決まらないんですよ、、。
天邪鬼の俺としては、バイオはちょっとだし、、パナは高いし、
トランスメタの石に拘りたい気持ちもあるのだけれど、「タテマサ」どうなんだろ、IBMは、、と迷うのです。ほとんど中古のIBMに決めてるのですが問題はバッテリーです。ただでさえ重いマシンですからねIBM。
何事も体力なのかと、思うこのごろですねぇ
2004年06月23日
仕事柄、いろんな街を歩いてるのですが
そこで暮らしてる人には「いつもの風景」を。「へーっ」と眺めている自分がいます、不思議なもので元々が精神分析と同じ線上でもの見る性癖があるので、妙〜に俯瞰から物を見ているわけで、時間とかの感覚がちょっとズレてきます。ぼやっとしいてるんじゃ無いですが、時間がたつのが心なしか早いです、これは「旅行の快」に近いのだと思うけれど、、、
そう考えると、しょっちゅうなんやかんや外交の多い人の体感人生速度は短いのだろうか?
楽しくて時間のたつのを忘れる、って表現もあります。
これと同じでしょうか?
それだけではないでしょう。実際何かに集中していて、それが嫌なことじゃ無い時には、楽しくなくても時間のたつのは早いものです。
ひょっとして不快な時に、時間が妙に長く感じられるのは危険回避するために「十分な時間があるように、体感で長めの時間がセットされてるのか?」
よく聞きますね(俺もですが)「時間がたんない」これは幸せな事なのか?「時間がたんない」との要求を満たす「時間がある感じ」って体感は、実は存在しないのか?
なんだかんだと、新宿はもう夕方です。
そう考えると、しょっちゅうなんやかんや外交の多い人の体感人生速度は短いのだろうか?
楽しくて時間のたつのを忘れる、って表現もあります。
これと同じでしょうか?
それだけではないでしょう。実際何かに集中していて、それが嫌なことじゃ無い時には、楽しくなくても時間のたつのは早いものです。
ひょっとして不快な時に、時間が妙に長く感じられるのは危険回避するために「十分な時間があるように、体感で長めの時間がセットされてるのか?」
よく聞きますね(俺もですが)「時間がたんない」これは幸せな事なのか?「時間がたんない」との要求を満たす「時間がある感じ」って体感は、実は存在しないのか?
なんだかんだと、新宿はもう夕方です。
2004年06月09日
まだ書いていないテキストの主題について
造語があるんです。「エゴセルフ」
随分前から頭にある造語で、「自我=エゴ」を客観的なものだからこそ(自分とか考える自分って案外、自分なんかなーって思うじゃないですか)このエゴを正式に「自分なのだ」と定義付けるイメージの言葉です。
エゴイズムがあんまりイメージの良くない言葉として、知れ渡ってしまったので使いにくいってのが、本音です。
ユニークもそうです、これ「独自」とか、見ようによっては「才能」なんですが(素晴らしいとか、驚くべきとかって意味でもあるから)日本語では「なんか面白おかしい」とかの属性がくっつきます。これは日本では人と違う事の意味が「問題のある」とされる雰囲気に連想される幻想があるからでしょう。俺はこれを逆説で(「逆手に取って」かなぁ)「変わり者」って言葉を最上級の褒め言葉だと勝手に思うようになりました。
これは完全に人格に定着してて、「変わってるねぇ」と聞くと、ちょっと快感なぐらいです。
話を戻しますが、エゴイズムを我侭なイメージで捉えるのは間違いです。普通の人の目に「個人の意識」がはっきりと見えやすいのは『何か利害関係の軋轢や、紛争がある時』なので「あ、エゴだ!」と思うって、そんな流れからきた誤解です。
エゴの出番(自己意識による判断)は歯を磨く時にだって、通勤電車の立ち位置にだってあるんです。焼き鳥屋で何を注文するのかを決めるのもエゴです。
これ、考え方によっては、焼き鳥屋で何を注文するのか?このテーマであなたはレーゾンテートル(存在意義)を問われてるって解釈が可能です。「俺の生き様ってのはよー」なーんて劇画調である必要はありません。「カレー屋で何を頼むのか?」こっちの方が大事なのではないのか、と俺は思います。
俺がずーーっと考えている「エゴセルフ」ってのは、自分自身であることの担当者責任みたいな自覚の事です。漢字のイメージは「独」、独立の「独」単独者の「独」ですね、「毒」みたいでちょっと響きが何なので「一人」を「ひとり」とか「独り」と書く事で表している事もあります。
