2018年06月16日

新幹線の痛ましい殺人事件を分析する

報道にしても警察の見立てにしても、
「ド素人か」と悪態をつきたくなる。
この話は(言っておくべきことはナントカ障害とか”全く関係が無い”ことと)、殺人事件に至る経緯と動機形成の推定が(心理学的には必ずしも難しい経緯では無いにも関わらず)無茶苦茶で、このブログで書いたところで社会に理解が及ぶものではないだろうけれど、
ここは書かずにおれない。

あらゆる生物には(人間の言葉の概念で言えば)一種の残虐性が備わっている(それを残虐なのだと定義する事も”ご都合主義”にも思えるんだが)。
全ての生物についての話です。
そりゃ生存競争を前提に存在しているのですから、
所謂巷の市井の人々も、残虐に切り刻まれたパック詰めの死肉をスーパーで何食わぬ顔で購入し、笑顔で「美味しい美味しい」食べているわけで、、

■とりわけ人類ヒト科においては(フロイド説が全て確定事項とは言わないが)、
快感代謝のプロセスとして、幼児期以来サディズム→マゾヒズム→性愛経済関係(或はアメとムチ)・主体的私利私欲経済→文明化された(ワビサビなども含む)高度な快感代謝などのプロセスを経る。
●ここに『退行化』という現象が関係しており、
「退行化」とは、プロ野球で説明するのが一番わかりやすい。
「スランプに陥ったので、昔のバッティングフォームに戻した」←この話
社会人の日常生活で言えば、
「就職に失敗したので、もう一度大学からやり直すことにした」←この話
誰にでもよくある話で言えば、
「どうにもホニャララがうまくいかなくなったので、初心に立ち戻ることにした」←この話
 ↑
上記説明は、時間軸的にも極々至近な(退行とも呼べない)「一歩進んで二歩下がる」程度の話です。

『退行化』というのは、そこに至る論理性は「一歩進んで二歩下がる」と同じだが、先祖返りする幅が半端無く大きいケースの話です。
●どういう経緯でそうなるのか?
前述の話がスーパーの話に喩えれば
「最近売上が落ちているから、野菜の値段を去年の安い時期に戻した」程度の話だが、
『退行化』とは、
「長年営んできたスーパーが倒産した、、リヤカーで移動販売していた時代に戻ってやり直すことにした」←これぐらいの話の事。
(※躁鬱の背景にもこの話は一部関係している)

快感代謝における”大きな失敗”など(或は権威ハードルが”凄く”高過ぎてとても選択できない行為)、が起きる時(過去にも何度も繰り返し説明してきた「冷蔵庫のプリンを勝手に食べられた心理」でお馴染みの)ある意味失った当座の利益に比例するのでは”無く”(直近の大きな失敗や選択の余地すら無い断念の思いを回収すべく報復感情を伴うような)、二次的利得において自我が均衡(満足による代謝)するためは、一次的欲求に対し「反動係数」がかかる。
経済学的に断念された欲求に対し「反動係数」なるレバレッジが(関数計算的に)かかる訳です。
(所謂欲求がエスカレーションする構造→「プリンの代わりにショートケーキ買ってきても許さない」みたいな)
 ↑
上記のプロセスを挟んで(表現を変えれば”欲求の過剰化”を伴う)『退行化』が起きる。

※厳密に言えば『退行化』と呼べない「一歩進んで二歩下がる」的な退行でも微妙な「反動係数」はかかっている、「失敗は成功のもと」みたいなイメージで「昔のフォームに戻すことにより今まで以上の成績」みたいな欲求が潜在化しているのは事実。

