2018年11月02日

『共同幻想』と残酷物語

時にメンタル問題リハビリ過程において
「とにかくフラフラと『共同幻想』に近づきがち」である点、
各所で注記してきましたが、
どうにもこの問題の理解が及んでいない部分があると考えてですね
 「嘗 め ちゃ い か ん」のだって
ここ強調する意味でちょっと解説してみようと思う。

●日本における『共同幻想』残酷物語の代表は「村八分」ですが
(よくわからない人は松本清張原作の映画『砂の器』観るなり小説読むなりしてください)
「村八分」とは追放だけで無く、当時で言えば一族を死に追いやる慣習でした(食糧から何から誰も売ってくれなくなる)。

現代社会においては「そんな残酷物語が近代以前には(民度の低さから)あったのでしょうね」みたいにのんきに考えてしまう場合が多いのだろうけれど(民度の問題は否定しないが)、
それは全く違いますから(日本が地理的環境から世界と比べて特異なほどに平和的な習俗であるのも事実だが)。

以下の話は次回記事にも続くんですが、
ユダヤ人虐殺の歴史がどんだけ凄まじいのか(特にキリスト教徒による虐殺)、
以下の動画を観ればわかります。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLRaNqHpjzx_fdvh2OM1XgKHt-fCHUO7fv
■きちんと学ぼう!ユダヤと世界史 内藤陽介
(このシリーズ見ると自然に外欧米列強世界”『共同幻想』の歩み”がわかります)
もの凄い長編シリーズなので
まずは第8回〜11回、そして”特に”ナチス以降の69回・70回を観ていただきたい
 ↑
理由は不明ですが現在一部動画が閲覧付加になっています
タイトルと回数で検索すると、保存動画を発見できるかもしれません。
たとえば以下など
69回
https://www.youtube.com/watch?v=i6tKXnSGYSg
70回
https://www.youtube.com/watch?v=EId9uOLgT2Q



「異教徒は略奪し殺して構わない(罪にすらならない、てか褒められるべき)」
●言い換えるなら
「当該『共同幻想』非適応者は(別の『共同幻想』列強適応者を例外に、抵抗する意思や知見を持たない輩なら)不審者として殺して構わない(罪にすらならない、てか治安維持だから市民の義務だ)」
 ↑↑↑↑
こ れ が 『共同幻想』の原理原則です

でー

そ ん な 『共同幻想』が原始文明社会より脈々と続いてきたのは〜?

人類ヒト科はそんな風に束ねる概念が無いと
「もっと 無茶苦茶なことに なる」からです。
(歴史の中にどれだけ多くの残酷物語があるのかってそりゃ枚挙にいとまが無い)


■近代以降の「法治国家」「信仰の自由」「政教分離」「基本的人権」ってものは
血で血を洗う激しい闘争の中、人類が勝ち取った「オルタナティブ概念」なのであってだね、
以降その周知や教育、神話としての物語性(エンタメ快感原則による定着←エピソード記憶と同じ原理)などの不断の努力によって、どーにかこーにかここまで辿り着いた到達点なのです。
(ぶっちゃけ性に関する神話としての物語性やら性教育なかったら、人類ヒト科の性行為はトンデモに波及するのは自明な種族なんですから。←ここわかっていない人多いのだろうけれど、)

■逆説的には、
それだけ原始宗教ってのは(その是非はともかく)”凄い発明”なんです。
「かくあるべし」と急速に強烈に熱烈に鮮烈に人類ヒト科を(ある程度マトモというか)一定水準に引き上げる一大事業だったのですから。
 ↑
ここ見てもらえば、現代も残る「保守系原理主義者」の考えにも一定の理解ができるってもんです。

基 本 的 に
人類ヒト科の世界ってのはですね
弱肉強食どころかそれ以上の、
生きるか死ぬか、生存をめぐる闘争そのものなのであってですね。
(それ理解していれば、非武装なんてお花畑な発想出てくる筈も無く。人類ヒト科ってものを深く知れば知るほど積極的に武装するのが当たり前なのであってだね、、←皮肉な事に原始宗教の一部が「人類には普遍的な原罪がある」と説く事は合理的判断とも言える。)

