今の経済問題の中心テーマは、実は福祉『年金問題』
ところがこれ経済産業省の所轄じゃない、そっちの方が大問題なのかも知れないが、ともかく将来の所得見積もりが現在の貯蓄性向だの投資の内容を決めてしまうので、エライ大事な経済政策なのだが、年金問題は厚生労働省。
心理学も「現在の心象風景」を論議するのか、「動的な(予測込みの)心象風景」を論議するのかで随分違ってくる。
ミクロとマクロの話と同じように、各論に過ぎると話がなんだかワケわからなくなる。
俺が心理学で何度も「流れ」を重視しているのは、そんなとこで、カウンセリングの有り方とか、精神分析のスタンスは随分違ってくる。
喩えは悪いけれど、監査法人が半期の決算を分析するのか、100年の決算を分析するのかで、そりゃ報告書の内容は「どえらく違う」ので(違っちゃうのも問題だけど)、その辺を「こういうことか」ってまとめるには流れ重視って結論になる。
星占いじゃないが、空の配置がその時には止まって見えるんだが、地球も惑星も回っちゃってるので、実はグルグル位置が動いているのと同じ。見る人の時間の感覚が違っていたら見える景色も変わってくる。
止まった物を見て「こうだ」という人が間違っているとか言う意味では無い。星占いが「現在の配置は」とか「次にはこう移動するので」とか言うとこが面白いのであって、経済学でも(なにせ画期的な政策って実はあんまりない)ケインズが面白がられたのは、儲け狙いの投資ではなく、流れを良くする為に国が経済政策として作為的に投資をするってとこに尽きる。
心理学で言うなら、「今こうだから」を突き詰めてもあまり意味は無い。ここをこう考えると全体の構造はどっち向きに不安定(無理な形が元なら「復元性」)になり、次の構造が予見できるのかって話だから、、なんていうか俺の分析のポイントは、間違え探しでもないし、その原因となる投影や象徴化の事実関係をゴリゴリとやる事でも無い、それはかえって現在の対応当事者自我に「それはこうでしょ」と話を継続する事が多くなるって事でもある。
言い換えると、「コンサルタント的側面が無いカウンセリングには意味が無いって」俺は思う。
2004年10月08日
2004年09月30日
共同幻想と個人の関係
この辺の話を最近頻繁に取り上げているのだけれど、これは母屋の心理学テキストでも取り上げてる「共同幻想の崩壊」が背景にある。
http://kagewari.cside.com/kage_tex41.htm
http://kagewari.cside.com/kage_tex71.htm
ここでの論旨は、「文明化と共同幻想が反比例の傾向」にあることで、文明化で共同幻想はマスメディアがリードするキャッチコピーへとすり替わって行くと考えている。
正味ドグマ(言い切りの教義)である共同幻想の正当性はどうしても軽薄になるし、実際100年単位でプルーフされてきた共同幻想とは比較にならないので、マスネディアのキャッチコピーは共同幻想とは言えない。
結果、精神的な悩みと、自立的自我の登場は全く同じ環境から生み出される。
言いかえるなら「精神的な悩みと、自立的自我は似た構造をもっている」。
「考える葦である。」
我思う故に我在りというより「悩むが故に」、、
中世でも江戸でもいいんだけれど、当時から「そのケのあるタイプ」の社会不適応話は随分あって、それが小説や詩、絵画等の芸術の根底にあった。これらのモチベーションは「共同幻想に適応しない、自由な自我のストレス」であって、その表現の方法が封建社会下において、芸術系に偏った(その道が叶わない人は酒に溺れるか、「ヤクザ者やカブキ者」の名を受けて、アウトローやアウトサイダーの元祖となった)昔は共同幻想自体の組織率は高く、又普及率も高い上にその拘束力も強かったので、不適応者自体の数がレアであって、その希少性から彼らの芸術的な成功の確率も高かったのだが、現代はその代わりに芸術や芸能言論の市場は急拡大していて職業としてもそれが成立する余地すらある。
「人の自我は全体として均衡する」とも言えるのだが、経済と同じでそこにはタイムラグがあり、又共同幻想の崩壊は家族問題として表面化するの事が多いので、自立的な自我の成立や共同幻想への復帰のプロセスは「精神的な悩み」の過程を踏む事がどうしても多くなる。(当然ナチュボーンの単独者もいるワケで、共同幻想の崩壊がいつも『問題』として表に出るのワケでは無い)
実際実存主義哲学における『単独者』の定義は、この自立的自我とほとんど同じで(俺は精神分析的解釈としては全く同じだと思っている)その全てが非共同幻想とは言えない。なんやかんや共存共栄していくのだし、共同幻想による超自我を前提にした『普通』の選択もマスメディアのキャッチコピーをカウンターカルチャーの出所として多様化するので、世界全体は無秩序にクロースする。
あくまで相対的な均衡がありえるんで、いいとか悪いではない。
しかし、個人の意識がそこまで混沌とすると、フロイドの定義した「エス」そのものになってしまい自我が成立出来なくなる。共同幻想は『正しさらしさ』をリアリティーとして担保する事で成立しているワケだが、自立的自我はその生存意義をリアルで担保する事になる、これが『実存主義』の背景と一致する。
従って、正当性ではなく、自分が生きている現実が自我成立の根拠であり、共同幻想と個人の関係は「個人が『共同幻想における客観的現実』となることで、相互補完の関係となる」。
http://kagewari.cside.com/kage_tex41.htm
http://kagewari.cside.com/kage_tex71.htm
ここでの論旨は、「文明化と共同幻想が反比例の傾向」にあることで、文明化で共同幻想はマスメディアがリードするキャッチコピーへとすり替わって行くと考えている。
正味ドグマ(言い切りの教義)である共同幻想の正当性はどうしても軽薄になるし、実際100年単位でプルーフされてきた共同幻想とは比較にならないので、マスネディアのキャッチコピーは共同幻想とは言えない。
結果、精神的な悩みと、自立的自我の登場は全く同じ環境から生み出される。
言いかえるなら「精神的な悩みと、自立的自我は似た構造をもっている」。
「考える葦である。」
我思う故に我在りというより「悩むが故に」、、
中世でも江戸でもいいんだけれど、当時から「そのケのあるタイプ」の社会不適応話は随分あって、それが小説や詩、絵画等の芸術の根底にあった。これらのモチベーションは「共同幻想に適応しない、自由な自我のストレス」であって、その表現の方法が封建社会下において、芸術系に偏った(その道が叶わない人は酒に溺れるか、「ヤクザ者やカブキ者」の名を受けて、アウトローやアウトサイダーの元祖となった)昔は共同幻想自体の組織率は高く、又普及率も高い上にその拘束力も強かったので、不適応者自体の数がレアであって、その希少性から彼らの芸術的な成功の確率も高かったのだが、現代はその代わりに芸術や芸能言論の市場は急拡大していて職業としてもそれが成立する余地すらある。
