2017年07月22日

基本用語のまとめ(4)『被(こうむる)』

継続的読者の人はあえて説明を必要としていないのだろうけれど、
新規閲覧者の方にとっては「何のことですか」ともなり兼ねない頻繁に使用されるいくつかの用語を別カテゴリーでまとめておこうと考えたものです。
(重要項目なので予告なく編集される場合があります)

■今回の『被(こうむる)』(次回の『抗(あらがう)』)あたりの話は、アンナ・フロイトの防衛論なんちゃらが若干関係しているのかも知れないのだが(もう記憶の彼方で定かでは無いがマズロー批判の卒論書いた頃かなり参考にしていたのは事実です)、
殊更の心理学用語という趣旨では捉えておらず、自我が事象を言語で認知する時の”文法的な”(或は言語学的な)”一種のレトリック”についての説明であり、
●心理学的意味は言葉そのものにはかかっておらず、
その固有な文法的理解がほぼ100%の確率で「強迫的思考」にとって都合のいい現実認知に誘導する構造そのものにある(『被(こうむる)』認知状態)。
※厳密に言えば心理学用語では”無い”。

確かに「そういう認知を強いられる傾向」も心理学的テーマでは”あるのだが”、
『取り巻き論』にも見られるような(強迫心理にとって都合のいい)”無意識的なスカウティング”など、類する事例は複数あり、”『被(こうむる)』現象論”のように語られるようなものでは”無い”。
「だいたいそうなる」関連事項の代表的な現象のひとつである。
 ↓
根本的には『自意識』に対する「抑圧」が発端なのだが、用語的に「強迫無しに抑圧もできない」のだから、全ては「強迫心理」の関連事項と考えるべき。←加えて言うならば「強迫心理」の元ネタは階級社会系『共同幻想』であり成立の根拠は権威性認知なのだから、現象として「抑圧」や「『被(こうむる)認知構造』」などが派生しない方がおかしい。

■「妄想とは何か」にも通じる話なのだが、
現実の斜め上を行くことはできても、よっぽど想像力豊かな才覚でも無い限り「まったくありもしないものをあたかも現実であるかのように認識することなど滅多にできることでは”無い”」のであり、
具体的な事実認識にほぼ”間違い”は無い(勿論”嘘”も言っていない)。

●たとえば、高齢者認知症における代表的なシナリオである「財布を盗んだわね事件」に関しても、「自分の財布がどこにあるのかわからない」という発端となる認知は全くの事実であり、
この事件をどう推理するかという局面で、自我が『被(こうむる)』認知に支配されている場合(極論「常に自分は被害者となるシナリオ」に進行するため)、誰かが隠したのか?誰かに盗まれたとしか”考えられなくなる”。「どうしてもそう思ってしまうんです」心理の経緯と同じです。
(※説明するまでも無く高齢者認知症においても、メンタル問題の併発が無ければ、前述事例も「あらお財布どこにしまったかしら、(認知症で)わからなくなっちゃったのね」を超える事は無い。)

この認知ロジックの傾向は、後発的に構成されており(経験により更に強化され”癖”のように定着)、「左利きの人が文字を書くときの癖として(漢字の書き順的に)左手被るように(回り込むように)書く様子」にも似た、二次派生的な傾向と理解するのが正しい。
●「強迫傾向」における”悪循環のひとつ”であり、鬱的心理状態などでは特に顕著に見られる。
※関連する概念はニーチェの「ルサンチマン」

<語彙的には>
あらゆる事象を「なになにを被(こうむ)った」という”受動系”の筋書きで認識して”しまう”自我スタンスの事。「強迫心理」に対する従属的に振る舞う自意識の様。
時に論文系のテストで「以下の内容を30文字以内にまとめなさい」なんてのがありますね。似たようなものです、英語のテストで「以下全ての事項を受動系で英訳しなさい」みたいな?

