2016年11月19日

脳の構造云々の話(補完)

前記事に書いたとおりなんですけどね、
>脳の使い方を主体的に・意識的に変えれば(『一拍置く』を意識するなど)、その頻度に応じて脳の構造も変化していくのです(異論は認めません)。

どうにも執拗に反論アイデアが存在するようで、
も少し補完しておきます。
どういうことかと言えば、
・確かに変化があるとしても仕事に耐える内容など社会的に期待される云々かんぬん
・大人になって以降は変化も限られるので(そして上記に関連)
・社会的に考えるなら(大幅な変化には至らないのだから)”健常者?”なる謎の人物達の振る舞いが重要なのではないか、
などなどです、

果たしてそこに補完説明が必要なのか(一文で終わってしまうので)、、
ちょっと考えましたが(今度はまた更に別角度の反論になるだけなので)、
ままよと書くとしましょう。

■えー説明するまでも無く前述の反論は「社会適応」が強迫的に前提条件となっている
<終わり>

これじゃ補完もクソもアレなので、更に補完の補完しておきますが、
・そもそも「社会適応」の概念は『共同幻想』における代表的な強迫心理のひとつである
・『単独者』化を包含する『共同幻想』崩壊過程のメンタル問題増は、社会学的に先進国化における過程において派生するものなので(高福祉・高学歴高寿命化=労働力年齢の相対的低下・子供手当・フリーエコノミー)、経済学的にも所得分配による内需経済へのシフトが進行中において発生するもので、「社会適応」の合理性はこれに応じて後退する。
先日の政府諮問委員などにおける働き方研究に「フリーランスの検討」が含まれているのはこれに応じた帰結のひとつである。
・国際的にも左翼のポリティカルコレクトネスに拒否反応があるのと同時に(この話の背景にも「メディアの喧伝するPCな社会に適応しろとの社会適応的ごり押しがある」)、いじめ問題を筆頭に『共同幻想』社会の存在そのものへの怨嗟のようなものが表面化しているが、これも心理学的には「いじめの無い社会」を考えるのは間違いであり当該『共同幻想』の解体こそが答えである。
(※PC関連における問題に欧米における「ホワイトギルティ(白人自虐史観)」への反発などの解説が登場するが(トランプ勝利のバックグラウンド的に)、問題の本質は「左翼右翼問わず社会的圧力の存在(権威性同調圧力)」なのであり、即ち「クラス(階級)組織化された社会そのものこそが撲滅すべき近代の悪癖」なのであって(社会の解体では”無い”)、「社会適応強迫心理」こそが問題の本質と考えるのが筋論。)
 ↑
この説明がぴんとこない人いるかもなので、ちょいとあれするならば、
「社会適応」を考えも無しに(無意識に)是とするなら、
「組織暴力団が問題だから、これを矯正・厚生させる新手の組織が必要だ」←こんな話を先進国でおっぱじめるのかってナンセンスに(無意識であるが故に)気が付いていないって話です。

(※臨床系で言うと事のナントカ障害を持つとされる、ブラピやトムクルーズやスティーブンスピルバーグに今から何をせいって言うんです?その必要性からしてあるのかね。勿論ゲージツ家にとって社会的成功なぞは”偶然”であり、無職の彼らが下北の貧乏酒場で芸術論議にくだ巻いていたとしても彼ら個人の主体的価値は全く変動しない。←まさか話の主題がその在り様に腐っている話だったら?それは愚にもつかない強迫心理である。)

そういうこっちゃないんですから。


そ ん な 「社会適応」 マンセー な 事 を 言っちょるから
本質的に重大な変化の評価が(心理学的にはジャイアントステップス級の変化であっても)、「役に立たない無駄な変化だ(その努力そのものも「社会適応」評価的には無駄の類だ)」のような見落としに繋がる事が鉄板で予測されると解説しとんのです(前記事の趣旨は)。


●イエネコは幸福の近い生物ですが、
ぶっちゃけ言語という『共同幻想』すら必要としていません(スキル的にも)。
勿論その背景には「(彼ら特有の諸行無常的な)無強迫」という強烈な概念が本能レベルで存在するからなのですが(そもそも単独行動夜行性が基本習性ですし)、
自身における諸般の変化も(社会適応的偏差値評価と全く無関係に)主体的に行動選択・動機形成する状況において必然だから(その機会頻度が高い理由)派生したものであり、それがネコ社会偏差値でいったいどれほどのものか「そんなものはどーでもいいことで」、”選択された機会頻度”に応じたものは(=個体において必然項目だから)「偉大な大変革である」と認定される。

この判定は『単独』に行われるものだから、故に他者がどうこうなど全く関係が無い。
(勿論その変化を社会に誇示する場面も必然性も皆無である。いわんや評価や承認求めるなど更に斜め上の話。)
「その論法はネコに通じるのか?」と考えると、間違いが減るかもしれない。
(そのポンコツ日教組の教師みたいな発想こそが「強迫心理」の根っこなんだから。)
「何かの仕事ができなくちゃいけない」とかクソみたいな考えこそが癌なんだってばよ。


>筋力の衰えで死に至る難病を抱えた患者が幾分かでも延命になればと筋力の温存のため行うリハビリは無駄なんだからとっととやめちまえって話をしたいのだろうか?
だから言ってます
>脳の使い方を主体的に・意識的に変えれば(『一拍置く』を意識するなど)、その頻度に応じて脳の構造も変化していくのです(異論は認めません)。
違和感を感じた時は?
「反論NG」「考えるYES」

「人に社会適応の必然性,NO」
●仮に『共同幻想』社会適応を確信犯的に選択する場合、
「能力スキルの必然性,NO(過去ログ論証済み)」
この場合の必然性は「血の盟約のような”母集団に対する愛”」=「クラス内下位属性に対する不快指数=0」でなければ嘘である(野球部補欠の心理)→故に個人の能力的スキルは無関係であるのだから、その努力がシュースポス的不条理(無意味・無成果)であっても無問題であり、
この場合”結果では無く”努力プロセスを主体的に快とする動機形成こそが(母集団愛)認定の決定的証となる。
よって努力無駄論的反論は決定的な反『共同幻想』帰属的着想となり(=強迫心理に過ぎない)、
『単独者』論的にも『共同幻想』論的にも、
いずれの立ち位置から見ても論理矛盾となる。

行為を主体的に選択している場合、全ての動機形成は”快(面白い事)”だからだ。
その反対に
「主体的動機形成の腰を折るあらゆる認識は、反動であり強迫的着想である」
(※勿論、主体性の真偽は更にその前提となる論議ですけどね、)



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