「人の自我は全体として均衡する」とも言えるのだが、経済と同じでそこにはタイムラグがあり、又共同幻想の崩壊は家族問題として表面化するの事が多いので、自立的な自我の成立や共同幻想への復帰のプロセスは「精神的な悩み」の過程を踏む事がどうしても多くなる。(当然ナチュボーンの単独者もいるワケで、共同幻想の崩壊がいつも『問題』として表に出るのワケでは無い)
実際実存主義哲学における『単独者』の定義は、この自立的自我とほとんど同じで(俺は精神分析的解釈としては全く同じだと思っている)その全てが非共同幻想とは言えない。なんやかんや共存共栄していくのだし、共同幻想による超自我を前提にした『普通』の選択もマスメディアのキャッチコピーをカウンターカルチャーの出所として多様化するので、世界全体は無秩序にクロースする。
あくまで相対的な均衡がありえるんで、いいとか悪いではない。
しかし、個人の意識がそこまで混沌とすると、フロイドの定義した「エス」そのものになってしまい自我が成立出来なくなる。共同幻想は『正しさらしさ』をリアリティーとして担保する事で成立しているワケだが、自立的自我はその生存意義をリアルで担保する事になる、これが『実存主義』の背景と一致する。
従って、正当性ではなく、自分が生きている現実が自我成立の根拠であり、共同幻想と個人の関係は「個人が『共同幻想における客観的現実』となることで、相互補完の関係となる」。
2004年09月27日
新球団と政治について精神分析的にイロイロ考えてみる
思うんだけれど、赤字赤字と言っても(12球団あわせた赤字が150億とかね)総収入もデカイので、産業として『大手』である事を無しにするのはおかしな話で、これだけ世間で問題がデカくなるのは、そのファン層の広さや深さを改めて思い知らされる。
よく似ているのは政治、
政治問題がいくら大きくてもこの国では「投票率90%」なんて有り得ない。=「球場が満席」、、
なんていうのか、野球観る時間が暇じゃ無い会社員も多い(スカパーと契約しても時間までに帰れない)、当然球場に入る時間は8時とかになりかねない。
野球ファンと浮動票は良く似ている。
野球に関心があっても、球場に行くとか有料放送と契約とかに一発で結びつく保障は無い。
投票行動から推理すると、不在者投票が増えててたり、、
しかし、浮動票は支持政党がはっきりしていないワケだから言うなら非共同幻想層と言え、プロ野球は好きだが、何処かのチームに極端に肩入れしていない層(パ・リーグファンとかセ・リーグファンとか、選手個々人のファンとか=一部の日本人選手目当てのメジャーファン)これとよく似ている。
そして、選挙の趨勢を決するのは浮動票の取り込み。ジリ貧の政党の次の手は組織票固め。球場を満席にする手法と似てなくもない、、後ろ向きのチームはシーズンシートをパーティー券よろしく営業が売らなきゃならないのだが、この組織票固めはいいシートが市場に出ないという弊害にもなる。。
そもそも非共同幻想層をどう見るのか?
「個々人の発想=どっかの政党の公約」になる筈無いので、明解に支持政党なしであるのが、自然。「投票行動が政権交代にあるから」とか「投票行動がダイレクトに何かの政策を決するから(消費税の時のように)」だと、俄然投票率も上がるのだろうが、どう転んでも現状維持だと投票率は上昇しない。。
「球場に応援に行ったから何?」
↑
「このファンは浮動票だからファンではない」こりゃ無茶でしょう、山ほどスポーツ新聞読んでたり、情報番組見てるだけでも裾野の経済活動にはプロ野球ファンとして関与している。
投票行動に移らなくても「支持率を形成できる」のに似ている。(これ視聴率と同じ)、この「支持率」がバカにならない、投票行動では無いが、首相のクビが飛ぶ事もある。
『浮動票が政治にとって薄い関与を意味する』なーんて筈無い。
この層はむしろ考える人たちであるが故に「組織的行動から離れている」のだから、球場に野球を観にいくなら外野席の応援団サイドは避けたいと思う筈。
し か し 球団はそこへの配慮が無い。
政党が浮動票より支持する組織の意向で政策を決定するのと似ている。。
支持してほしい浮動票を政党のファンにする努力はあるのか?
これへの回答が、「ちょっといい男の若手起用」なんてのじゃ目も当てられない。
支持して欲しいファンを球場に呼ぶ努力をしているのか?
これへの回答が、「知名度の高い選手監督の起用」なんてのじゃ目も当てられない。
プロ野球界も政党も浮動票を、「個々人として考える層」として思っていないのじゃないか?これひょっとすると、「フラフラと表面だけであっちいったり、こっちいったりする人」ぐらいに思っていたら大間違いなのに。。
所謂体制側(旧共同幻想主体)には、明解に帰属しない層が「共同幻想=道徳的正統感覚」のパラドックスで「気に入らない奴等」に構造的になりがちで、、、
これがオーナーサイドの読み違えの原因となった
プロ野球ストに対する支持率は、「気に入らない奴等」的な見方への大反発であって、選手会は圧倒的に浮動票を集めた。
「支持するとダイレクトに何かが変わる」
古田の「多数のファン」という表現は球場に応援に来ていないファンを含んでいる事を連想させる
「ファンって何処の誰」的コミッショナー以下のオーナーサイドの見方は「たかが選手」と相まって浮動票の侮辱になった。
どう考えても、かなりコアに物事を考える層こそ浮動票で、彼らは中途半端な政策や曖昧でセンスの無いキャッチコピーだけで失望する(投票意欲さえ失う)、これは共同幻想が壊れている事に関わっているのだけれど(=巨人人気の崩壊と同意)、巨人以外(ある意味自民以外)のヤクルトの選手が支持(選手会への支持なのだが、結果的にこの人物の株が上昇したのは事実)を集める事は、各政党も考えたらどうかと思う。
彼の特徴は「個人としての意見が明解だったところ」
支持を失ったオーナーサイドの特徴は「管理能力に欠ける上司そっくりだったところ(いかにも上からものを言っている)」
日本という国の意識のかなりの部分の自我が、在るべき存在として認識されていないこと、この喪失が「デフレの正体」だと俺は思っている。
よく似ているのは政治、
政治問題がいくら大きくてもこの国では「投票率90%」なんて有り得ない。=「球場が満席」、、
なんていうのか、野球観る時間が暇じゃ無い会社員も多い(スカパーと契約しても時間までに帰れない)、当然球場に入る時間は8時とかになりかねない。
野球ファンと浮動票は良く似ている。
野球に関心があっても、球場に行くとか有料放送と契約とかに一発で結びつく保障は無い。
投票行動から推理すると、不在者投票が増えててたり、、
しかし、浮動票は支持政党がはっきりしていないワケだから言うなら非共同幻想層と言え、プロ野球は好きだが、何処かのチームに極端に肩入れしていない層(パ・リーグファンとかセ・リーグファンとか、選手個々人のファンとか=一部の日本人選手目当てのメジャーファン)これとよく似ている。
そして、選挙の趨勢を決するのは浮動票の取り込み。ジリ貧の政党の次の手は組織票固め。球場を満席にする手法と似てなくもない、、後ろ向きのチームはシーズンシートをパーティー券よろしく営業が売らなきゃならないのだが、この組織票固めはいいシートが市場に出ないという弊害にもなる。。
そもそも非共同幻想層をどう見るのか?
