2017年10月29日

『論理」と心理学

(この話はまだ推敲段階であり、確定的な結論は出ていません。しかも何かこう注目すべき内容が書かれているとかも無いのでww、心理学そのものに興味の無い方はスルーでお願いします。「選挙結果」などの時事ネタは次回やります。)

自我を構成しているのがロジックであり言葉であるのはご存じのとおりです。
(それがたとえば絵画や画像イメージだとしても象徴化された概念と捉える事もできる)
概念やイメージや言語などなどが「ロジカルに、或は時系列に」構成されたものが自我であり、

古い作品ですが『Thief (1981)ザ・クラッカー』なるマイケルマン監督ジェームス・カーン主演の映画があります。作中主人公は「これが俺の全てだ」とモザイク状に貼りこまれた写真を取り出す演出がありますが(最後マフィアに殴り込みかける前にこれを握りつぶして捨てる)、まさにそんな感じです。
市川崑監督や、市川監督をリスペクトしているアニメの庵野監督などが得意としている、映像や明朝体の言葉が映像中にフラッシュする演出も同様でしょう。

さて、この時自分の過去が「どんな大きさで・どんな貼り方で・どんな表情で・どの位置に・どんな言葉で」などなどの部分がロジック(なにがどうしてこうなる)。
(無作為では”無く”ロジカルに貼られるからこそ人格の構成《できあがる画風の差異や特徴》が個別に成立できるワケで)
「どういう素材が選択されているのか」などが構成要素となる。

<ここから本題>
■逆引きすれば、同じ論理性があれば(或はその論理性に対抗可能な概念なりが成立していれば)人格構成そのものに何らかの言語なりイメージなりが干渉できる(アクセスしてアップデート可能)。
 ↑
これが「感動だとか、衝撃だとか、省みるだとか、影響を受けるだとか、なんちゃらリスペクトだとか、説得だとか、説明だとか、論証だとか、交渉だとか、ベタな場面では営業であるとか」、
それらに類する事です。
勿論、新体験が自我を構成する要素として追加されていくプロセスも同じ。
但し「当該人物自我構成や構成ロジックに関係の無い事象が完全消滅するワケでは無く」、PCで言えば「ゴミ箱行き」だとしても、何らかの記号化圧縮され「関係の無い事項」に放り込まれるだけで記憶から消滅するワケでは無い。

ちょっと道逸れますが、
「記憶法」ってありますね?
所謂項目を身体部位などに関連付け、事象に構成要素として決して忘れない身体部位をインデックス的にくっつけるみたいな手法で、
つまるところ「思い出せるか否かの差異は、検索しやすさなどによる取り出すことができるか否かの差異のことである」であって消却やら消滅処理の過程は存在しない(もしそれがあるのだとしたら記憶喪失なんてな状態を症状として認識しないだろうし)。
(※ある意味「テスト前の一夜漬け」ってのは、記憶が格納処理される前段階の管理メモリのテーブル上に置きっぱなしにし→いわば目のつくところにリアルタイム事象だよみたいに置いておく手法)

追加で道逸れますが
■「打てば響くの共感」つーのは自我構造図上のどこに何が貼ってあるみたいな部分が共有だったり、その大小の論評などが肯定的である場合などに発生する”共振”のようなもので(共感として体感されたりするもの)自我構造そのものにはアクセスしていない。
鳴りやすい周波数に共鳴している状態なので、
現状肯定感(やナルチシズム)を拡大する効果となる。
(実存主義や『反抗期』論的に言えば「追認であって反抗的では無い」となる。=心理学的に言うところの『抗(あらがう)』スタンスでも”無い”。言うならば「気持ちのいいグルーブ感」みたいな状況です。)



<さて『論理』に話を戻しますが>

●自我に論理アクセスするって状態の具体例あげてみると
「結婚」などの概念が全くロジカル構成に関係が無い自我の場合(自我の集合画像にそのイメージも言語も無い)、「結婚」なる概念は当事者自我にアクセスする手がかりすら無い事になります。
しかし、当該自我において「結婚」なる概念を些末などうでもいい事項と分類する”ロジック”があるワケで(対抗する概念として自由であるとか気ままであるとかアンチ『共同幻想』などなど)、この場合(「結婚」概念のゴミ箱域を決めている)その分類やってるロジックは「上位概念だ」となる。

