2019年01月24日

宗教論も逃げずに考えないといかんなと(3)

さーて困りました、
今回の原稿こそ書くのが怖い話なんだが、、
ええ、宗教心理のネタバレです。
はたしてそれやっていいものかと思うのですが、
まーなんとかなるでしょう。

伝統宗教から新興宗教まで
その「神のお告げを聞いたってその人」の謎です。
●さてこの話には前後する解説として
”いいだしっぺ”はマジになって神の声がなんて確信犯的に思っておらず、ソドムとゴモラみたいな当時の世相の中、政治・哲学・道徳・公衆衛生などなどを文盲率100%近い民衆にいかに説明しようかと苦心惨憺しただけであるってさ(それを言ったらおしまいよな)擁護論はあるだろうけどさ、
(※仮にこの擁護を肯定しちゃうとその布教の過程で意図的確信犯で”盛った話”を喧伝しちゃったことになるのであって…それは別の意味でアレでしょ。てか親鸞しかりコンスタンティヌス帝しかりの話とかに及んじゃうと、更に違う意味でオーもーになるんだが、、)
 ↑
もう一段上の擁護論をあげておくと
「当時としては天才としか思えない哲学的発見をした当該人物が(謙虚さのあまり)、まさかこのひらめきが自分が天才だからなどということはあり得ない。これは神の意思が私にこの発見を与えたに違いない」←つーケース。
(しかし、この場合もその話を「実際に神の声を聞いたから」と言っちゃえば、結論は前者と同じになってしまう。)


そ、そんなことはともかくだ
真実はどうだったのかしらねって話じゃないからね(笑、

■■■今回お題の本質はここ■■■
いずれにせよ(それがパウロのグローバリズムだろうとだ)、
信者の皆さん、宗教なる『共同幻想』論の核となるストーリーは
救世主なり予言者なり選ばれし者なり、なんでもいいんだけれど、
 ↓↓↓
「その人が神の声を聞いた」的(それこそ)”神話”に始まる。

さてお立合い
よーく考えてくださいよ

”そ れ が 本当 だった と し た ら”

繰り返しますよ
「神の声を聞いたってモノホンの人物がいたとしたら?」



人類ヒト科の我々にとって

その声をどうやったら?神の声だと証明できる能力があんでしょうか(笑
(事前に神の声はこうだからって経験ないとわからんよね)
だってね、
それは電波かも知れない(てか現代社会でそんな事言いだす人全員が診断として電波だよね)
それは幻聴かも知れない
それは幽霊かも知れない
それは悪魔かも知れない
それが堕天使の言葉だったら?
それはちょっと賢い(原始社会の王族階級みたいな)雅な友達の言葉かもしれない
白日夢でうとうとしていただけなのかも知れない
無意識にあれこれ自分で考えていたことなのかも知れない
 ↑
はたしてそのどれなのか?それは神の言葉でいいのか?
ぜってー人類ヒト科ごときにわからんよね(笑

●「いやいや救世主や預言者はもう人間じゃないから(事前に神とも顔見知りだ)」
となると、宇宙人や超能力者や魔法使いや異世界人の可能性も俄然高まります。
更に根源的なこと言うとさ、
神を自称するその人物(概念でもいいけど)、
その”本物の神”ってさ、その人こそさ「自分をどうして神だと自覚できてんの?」
(かなり超越的生命体だと自認できたとしても”それ以上”の存在を否定しきれる根拠は?)
量子力学的な”観察者の視点”によるものかい?

或はさ、、(これ『共同幻想』論のパラドックスなんだけど、)
神の権威の後ろ盾となる、更なる上位の(彼を神だと認定する)概念や権威があるってこと?
「神って名札でもついのんのかーい!」


えー〜、、、話を預言者レベルに引き戻しまして
■心理学の出番です
結論、
その(聞こえたんだって)人物には、
予め(聞こえたら)「あ、これ神のお告げだ」と解釈する心理的準備ができていたのだろう
 ↑↑↑
これどういう状態?
(もう危ない人だよね?)

ヤバい、ヤバ過ぎる、、これ以上書きたくない、、、。

うーん、なんてーかな〜

伝統宗教が電波と違うのは、
●その「哲学・社会学・公衆衛生と道徳・政治論」などがアカデミックにマジ物だからでしょ。
極論すると、
その正統性は(神の奇跡云々は置いておいて)
「宗教性と関係の無い突出した学問的優位性」にある
う〜ん
とても言い難いのだけれど、
伝統宗教の”ある意味”その正統性は、唯物論的学問としての論理性によるものである。
反対に一番(音楽とパクリ論じゃないけどさ)「そこは言いっこなしよ」な側面が、その宗教的正統性論議である。

