2018年09月28日

小川栄太郎氏を弁護するワケじゃないが

(9/29 追記部分の一部修正「性的志向」じゃなくて「性的指向」だね。文句はIMEに言ってくれww)

お題はこちら

(怒り収まらぬ小川氏は上記動画のパート2もアップし、パート3も出すのか状態です)

まず小川氏が微妙に勘違いしているところを(心理学の立場もありますからね)、いくつか列挙した上で「それはそれ」として彼の発言論旨を説明してみようと思う。
そのお題となっている杉田論文なども俺は詳細読んでいませんから論旨がどうこう末節の話ではなく「アウトライン」ね。
 ↑
この話「そこ(やれLGBT云々論旨)は”この問題のポイントでは無い”」と思っている。
小川氏の話には「そこじゃないってば」なところがあるものだからそこを解説してみようと、そういうワケです。


まずこの辺からいきますか、
 ↓
●左翼リベラル側から右派に対する「差別だ」レッテルに対する批判
レッテルってのはそもそも「そういう共同幻想の流布や拡大が目的」ではあるんだが、
個別に言えば、批判されている側に差別性の無い自負や合理性があるのなら(的外れの批判している側と仲良くしたいなら別だけど)、
「そういう弾圧的態度こそ差別だ」のような対応は先方の思うツボになってしまう。
こういうのは「禁煙問題の嫌煙派と喫煙者の間」でもよくある話。

そもそも左翼リベラル側は(彼らが結局この現代社会においても『共同幻想』依存系の人格である証明として)「そんな『共同幻想』の流布」を目的としているのであって←ここは彼らの事情なワケでさ、批判されている側が、真に受けていたら彼らの事情を忖度しているのも同じになってしまう。
小川氏が確信犯的な『共同幻想』再選択を旨とする保守論壇であるのなら”反応するべき場所”が違う。
「俺の発言が差別的だ?(どこの誰かは知りませんが個性化の時代だからお前がどう思おうが勝手だが)君の態度こそ差別的だと思うんだけれど、終わり」←これで十分でしょ。
そこ超えて自分の批評が社会的に認知される水準であると反論しても建設的では無い。
「バカじゃん」と言っておけばいいことだから。
(識者となれば「どうバカなのかの説明」が長くなるのはわかるけど)

「(欧米なんかだと)レイシスト」と言えば意味を超えた侮辱的表現というか「もう最悪だなお前」みたいな表現として定着しているため、
「俺がレイシストだと!冗談じゃない」と怒る気持ちもわかるんだが、
だかしかしよ、
そう言われた相手が既にたいがいなワケでしょ、
まさか彼らから文芸評論家としてのなんたるかなど理解されても逆に困るだろうしww
(迷惑集団と化しているDQNに理解しろ馬鹿野郎と激昂して何か意味がある?)


小川氏的には、杉田議員に対する個人攻撃に黙っておれないとこあるのだろうけど
●「杉田氏は政治家だからね」
「その発言が持つ政治的意味(それは与党の判断なのかって勘繰られる)」抜きに云々できないでしょう。
「発言するならどういう批判を受けるのか自覚した上で」あるべきでしょ。
「そのネタを安倍政権批判の道具に使われるだろうって推定もできなかったのか?」っつーかさ、
逆説的に言えば、杉田氏が首相だとしてその発言をOECDの会議で気ままに言えるかって、政治的軽率さの部分を指摘されているのであって(仮に杉田氏が市井の評論家に過ぎないのであればこういうことになってないだろうし)、この話は”政治的発言”を前提とするものだから。
 ↓
(LGBTな人も含む)有権者相手にそんな挑発して”国益として”何を訴える効果があったのか?つー別次元の話に及んでしまう訳(既に子供を持つ世帯には少子化対策として個別優遇の政策的措置を行う事も合意形成されているご時世に)。
彼女はLGBT問題の対策が(LGBTと無関係な活動家などにより)「意味のわからない事になっている可能性があるので、当事者からも直接話を聞いて政策提言していきたい」と言えばよかっただけでしょ。
(事の発端となった発言には裏に自身が所属する『共同幻想』特有の配慮に欠ける部分がチラ見されているとこが「政治家としてどうなの」って←政治家として軽率だったことは疑う余地無いでしょ。)
(少子化に対する生産性なんて論議をしたいならさ、欧州の統計的にも”シングルマザーの支援”が効果的になるんだが、それは杉田氏の所属する保守系のスタンスと違ってきちゃうんだぜ?←ちなみに俺は「少子化対策の切り札はシングルマザー”促進”」論者だけどね。)