「個々人の発想=どっかの政党の公約」になる筈無いので、明解に支持政党なしであるのが、自然。「投票行動が政権交代にあるから」とか「投票行動がダイレクトに何かの政策を決するから(消費税の時のように)」だと、俄然投票率も上がるのだろうが、どう転んでも現状維持だと投票率は上昇しない。。
「球場に応援に行ったから何?」
↑
「このファンは浮動票だからファンではない」こりゃ無茶でしょう、山ほどスポーツ新聞読んでたり、情報番組見てるだけでも裾野の経済活動にはプロ野球ファンとして関与している。
投票行動に移らなくても「支持率を形成できる」のに似ている。(これ視聴率と同じ)、この「支持率」がバカにならない、投票行動では無いが、首相のクビが飛ぶ事もある。
『浮動票が政治にとって薄い関与を意味する』なーんて筈無い。
この層はむしろ考える人たちであるが故に「組織的行動から離れている」のだから、球場に野球を観にいくなら外野席の応援団サイドは避けたいと思う筈。
し か し 球団はそこへの配慮が無い。
政党が浮動票より支持する組織の意向で政策を決定するのと似ている。。
支持してほしい浮動票を政党のファンにする努力はあるのか?
これへの回答が、「ちょっといい男の若手起用」なんてのじゃ目も当てられない。
支持して欲しいファンを球場に呼ぶ努力をしているのか?
これへの回答が、「知名度の高い選手監督の起用」なんてのじゃ目も当てられない。
プロ野球界も政党も浮動票を、「個々人として考える層」として思っていないのじゃないか?これひょっとすると、「フラフラと表面だけであっちいったり、こっちいったりする人」ぐらいに思っていたら大間違いなのに。。
所謂体制側(旧共同幻想主体)には、明解に帰属しない層が「共同幻想=道徳的正統感覚」のパラドックスで「気に入らない奴等」に構造的になりがちで、、、
これがオーナーサイドの読み違えの原因となった
プロ野球ストに対する支持率は、「気に入らない奴等」的な見方への大反発であって、選手会は圧倒的に浮動票を集めた。
「支持するとダイレクトに何かが変わる」
古田の「多数のファン」という表現は球場に応援に来ていないファンを含んでいる事を連想させる
「ファンって何処の誰」的コミッショナー以下のオーナーサイドの見方は「たかが選手」と相まって浮動票の侮辱になった。
どう考えても、かなりコアに物事を考える層こそ浮動票で、彼らは中途半端な政策や曖昧でセンスの無いキャッチコピーだけで失望する(投票意欲さえ失う)、これは共同幻想が壊れている事に関わっているのだけれど(=巨人人気の崩壊と同意)、巨人以外(ある意味自民以外)のヤクルトの選手が支持(選手会への支持なのだが、結果的にこの人物の株が上昇したのは事実)を集める事は、各政党も考えたらどうかと思う。
彼の特徴は「個人としての意見が明解だったところ」
支持を失ったオーナーサイドの特徴は「管理能力に欠ける上司そっくりだったところ(いかにも上からものを言っている)」
日本という国の意識のかなりの部分の自我が、在るべき存在として認識されていないこと、この喪失が「デフレの正体」だと俺は思っている。
2004年09月24日
選手会の戦いは、やっと話を民主主義の場に引き戻した。
これからの交渉で、やっと恣意的では無い改革についてオープンに話し合う事ができるようになるだろう。
戦いは始まったところで、新聞紙面の一面を占める話にまで発展したこの問題は、マスコミのありかたにまで発展した。
読売は孤立した。オリックスは企業本体の存続をも視野に入れないとならない状況に追い込まれ、ダイエー本社サイドは別の意味で忙しかったのだが「見ちゃおれん」と流れにまかすのをやめた、
交渉が忙しく古田がスタメンで試合に出られず(かすかな優勝の可能性をかけた大事なゲームなのだが)若松が「いってこい」と、調印が終わりゲームに戻った古田が代打で出場した時には中日ファンからも大声援が。労組の交渉が忙しく、監督と連絡を取って試合に遅れる選手がいるなんてこれまでの常識では考えられな事で、小沢が自民党の一党支配を破壊するために何年もかけてきた事を(そんな流れもあって)、プロ野球界は一気に実現した。
新しい時代になったとかではない。
やっと民主主義ってものになったか、という線だろう。
「12球団の中の1球団の発言は12分の1である」
やっとそうなった、
ライブドアか楽天が参入するだろう、今後参入に失敗した方が来期に又挑戦する時には、偶数を確保するためにシダックスの参加を促すなんてカードも残した。日本のデフレは経済学的にも大問題のリストラ(不良債権を処分せず手近な、財務均衡を求める事はIMF主導の国家財政の指導と同じ選択で、バランスシートは良くなるが、循環という点で歪なものになり結果的に経済が破綻しかねない)というバブルに継ぐ失態を演じたのだが、プロ野球は実体経済の好転も背景にあるにせよ「赤字を抱える組織がどうあるべきなのか」について前に踏み出した。
「オリックスは中村GMでいいのか」とか
「阪神のコーチ陣刷新はあたりか」とか
「広島は派閥争い止めて衣笠呼ぼうよ」とか
「横浜これでいいのか」とか
そんな話題で激論になるのがやはりいいね、
戦いは始まったところで、新聞紙面の一面を占める話にまで発展したこの問題は、マスコミのありかたにまで発展した。
読売は孤立した。オリックスは企業本体の存続をも視野に入れないとならない状況に追い込まれ、ダイエー本社サイドは別の意味で忙しかったのだが「見ちゃおれん」と流れにまかすのをやめた、
交渉が忙しく古田がスタメンで試合に出られず(かすかな優勝の可能性をかけた大事なゲームなのだが)若松が「いってこい」と、調印が終わりゲームに戻った古田が代打で出場した時には中日ファンからも大声援が。労組の交渉が忙しく、監督と連絡を取って試合に遅れる選手がいるなんてこれまでの常識では考えられな事で、小沢が自民党の一党支配を破壊するために何年もかけてきた事を(そんな流れもあって)、プロ野球界は一気に実現した。
新しい時代になったとかではない。
やっと民主主義ってものになったか、という線だろう。
「12球団の中の1球団の発言は12分の1である」
やっとそうなった、
ライブドアか楽天が参入するだろう、今後参入に失敗した方が来期に又挑戦する時には、偶数を確保するためにシダックスの参加を促すなんてカードも残した。日本のデフレは経済学的にも大問題のリストラ(不良債権を処分せず手近な、財務均衡を求める事はIMF主導の国家財政の指導と同じ選択で、バランスシートは良くなるが、循環という点で歪なものになり結果的に経済が破綻しかねない)というバブルに継ぐ失態を演じたのだが、プロ野球は実体経済の好転も背景にあるにせよ「赤字を抱える組織がどうあるべきなのか」について前に踏み出した。
「オリックスは中村GMでいいのか」とか
「阪神のコーチ陣刷新はあたりか」とか
「広島は派閥争い止めて衣笠呼ぼうよ」とか
「横浜これでいいのか」とか
そんな話題で激論になるのがやはりいいね、
2004年09月21日
プロ野球ストからいろんな事を考えてみる
簡単に世代交代という次元のものではないだろう。共同幻想の崩壊から個人の時代えと移り変わっている風景は、一見新時代が到来しているようだが、そうではない。
伝統的な共同幻想は街や村の個人達の意志によって構成されていて、決して企業や法人によってではない。共同幻想へ回帰するのではないが、共同幻想が個人の意志を解放するための条件だったのなら(矛盾するが、個人のあり方を定義するのが共同幻想の本旨だと言える)今起きている動きは平和な社会に起きる自明のもので、殊更不思議な事では無い。
日本は元々農耕によって文化的にも発展してきた、労働形態は雇用と言うより借地なのだから、『自営』であり、現在の日本の企業の大半が中小零細であることはその延長上の話で、本質的にはこの国は封建主義化の個人主義だったと言える。庶民の生活は自由であって、ヒエラルキーは社会的な実存だが、そもそも個人の実存にそんなものはさして関係無い。社会的な階層の流動化が個人の自由を促すのではなく、個人の発言が表現されやすい環境が自由を促す。