ちょ、、ちょっと待ってくださいよ
この論考part1に戻りますけど、
■一見熱心に宗教儀礼をやっている『共同幻想』適応人格な人の深層心理は
「天国とか、、まず無いから、、(神様もいないだろう)」だったりする。
 ↑
ここで「パスカルの賭け」は破綻し(想定利得が得られず)
プチ”オカルト”が流行したりする
(中世ヨーロッパでは本気で免罪符なる債権出しちゃったりさ)
 ↓
言いだしっぺの預言者の心理を考えれば考えるほどに、
その伝統宗教を(否定するならまだしも)肯定的に擁護論を展開すればするほど、正統性が認められるのは唯物論的論理性であり、要の宗教性は「そこは言いっこなしよ」だったりする。
(神の声がマジだからと言えば言うほど、せっかく実存する論理性はどこへやらで、危ない人の電波みたいな話に展開してしまうので、贔屓の引き倒しになってしまう。)

これさ、
『共同幻想』における根源的な”無常性”って言えばいいのかな、、
(悪く言えば”ねずみ講の夢破れる的絶望性”)

「パスカルの賭け」できねーじゃんみたいな(笑

<<<<え?あれれれ?>>>>
●そもそもパスカルの賭けがマジ宗教の話しているのでは”無い”ってところの(所謂”賭け”の法則)
「パスカルの賭け」は成立させることができるのは、
『共同幻想』適応人格では”無く”、
(所謂不信心者の)『単独者』にしかできないのか?

だとしたら、
それはトンデモ級のパラドックスじゃん…。




<<<今回のオマケ>>>
今回は昭和の洋画的なもので(そこはかとなく『共同幻想』的神と道徳へのアンチテーゼ作品から)、
マックイーンが最強にカッコよかった映画『The Getaway』から
The Getaway - End credits - Quincy Jones - Toots Thielemans

(ちなみに作曲クインシージョンズは、宮崎ジブリ映画でお馴染みの音楽久石譲の憧れの人「久石譲は当て字(クインシジョー)」)
『真夜中のカウボーイ』でお馴染み(JAZZ界オンリーワンのハーモニカ奏者)シールマンスが泣けるぜ

『The Getaway』ホテルの銃撃戦シーンはアニメの名作『カウボーイビバップ』に受け継がれております。
The Getaway 1972 Shootout

(BGMが入るタイミングが絶妙)

ジーナ・ローランズが
「ベテラン化以降だからこそタフでカッコ良くて、そして美しい」
Bill Conti - Gloria (1980) main title theme

ハードボイルド的にはマックイーンやイーストウッドを抑えて『グロリア』が最高傑作ではないかと思ってます。
(個人的な七不思議なんだが、ハリウッドではハメットやチャンドラー原作で本当の名作ハードボイルド映画ってのが存在しない。何故できないのかわからない。)

「とっととあっちへお行き」
(と言っているのだが)
「ねえフランク、セクシーなプエルトリコのガキ相手にどうしようっての?」
「この子は英語も話せないのよ」
(いきがかりで昔仲間のマフィアにぶっ放すグロリア←もう元の世界に戻れなくなる決定的シーン)
Gloria (1980) dir: John Cassavetes. Short extract - "TAXI!"

ご主人のカサベテス監督、上手いよね。
(BGM入れ込むタイミングがGetawayと似ている)

(ロッキーのテーマで有名な)ビル・コンティ作曲『Gloria』も映画音楽によく見られる”譜面化されたJAZZ”(白いJAZZとでも呼べばいいのか)、実は嫌いじゃありません(タクシードライバー然り・ブリット然り)、
(音楽グロリアの元ネタはマイルスのアランフェス協奏曲じゃないかな←そもそもこの時代のマイルスは唯一彼が尊敬した白人とも呼ぶべきピアニスト、ギル・エバンスと組んでいた。アルバム的には『スケッチ・オブ・スペイン』←実のとこと俺はこのアルバムはあんまし好きじゃないんだけどね。)

白いJAZZってのは(本物のJAZZ即興演奏における”いいとこ”はほんの一瞬のひらめきでしか望めないのに対し)、譜面化されることでいいとこが延々と計算ずくで続くところにあって(そういう意味じゃぁインチキなんだけど)、JAZZを聞き始める動機付けってのかな(実際俺がそうでしたから)洗練されたが故の入りやすさがある。
(そういう意味で俺はリチャード・クレイダーマンを安易に否定する気になれないのです←いつか”どうでもいい話シリーズ”でクレイダーマン特集やろうと思っています。)
そこにはそこの意味があると思うんだよね。

JAZZにも芸術における「難解さと羞恥心」ってところが関係しているのじゃないのかしらね(即興:インプロヴァイズでなければいけない事情ってのかな)、





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