ユニークとエゴセルフ、実は一体で、目に見えて違う事に意味があるのでは無く「いつも違う選択があるかもしれない自由」に意味があると、俺は考えています。
ここで問題になるのは「規制」ですね、エゴにとっての強敵は「常識」時に「道徳」でしょう。(かといって不道徳って事じゃないですよ)ここの説明がこれまたややこしいんです。
自我の安定ってテーマを随分長く考えてきたけれど、極端や目立つ事では無いってのは間違い無いんです。日本的情緒で言えば「わびさび」で、「こんなのどうかなーっ」て小さいとこに「エゴセルフなアイデェンティティーは隠れている」と思います。
ここに断言します「カツカレー下さい」
随分前から頭にある造語で、「自我=エゴ」を客観的なものだからこそ(自分とか考える自分って案外、自分なんかなーって思うじゃないですか)このエゴを正式に「自分なのだ」と定義付けるイメージの言葉です。
エゴイズムがあんまりイメージの良くない言葉として、知れ渡ってしまったので使いにくいってのが、本音です。
ユニークもそうです、これ「独自」とか、見ようによっては「才能」なんですが(素晴らしいとか、驚くべきとかって意味でもあるから)日本語では「なんか面白おかしい」とかの属性がくっつきます。これは日本では人と違う事の意味が「問題のある」とされる雰囲気に連想される幻想があるからでしょう。俺はこれを逆説で(「逆手に取って」かなぁ)「変わり者」って言葉を最上級の褒め言葉だと勝手に思うようになりました。
これは完全に人格に定着してて、「変わってるねぇ」と聞くと、ちょっと快感なぐらいです。
話を戻しますが、エゴイズムを我侭なイメージで捉えるのは間違いです。普通の人の目に「個人の意識」がはっきりと見えやすいのは『何か利害関係の軋轢や、紛争がある時』なので「あ、エゴだ!」と思うって、そんな流れからきた誤解です。
エゴの出番(自己意識による判断)は歯を磨く時にだって、通勤電車の立ち位置にだってあるんです。焼き鳥屋で何を注文するのかを決めるのもエゴです。
これ、考え方によっては、焼き鳥屋で何を注文するのか?このテーマであなたはレーゾンテートル(存在意義)を問われてるって解釈が可能です。「俺の生き様ってのはよー」なーんて劇画調である必要はありません。「カレー屋で何を頼むのか?」こっちの方が大事なのではないのか、と俺は思います。
俺がずーーっと考えている「エゴセルフ」ってのは、自分自身であることの担当者責任みたいな自覚の事です。漢字のイメージは「独」、独立の「独」単独者の「独」ですね、「毒」みたいでちょっと響きが何なので「一人」を「ひとり」とか「独り」と書く事で表している事もあります。
ユニークとエゴセルフ、実は一体で、目に見えて違う事に意味があるのでは無く「いつも違う選択があるかもしれない自由」に意味があると、俺は考えています。
ここで問題になるのは「規制」ですね、エゴにとっての強敵は「常識」時に「道徳」でしょう。(かといって不道徳って事じゃないですよ)ここの説明がこれまたややこしいんです。
自我の安定ってテーマを随分長く考えてきたけれど、極端や目立つ事では無いってのは間違い無いんです。日本的情緒で言えば「わびさび」で、「こんなのどうかなーっ」て小さいとこに「エゴセルフなアイデェンティティーは隠れている」と思います。
ここに断言します「カツカレー下さい」
2004年06月08日
仕事を考える2
よく「仕事が趣味の延長だと幸せ」という。
或いは「稼ぎにならないなら、それはアマチュア」ともいう。
さて、この辺の話を聞いたままに受け取ると、ちょっとズレている事がわかる。
「仕事が趣味の延長だと幸せ」
趣味の定義が人それぞれで、趣味にも「ホビー」「ナッツ」「マニア」「たしなみ」「遊び」「〜狂」「趣味人」など、イメージが随分と違う。実際『仕事にもなる趣味』はその趣味の楽しみ方が、はんぱな仕事より人生を賭けたものだったりする、、
んで、この言葉をデ・コードする。
「仕事をそれほどやるんだから、仕事が趣味なんだろう」
「稼ぎにならないなら、それはアマチュア」
じゃオリンピックは?