”太陽が昇る”様子も「空が火の玉に焼き尽くされていく(空は被害者だ)」のように捉えても、認知されている事実関係は全く同じもので、勿論嘘も無い。
説明するまでも無いが、『被(こうむる)』状態になると話法や論法として「加害者探し」を真っ先にやらなければ言葉を編めないので、『被(こうむる)』が転じて「あらゆる事象の犯人探しにやっきになる」ような心理状態が派生する場合もある。


<詳しい解説は以下>

前段でかなり詳しく説明してしまっているところですが、
(重要なパートなのでついあれもこれもとなってしまい)
『被(こうむる)』という認知現象で大事な事は、「それが後発的なもの」である事です。
「強迫心理」に固有にこの機能が備わっているものでは”無い”。
「抑圧構造」の中に置かれた『自意識』における「一種の奴隷根性」のような派生現象です。
(なかば忠実な奴隷のようにこれに付き従う)
「強迫心理」に対する従属的に振る舞う自意識の様、そのものなのですが、

所謂思春期における『反抗期』のようなアンチテーゼを保てなければ、自我は権威性社会を前に正面から対峙する事はできないのですから(フロイト的に言えばコンプレックス)、自己保存欲求的に「まず大きなフレームとして自分は大きな力に従わざるを得ない」が確定してしまい、
事実上それは「生存のための条件やルール」と認知されていくって事ですね。
 ↑↓
なかなかその意味がピンとこない人もいるでしょうが、
幼児心理における「人見知り」ってありますよね?
(勿論この現象の背景には親子関係などもあるワケで)
この「人見知り」とよく似た心理的背景が、そのまま高年齢まで継続しているとしたら?
脳内のロジカル認知の文法が従属系『被(こうむる)』に固定化されてもおかしくない。
権威を前に思考停止しちゃう人なんてどこにだっています(誰にだってそれに類する心理はあります←これを利用する形で警官の制服とかもデザインされている訳で)。

認知構造的現象として”特別なことでは無い”のです。
(勿論誰にでもある心理現象です)
問題となるのは、それが後発的に(あまりにも反復し繰り返すため)”癖”のように固定化・構造化することで、
果たしてそれを「個性としてのパーソナリティーの一部と考えるべきか否か論争」も成立すると思いますが、発生の経緯として人間の自我成立において非常に重要な「各年次の現実アップデート(反抗)」とりわけ「メジャーアップデート(反抗期)」がコケる事でそこに至るのであれば、個性と呼ぶことはできないでしょう。

更に言えば、個性論が成立するためにはこの傾向も『歩留り』選択として自覚されていなければならず(自身にも「俺にとって被(こうむる)認知は得意技だ」のように)、無意識にこの傾向に振る舞わされている状況を個性と呼ぶのは無理筋過ぎる話です。
 ↑
(これは何らかの事情で親に逆らえない事情のある子供を指して、親が「とっても大人しい子なんですよ」と自慢げに語る様の違和感と同じ。)

■つまり、『被(こうむる)』認知の重要なポイントは
後発的に構造化していく部分は「メンタル問題とは別に自覚的にアプローチできる」ということで、
「ダメ出しリハビリ」じゃやないけれども、
自分の脳内に展開した話が、受動系や被害者系になっているのか否かは誰にでも容易に確認できることなので、「それ出ちゃったらNGだから」(即時に能動系文法へ切り替えた認定起動を自分に命じる)
ザックリ「話が『被(こうむる)』系になっている時点で個別具体論は全て意味が無い」という格好で、『被(こうむる)』に関わる事実関係を全てスルーできるところです。
 ↑
心理学的にここが大変重要なポイントになります。
『被(こうむる)』に関わる個別具体論を「あたかも問題の主体であるかのような理解」をしてしまうと(『被(こうむる)』ネタは尽きることが無いので)、「メンタル問題は永久に不滅です」状況にズルズルと突入してしまいます。

『被(こうむる)』心理は、
本質的問題である「強迫心理」の防衛線のような状況を”後発的に”形成してしまうのです。




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