2020年01月27日

タイトル脇の注記に書いてあるにも関わらず”いい悪い”論持ち出す例が後を絶たない


ので、
■『道徳』の構造を(過去に何回も書いているんだが)しつこく説明してみる

そら言語だから、性能が”イイ”とか、このオーディオは音が”悪い”ってのは単なる修飾語だから勿論この話には無関係。
ここで言っている「”いい悪い”論」ってのは、
「誰々さんはあんなことして悪いと思います」みたいなさ、『共同幻想』適応に自信あるタイプの小学生が得意とする台詞に登場する『道徳』判断のことです。
(要約すれば”道徳的にいい・悪い論”)

で、どうして『道徳』が=権威性認知で、『共同幻想』社会の専売特許なのかと言えばだ、

そもそも”いい悪い”ってのは子供時代「自分の行動を規制する概念」として刷り込まれる、
子供が自分の創意工夫で『道徳』編み出したとか”無い”ワケです。
つーか、仮にそんな事あれば「神の啓示を聞いた預言者ムハンマド」と同じ構造になる。
 ↓
●でーそれが(フロイトで言えば超自我に相当する)『自意識』の上位概念となるんだけど
(自己を規制だから=抑圧と構造は同じ)

同時に、周囲に(『共同幻想』論で言えば共有多数派の形成が必要だから)適応し「(事実所属社会の構成員がそうだと言っているのだから)誰それはいいとか悪い」って言葉になる(多数派をバックにしているから”同一社会内部”に限り有効な概念となる)。
「だよねそうだよね」の票を集めたり、親や教師から「そのとおり」の承認を受けると、権威的裏付けの確認が取れ「絶対こうだから」などの揺るぎない概念となる。

※軍隊のような規律にシンパシーあるような『確信犯的保守選択者』系の自我は(多数派認定や権威者にお伺いを立てるのでは無く)、文化伝統を自ら学び「歴史的集合知」的に「なるほどこれかっ!」のように揺るぎない自己を形成する人で(ぶっちゃけ”サムライ”)、中身は全然別物となり、むしろ自我の建付けは後述の『単独者』に似てる。


●逆説的に言えば「個人の自由主義」(政治的にはリバタリアンみたいなもんだよ)を旨とする『単独者』の場合、そもそもが「アンチ権威主義」なので、『道徳』の概念は自我にインストール”されない”。
加えて、『単独者』にとっての超自我ってのは「自分を俯瞰で見るジャーナリズム(客観的現実認知そのものが合理的判断を考える根拠となる)」みたいなものなので、個人的美意識がそこに座る。
(簡単に言っちまえば”いい悪い”では無く”好きか嫌いか”だけになるってこと)

故に『単独者』が、他者を”いいだの悪いだの”言うことは無い。
(そもそも『単独者』が多数派コンセンサスを得るため認定や承認を得ようとする筈も無い)


<<<<ことほど左様に>>>>

”いい悪い論”ってのはガチ『共同幻想』系の概念であり(権威的上下関係無しに成立しない)、
仮に当事者が”非社会適応”の場合(権威的裏付け無くもっぱら自己を抑圧する概念となるため)、自動的に「強迫心理」となる。
加えて、”非社会適応”なので「だよね、そうだよね」通信によるアップデートも行われないため、その成立時の(子供時代の概念)ままであるケースが大半なので、
 ↓
「誰々は悪いと思います」みたいな知恵の付きだした小学生が言うような台詞が多くなるんです。
(暗韻として発音されていないが、その語尾は「ですよね先生」だとか「だよねお父さん」)

だ か ら 自分の自我にメンタル上の問題意識のある場合(メンタル問題)、

ほぼほぼ確実に「強迫心理」が関与しているので、
「”いい悪い論”をひとまず強制的にNGにして」って説明してんです。
(それのが早道だから)

そうしないとどうなるかって、
権威の裏付け無しに権威的認知である”道徳的にいいだの悪いだの”の話に終始することになるので、「その発言そのものが対立の発端になる」ワケだよ、
●周囲は発言の中身では無く「信者でも無いものが特定宗教の戒律を我が事のように語る様」にまず違和感を感じる、
「誰に断ってその概念を自分のものとして語れてんの?」って話です
 ↑
仮にそれが「親に教わった、先生に教わった」と言う場合、現在所属の社会に対し”それらの人物”が更に上位権威として成立し得る証明が必要になる(『共同幻想』適応し現在メンバーに予め認定得ていないので権威性の証明のためには更に上位階級の話でなければ説得力を欠く)。
仮にその証明に成功したとしてだ(実は父親が所属社会《会社》のトップ《社長》だとか)、
起きる現象は、
「違和感を感じていた周囲が、ははーおっしゃるとおりです」とひれ伏すってことでさ、
 ↑
逆説的に言えば(そんなつもりが無くても論理構造上)、自分が(バックにしている何らかの権威で)彼ら全員に対し最上位の位置にいる事を認めさせようとしているようなもの。