●性的指向・趣向と『共同幻想』論
主として小川氏の発言が批判されたポイントはここでしょ。
「SMなどの性倒錯とLGBT」は言語分類上の概念からして違っているので、性的指向や趣向としてそれを同列に語ると意味がどんどんズレていく。
(小川氏は反論パート2動画でもここ蒸し返すのだけど筋悪になるだけですぜ)
勿論、小川氏は「そんな事は百も承知の助」で意図的に書いているのだろうけれど、
論議を盛り上げる仕掛けとして見ても「その見識はズレている」と俺は思う。
 ↓
ワザワザLGBTなる造語を用いている時点で主張している側の思惑に”社会的認知”があるのは明らかだけれど、
そ れ は (個人としての)当事者 で は 無く
「それをお題に活動やっている”人達”」の思惑(皮肉なことにレッテル)だから

(個人としての)当事者からすれば、近代以降の『共同幻想』習俗には多分に特定の性的指向や趣向を前提とした(一夫一婦幻想だとか異性関係幻想だとか)踏み絵みたいな部分があるワケだ、
有無を言わさず(隠れキリシタンじゃないけれど)「こっちの水の人だよね的振舞いの強制」にも受け取れる社会習俗があるワケで。
(※『単独者』論的には個人が個性化すればどうでもいいことなんだけどさ、、)
「ちょっとどうにかなりませんか」と(LGBT関係無く無理筋の習俗ですよね)問題提起されているもので、
 ↑
この本質と、それをお題に騒ぎを大きくする活動家は”全く別の話”なんだわ。

まさか現代者きでさ、女性の上司に向かって「女性なら何故ドレスを着ないんですか」みたいな失礼なこと言う社員いないよね?
(※現代では非常識だけれどシャネルスーツ発表時「シャネルが保守派からどんだけ批判されたのか」って)

こういう表現が適切かわからないけど
当事者的には「あーなんてーか、いえいえ私は性的言説には中立派なので」←みたいな言い訳が社会で通じると「(誰にとっても)便利じゃないですか?」を超えるような話では無いと思う。
(そもそも当事者の問題提起は保守派論壇が目くじら立てるようなネタでは無い。)


●性衝動と個人心理学
某殺人事件やそれに類する事件で散見されることだけれど、
自我における「快感代謝の依存傾向」ってのはバカにならない話なワケ。
(アル中だってドラック中毒だって同じ)
そこは小川論文の核に関わるとこだから、勘違いするとちょっとマズいんだわ。

えーとですね、
社会学的に『共同幻想』権力の源泉とその運用力学には羞恥心やモラル意識が大いに”利用”されてきた。
たとえばね、
某文化圏における家族や小作り以外の性交を禁忌とするような形で、婚姻時に成約を行う宗教的場がですね(性交許可のインセンティブ権限を持ち)強い権力と依存的信仰の対象となってみたり、
日本などでは所謂習俗としての婚姻は跡目相続関係者のものであって、次男以降や農村から町人になった都会世代においては(そもそも人口比率的に結婚できない男性が多数)、吉原文化として花開くみたいなさ(更に武士階級には衆道という男色文化もあった)、
所謂現代女性の結婚願望妄想含めて、戦後民主主義の捏造モデルが多数あるワケで、