「農家から一般企業の課長になることが自由の象徴」なワケが無い。
プロ野球人気は、そんなチームにおける自由(好き勝手ではない、勝利に向けていかに個人のパフォーマンスを発揮するのかであって、「個人を自由にするサイン」がある、これが監督の采配の質を決定付ける)の表現にあるのであって、特にピッチャーとバッターの個人対決を基本に行われるルールは、それを象徴している。
そのプロ野球ストから、いろんな事が見える。
http://www.asahi.com/special/baseballteam/TKY200409200265.html
↑
所謂日本ではマイナーな存在の「大企業の人間の発言」だ。
これじゃ小学生の喧嘩以下じゃないか、、
古田が「僕はガキのつかいじゃないので」といった発言と好対照だ。
いい大人の「交渉」なんてレヴェルではない。大企業のロジックそのものの地盤沈下が著しく、カルロ・スゴーンじゃないが企業の立て直しに、強い個人の意思(間違っても強権発動やワンマンではない)が不可欠なのは今や実証されている。
ナベツネの意志に逆らえず、今や巨人機関紙と巨人放送局に成り下がった読売と日本テレビの有様は、企業全体の信用を落としていると言えるだろう。皮肉な事にプロ野球巨人軍のイメージダウンになっている。
各球団内部の首脳会議で怒号が飛び交う激しい論議がないようでは、企業の発言自体はいつも軽薄で短期的なものに過ぎなくなる、まさか当事者がそんな無能である筈無く、「各個人の能力がスポイルされている会社だ」を意味している。
こりゃ問題だ、
古田君の株がプロ野球界を離れたとこで上昇しているとこが、それをよく表している。民主党だけではなく(連合にしてみれば、労組出身という意味では久々の大スター)テレビ局にとっても逸材で(彼はヤクルトの監督の方が大事だろうけれど)、オーナーサイドの人材で、そういう株が上昇しているのは久万(1リーグから180度方針転換した経営感覚は流石)ぐらいだ。
色んな意味でこのストライキは有意義なものになっている。
伝統的な共同幻想は街や村の個人達の意志によって構成されていて、決して企業や法人によってではない。共同幻想へ回帰するのではないが、共同幻想が個人の意志を解放するための条件だったのなら(矛盾するが、個人のあり方を定義するのが共同幻想の本旨だと言える)今起きている動きは平和な社会に起きる自明のもので、殊更不思議な事では無い。
日本は元々農耕によって文化的にも発展してきた、労働形態は雇用と言うより借地なのだから、『自営』であり、現在の日本の企業の大半が中小零細であることはその延長上の話で、本質的にはこの国は封建主義化の個人主義だったと言える。庶民の生活は自由であって、ヒエラルキーは社会的な実存だが、そもそも個人の実存にそんなものはさして関係無い。社会的な階層の流動化が個人の自由を促すのではなく、個人の発言が表現されやすい環境が自由を促す。
「農家から一般企業の課長になることが自由の象徴」なワケが無い。
プロ野球人気は、そんなチームにおける自由(好き勝手ではない、勝利に向けていかに個人のパフォーマンスを発揮するのかであって、「個人を自由にするサイン」がある、これが監督の采配の質を決定付ける)の表現にあるのであって、特にピッチャーとバッターの個人対決を基本に行われるルールは、それを象徴している。
そのプロ野球ストから、いろんな事が見える。
http://www.asahi.com/special/baseballteam/TKY200409200265.html
↑
所謂日本ではマイナーな存在の「大企業の人間の発言」だ。
これじゃ小学生の喧嘩以下じゃないか、、
古田が「僕はガキのつかいじゃないので」といった発言と好対照だ。
いい大人の「交渉」なんてレヴェルではない。大企業のロジックそのものの地盤沈下が著しく、カルロ・スゴーンじゃないが企業の立て直しに、強い個人の意思(間違っても強権発動やワンマンではない)が不可欠なのは今や実証されている。
ナベツネの意志に逆らえず、今や巨人機関紙と巨人放送局に成り下がった読売と日本テレビの有様は、企業全体の信用を落としていると言えるだろう。皮肉な事にプロ野球巨人軍のイメージダウンになっている。
各球団内部の首脳会議で怒号が飛び交う激しい論議がないようでは、企業の発言自体はいつも軽薄で短期的なものに過ぎなくなる、まさか当事者がそんな無能である筈無く、「各個人の能力がスポイルされている会社だ」を意味している。
こりゃ問題だ、
古田君の株がプロ野球界を離れたとこで上昇しているとこが、それをよく表している。民主党だけではなく(連合にしてみれば、労組出身という意味では久々の大スター)テレビ局にとっても逸材で(彼はヤクルトの監督の方が大事だろうけれど)、オーナーサイドの人材で、そういう株が上昇しているのは久万(1リーグから180度方針転換した経営感覚は流石)ぐらいだ。
色んな意味でこのストライキは有意義なものになっている。
2004年09月20日
今回の選手会ストの意義について。
12球団の色分けがはっきりしてきた。
巨人、西武、ロッテ、オリックス・近鉄(4−1=3)+コミッショナー(辞める)=『奴等』
日ハム、阪神、広島、中日(4)=選手会
横浜、ヤクルト(2)=選手会寄りだが長い物に巻かれがち
6球団は選手会に賛成してるじゃないか。
http://www.asahi.com/special/baseballteam/TKY200409180175.html
日ハム偉い!大社啓二会長は『奴等』に組しない唯一のパリーグ球団、この人にはちゃんとプライドがある。
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/pro/news/20040919k0000m050095000c.html
問題は消滅する近鉄が偉そうに発言してる事と、中内御大(親)失脚によって決定権の無い唯一のオーナーダイエー中内。ここ、ダイエー本体の処理が決まれば新執行部になるかもしれない、今のとこ実質経営権の無い中内が、オーナー会議に出てる事が大問題。常識的な新執行部ができれば、ここの球団単独保有はあたりまえだろうし、現在球場満員なので巨人に擦り寄る弱みは少ない。
よく考えてみよう。
新球団ライブ・ドアーズが参入したとする、放映権はインターネット中継を含む一元管理、交流試合アリ。選手会寄り球団8、『奴等』は4。
そして、名経営者としての名前に汚点をつけてしまった宮内。このままでは新球団のイメージは最悪、吸収合併どころか残る選手のほとんどは近鉄の主力、、。それこそ身売りするのか選手会寄りに舵を切らないと本業のイメージまで低下する。果たして近鉄との合併は『奴等に騙された』とか「経営判断の誤り」となる。
ロッテサポーターの熱心さは有名で、提・渡辺ラインの別働隊のようなていたらくをいつまでも許さないだろう。西武も国土計画も赤字の噂、、西武の身売りはまるでない話じゃ無いらしい。新規参入球団の候補は「ライブドアの他にも楽天とシダックス」。
■将来的な球団地図は「巨人の孤立」に他ならない。
■将来的なマスコミ地図は「読売・日テレの孤立」に他ならない。
選手会とオーナー会議が協力して、戦闘力のあるプロ野球界を運営する未来はほとんど確実。
@奴等が1リーグ化に成功しない限り。
だから「12球団の存続と、新規参入」を奴等には容認しがたい。
って事はここを突破すると勝利が見える、世論の風向きは選手会と阪神中心の球団よりなんだから、今回のストは「球界の将来をどう考えるのか」について、オーナーサイドに踏絵を突きつけている事になる。この意義は深い、広島のオーナーが「言葉が出ないほどショック」と、、。代表者会議で彼等が本気で発言しだすのではないだろうか?
