2016年09月04日

小さな集団心理と家族社会の落とし穴

それは高度経済成長期以降の核家族問題なのかもしれないし、
現代社会でも(所謂総じて若年層の非行総数が低下しているのに)問題として残り続けるいじめに関わる事なのかも知れない。

『共同幻想』は最小単位二名でも構成可能です。
コンビや夫婦や共同経営やカップルなど様々なパターンがあります。
二名であれば、実態として”組織運営”にはならないので(表面的には個人的関係で行ける)、目立った問題は起き難く、てか問題発生=コンビ解消ですから問題性の代表は「壊れやすさ」って事になるかも知れません。

さて、やっかいなのは「微妙な複数による(三名以上の)”独立する小集団だけ”によって構成される『共同幻想』」です。
■話を『共同幻想』権威性と正統性原則論から考えるとおのずと上記の問題性が浮き彫りになります。根本を伝統保守とする『共同幻想』の場合、何らかの形で”更にその上位集団への帰属”という流れで全体として公儀認定的な権威に接続することでその内容を担保します。
近代西洋の家族社会の運営がわかりやすいモデルとなっており、家族社会は教会権力の下部組織であり、日曜には全員呼び出しで「内容チェックかけるから」みたいな形式となっている。
日本の場合は農村中心とした村社会の延長における「世間様」との連続性から(接続とは言えませんわね)その権威性と内容が担保されてきました。

(※江戸文化などが独特なのは人口構成的に家族社会が必ずしも”ベースにならず”、当時からしてシングルライフが文化の底流にあったためサブカル的方向も栄えたって一面があるかと、)

『共同幻想』の社会力学的動作はむしろ別の意味で強固であったとしても「暴力団や暴走族」は上位権威との関係性が担保されていないため傍流・亜流扱いされ社会的評価が「裏街道・外道」となるのでありますが、
後期先進国社会の場合、ご存じのとおり核家族に始まる「社会の大ヒエラルキーとの連続性」みたいな話がせいぜい高学歴志向みたいなどちらか言えばインセンティブによるアレ水準であり、保守本道という意味における正統性などを担保する要素はぶっちゃけ断絶したのであります。

勿論、学校クラス(階級)社会制度における友人関係などの小集団も(一部体育会系部活組織を例外として)「どこの上部階層と接続もしていない」状況がむしろ一般的となり、
前述家族社会同様に「正統性や権威性が何ら担保されていない”仲間組織”水準の『共同幻想』社会」として半ば放置される格好になりました。
※勿論それが「社会学的『共同幻想』崩壊過程」ってことなんですが。

■さて、この時心理学的意味で「その小集団の心理」ってものをどうとらえるか。
肝心要の正統性が何ら担保されていない。
本来の『共同幻想』ってのは、保守性の原点として(封建社会以前や近代などではそもそも過半の民衆が文盲であるなど)所属メンバー誰もが知識階級とかあり得ないため(特権階級貴族階級がローマの浴場でみたいな話にはならない)、伝統文化として”こうだから”と定まった常識を有無を言わせず共有化し「実に合理的に知的なんやらを”上から下へ伝達”共有する」つーところがレーゾンテートルなのであります。
そこが切れちゃうと、一体何の権威で果たしてどういう知的判断でそれが是とされ集団に”上から下伝達”により共有されているのかって部分がガタガタになります。

それだけでなく、「誰が上位者で誰が下位メンバーとなるのか」という順列も所属メンバーの社会的力関係で適当に決まってしまいますから(所属上位組織から指名されるとか無いから)、実態としては「暴力団や暴走族のそれ」と大きな違いが無いワケですよ。
●「集団心理の強迫性」だけが威勢を放つみたいな。

ぶっちゃけ「強迫心理的問題」を各個人が抱えやすくなってしまうとも考えられる。
「正統性謎の権威性により意味のわからない従属を強要される感」が発生する確率が上昇しますからね。意味が分からない事が更に→強迫性や従属圧力だけが目立つ形となり「漠然とその権威性がデフォルメされる」可能性を拡大させ、”プチブル階級”じゃありませんが「そこに放り込まれた子供の自我的には反抗期の対処にも困る」ケースが自ずと増えてしまいます。
(先進国における『共同幻想』崩壊過程においてメンタル問題が発現しやすい背景の一部でもあるでしょう。)


それはともかく、
どこにでもある平易な『共同幻想』が構造論的に「暴力団や暴走族」とそう違わない権威性の断絶って問題を抱えてしまうワケですから(この過程は60年代安保闘争時の学生運動小グループが陥った状況ともよく似ている)、どこにでもある小学校や中学校においても所属メンバーを取り立ててたいした対立点も無いまま自殺に追いやるいじめ問題を派生させたり、中学生の不良グループが見当違いの粛清的殺人事件を発生させたりなど「集団心理ならではの機能性」だけが残っていくというね、
そのような集団を私は「『共同幻想』崩れ」などと呼んでいます。