●「いやいや、だよねそうだよねアップデートしなくても、TVや教育で人権などの知見あるでしょ」
 ↑
勿論、これって『共同幻想』の破壊を前提とする”リベラル改革主義”のスタンスなので、
(左派リベラル:注『歩留まり』層が全て左翼という意味では無い、彼らが道徳的主張を選択する場合の話。それはダメ『歩留まり』みいたなもので、、道徳的発言=『共同幻想』焼き直しとなるので左翼はダメなんだって話にも繋がる。)
 ↓
(んな事はともかくこの場合)自我選択しとしては『歩留まり』系って事になります。
この場合は、仁義の切り方として『共同幻想』適応社会などは”遅れた保守主義”であり、そこに否定的でなけりゃいかんワケさ。
 ↓
だとしたら「誰それはいいとか悪い以前の問題として、目の前の『共同幻想』社会の存在自体を守旧派組織として批判していなければならず」、関係社会の批判はスルーしたままに内部の構成員を「誰それはいいと思います、悪いと思います」みたいな発言は【あり得ない】。
「私は『歩留まり』であり、あなた達『共同幻想』社会にまず批判的な改革者です(=左翼リベラルの場合)」の仁義を切らずに、
”社会非適応者”が内部の者に「誰それがいいと思います悪いと思います」の発言をすれば、
(この話は本やTV他媒体や情報でアップデートした場合の話になるから)
「だって、あなた達より賢そうな人の書いた本に書いてあるもん」←が根拠になる
 ↓
そう言われた『共同幻想』社会は、口ぽっかんになり、こう思うよね。
「え?それを理解するため、私達にその本読めって事?」

意味わかります?
・そもそも「オマエラは改革が必要な守旧派だ」と批判する姿勢で仁義を切っていれば(『歩留まり』宣言)、
「オマエラはまったくわかっていない、俺はこう思う(出所は本でもTVでもいいけど)誰それは悪いんだって、人権ってものわかってる?」って戦う姿勢になるけれど、
・(オマエラと敵対しますよの)仁義を切らず、なーなーで仲間ごっこをしている場合、
「誰々だって悪いと思うよ、本やTVでも言っていたけど、、」
「え?なんの本、どの番組?」←なんの説得力も無いワケだよ。
(話の中身では無く、話の出処・根拠の証明の点でそうなんのさ)
 ↓↓↓
●思い出してくださいよ

「ねぇねぇあのTV見た〜、面白いよね〜」「だよね、そうだよね〜」
「ねぇ話題のあの本読んだ?面白いよ〜」「えー、ほんとー?」
 ↑
『共同幻想』内部論の場合、出展となる書籍やTV番組は事前に上記のコンセンサスで、ほぼ全員が読んだ・観たって確認や承認無しに持ち出すことはNG(無効)なんだってば。
(※逆説的に『共同幻想』方式の場合、確実に《個人の能力と関係無く》適応者の民度はアレになる。乱暴に言えば”バカ”)


結局、”社会非適応自我”が(この段階で『共同幻想』の論理を使っちゃダメだろってことなんだが→悪循環にしかならない)、
自らの選択希望や今後の展望(確信犯保守or『歩留まり』or『単独者』)の自覚や表明無しに、「いい悪い論」を弄しても「どこの誰に対しても説得力が無い」だけで無く、
●それはたぶんってかむしろ「強迫心理」として、自分の『自意識』を抑圧する方便ですよって話。
(”社会非適応者”にとって最悪の選択である「フラフラ『共同幻想』に近づいて承認欲求から意味のわからない関わりをする」の原動力になってしまったりする、)


■話の前提としてさ”社会不適応”事態は何ら問題ではないこと忘れずに

”社会非適応者”って言葉は、
部活参加者に対する「帰宅部」程度の意味だから、

素で「部活とかバカじゃね」だとか「まー熱心なことで、ごくろうさん」と思えていれば何ら問題は無い。
 ↓
ところが、
(道徳的にナントカ部とか参加するもんだよねなどの強迫心理から、或いは部活ってキラキラした青春なんだよねなどの謎の《エディプス的過剰》象徴化などにより、)
 ↓
「入部届も出していないのに(当然誰もその人物を正規の部員だと思っていない)、いっつも野球部の練習にジャージで参加していて、”今のプレイは悪いと思います”とか言う奴」
 ↑
(発言の中身じゃないって意味わかりますよね?)
それ聞いた野球部の部員どう思う?
「何言ってんのコイツ?、入部希望者?ってか誰?」

でさ、
心理学の相談などで、
「私がゲッツーの時にセカンドのベースカバーが遅いって言ったことが間違いなんですか!」
みたいな個別各論で堂々巡りすることにいかに意味が無いのか、、。
(そこが問題なんじゃないんだってば、、、とかな)

これだけ書いても、にわかに理解いただけないのだと思うけれど、
その都度書くのも何なので、
説明時にURLで参照指定可能なようにまとめておこうと思ったところです。





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詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
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posted by kagewari at 07:50 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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