巨人、西武、ロッテ、オリックス・近鉄(4−1=3)+コミッショナー(辞める)=『奴等』
日ハム、阪神、広島、中日(4)=選手会
横浜、ヤクルト(2)=選手会寄りだが長い物に巻かれがち
6球団は選手会に賛成してるじゃないか。
http://www.asahi.com/special/baseballteam/TKY200409180175.html
日ハム偉い!大社啓二会長は『奴等』に組しない唯一のパリーグ球団、この人にはちゃんとプライドがある。
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/pro/news/20040919k0000m050095000c.html
問題は消滅する近鉄が偉そうに発言してる事と、中内御大(親)失脚によって決定権の無い唯一のオーナーダイエー中内。ここ、ダイエー本体の処理が決まれば新執行部になるかもしれない、今のとこ実質経営権の無い中内が、オーナー会議に出てる事が大問題。常識的な新執行部ができれば、ここの球団単独保有はあたりまえだろうし、現在球場満員なので巨人に擦り寄る弱みは少ない。
よく考えてみよう。
新球団ライブ・ドアーズが参入したとする、放映権はインターネット中継を含む一元管理、交流試合アリ。選手会寄り球団8、『奴等』は4。
そして、名経営者としての名前に汚点をつけてしまった宮内。このままでは新球団のイメージは最悪、吸収合併どころか残る選手のほとんどは近鉄の主力、、。それこそ身売りするのか選手会寄りに舵を切らないと本業のイメージまで低下する。果たして近鉄との合併は『奴等に騙された』とか「経営判断の誤り」となる。
ロッテサポーターの熱心さは有名で、提・渡辺ラインの別働隊のようなていたらくをいつまでも許さないだろう。西武も国土計画も赤字の噂、、西武の身売りはまるでない話じゃ無いらしい。新規参入球団の候補は「ライブドアの他にも楽天とシダックス」。
■将来的な球団地図は「巨人の孤立」に他ならない。
■将来的なマスコミ地図は「読売・日テレの孤立」に他ならない。
選手会とオーナー会議が協力して、戦闘力のあるプロ野球界を運営する未来はほとんど確実。
@奴等が1リーグ化に成功しない限り。
だから「12球団の存続と、新規参入」を奴等には容認しがたい。
って事はここを突破すると勝利が見える、世論の風向きは選手会と阪神中心の球団よりなんだから、今回のストは「球界の将来をどう考えるのか」について、オーナーサイドに踏絵を突きつけている事になる。この意義は深い、広島のオーナーが「言葉が出ないほどショック」と、、。代表者会議で彼等が本気で発言しだすのではないだろうか?
2004年09月18日
根来はおかしい、古田も泣くな
http://www.asahi.com/sports/update/0917/143.html
こいつが不愉快だ、
理屈が通らないのは経営者サイドだ。ごそごそごそごそ裏で何を話しているのか。
そしてあの口ぽっかん読売、
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040909ig91.htm
戦前からの問題だが、日本の報道機関の偏向性解決の出口の無さに愕然とする。
ジャーナリストとして、コミッショナーとして全く無責任だ。小さなムラの中では『忠実』なのだろうが、君ら生きてるんか!
古田も泣くな、いんだストで、他にどうしようっていうんだ。政治的な言葉で1リーグの方向性をなんとしても(解釈として)残せるような玉虫色はいかん、これを許すと又50年は嘗められる。
そして古田ファンに謝るな、そのための週末ストだろ、ここでガタガタ言うファンは単なる「プロ野球ファン」だ、浮動票の中にこそコアな個人の意志があり、野球が観たいだけじゃないんだ、キャンプからそれを楽しんでる人は誰だ?オフシーズンから楽しみにしてる人は誰だ?
球団の実存ってのは週末のストで飛ぶような軽いものじゃない。
その実存が怪しくなってる、合併でける球団は近鉄だけじゃない、オリックスすら合併後は(どう考えても戦力は近鉄が上なんだから)消滅と言っていい、合併後の球団は談合によって産まれた鬼子であって、素直に応援できるファンがいるわけない。
合併後の球団を正常に、新球団として生きさせる上でも新規加入球団は必要だ、ライブドアと楽天というカードがある今、選手会の論旨はプロ野球界を改革する最も有効な存在になった、これを死守すべきだ。
戦いはこれからだよ古田君!
こいつが不愉快だ、
理屈が通らないのは経営者サイドだ。ごそごそごそごそ裏で何を話しているのか。
そしてあの口ぽっかん読売、
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040909ig91.htm
戦前からの問題だが、日本の報道機関の偏向性解決の出口の無さに愕然とする。
ジャーナリストとして、コミッショナーとして全く無責任だ。小さなムラの中では『忠実』なのだろうが、君ら生きてるんか!
古田も泣くな、いんだストで、他にどうしようっていうんだ。政治的な言葉で1リーグの方向性をなんとしても(解釈として)残せるような玉虫色はいかん、これを許すと又50年は嘗められる。
そして古田ファンに謝るな、そのための週末ストだろ、ここでガタガタ言うファンは単なる「プロ野球ファン」だ、浮動票の中にこそコアな個人の意志があり、野球が観たいだけじゃないんだ、キャンプからそれを楽しんでる人は誰だ?オフシーズンから楽しみにしてる人は誰だ?