■さて、そこでやっかいなのが、
いじめ問題などで顕著ですが、断絶した上位権威との関係性が問題だとばかりに、
監督の立場にあるなど「なんとか上位権威を特定しそこに責任を負わせる」みたいな発想です。
「教師は不良グループの上部組織でも元締めでもありません。」
(現代社会においては、街の不良グループの上位組織として地元ヤクザが監督の立場にあるなんて構図も無くなってます。)
「そういう問題では無い」のですよ。
既に上位の権威社会との上下関係による連続性の無い『共同幻想』社会で問題が起きているんですから。歴史の先例で参考になるのは「そういう問題起こしたお家は断絶(当該『共同幻想』社会そのものを廃止乃至廃滅措置を行う)」ぐらいのものですが、このお家断絶からして家制度を監督管理する上位権威の存在が無ければできない事です。
「義務教育の場合、教師や学校には退学措置すら自由にできない」のですからね。
(※それに似た措置としてありそうなのは→文部省発令により「問題校の廃校」)

そこ真面目に考えると、
少年法を廃止して、(教師では無くて)拳銃持った警察官が介入できる形にしないといかんって話。
「ガタガタ騒ぐPTAも公務執行妨害でしょっぴくぞ」ぐらいの勢いで。
(上記手法は一面で正しいんですが、文部省の上に国家公安を置く形になっていいのかの判断が関わるので、手法として現実的では無い。)


社会学的に考えるなら、
当該生徒が所属している不良グループやいじめ問題を派生させる集団を権威的に指導可能とする方法は「暴力的威嚇だけである」と断言しておきます。
(つまり現代社会の教師にその対応を求めても、能力的にも法的裏付け的にも”対処できない””無理だ”ってことです。)

話はいじめ問題に限らずで、
「『共同幻想』社会特有の従属圧力や強迫性が洒落にならない」と感じた場合、
それはですね、
「何の因果か「特定の暴力団や暴走族に加入してしまった」と同じ状況」なのですから、
まず、逃げる、退会することが最優先事項です。
ところが、
それこそ。これこそが「何だかわからないものの権威性がデフォルメされている」って典型なのですが、問題が発生した集団全体を「あたかも昔昔上位権威と連続性を保つことで内容を担保された”よき集団”に治すべきじゃないか?」みたいな発想です(本当はいい子達だみたいなトンチンカンな発想で)。
現代社会にはそのような「上位権威と連続する集団」からして存在していないってのに。

●非常にわかりやすい「あり得ない解決策」は、
「教師グループが暴力団真っ青の暴力装置として地域に君臨し、馬鹿やっている学生のグループを次々と傘下に従属させた場合」となるんですよ(笑
社会人が対象の場合、OL女子会の上位に監督責任者の立場で管理職会という暴力的拘束力を持つ組織を編制するみたいな?
(古き良き時代を反動的に模索するのであれば、軍国主義的権威性社会の復活であるとか、はたまた男尊女卑を復活させてサムライ組織に上位『共同幻想』をリードさせるなどの”近代王政復古”みたいな物語を模索しなくちゃいけない。←そもそもそれを成立させるためには「知的権威を権力に限定させるため」一般庶民を文盲寄りにするみたいな低学歴化の誘導が必要になってしまう。)

あり得ないでしょ。
本筋、社会学的にフラフラと彷徨う糸の切れた凧のような「はぐれ『共同幻想』」「『共同幻想』崩れ」ってものは”廃滅”するのが(絶賛自然消滅していっているのだけれど)筋論であり、
「よき集団に指導しましょう」みたいな的外れな話ではありません。
■ブラック企業なるものが現代に発生したのでは無くって、
緩やかに「集団心理を梃にした組織運営」なんてものは自然消滅していく方向になるなか、組織運営が旧態依然のままで(社員旅行が当たり前の時代のままとか)、『共同幻想』崩れ的組織が是認されている会社は「全部ブラック」なんです。

現代社会の組織運営は「命令系統として上意下達」使っている段階でかなり微妙であり(「情報の共有」程度のアレが求められており)、「上司は(なんだかしらないが)権威上位で人としても偉い」って概念もNGです(あくまで職能上の上位者ってだけ)。
同時に高学歴化社会となっているので「説明しないとわからない部下」ってのもNGで(自主的に業務関連の情報収集していると思うけどが前提)、「組織としての目的や高次の美意識」みたいなものは予め明記した上で(法治国家じゃないけれど)入社時の契約としてその経緯性を明解に公開しておかなければならず、各自各個に判断する(会社はそれが有機的動くシステム設計をする)とかが精一杯のところかなと(『単独者』の時代は”組織”って概念すら変貌すると思われなので)。

そこね、家族社会も同じですから。
(先進国の場合、家族関係の上下性を削ぐために「子供個人に子供手当的に養育費や学費を支給」みたいな捉え方もあるぐらいですから。勿論ベーシックインカム論もそっちの流れを含んでこと意義が深まる。)


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