デ・コードする
「稼がないのは、動機が金儲けじゃないから」
仕事ってのの報いが「報酬」なんだけれど、何をやって報酬を得るのかって考えると、「なんだか知らないけれど、随分やったもんだ」てな自覚が無いと、報酬も貰い甲斐がない気がする。そもそも報酬にもいろんな形があるような気もする。
そして、仕事の結果にもいろんな形があるのであって「やったな〜」と思うことは、客観的には自己満足かも知れないが、「自己が満足もしない事で報酬をもらっていいのだろうか」とも思う。
或いは「稼ぎにならないなら、それはアマチュア」ともいう。
さて、この辺の話を聞いたままに受け取ると、ちょっとズレている事がわかる。
「仕事が趣味の延長だと幸せ」
趣味の定義が人それぞれで、趣味にも「ホビー」「ナッツ」「マニア」「たしなみ」「遊び」「〜狂」「趣味人」など、イメージが随分と違う。実際『仕事にもなる趣味』はその趣味の楽しみ方が、はんぱな仕事より人生を賭けたものだったりする、、
んで、この言葉をデ・コードする。
「仕事をそれほどやるんだから、仕事が趣味なんだろう」
「稼ぎにならないなら、それはアマチュア」
じゃオリンピックは?
デ・コードする
「稼がないのは、動機が金儲けじゃないから」
仕事ってのの報いが「報酬」なんだけれど、何をやって報酬を得るのかって考えると、「なんだか知らないけれど、随分やったもんだ」てな自覚が無いと、報酬も貰い甲斐がない気がする。そもそも報酬にもいろんな形があるような気もする。
そして、仕事の結果にもいろんな形があるのであって「やったな〜」と思うことは、客観的には自己満足かも知れないが、「自己が満足もしない事で報酬をもらっていいのだろうか」とも思う。
2004年06月05日
小泉政権はなんか変だと思う
「小泉人気」なるものを、背景に世論を甘く見ているのではないだろうか。
内閣支持率は、ほんとうに実質的なものなんだろうか、、
世界の心配ははずれ、アメリカ世論は健全で、ブッシュの支持率は下がっています。
「人気がある」これの根拠が明解じゃなかったら、中身は空っぽです。
いつも求められているのは「中身」であって、根拠の無い人気じゃないに違いない。「最近の女の子は元気がある」とんでもない発言で、こんな発言の根拠が「小泉人気」だとしたら、どえらい傲慢さです。
世論を嘗めてはいけないと思う。
内閣支持率は、ほんとうに実質的なものなんだろうか、、
世界の心配ははずれ、アメリカ世論は健全で、ブッシュの支持率は下がっています。
「人気がある」これの根拠が明解じゃなかったら、中身は空っぽです。
いつも求められているのは「中身」であって、根拠の無い人気じゃないに違いない。「最近の女の子は元気がある」とんでもない発言で、こんな発言の根拠が「小泉人気」だとしたら、どえらい傲慢さです。
世論を嘗めてはいけないと思う。
2004年06月03日
事件について2
掲示板の書き込みだという
各紙の論評を読んで違和感を憶える。
掲示板のやりとりで、直接の人間関係の無さが、「関係性の希薄さ」の視点から論じられている事が多く見られるが、これは全く違うと思う。
おそらく殺害された少女は「友達らしい事」を言ったに違いない。犯行に及んだ少女は一緒にバスケ部に入部し、一緒に辞めたぐらいで、直接の人間関係もあったわけだ、