球団の実存ってのは週末のストで飛ぶような軽いものじゃない。
その実存が怪しくなってる、合併でける球団は近鉄だけじゃない、オリックスすら合併後は(どう考えても戦力は近鉄が上なんだから)消滅と言っていい、合併後の球団は談合によって産まれた鬼子であって、素直に応援できるファンがいるわけない。
合併後の球団を正常に、新球団として生きさせる上でも新規加入球団は必要だ、ライブドアと楽天というカードがある今、選手会の論旨はプロ野球界を改革する最も有効な存在になった、これを死守すべきだ。
戦いはこれからだよ古田君!
2004年09月11日
ストライキ延期の記者会見が凄かった
個として自立している人間と、組織の中で社会的地位を持つ有力者はどっちが怖いのか?
記者会見で握手を拒否する古田は怖かった、
労使交渉でこんな記者会見見たこと無い、
記者会見中のロッテ代表のコメント中に「(もうひとつの合併)しないでしょっ!」と横から古田
古田の台詞が「柔軟な対応をさせていただきました」
ロッテ代表との握手を厳しい顔で拒否、
これオーナー達どんな顔で見ただろう、そして全国の労組はどんな顔で見ただろう、選手会は自分たちの給料引き下げを提案し、且つ「12球団の収益をちゃんとシュミレーションしてるのか」と経営者側の不手際を指摘し、将来展望に口ごもる経営者側に基本方針の策定を迫る、
これ、プロ野球だけの話なんだろうか?
全国の企業の経営陣は、所謂ひとつの「オーナーサイド」とは違い有能なのだろうか?日本の労組は、徐々に組織率が落ちている、リストラにもまったく無力で(実際に首の切りすぎでリストラに失敗した事例もあるのに)、経済学的にも工場の海外移転はいいことばかりじゃなく、マクロで見たら国内需要の消失に繋がり、企業の国際競争力は財務体質だけなんてマヌケな話が横行し、、
何かできなかったのか?
権威に呑まれて口ごもった事はなかったか。
「オメーがおかしいんだよ」とか言えてたら、死ぬ事無かった中小企業の経営者もいたのじゃないか、
一般世論は近鉄の合併を完全に諦め争点にもなっていないのに、古田も磯部もまだその近鉄を諦めない。そして「それがダメなら」と、近鉄が無理だから凹むのではなく次の一手を考える。
野球は9回最後のバッターがアウトになるまで何が起きるかわからない、彼らにとったら諦めない事はごく当たり前で、
尚且つゲームに出ている。
今年のオリンピックは雰囲気が随分違った、メダルラッシュの背景に「個として自立」した選手の本番での強さを感じる、意味不明の「国のため」ではなく、一時期その反動として登場した「楽しむため」という神経質なそれでもなく、堂々と「個人の名誉のため日本代表として」
共同幻想の瓦解により、変わりつつあるこの国は、転換期であるが故に残念な事件も多く見られ、精神的に悩む人もそれに比例して増えると俺は予想しているけれど、同時に次の社会の有り様がチラホラと見えている。そこに共通するのは「個として能動的に」
なにがいいとか悪いとかではなく、「こう思うんだけどなぁ」というアレで、
60年安保闘争や学生紛争の時とはまるで違う、
12人ねぇ、、
「12人の怒れる男」とか、12使徒とか、12宮とか、干支とか、精神分析でオカルトってのもおかしいが(それが売りの精神分析もあるけどさ)、やっぱ12球団がいいんじゃないのと思うよ。
記者会見で握手を拒否する古田は怖かった、
労使交渉でこんな記者会見見たこと無い、
記者会見中のロッテ代表のコメント中に「(もうひとつの合併)しないでしょっ!」と横から古田
古田の台詞が「柔軟な対応をさせていただきました」
ロッテ代表との握手を厳しい顔で拒否、
これオーナー達どんな顔で見ただろう、そして全国の労組はどんな顔で見ただろう、選手会は自分たちの給料引き下げを提案し、且つ「12球団の収益をちゃんとシュミレーションしてるのか」と経営者側の不手際を指摘し、将来展望に口ごもる経営者側に基本方針の策定を迫る、
これ、プロ野球だけの話なんだろうか?
全国の企業の経営陣は、所謂ひとつの「オーナーサイド」とは違い有能なのだろうか?日本の労組は、徐々に組織率が落ちている、リストラにもまったく無力で(実際に首の切りすぎでリストラに失敗した事例もあるのに)、経済学的にも工場の海外移転はいいことばかりじゃなく、マクロで見たら国内需要の消失に繋がり、企業の国際競争力は財務体質だけなんてマヌケな話が横行し、、
何かできなかったのか?
権威に呑まれて口ごもった事はなかったか。
「オメーがおかしいんだよ」とか言えてたら、死ぬ事無かった中小企業の経営者もいたのじゃないか、
一般世論は近鉄の合併を完全に諦め争点にもなっていないのに、古田も磯部もまだその近鉄を諦めない。そして「それがダメなら」と、近鉄が無理だから凹むのではなく次の一手を考える。
野球は9回最後のバッターがアウトになるまで何が起きるかわからない、彼らにとったら諦めない事はごく当たり前で、
尚且つゲームに出ている。
今年のオリンピックは雰囲気が随分違った、メダルラッシュの背景に「個として自立」した選手の本番での強さを感じる、意味不明の「国のため」ではなく、一時期その反動として登場した「楽しむため」という神経質なそれでもなく、堂々と「個人の名誉のため日本代表として」
共同幻想の瓦解により、変わりつつあるこの国は、転換期であるが故に残念な事件も多く見られ、精神的に悩む人もそれに比例して増えると俺は予想しているけれど、同時に次の社会の有り様がチラホラと見えている。そこに共通するのは「個として能動的に」
なにがいいとか悪いとかではなく、「こう思うんだけどなぁ」というアレで、
60年安保闘争や学生紛争の時とはまるで違う、
12人ねぇ、、
「12人の怒れる男」とか、12使徒とか、12宮とか、干支とか、精神分析でオカルトってのもおかしいが(それが売りの精神分析もあるけどさ)、やっぱ12球団がいいんじゃないのと思うよ。
2004年09月10日
精神分析的な『今』のあり様と、プロ野球について書いていること。
精神分析ってのの基本は「なんでそうなるの」の理由を「こうでしょ」っと明解にすることなのだが、その視点から見るとマスコミの話とは違ってくる。なんかマスコミはおかしい、報道されている情報の断片を繋ぎ合わせると、別の話が見えてくる。
特に、その(報道における)『論調』に疑問を感じる事が多い。報道される内容に疑問を感じるのではないとこがポイントで、気になるのは『論調』、
何が言いたいのかっていうと、報道の中立性は報道の当事者性でなければならないと思うのだが、どうも「読者を代弁」という架空の幻想に浸かってしまって(必ずしも「視聴率や、スポンサーの意向、発行部数を意識するあまり」じゃないと思う)中立と言うより「こうあるといいのに、責任者はちゃんとするべき」的な強制力の無い『苦言』になっているケースが多い。随分批判も多かったが(俺自体好きでは無いが)、久米宏の特異性は当事者性の強さにあった(彼がジャーナリストではなかったからだろう)。
「こういうことを俺が聞きたい」「こうじゃないのかという疑問に答えてもらう」という『やりとり』が番組やインタビューで成立していた。(彼の中道左派的な思想的スタンスは問題あったと思うが)ともかく彼はエポックで、それが「生きた報道」だった点には見るべきものがあった。
オーナーサイドの考えがズレちゃってる事を、何故報道しないのか?「そもそも彼らの経営感覚はこれで大丈夫なんでしょうか?だから本業も赤字なのでは?」とか、
プロ野球問題を、俺が何かと取り上げているのは自分が昔かなりのプロ野球ファンだったという部分があるのは確かだが、選手会の面々が所謂サラリーマンでは無いものだから「個としての実存が強く」且つそれを支援する声にも「個としての発言が多い」。
これは共同幻想的な「なんとなく常識」に流されていきがちな部分に対するアンチテーゼであるってのに、報道が「もー」なので、どうしても書きたくなる。
選手会に触発されるように、東京高裁の原田和徳裁判長は随分と踏み込んだ警告をした、
http://www.asahi.com/sports/update/0908/129.html
「プロ野球組織の代表者には著名な法律家が就任しており、9日からの選手会との交渉では実質的な団体交渉が行われることが期待される」根来への痛烈な皮肉、
これは何だろう?