<話は戻って>
■つまり自傷行為や衝動などがある場合に(マゾヒズム)、それを根本的問題の解決無しに何らかの事情で強引に断念され『退行化』が起きてしまうと、反動係数がかかり(欲求の過剰化を伴う)サディズムに転じるんです。
(あくまで可能性です←直面する快感代謝がどのような規模で断念されたのかによって「退行幅」が違ってくるので、それが『退行化』に至るか否かはケースバイケース)
(※説明するまでも無く、失敗や権威の壁に対し退行せず「抗(あらがう)」姿勢を取れば退行現象は発生しない。故に自我スタンスが『被(こうむる)』状態にある時の自我は退行現象に対して脆弱であると見る事もできる。←これもケースバイケースだけれど)


難しい話しているように勘違いする人いるかもですが、
わかりやすくいえば
●「人類全般誰にでもある”逆切れ”の法則」です。

ですから(日本古来のケジメのようなカタルシスを含む自決的意味では無く)
自己否定的に自分をいたずらに卑下する認知や、自傷・自殺衝動や自殺願望などの動機形成は(ナントカ障害とか”全く関係が無く”)誰にとっても危険な前兆現象になる訳です。
それは、公務員でも一般の会社員でも専業主婦でもキャリアOLでもDQNでもヤクザでもプロのアウトローでもナントカ障害の診断ある人でも”誰でも全員”が
「なんだと!俺に死ねって言ってんのか!」だとか
「わかったわかったわかった、どうせい俺が死ねば気がすむんだろ!」など、
 ↑
上記の台詞を聞いて「危険な前兆現象だ」と思わない人いないでしょうに。


■裁判において事実認定されたものではありませんが、報道された血縁者の証言や警察のリーク情報で、
現行犯逮捕された(のでこの表現でいいでしょう→)”犯人”は、自分が死ぬべきだとか自殺をほのめかすような発言をしていた。
この背景もあって、素人論客が「かってにひとりで死ね」などと言ってますが、
前段の誰にでもある”逆切れ時の台詞”読めばわかるとおりで、「死ねるワケが無いやろがボケ」の韻が踏まれているから(反動形成し)逆切れ予兆の台詞として理解されているワケで、それと同じって事です(同じ殺すなら自分を殺すのか赤の他人を殺すのか”どちらが選択しやすいか?”で考えればよい)。

メンタル問題を抱えている自我は、所謂オンザレールな『共同幻想』適応自我と”パターンは同じ”ですから(基本構造に違いは無い)、
「死ねるワケが無いやろがボケ」の韻は”誰にとっても”同じように通常ありえないのです。

(※真性の自殺とは全く別角度の自己決定・主体的選択の行為であり→日本古来のケジメのようなカタルシスを含むからこそ「自我の経済原則的に」あり得る行為なので完全に別物。)


●だからこそ
若い人などの少々やけっぱちな「死んでやる」だとか「死ねってのか!」などの暴言に対し、
周囲は(マジな危機感もあり)激しく怒ったり、戒めたりします(これは限りなく本能レベルに近い生物学的な反応)。

その危険性・真柏性フラグが前述報道によれば「バリバリに意思表明されていた」ようです。
●血縁者の証言は、以下のようなものです。
「自殺する事はあるだろうと思ったが、、。しかしこのような事件の可能性もゼロでは無いと思っていた」
■家族関崩壊の端緒なったものは(犯人中学時代)『新学期』を迎えて”水筒”を欲しがったので、「お姉さんには新品の水筒・犯人には貰い物の水筒」を与えた。この夜犯人が両親の寝室に怒鳴り込み包丁とカナヅチを投げつけ(両親は死の可能性も感じ)警察に通報(以降関係は崩壊)。
 ↑
(一次利得の喪失からの)二次的利得時における「反動形成係数」レバレッジによるエスカレーション”そのまま”です。
重要なポイントは報道的に重要視されがちなナントカ障害であるとか自閉症の診断に原因があるのでは無いって事です。←なかなか理解できないでしょうが、エスカレーション時の行為選択は「個別に『自意識』により選択されている」。
(症例に関連しているのは一次利得喪失部分の事実認定の偏向まで←しつこく解説しておきますが”カチンとくる”事や”うまくいかない事”は誰にでも頻繁にあることで、事件性に及ぶ行動と症例部分に”直接の関係は無い”。仮に『退行化』に至っても合法的範囲のエスカレート選択肢は他にも山ほどあるのだから。)