つまり、
この根っこの部分が弾圧などにより自我本体が反動化するとだ、
関連する羞恥心や(法令遵守を含む)モラルもろとも崩壊し、自我構造がガタガタになる=猛烈な自暴自棄的自我を衝動性が支配するみたいな図式に陥ることも”あり得る”のですよ。
 ↓
●それは心理学的に由々しき問題なの。
(思うに、性倒錯傾向のある自我にはモラルの一部を欠損しているかのような性行動に陥るケースなどが推定されるけれど、その背景事情じゃなかろうか。→故にそれが前衛芸術と親和性を持つみたいな在り方も”結果論”として関連したのではないか。←性倒錯が結果論として『単独者』覚醒のトリガーになった事もあっただろうねと、)
 ↓
つまり、個人の自我にとって”快感代謝”を自分でハンドルできる状況ってのは凄く大事なのです。
狭義じゃなくて広義の性欲で考えるとわかりやすい。
 ↓
思春期の子供が
「僕は命がけで音楽やろうと思うんだ」
この状況を権力で無理やり二度とできないように追い込んだとしましょうか。
モラルの一部が抜け落ちる級の自暴自棄な大暴れ状況となっても誰も驚きませんね?
(快感代謝としてその行為選択の固定度が高いほど反動時の”切れ係数”もデカくなる。)


しかも、
性的指向や趣向の一部は「絶対そうでなけばならない」フェチシズム的固着もあり得る世界ですから、それが社会的に断罪される方向に置かれちゃうと「ご禁制ドラッグ中毒患者のモラル崩壊」に類似する環境になるワケだよ。
うんでーそれなりの社会的経験値から
「交換や代用行為可能な性的趣向」、「(既に別の意味でモラルハザード化後の行為と思われる)法的にNGなわいせつ罪系」、「心理的にも生理的にもにわかに交換や代行できない行為形態」がなんとなくだが経験的に分類されてきた。

故に小川氏が(挑発的意図があったにしろ)「分類抜きにLGBTと痴漢行為を同じ性的指向や趣向として論議しちゃっている」のはマズい訳ですよ。


●現代左翼リベラル側の個人攻撃の本質
やれ言論弾圧だって部分が大げさに語られがちだけれど、
自前のHPで公開するのであれば「法的問題さえなければ事実上無制限」です。
それがネット社会の本質で、
youtubeやSNSなどのポータル内における検閲っての?
私企業の自主規制に関してはこれどうにもならんよね。
昭和の雑誌の世界に置き換えると、
「何らかの技術で、誰もがその雑誌に投稿できる無限雑誌みたいなのがあったとする」
しかし出版社はその内容を無制限にすることは考え難い、
だいたいが編集方針ってものの自由だって保証されている。
(このブログだって大手広告会社の審査からNG出ているからねww)

実際編集者の校閲入るような仕事してると「おいおい俺の原稿改変する気かよ」みたいな場面は世界中にあることで、言論弾圧ってのは大げさ過ぎ、
ポータルの腰が引けていたとしても、それは「残念なポータル」で終わりの話。

特に2chなどにおいて左翼リベラル陣営から攻撃の対象となったのは、
「(思想信条というよりか)無駄にネット右翼煽って金儲けしている」
という印象があったからでしょ?
彼らの体感としては「(思想信条では無く)煽って儲けるために言論空間が歪む」みたいな考えもあるんだろうしさ、
左翼リベラル抗議の建て前ってのも一応はサルベージして論議しないと噛みあわない。
彼らの理解を促すとかの意味じゃなくて、
商売の邪魔されて逆切れしているように見えると自分が損ですよ。

本来この論議は「フリーエコノミーだとかフェアユース」って枠組みの中で(特にまとめサイトの話とかは)表現の自由を語るべきで、
BAN祭りとかの左翼の広義行動に個別にやれどうしたって論議しても意味が無い。
(そこは広告会社としてポータルに対する業務妨害なのだから、一義的に対処すべき主体は投稿主では無くgoogleなどの広告会社でしょ。)