自らの生存権を(基本的人権でもいいです)肯定するってことは、
積極的に武装し闘争するという意思決定と同義語なんです。
(※現代社会においても武装する警察や軍隊があって市民生活契約社会は成り立つのであって)


■「ペンは武器よりも」なんて言葉もありますよね
 ↑
これってのは、それぞれの宗教改革や”特に”フランス革命などの先人達の流した血みどろの歴史により、言論や論理性によって(ガンベルトの銃把を握るのと等しく)戦える事を可能としたもので(あくまでもそれは警察権力や死刑制度を背景にした法治国家が担保されているからで)、
そ の 本 意 は、「殺るか殺られるか」です。
(銃も抜かず)言論や論理においても戦う意思を示さないことは自分の殺人を委託するようなものなんです(その瞬間から自らの生存権を放棄したも同然)。

「ペンは武器よりも」←この概念を守るって何か?を考えるとわかりやすい
「基本的人権や言論の自由を守るため、その必要を感じたら迷わず権力に対し銃を持って蜂起する」←この責任を担保しているからこそ”非暴力の闘争”が成立しているのであって(「話せばわかる世界」は”軍隊や武装する警察によって守られたその上部構造”があって初めて成立する)、
 ↑
※”銃の無い世界”みたいなお花畑な夢物語は人類史上”どこにもありません”。
※芸術表現からゲームにおける「成人向けコンテンツや残虐性の規制論議」にも全く意味が無い(むしろ逆効果の可能性すらある)根拠でもあります。


前記事に書いた
■「”『共同幻想』崩れ”とは落ち武者の群れのようなものである(容易に暴徒にも化ける)」
これ『共同幻想』の暗黒面も十分踏まえたもので、特別大袈裟な表現ではありませんから。
(※であるからこそ『共同幻想』社会はその一面に狂気も帯びているんです。←そもそもが『共同幻想』社会におけるインセンティブなんてものは、某国のハニートラップ同様のエログロなんだから。)

更にその逆を考えるなら
平和とは「自らの快感原則を主体的・能動的に完遂すること」であり、
ブログ各所で、
「所詮人類ヒト科のやることなんだから、合理的に考えれば民度の高い国家の市民として平和にのんきに(これということしていなくもてエンタメ創造性を発揮して)詩歌を詠む如く、日常性の中で自らの尊厳は実存できる」な〜事を書いてきておりますが、
それは動機形成論として、
人類による血みどろの歴史の中から生み出された発明級のアイデアです。
(※過剰な出力と燃料タンクにより「放置すれば暴走する車両」を如何に”それと同じだね”的に代謝させ得るのか?というテーマ)
■またその逆で言うならばですよ、
そ れ だ け 自然界の中で哺乳動物が『単独でゆく』って事はナチュラルにエキサイティングな事なんです(ワイルドな環境で生きる哺乳動物と比較するとわかりますよね?それは捕食獣の生き様に似た命懸けで行う冒険的生き様ですから)。

「そ れ が 可能 な の も 先進国の市民 だ か ら」なのであり、
(故に国を守るって事はインディビジュアリズム《個人主義》と矛盾しない←インディペンデントのインディなので”独立系”な意味もあるのかな。)

『共同幻想』再選択による社会的調教やら、
『単独者』開眼やら(はたまた『歩留り』選択)、
自らの快感原則に方向性を自己決定しない限りにおいては、
(地球上でも異例な進化を遂げ原始宗教が原罪とも呼ぶ)人類ヒト科の囂々と蠢く欲動は、
場合によっては自らの精神を破壊し兼ねない強烈なストレスになるのであって(時に「退屈したら死ぬ病」とも呼ばれ)、

この辺の背景を踏まえないと、
心理学的理解はそれ以上に深まらないので、念押しに説明しておくべきと思ったところです。

(※かなり重要なテキストなので基本用語の番外にも入れておきます。)



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