(血縁関係者にそれ以上の対応を求めているのではありません。←悪循環にもなり兼ねないため。「行政に何かできれば」と思う事はありますが、それも心理的部分においてまでであって過剰に準備罪・予備罪的な範囲を広げるような話に及ぶのは、別の意味で法治国家として好ましくない。)


■どの水準のどのハードルを越えたら事件に及ぶとか、そういうポイントも”ありません”
心理学にも”わかりません”(占いじゃありませんから)。
そこは一般社会における傷害事件や殺人事件に至るトリガーとなんら違いが無く、ケースバイケースです(その時当事者がどうして馬券を買おうと思い至ったのか?なんて事は誰にも予測できない)。

●事件性に至るボーダーはどこかと言えば「俺が刑法39条を批判している根拠」そのままですが
明解に『自意識』が出張って主体的に犯罪の選択を”能動的”に行わない限り、人はワザワザ犯罪など犯しません。←『自意識』が意図しない限り”馬券を買う”などの”特異な行動”は選択されない。
(しつこく繰り返しますが、犯罪性という”特異な行為”が選択されるためには『自意識』による個別能動的な選択が必要である。→借金していたら全員泥棒になるとか”無い”から。)

一般社会における事件可能性と同様に(各人の意思決定の問題なので)「わからない」のです。
(※雑学派のあなたは「サイコパスの場合どうなんだ?」なる反論あるかもですが、サイコパスにおける特徴は罪悪感がどうだのって部分に類するもので、法を犯すか否かの合理的判断とそれは無関係。)
『自意識』が意図して、主体的能動的に「こうと選択」しない限り犯罪のような特異な行為を選択することはできない。
●犯罪とは言い換えれば”明解に快感原則的な利得を目論むチャレンジング”な行為ですから(お昼ご飯を食べるようなルーチンな行為では”無く”)、表現はアレですが「一念発起して就職しようとする」などと同等水準の『自意識』選択が必要になる(確実にそれを『自意識』は認知している)。
故に「刑法39条」の判断は間違っているというのが私の見解です→「刑事責任の問えない犯罪など無い」


■どうしたらこのような痛ましい事件を防げるのか?
元ガンマニアだった俺の判断はこの点NRA(全米ライフル協会)と同じです。
(他人の内心は見えないので、それを外形的事実から予測することは”できない”のだから)
市民の責任において(各人の自己決定の範囲で合法的に)武装し、正当防衛のスキルに応じ(警察などが到着するまでの間)可能な範囲で制圧する他無いと思います。
現代の日本は法治国家ですけれど、生物の世界における生存競争の理(ことわり)から外れた訳ではありません。

「川でおぼれている人をみつけた」→「泳げないのに飛び込んで救助できますか?」
(おぼれた人を救助できるのはライフセーバーです←高いレベルの水泳スキルが必要)
「暴漢に襲われてる人をみつけた」→「その暴漢を制圧できる(自らの)格闘スキルは?」
同じ事です(事実警官は格闘訓練・射撃訓練をしています)、
これは国家における安全保障も同じですが、
●極論
「市民が正義を成そうと思えば、高いレベルの(ペンを含む)武力が必要である(文武両道)」
NRA(全米ライフル協会)の隠された本音は「銃を持たないものには正義を語る資格が無い」なんだろうと(これ怒る人多数承知で書いてますけど)。

※注:過去某警備会社の面接受けた経験から言っても「あくまでも上記は正当防衛のスキルに応じた可能な範囲で」の話で、誰にとってもその瞬間で容易に判断できるものでもありません。いつの時代になっても「防犯研修」のようなものは重要であるという趣旨です。
(現代社会で言えばジムなどのトレーニング時にも意識のどこかで《防犯のための格闘》留意しておくべき事項じゃないだろうか)




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タグ:反動形成
posted by kagewari at 08:35 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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