2008年06月05日

共同幻想も”崩壊し過ぎ”

現代社会がその共同幻想の崩壊過程にある事はご存じのとおりで、文明化→先進国の流れの中で特別社会学や哲学的構造論的な解釈の必要も無く、それは自明の事になる。
心理学的に言えば”社会帰属的概念”のよりしろとなる共同幻想の正当性は文化や伝統により担保されるもので、ここが自由主義的であったり各個人の人権の尊厳を重んじる方向にシフトするのは経済成長とのからみで必然になる。
これは、発展途上段階の社会や近代保守であったり、極論未開の孤立民族における習俗といったものが「私有財産」を確認する領域が著しく狭いため、個人の人権であるとか各個人の自由なんてーな論議をするにしても”それは何の事ですか”と、守るべき対象が実存していないために論議としてそもそも成立しないためで、
反対に言えば、この守るべき私有財産(各個人の肖像や自由を含む実存権のようなものと考えた方が自然)の登場により、近代社会の各個人の心理面においてもここを安定させる共同幻想はその正当性から瓦解するため、文明化社会においてその過渡期に個人のメンタルが不安定化するのは「構造的に必然」となる。

なーわけで、現在日本社会はこの過渡期にあるんだが、
当然その間予定外の共同幻想の崩壊により「あたかもイエス時代の迷える羊の話じゃないが」自立的自我の確保を”ルール無用のスポーツ”のような状況下で、各人の自意識は行わなければならないんであって「ちょっとした開拓時代のサヴァイヴァル」みたいな様相を呈する事になる。

むしろワケのわからん話が頻発するのが”むしろ自然だ”と、
不登校:なぜ?児童23人が「原因なく」 学校が出席を督促 文科省「聞いたことがない」
新潟市の複数の公立小学校長が今月、登校していない児童13人の保護者に対し、異例の「出席督促書」を渡していたことがわかった。督促を指示した市教育委員会は「昨年末から、特定の地域を中心に、親の意思で通学させないケースが続出している」と説明する。一方、督促された親たちは「子供が行きたがらずに登校できないのであって、親の意思ではない」と話している。【黒田阿紗子】
(中略)
今月、市内の公立小学校に通う1〜4年生計13人の保護者に届いた。うち1年生4人は、入学して一度も登校していないという。
市教委によると、昨年12月から特定の地域を中心に「ホームスクーリング(自宅学習)をさせる」と親が申し出て、低学年の児童10人以上が登校しなくなった。2月初めには、就学通知が届いた新1年生の親からも同様の申し出があり、今年度には「原因がなく登校しない児童」が23人と倍増。事態を重視した市教委は、家庭訪問などで出席を促したが、「話し合いに応じる姿勢がない」と判断した保護者に限って督促書を出した。

佐藤満夫教育長は「異常な事態だ。親の考え方で公教育の機会を奪うのは許されないことを示し、少しでも子供の登校につながるよう願って督促を決めた」と話す。
一方、督促書を受け取った母親は「子供が学校に行きたがらず、夜うなされたり吐いたりを繰り返したので、仕方なく家で勉強している。学校が理解してくれず、つらい」と話す。別の母親は「友達関係をきっかけに、前から不登校ぎみだった。子供を理解しようと十分に働きかけもせず、なぜ突然こんな文書を出すのか」と不信感を強める。

文部科学省初等中等教育企画課は「子供がまとまって登校しなくなり、一度に督促したような例は聞いたことがない」と話している。
(毎日jp 2008/05/29)


このニュースはヤフーの方ではコメント可能な方式で掲載をされていて
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080529-00000022-maiall-soci
コメント的には「こういうワケのわからん親は話にならん」という意見が大勢を占めていると、
ニュースの読み方的には「そういう子供のメンタルな問題の発現要因として”本丸”ともいえるその家庭に監禁状態なのはいかがなものか」って事でしょうよ。
つまるところ、学校に行きたいのかフリースクールのような環境を希望するか、おそらくその意志の確認以前の状態と思われで(現実問題学校へ行くのか行かないのかはどうでもいいとしても)、
言ったらあなた「あんたの家族社会に適応しているとこが一番心配なんだが」となる、
思うにここは学校サイドマターではなく、児童相談所マターかと(その肝心要の児童相談所のレベルが別問題の問題なんだが)。

共同幻想の崩壊が自明であるのは明白なのだから、子供の生存権として見た場合『既に”家庭や家族”等という概念は多大にリスク要因である』と予め推定しておくのが筋ってもので、
その”家庭やら家族等の抽象概念”に何かを期待するほうが見当違いだと考えておいても考えすぎじゃ無いだろう。
かといって、どんな権限でどんな組織体や個人が、家庭やら家族社会の補完を行い得るのかって考えてみると「う〜ん」となるんであって、アイデア的には厳しいんだなこれが。

しかしね、
結果として「家庭における人間関係下の殺人事件の危険性が一般社会の繁華街より危険じゃネーの」なる昨今の印象(そりゃ犯罪統計的には繁華街の方が危険だろうけど)は危険水域を突破している状況なのだろうし、それこそ『共同幻想として”家庭やら家族”等の抽象概念は既に現代社会において通用しないのじゃないか(ムラ社会と大きな違いが無い)』てな認識を進めるだけでも角度は変わるのじゃ無いだろうか。
posted by kagewari at 18:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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