元々プロスポーツという娯楽は「個としての自由さ」を提供するとこが醍醐味で、損も得も無くファンは自分の好きな球団を応援し、プレーについて評論家気取りで語り、つかの間の自由を感じる。「そこが楽しい」
選手達はそんなファンの声に答え、個のパフォーマンスを披露する、ホームランバッターが好きなファンや、ヤクルトの土橋みたいな渋いのが好きなファンもいる、そこの自由さが「気まま」でいい。原田和徳裁判長の言葉にもそれを感じた。
今回の合併騒動は「まるでその真逆」で、非常に違和感を感じる。これまでのマスコミの巨人偏向報道にプロ野球ファンが感じてきた閉塞感のそれに近い。気ままなとこがまるで無い、
12球団あるって事は12種類のキャラを意味していて、そこに個々人が勝手に自分の思いを寄せているのであって、巨人が正義とかってことではない。(これはみんな知ってる事で、、)
肝心要のオーナーや球団代表が、野球に関して的外れな発言をし、的外れな談合をするものだから「みんな呆れた」というのが今回起きている現象で、やってる選手は「君ら(オーナー)は何やってんだ」となった。
非常にわかりやすい話だが、球場には1塁側と3塁側があり、日本シリーズにも1塁側と3塁側がある。その球場に足を運ぶファンの半分(あくまでもここは理想論で)は、他球団のファンであり「自分とこは黒字だ」という話を純粋には語れない。これ何処の球場でもお互い様なワケ、
「人気球団集めるとみな黒字」んなワケはない。
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-040910-0002.html
甲子園で「古田コール」
スポーツの美しさがここにある、
太鼓ドンドンとかで、一時外野席の野球ファンは随分と株を下げたが、今回の問題を契機にファンの心理も変わると思う。相手(11球団)あっての球団:ヤクルトであり、阪神でもある。
「なんで12球団に戻そうって一生懸命じゃないの?」
これは痛烈だ、
「なんで意地になって球団数を減らすの?」
「数が多いから赤字だ」なんて根拠は何処にも無い、オーナーサイドにあるのは明らかに「巨人戦含有率を増やすのには球団数が少ない方がいい」ぐらいなんだろう、
12球団2リーグの勝者と、8球団1リーグの勝者、これだけでも大きく違う。そして金がないと勝てないなんて事も無い(逆指名なんかに付き合わないでドラフトは全員高校生ってチームがあったっていいのだし)。巨人が優勝すると儲かるなんて神話は、地上波全国放送が巨人戦だけだからで、V9が過去となった今や他に理由は無い。
マルチチャンネルのこの時代に、広告の費用対効果や番組の魅力のキーが「一元化」なんて、時代に逆らってる、
メジャーリーグなんてまるで見なかった人が、メジャーという『プロ野球』を見るようになった(多様化した)。むしろ今はチャンスなんだと思う、危機だと思う方がおかしい。パリーグの観客動員は増え、日ハムの北海道フランチャイズは成功してる、「個としての自由:能動」っていう悩みの反対側にあるものが少しずつ伸びてきている。これを育てないでどうする。
特に、その(報道における)『論調』に疑問を感じる事が多い。報道される内容に疑問を感じるのではないとこがポイントで、気になるのは『論調』、
何が言いたいのかっていうと、報道の中立性は報道の当事者性でなければならないと思うのだが、どうも「読者を代弁」という架空の幻想に浸かってしまって(必ずしも「視聴率や、スポンサーの意向、発行部数を意識するあまり」じゃないと思う)中立と言うより「こうあるといいのに、責任者はちゃんとするべき」的な強制力の無い『苦言』になっているケースが多い。随分批判も多かったが(俺自体好きでは無いが)、久米宏の特異性は当事者性の強さにあった(彼がジャーナリストではなかったからだろう)。
「こういうことを俺が聞きたい」「こうじゃないのかという疑問に答えてもらう」という『やりとり』が番組やインタビューで成立していた。(彼の中道左派的な思想的スタンスは問題あったと思うが)ともかく彼はエポックで、それが「生きた報道」だった点には見るべきものがあった。
オーナーサイドの考えがズレちゃってる事を、何故報道しないのか?「そもそも彼らの経営感覚はこれで大丈夫なんでしょうか?だから本業も赤字なのでは?」とか、
プロ野球問題を、俺が何かと取り上げているのは自分が昔かなりのプロ野球ファンだったという部分があるのは確かだが、選手会の面々が所謂サラリーマンでは無いものだから「個としての実存が強く」且つそれを支援する声にも「個としての発言が多い」。
これは共同幻想的な「なんとなく常識」に流されていきがちな部分に対するアンチテーゼであるってのに、報道が「もー」なので、どうしても書きたくなる。
選手会に触発されるように、東京高裁の原田和徳裁判長は随分と踏み込んだ警告をした、
http://www.asahi.com/sports/update/0908/129.html
「プロ野球組織の代表者には著名な法律家が就任しており、9日からの選手会との交渉では実質的な団体交渉が行われることが期待される」根来への痛烈な皮肉、
これは何だろう?