「こうなったらこうなる、こうだからこうなのだ」みたいなものが無数に重層的に構成され自我は成立しており、構成要素の画像なり言語が貼られた位置を変更するにも、それがそこにある”論理性”の認知や対抗し得る『論理』抜きにアクセスすることはできない。
 ↓
■詐欺や営業の話すると誤解を招く可能性があるのですが、ままよで説明してみましょう。
一番わかりやすいのが詐欺や営業で、
相手に関心の無い商品を売ろうとしてもダメですよね?
敏腕の詐欺師や営業マンってのは、なんだかんだと屁理屈でも何でも連発し売り込んでいる商品から「相手の関心事項との関連項目」をアドリブで発見し、「ホニャララだったらこの商品凄く便利だと思いますよ」みたいな話をでっち上げるのが上手な人って話です。
(興味を引くとか関連事項というのも、単純に連想可能性だけの話では”無く”、その概念がどうしてそこの位置にあるのか?部分に読みが関わってこないと、営業は成功しない。構造順位が低ければ”お安くてよかったですね”話で進行可能、構造順位が高ければ”今少々無理しても得る物はより大ききですよ”話が進行可能←みたいな。)


<<さて、心理学とりわけ精神分析は時に構造主義なんて解説もされますが>>
前述の営業云々の話とはちょっと違い(そこは誤解の無いように)、
心理学とは人類ヒト科の自我構成に関わる基礎的設計みたいな部分をやたら研究している学問です。
「それ系がその位置にあれば、かくかくしかじかの意味でこのように機能する」みたいな。
結果としての論理性では無く”そうなる論理そのもの”を見ている学問です。
(詐欺師や営業マンのように何か売りたいものがあるワケじゃないですからww)
建物で言えば「SRCの高層?RC造?鉄骨造?木造2×4?軽量鉄骨ヘーベル系?」みたいなところを俯瞰で見る学問で、
 ↓
■建て付けとして
『共同幻想』適応人格の場合、その種の構造の特徴から逆引きして「こことここの概念があーなってこの位置を占めてこう機能しないと自我構造が不安定になる」←みたいな。
『歩留り』選択の場合「そこの概念はこういう感じにこうなってここにストンとあーならないと不安定になりますぜ」←みたいに。

「強迫心理に関わる事案」ってのは、
『単独者』系人格モデルのような論理性の上に『共同幻想』系人格モデルの論理性が無理やり二階建てとなって、倒壊しそうにフラフラになってるみたいな状況で、
(しかもなんちゃってで二階に作り付けている『共同幻想』部分が、『共同幻想』論として見た時にも構造体として強度に無理があり、二重の意味で不安定となってたりします。→『共同幻想』構造を”長屋”だとか”集合建築”の意味でイメージするとわかりやすいでしょう。)

「結果としての論理性(どうしてこうなった)」は事件性とかドラマ性ですが。
「論理そのもの」を理解するってのは、「くっつけようによっては何でもありな(あらゆる事象が自我の構成要素となる)可能性の話」なので、
伝統宗教系『共同幻想』国家の場合、心理学そのものに制約がかかる事にもなります。
(そこでなんちゃって心理学が山ほど派生しちゃったりね)

■故に心理学の理解に関してはどうしても『単独者』である事がアドバンテージになるのだけれど、
そうなんだけれども、
『共同幻想』系人格の再選択確信犯度(非聖域化度みたいな)←この辺
『歩留り』選択系人格の確信犯的不快受容度(不条理容認度みたな)←この辺
ある意味上記二者は「くっつけようによっては何でもあり」を上位概念としているのだから、その論理は『単独者』と”同じ”であり、その度合いが高ければ心理学の理解における制約も下がります。

『論理』そのものと、結果としての論理性は全く違うものなので、
現代『共同幻想』崩壊時代先進国において、結果として『共同幻想』や『歩留り』選択系の人格モデルを選択していても(『単独者』と同じ論理で)再選択なり個性としての不快受容が求められるのだから、結論「人類ヒト科なのだから自我構造の根本には大きな差異は無い」のであり(てかあったらおかしいでしょうww『単独者』はすわニュータイプかみたいなSFじゃないんですから)、


