2019年01月12日

宗教論も逃げずに考えないといかんなと(1)

流石に慎重に事を進めないといかんと思うのだが、、
まず、このブログでは頻繁に登場する「パスカルの賭け」←ここから始めます。

■「パスカルの賭け」
一般に知られているたとえ話で言うと
(この世に神がいるのか否か、あるいはあの世に天国があるか否かでもいいんだが)
そう”何か”を信じて(嬉しい人が)生き死ぬまでの経過と、
最初から無神論者が(神や天国などのアイデアに楽しい要素無し)何気に「死のエンタメ的な”この件”に関して」相対的に利得無しで生き死ぬまでの経過を総量的に比較した場合、
(それで楽しいか否かはひとまず置いといて『興奮』を脳の利得として考える)
 ↓
言い換えれば
「何々があったら面白いとか楽しい”かも知れない”」などに”賭ける”場合と、
”何かに賭ける”という要素の無い人生を比較した場合、
数学的に(その”落ち”は死んでみなけりゃわからないので)生きている期間においては”賭けを選択する人が得だろう”って話です。

そこで
「人生に賭ける場合(或は人生を賭けて何かを意識する場合)」
レースの結果は死ぬまで結論が出ないのだから、
存命中は快感獲得(興奮)において、
賭け率の倍率に応じてレバレッジかかる(極論ドン・キホーテみたいな奴ほど得をする)つー”興奮倍率の話”です(勝利する確率では無く→『興奮』利得を獲得する量的な確率)。

■もっとベタなたとえで言うとさ
政府が「税金で1000円徴収するのと、その1000円と政府発行の宝くじとの交換、そのいずれかを選択するように要求した」とする。
この場合「圧倒的多数の人が、ただ税金で1000円取られるより、宝くじとの交換を選ぶだろう」っつー話です。


■さてお立合い
競馬の馬券で言えば「単勝一点買いか、複式か?」ありますよね。
(1等限定のみを買うか、賭け率は下がるが3等範囲内で当選となる馬券を買うか)
前述の話で言えば、
「同じ高額内選択肢から戦術的に(3億では無く500万を狙う)当選確率を考える」やり方です。

確かに「パスカルの賭け」で言えば、ドン・キホーテみたいな無謀な賭けほど高揚感が増す(賭け率に比例する)事になりますが、
この話は「自分の人生を賭ける」前提となってます。
そりゃ3億のくじを買う方がエキサイティングでしょうけれど、
「掛け金が自分の一生」となれば話は別でしょう。
実際馬券売り場において、常に「1レースに単勝一点買いその時の全財産」って買い方している人を探す方が難しい。
 ↓
冒頭説明「パスカルの賭け」の話にしても、
「そのネタで当事者が面白かったり幸福感があったりした場合」っつー事になるので、
ド・Mで自虐的破滅主義的な倒錯的快感に耽溺するような自我はともかく…、
全人生ともなれば、幾分か勝率も考え慎重にもなります。
●賭けの戦術論→”リスクヘッジ”なる概念です
(「東芝の株式を全財産」では無く「日経平均30社均等買い」みたいなやり方)
 ↑
戦術的思考は決して「パスカルの賭け」を否定しているのでは無い
(興奮しどころの質ってか)
幾分かでも確実性を上げ、どうせ賭けるなら”勝率も上げよう”って話です。

■さて一生を賭けるというスケールの行為と言えば?
その代表選手は(パスカルそのまんまですが)『宗教』です。



と こ ろ が 
『宗教』の選択や信心のスタイルやその慣習には
何故か根本的に”リスクヘッジ”の概念が無い”
(更にこのタイプの人格が総じてドン・キホーテ型などとはとても思えない)
 ↑
非常に不思議なポイントなのですよ。
(仮にさ、本当にブッダかイエスかムハンマドか親鸞か日蓮やら他、その中の誰かだけが神のお告げを本当に聞いた”のだとしたら?)
多民族の宗教の知識など全く無い原始社会ならいざ知らず、
世界の名だたる宗教ひととおり知っている現代人なら?
「片手にバイブル、手には数珠、禅寺の袈裟を着て、頭にはユダヤ教の帽子、お祈りの時間にはメッカの方角に」←こういう人が多数いてもいい筈ですよね?

ええ(不思議なことに)、
「そんな人ほとんどいない」のです


<話は戻って>
そして『宗教』って言えばさ『共同幻想』適応系人格の十八番(オハコ)ですよね。
●似た事例に「結婚」という”賭け”もあります。
ここでも自由恋愛などにおける複式買いリスクヘッジ(二股)は忌み嫌われる行為です。
てか、道徳的に否定されている。←【ある意味ここ重要】
(いちおう失敗したらやり直すことも許されているので、一点買いに全人生ではないけどさ)
この「結婚」という”賭け”も『共同幻想』適応系人格の十八番(オハコ)。
(※オマケに分譲マンションの購入ってのもありますね→これも『共同幻想』適応系人格の十八番)

確かに『共同幻想』適応系人格の生き様は、
どちらかって言えば「ド・Mの選択」なのだけれども、
その人格タイプは一点買いの勝負師でも無ければ、ドン・キホーテ型とも”違う”でしょう。
(『歩留り選択』な適応者も少なくないと思うし)

じゃあ、
一体 この話には どういう心理が (無意識的に)隠されているのか?


じっくり考えていきますか<つづく>

1/24編集追記
続きpart2
http://kagewari.seesaa.net/article/463727825.html

続きpart3
http://kagewari.seesaa.net/article/463831268.html




<<<オマケ>>>
■今回EDは、
「昭和の人もリアルタイムに(この時代においては)近代封建時代以来の『共同幻想』が壊れていく様を自覚していた」の参考として
社会現象ともなった当時のTVドラマ(原作・脚本山田太一77’作)
『岸辺のアルバム』から主題歌
Janis Ian - Will You Dance?

(果たして山田太一にその自覚があったのかわかりませんが、『岸辺のアルバム』は明らかにそれ以前のホームドラマ(森繁の頑固おやじシリーズみたいな)に対するアンチテーゼのような異色作でした。どこかウッディ・アレンの作品を思わせる社会派ホームドラマであったかと。)


TVドラマと言えば、
日本の「Like a Rolling Stone」でしょうか、
『木枯し紋次郎』(72’)主題歌「だれかが風の中で 上條恒彦」

(この時代以前から「子連れ狼」や「座頭市」、古くは黒澤映画の「用心棒」など、大藪的解釈するなら米国ハードボイルド文化におけるチャンドラーやハメットの私立探偵小説の影響もあるかなって、『単独者』の萌芽とも思える作品群が登場していた。)

当時私は小学生低学年でしたが、好きでしたね〜『木枯し紋次郎』




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