2016年09月01日

「顔に出る」

■表情って何でしょう。
現在の研究がどんな見解なのか知りませんが、動物行動学者ローレンツの時代だと「笑顔の原型は近所の別サル集落襲撃前のチンパンジーの興奮状態かもしれない」な〜んで話もありました(チンパンジーは”サル食い”で有名)。
その真偽はともかく、表情筋の振る舞いは神経的にも『自意識』専属ってよりかは、神経系所属と理解する事に異論のある研究は無いでしょう。
心理学的に言うなら深層心理や無意識も顔に出ると推定されます(生命としての”本人”マターなので)。
ある意味”演劇論”の逆さまって部分かもですね。
(演技論で言えばリアリズムを追及した演技は深層心理まで表現できてなんとやらとか→迫真の演技中はマジもので演じている人物の心理状態が再現されると考えるのが自然みたいな。)

映画の台詞によくあるじゃないですか。
「お前が嘘をついていると顔に出るからすぐわかる」
なんてね。
逆に言えば「表情は無意識マターであり、『自意識』にはその自覚無くても強迫心理は顔に出ている」という仮説もあながち否定できないでしょう。
(臨床系にそんな実験したところあるのかないのか知りませんが「そのまんま鏡像論」みたいに、鏡の自分に話しかけると人の心理にどのような影響が出るのかみたいな試みとかちょっと興味ありますね。演技者として自分を見て台詞と表情一致しているか?みたいな命題で。)

その話の延長に「やたらと他人を凝視している自分に全く自覚がない」なんて現象も含まれてくるワケです(表情やふとした仕草は無意識マターであり『自意識』マターでは無いって部分でね)。

無意識マターの根拠としては、前述の神経系所属云々の他にも「自分の声を録音したものを聞いたとき誰もが違和感を感じる」ってアレがあります。
自分の声は発生後の音だけが聞こえるワケでは無いので(体内にも反響しているのですから)他人が聞いている自分の声と自分で自覚している自分の声は違うのでありまして、表情についても「常に自分の顔を見ながら生活している人はいない」のですからこんな発言しているときにどんな表情になっているのかなど自分ではほとんど知らないものです。
(前述括弧じゃないですが、鏡を前に練習する舞台芸術や俳優や形態模写の芸人さんや、自分のフォームをチェックするスポーツ関係者など「自分の振る舞いを映像的に確認するのはごく限られた業種」でありまして、一般人は自分の歩いている姿がどう見えるのかすら偶然ガラスなどに写る一瞬でしか知りません。→代表例が「自分の姿勢の悪さに自覚が無い」とか、)


■「強迫心理」ってものは同時に『自意識』の抑圧を意味してますから、自我の構成にもよりますが全く無意的部分を自覚できないケースもあります(それとなく予測なり自覚していれば強迫心理も所詮ロジカルですから気が付くことは可能ですが)。
現象として表情は『癖』にも似たジャンルの振る舞いになりますから(人に指摘されて以降はなんとなく自分でも気が付くことができるが)、人に指摘されるまでまったく気が付いていないって方が自然でしょう。

人の表情ってよっぽどあからさまではない限り「その意図まで詳細に理解できるような代物でも無い」のでありまして(演技者はそれをわかるようにデフォルメするのでしょうけれど)、
何が言いたいのかって?
「(アカデミー主演男優賞でもない限り)思っている事の伝達性という点において、思惑通りの表情している人など滅多にいない」って話です。
思いっきり「強迫心理」バレバレな場合もあり得る。

●そこで強迫心理のベタな原理原則として考えると
『自意識』を抑圧する”権威性認知のようなもの”となりますから、
言えば「本音と逆の表情している」ことになります。
「かくかくしかじかのつもりなんですが」な〜んて台詞ありますが、存外に『自意識』で思っている事と逆に、その『自意識』を抑圧している権威者風情な表情になっていたり、強迫的自我の状況として興奮を伴って(自分を抑圧するために)小賢しい知恵もの風情な顔になっている可能性もある(この場合理屈っぽいとなる可能性もあれば、道理に従う様から話になんらかの理由さえくっつければ逆らえない人と見えてしまう可能性もある)。

心理学ってものは(とにかく学問としては経済学に似ているので)原理原則の理解にはある程度の知見必要ですが、それが強迫的思考か否か的な判断は国語の読解がそこそこ得意な人なら誰でも認知できるものであり、局面において「強迫心理」なるものはバレバレなんだってところがポイントなのです。
■誤解連鎖って側面で考えると
心理学的知見が無いと「強迫心理とは何ぞや」がわかりませんから、単純に行為の論理矛盾系違和感であるとか、そのまんまだと(矛盾している様から)「意図的に嘘をついているのではないか」の誤解に発展する場合もあり得ます。

『共同幻想』の伝統と文化の集合知じゃありませんが、
『共同幻想』曰く「とりあえず笑顔で(誤魔化せ)」、
表情ってものがわかっていたのか知りませんが、そこは流石の保守本道ってところでしょうか。
(文化的には日本人の特技なのかもですが)危ういところを見抜いていたのかも知れません。
投手のポーカーフェイスや、ハードボイルドのニヒルなんてのもその同一延長上のものでしょう。

■「強迫心理(や強迫性)」は誰の自我にもあります。
極め付きの『共同幻想』スーパーオンザレールで確信犯級のナチュボーンなナントカ愛のある人格の場合「竹を割ったような性格」な〜んて言われますね。
言わんとしているのは「天然で論理矛盾性が無い(強迫性が感じられない)」つーところになりますが、
ご存じのとおり上記は非常に希少なパターンです。
通常は思春期『反抗期』を経ても何らかの残滓を引きづりつつ〜の、自己完結的になんとやらしているのが市井の自我の振る舞いでありまして(自分自身でうっかり思ってしまうことを「ないないない」とダメ出ししつつ本音を探すのがだいだいの自我の振る舞いですから)、
誰しもがどこかに「強迫心理」を残していると考えるのが自然です。

(※メンタル問題とは「何らかの事情で”構造的に””恒常的に”「強迫心理」が『自意識』を抑圧する状態」などが見られる場合であり、「強迫心理」の介在やそのプロセスが論理的にネタバレすれば一般事例と同様に「強迫性」に対峙可能。←強迫性に対抗し抑圧される傾向にある本音をサルベージ可能。)

■日本の古典芸能にはお能なんてのがありますが、
面を付けて表情が変化しない方が(演技者のアレも出しようが無く)かえってリアリズムがミニマルな表現でなんとやらするって話なのかも知れません(見る側が投影すればよい)。
それほどに「顔に出る」って話は”脳”にとっても(観察ナントカ的に)織り込まれているアレなのだと思います。


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posted by kagewari at 21:24 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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