●かと言って「SRC30階建て建築における区分所有の1戸」と「ガチ戸建て平家(下手したら洞穴ひとり暮らし)」の建築に求められる設計上の”ナントカ”は全く違いますから、
心理学としての根拠となる『論理』に違いは無いが、
(ヒトの自我の個体差ってのは”結果としての論理性”なのだから)
個別の自我論となれば「分譲マンション志向ってことなら(高層建築集合住宅は)やれどういう建て付けなのだから」が重要になってくるのであり、
 ↑
ここがまたよく誤解されるのですが、
(勿論それは実存主義哲学と心理学の差異でもあるんですが)
個別各論で、なんだか結果としての論理性の話が多くなるから心理学が”結果としての論理性に拘っている”かのように捉えられると全然違うワケで(笑
(ぶっちゃけ基本「どうだっていい、どうにでもなれ。問題はその選択が自由意思であるか否かですっ」ってのが心理学ですからww)

更に言えば「心理学を学んで高い理解を獲得すると人格的にワンランク上がる」とか”全く無い”っていうか(その発想からして『共同幻想』だし)、
むしろその逆でしょう。→『共同幻想』との相対関係で言えば「高い理解に及ぶほど”謎のダメ人間”になる」のです(笑
てかそうでなきゃ嘘でしょうよ。

メンタル問題の関連に話を転じると、
●あくまでも問題意識を当事者が持っていないと心理学に出番はありません。
(ですから、なんちゃら臨床系がかくかくしかじかがナントカ症と言うからなにかがどうなるものでは無く←てかそんな分類はどうだっていい。)
「建物の二階部分がグラグラしちゃってイエーイ!」であれば、
「それでいんです(個人の自由です)」
「すっごくグラグラしているようで実に不安定で困る」という当事者の問題意識があるから→「それはメンタル問題になる」のであり、

心理学ってものが、かくあるべしな自我モデルを提示できたり、提示したりすることはありません。
●凄腕の一級建築士がいたとします。
彼は(彼のセンスの中で)優れてユニークな建築もできるかもしれないけれど、
「普遍的なRC造の在り方」みたいなものに興味も無いし造らないでしょう。
言語としてもオカシイですから。
何故って、RC造ってのは建築手法であって建築意匠じゃありませんので「こうだろうって普遍的な形があったらオカシイ」からです。
「かくかくしかじかのコンセプト(抗(あらがう))を実現するために今回RC造を選択しようと思うんだが、どうするか?」←こういうお題に結果を出すのが建築士ですからね。

いわんや、建築強度診断士みたいな心理学ってな学問において、
ヒトの自我がかくあるべしみたいな論議が出てくるとかオカシイ話なワケです。
しかし、
しかしですよ、人類ヒト科の自我構造の『論理』ってのは(人類ヒト科が種として進化せず継続中であれば)「生物学的には」の括弧付きで普遍なのだと言えるでしょう。




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
コメント欄に問題となった同趣旨の投稿が続いたため、暫くの期間ブログのコメント欄を閉鎖します。閲覧されている方には不自由となる部分もあるかと思いますがご了承ください。(再開までの期間は未定です)
詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
コメント欄の削除があった件(関係障害について)
http://kagewari.seesaa.net/article/402054291.html


■私のミスで記事のコメント欄が承認制になっていたりするケースもありますが(或いは昔の記事など)、現在の運営方針は「コメント欄閉鎖」です。仮に投稿があっても内容に関わらずもれなくことごとく削除となります。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
posted by kagewari at 00:17 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


comments他

・コメント欄は『公開掲示板』同様に原則削除禁止です
(基本的に削除依頼には応じられません、削除依頼は投稿禁止ワードとなってます)

・SPAM対策として一部キャリアからの投稿がIP規制の対象となってます
(同規制キャリアから登録抜けによる投稿がある場合、投稿は自動削除されると同時に規制IPに追加登録されます)



現在コメント欄閉鎖中 (2014.7.26〜)




kagewari01
タグクラウド
RDF Site Summary
RSS 2.0