だからこそ、
保守論壇が左翼活動家を挑発的に刺激しても意味が無いし、火に油そそぐだけなので、(杉田氏の論が政権の迷惑に及んだように)「粛々と戦いを続ければよい」のであってさ。


■■■<前置き長すぎになってしまいましたが小川氏動画論説の胆は>■■■
●冒頭で引用されたチェスタートンの(『正統とは何か』からの引用)
「狂人とは理性以外の全てを失うことだ」って話は
、文字通りの理性やモラル(自我の合理性)では無くって、心理学的に言えば『自意識共犯』の状態を指すワケで、安全装置としての伝統保守的情感みたいなものがセイフティーになるって考えは短絡的解釈であって、結果として『共同幻想』と昨今の人権ネタを対立概念みたいにしちゃうのも安易に過ぎる。
問題視すべきなのは「自我が主体性を失い、宗教や政治思想を含む『共同幻想』などに依存的に立脚する場合」って話です。
(『正統とは何か』より引用→”重々しくするのはやさしい。が、軽々しくするのはむずかしい。サタンはこの意味での重力の法則に従って落下したのである。”)
 ↓
自我が主体性を失っていなければ、現象として理性が暴走しているみたいな絵柄にはならない。
合理性ってのはミクロ経済学などにおける”小売店の日常”そのものであって、「仕入れをしなければ明日の営業はできない」←のように日常の営業をめぐる合理性が欠落したら「もう小売店では無い」ワケですよ。
それを心理学は「合理性が破たんしている状態」と考える。
合理性の破綻無しに暴走は無いのだから。


●もうひとつの引用であるエドマンド・バークの
「臆面も無く、それが古い常識だから愛している」なる言葉も、
心理学的に解釈すれば、「古い時代と自分の自我の関わり(記憶)は、再解釈されで何であるのかとは”別に”当時思い出される自分の自我も(今の自分と違うのだから)、その時の自分の愛着は(その後の合理性とは同じにならず)”あの時のそれ”だったから記憶の自分はそれを愛している(過去の記憶としてそれは今のデイデンティティーに関わる)」というですね、
再解釈される『共同幻想』は今の自由意思を拘束するものでは無いが(合理性を欠くから)、記憶がそうである理由を「お恥ずかしい話だが理由を述べるとするなら古い時代の話だから」みたいな人間論として語ったものでしょう。
事実、現在の自我による過去に対する批判や再解釈は(歴史認識同様に)その後も継続するものなので、「常に結論では無く進行形」なのだから、
現在の論旨による『共同幻想』への批判も確定事項とはならない(永続的批判が続く)。
 ↓
バークが警告しているのは、今の『共同幻想』の批判が”確定事項だとする錯覚”が結局次なる『共同幻想』への「ポストなんとか主義への入れ替え」に過ぎない事になりゃせんかって意味だと思うんだが(哲学は専門じゃないので違っていたらゴメンね)。


だとすると、
小川氏の論旨ってのは(小川氏曰くの左翼リベラル主義への挑発部分のズレを外してみれば)、
LGBT当事者の本旨を汲み取った上で(それは保守系の人にも大きく乖離した話にならないどころか古い文化伝統などとも親和性のある話である)、
それをネタに”話を違った意味でネタにする活動家”の存在を「新手の差別主義である」と批判すべきだったのじゃまいかしら。
「正に、杉田氏などへ抗議や脅迫まがいのなんとやらに及んでいる人達こそ当事者から離れた左翼リベラルを標榜する(ポストなんとか主義的)活動家なのである」
のようにね。


この案件で新潮社は雑誌「新潮45」の休刊を発表しており(速攻謝罪した社長もたいがいだと思うが)、そんな結末含めて「何が何だか」と思うところです。




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