元々プロスポーツという娯楽は「個としての自由さ」を提供するとこが醍醐味で、損も得も無くファンは自分の好きな球団を応援し、プレーについて評論家気取りで語り、つかの間の自由を感じる。「そこが楽しい」
選手達はそんなファンの声に答え、個のパフォーマンスを披露する、ホームランバッターが好きなファンや、ヤクルトの土橋みたいな渋いのが好きなファンもいる、そこの自由さが「気まま」でいい。原田和徳裁判長の言葉にもそれを感じた。
今回の合併騒動は「まるでその真逆」で、非常に違和感を感じる。これまでのマスコミの巨人偏向報道にプロ野球ファンが感じてきた閉塞感のそれに近い。気ままなとこがまるで無い、
12球団あるって事は12種類のキャラを意味していて、そこに個々人が勝手に自分の思いを寄せているのであって、巨人が正義とかってことではない。(これはみんな知ってる事で、、)
肝心要のオーナーや球団代表が、野球に関して的外れな発言をし、的外れな談合をするものだから「みんな呆れた」というのが今回起きている現象で、やってる選手は「君ら(オーナー)は何やってんだ」となった。
非常にわかりやすい話だが、球場には1塁側と3塁側があり、日本シリーズにも1塁側と3塁側がある。その球場に足を運ぶファンの半分(あくまでもここは理想論で)は、他球団のファンであり「自分とこは黒字だ」という話を純粋には語れない。これ何処の球場でもお互い様なワケ、
「人気球団集めるとみな黒字」んなワケはない。
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-040910-0002.html
甲子園で「古田コール」
スポーツの美しさがここにある、
太鼓ドンドンとかで、一時外野席の野球ファンは随分と株を下げたが、今回の問題を契機にファンの心理も変わると思う。相手(11球団)あっての球団:ヤクルトであり、阪神でもある。
「なんで12球団に戻そうって一生懸命じゃないの?」
これは痛烈だ、
「なんで意地になって球団数を減らすの?」
「数が多いから赤字だ」なんて根拠は何処にも無い、オーナーサイドにあるのは明らかに「巨人戦含有率を増やすのには球団数が少ない方がいい」ぐらいなんだろう、
12球団2リーグの勝者と、8球団1リーグの勝者、これだけでも大きく違う。そして金がないと勝てないなんて事も無い(逆指名なんかに付き合わないでドラフトは全員高校生ってチームがあったっていいのだし)。巨人が優勝すると儲かるなんて神話は、地上波全国放送が巨人戦だけだからで、V9が過去となった今や他に理由は無い。
マルチチャンネルのこの時代に、広告の費用対効果や番組の魅力のキーが「一元化」なんて、時代に逆らってる、
メジャーリーグなんてまるで見なかった人が、メジャーという『プロ野球』を見るようになった(多様化した)。むしろ今はチャンスなんだと思う、危機だと思う方がおかしい。パリーグの観客動員は増え、日ハムの北海道フランチャイズは成功してる、「個としての自由:能動」っていう悩みの反対側にあるものが少しずつ伸びてきている。これを育てないでどうする。
2004年09月08日
オーナー会議を終えて、ちょっと先が見えてきたか、
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040909k0000m050079000c.html
「NPBが誠実交渉義務を尽くさなければ、不当労働行為の責任を問われる可能性があるばかりでなく、野球の権威などに対する国民の信頼を失う事態も招きかねない」と東京高裁
http://www.sankei.co.jp/news/040908/spo112.htm
で久万が「読売のオーナーはええとこの坊ちゃんやから、労働者の気持ちは分からん。(ストは)やむをえん」
でも滝島の議事運営はとても民主的だったらしく、
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/pro/news/20040909k0000m050106000c.html
広島の松田オーナーが「公平で立派な議長で感銘した」
さて、横浜は「先送り発言」をしたのだが、新規参入にオーナー会議が譲歩の姿勢を見せたので、ともかく近鉄の合併は承認。
ここに古田君の「個人的発言だが新球団参入ならスト回避」が重なる。ようやく話がマトモなところに落ち着いてきた、近鉄の選手全員が新球団との契約で調停を申し入れるなど、様々な戦い方が提示されている今、「新球団=ほとんど近鉄」の可能性すらあり得てくる。これから状況がどう変わるのかわからないが、『論議を平場で』という状況に軸が移っていると思う。
宮内が面白い事言っている。
(わざわざ記者会見で「ちょっといいですか」)「労働条件でなく経営問題について申し入れている不思議なスト。大変戸惑っている」宮内ほどの人物が、これ言うかと思うが、大事な事だが、今回の選手会の言い分は「プロ野球の将来を考えること」で、労働条件をめぐる闘争なんてケチな話じゃない。経営者と労働側が理念の話し合いも持たずに金銭面や労働条件だけで交渉するなんて時代はとっくに終わってる。
「共同幻想」という名のフィクションが次々と形骸化している今、個人が何を思うのかって時代になり、民主主義としての論議は、金と労働条件だけなんて事は無い。
近鉄の本社が潰れようが会社更生法になろうが、それは経営の問題だが、12球団全球団の力によって運営されてきたプロ野球という名の文化(時とともに変化し続けていくこの文化は「同じ共同幻想でも形骸化してはいない」)は、権威ではなく選手個人、球団、裏方、OB、ファンによって今でも実存している、宮内はそこが見えていないのだろうか。
個人が発言する事は、自発であり且つ能動である。
『もっぱら受動であることに起因する閉塞』へのアンチテーゼである、選手会の声はそれぞれ選手個人の付託を受けたものであり、、、
古田って男が今やってる事は、オーナー達とは完全にフェイズが違っている。
「NPBが誠実交渉義務を尽くさなければ、不当労働行為の責任を問われる可能性があるばかりでなく、野球の権威などに対する国民の信頼を失う事態も招きかねない」と東京高裁
http://www.sankei.co.jp/news/040908/spo112.htm
で久万が「読売のオーナーはええとこの坊ちゃんやから、労働者の気持ちは分からん。(ストは)やむをえん」
でも滝島の議事運営はとても民主的だったらしく、
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/pro/news/20040909k0000m050106000c.html
広島の松田オーナーが「公平で立派な議長で感銘した」
さて、横浜は「先送り発言」をしたのだが、新規参入にオーナー会議が譲歩の姿勢を見せたので、ともかく近鉄の合併は承認。
ここに古田君の「個人的発言だが新球団参入ならスト回避」が重なる。ようやく話がマトモなところに落ち着いてきた、近鉄の選手全員が新球団との契約で調停を申し入れるなど、様々な戦い方が提示されている今、「新球団=ほとんど近鉄」の可能性すらあり得てくる。これから状況がどう変わるのかわからないが、『論議を平場で』という状況に軸が移っていると思う。
宮内が面白い事言っている。
(わざわざ記者会見で「ちょっといいですか」)「労働条件でなく経営問題について申し入れている不思議なスト。大変戸惑っている」宮内ほどの人物が、これ言うかと思うが、大事な事だが、今回の選手会の言い分は「プロ野球の将来を考えること」で、労働条件をめぐる闘争なんてケチな話じゃない。経営者と労働側が理念の話し合いも持たずに金銭面や労働条件だけで交渉するなんて時代はとっくに終わってる。
「共同幻想」という名のフィクションが次々と形骸化している今、個人が何を思うのかって時代になり、民主主義としての論議は、金と労働条件だけなんて事は無い。
近鉄の本社が潰れようが会社更生法になろうが、それは経営の問題だが、12球団全球団の力によって運営されてきたプロ野球という名の文化(時とともに変化し続けていくこの文化は「同じ共同幻想でも形骸化してはいない」)は、権威ではなく選手個人、球団、裏方、OB、ファンによって今でも実存している、宮内はそこが見えていないのだろうか。
個人が発言する事は、自発であり且つ能動である。
『もっぱら受動であることに起因する閉塞』へのアンチテーゼである、選手会の声はそれぞれ選手個人の付託を受けたものであり、、、
古田って男が今やってる事は、オーナー達とは完全にフェイズが違っている。
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