2004年10月23日

自我の成り立ちについて考える。

自我を定義する事自体がこれまた難しいので、ともかく自我の成り立ちから話を進めよう。コミュニケーションの手段は各生物で様々だけれど、このコミュニケーションや相互関係(多種や自然環境との関係も含む)を通して種としてのイメージがある。「この生き物は植物で光合成をして、繁殖に虫の協力を得ている」「この生物は捕食獣で、小動物の分布に応じるため広い縄張りを持つ」この種としてのイメージを無視して固体を観察する事はあり得ないし、むしろこの種としてのイメージが実存感が強い。

ここを繋いでいるのがコミュニケーションで、深く種の実存に関わっている。

ここ、ここ。
コミュニケーションは「深く『種』の実存に関わっている」

これ何か?
コミュニケーションにはそれ自体に個別のアイデェンティティーがある。
『個体を離れて』
ここが難しい、小動物を食べる事で地球上の種としての生存総数は定義される。つまり「関わり」は個体とその実存(言い換えると個単体を切り離して観察す人がいない理由は、そこに実存が無いからで、、)を決定している。

ので、

コミュニケーションの手段として言語ロジックを使う人類は、「関わり担当」の独自性が強い。何故なら関わる部分の蓄積が「関わり担当としての体験」になるからで、このロジックの数が又半端じゃなく、組織的、論理的にまとめていかないと整理がつかない。

「関わり担当」の独自性の反対は、「関わり担当と個体の一致性」だから、人の自我ってのは「自分はかく在り」と宣言する独自の(極端に言えば個から独立した)機関を持っている。この独自機関を『自我』と呼ぶ。
わかりやすく言えば、宴会の幹事としてのやりがいは、「調整担当」のもので、ここで活躍したので「僕は調整者」として「個の実存に変化が起きた」とは(これ微妙なとこ、そう言えなくもないが)言えない。自分の特性に「調整役として有能」が不可されたのであって、イメージとしては「あの課にはいい幹事がいる」という方が実存のメインになるので、、、

うーん、ナチュボーンではなく「付加されたイメージ」なのだから、これ個から離れた『新属性』と言えばいいか、、。しかし他者との関係無しには(百歩譲って「元々調整役」と名の付いた素養があったとしても、、。これも疑問なんだな〜「調整役」って実存話じゃなく、調整役って原型が自我にあるなんて話になってしまうのじゃないか?)発現する事の無いキャラであって、、

やはり、この「調整役」は個から独自に実存している。
posted by kagewari at 01:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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