むしろ掲示板やチャットが醸し出す、より「濃厚な世界が、現実と象徴化された楽園のイメージの判断を狂わせた」というのが、正直なところだろう。つまり、理想化された意心地のいい雰囲気とは(ここは推測になるが)新聞記者の娘という境遇から、殺害された少女に特有のこころに根付いている「優しさ」で、これは殺害された少女のアイデェンティティーに違いないが、「ほんとに仲良し」になった時には、この少女も何処の小6と変わらない少女に過ぎない「友達同士だよね」へと関係を昇華させるのは、ごく自然な事だったろう。
つまり、その書き込みは「まだまだ他人、という関係の人に見せる彼女らしい『優しさ』から『友達らしさ』へと関係が親密な方向へと、変化した書き込みだったのではないか」つまり「夢の楽園から、生生しい友人同士の絆の世界」は犯行に及んだ少女にとって、「自分だけの居場所の崩壊」と認識される。おそらく殺害された少女の文章の前後を含む解釈は、全く書き込んだ本人の意思とは違う意味に解釈されていると思う。
その子は自己主張の苦手な子、と『親』に称されている。
親が自分の娘を『自己主張の苦手な子』と平気で話せる感覚そのものが理解できない、自己主張の出来ない閉塞的な家庭は、少女にとって『全世界』を意味する。
あまりにもいたましい事件で、殺害された少女にかける言葉もないが、彼女の書き込みは、殺害に及んだ少女を中傷するものでなかっただろう事を、俺は確信している。
各紙の論評を読んで違和感を憶える。
掲示板のやりとりで、直接の人間関係の無さが、「関係性の希薄さ」の視点から論じられている事が多く見られるが、これは全く違うと思う。
おそらく殺害された少女は「友達らしい事」を言ったに違いない。犯行に及んだ少女は一緒にバスケ部に入部し、一緒に辞めたぐらいで、直接の人間関係もあったわけだ、
むしろ掲示板やチャットが醸し出す、より「濃厚な世界が、現実と象徴化された楽園のイメージの判断を狂わせた」というのが、正直なところだろう。つまり、理想化された意心地のいい雰囲気とは(ここは推測になるが)新聞記者の娘という境遇から、殺害された少女に特有のこころに根付いている「優しさ」で、これは殺害された少女のアイデェンティティーに違いないが、「ほんとに仲良し」になった時には、この少女も何処の小6と変わらない少女に過ぎない「友達同士だよね」へと関係を昇華させるのは、ごく自然な事だったろう。
つまり、その書き込みは「まだまだ他人、という関係の人に見せる彼女らしい『優しさ』から『友達らしさ』へと関係が親密な方向へと、変化した書き込みだったのではないか」つまり「夢の楽園から、生生しい友人同士の絆の世界」は犯行に及んだ少女にとって、「自分だけの居場所の崩壊」と認識される。おそらく殺害された少女の文章の前後を含む解釈は、全く書き込んだ本人の意思とは違う意味に解釈されていると思う。
その子は自己主張の苦手な子、と『親』に称されている。
親が自分の娘を『自己主張の苦手な子』と平気で話せる感覚そのものが理解できない、自己主張の出来ない閉塞的な家庭は、少女にとって『全世界』を意味する。
あまりにもいたましい事件で、殺害された少女にかける言葉もないが、彼女の書き込みは、殺害に及んだ少女を中傷するものでなかっただろう事を、俺は確信している。
タグクラウド

