2016年06月13日

いい悪い論の弊害(説明するまでも無い話なのですが)

心理学的原則論のひとつです。
特にメンタル問題禍(下)における注意事項の代表的なものですね。
「いい悪い論の停止」
メンタル問題からの離脱家庭ってのは時に「仮想単独者状態」などと呼んでますが、その根拠は『思春期反抗期』を模倣する状況が派生していなければ有効性が無いからです。

もとよりメンタル問題と反抗期の”内容”には深い関係というかガチ原因そのものである的見立てがありますから(最もわかりやすいエディプスコンプレックスを想定すれば誰でも理解できることかと思いますが)、仮にその後当該人物が反抗期を経て権威性認知の再選択が行われ『共同幻想』系の思考に戻るとしても「自我問題な状態からの離脱過程は仮想単独者的な”全方位”反抗状態」を経過しなければ強迫心理系の拘束・抑圧が解けることはありません。
(勿論『単独者』選択なら尚更です。)
 ↑
なんだか難しい表現になってますが(笑
ぶっちゃけて言えば(メンタル問題に部分的に類似する)「ワケのわからないカルト思想系洗脳状態にある自我がそこから離脱するには、脳内設定されているあらゆる権威を一度全てリセットするような『自意識』の反抗無しに抜け出しようが無い」のでありまして、因果関係や仕組みそのものは小学生でもわかるような平易なものです。

この論議となると、
■「長い人生かけて信じてきたものなどの自分のアイデンティティーを全否定しろというのでしょうか」のような話も出てくるっちゃ〜出てくるのですが、
上記の反応は説明するまでも無く論理矛盾です。
一般論としての『思春期反抗期』もそうなのですが、
「自我の思考やら動機形成に無理があるというか、結果としてメンタル問題などに至る云々かんぬん」って状況が=「本音と違う事になっており(或いは本音が抑圧されており)二次災害的なストレスがえらいことになっている証明」となりますから、何をかいわんやです。
(抑圧される形で本音は”別の概念”として潜在化していたことになりますから。)

たとえば『思春期反抗期』の場合、
自分の大人化により法的にも行動選択が増えた結果、「夜9時以降もないがしかの活動時間を設けたい」と考えたとます。ところが「子供の就寝時間が9時である」みたいな権威性の決まりごとがあった場合、反抗する以外に手はありません。社会学的に言えば「労働者が権利を求めて団体交渉」などの概念と全く同じです。
この時”刷り込み”的に(親子関係では”躾”とも呼びますが)「いい子は夜9時に寝ます」となっていた場合、「夜の9時以降に活動を続けることは悪い事だ」となります。
 ↑
説明するまでも無くわかりますよね。
「いい悪い論」そのものが幼児期の刷り込みなどに付随するオマケ的な概念で(まさか神様でもあるまいしたかだがどこやらのおっさんやおばさんが「普遍的道徳論」の会得者だとは到底考えられない)、案外『共同幻想論』的なご都合主義で運用上「後付け」的に「なになにだからね」のようなことになっているだけで、本質的に言いだしっぺの方も「そこのいい悪いに関しては全く本気では無い」のであります。

■但し、民事紛争などのように感情的に両者が対立した場合、双方がその”正当性”を(裁判的には主張の合理性)「私の主張が”正しい”(相手の主張は間違いだ)」として論議になっていると、あたかも双方が「争っている相手は悪い」と発言しているように”見える”場合もありますが、この説明文がそうなっているとおりで「自分がいい人で相手は悪い人だ」なんて論議事態は起きていません(そういう心象が派生することはありますが)。

似たような状況が『思春期反抗期』にもあります。
平成ではあまり聞かなくなりましたが、昭和における代表的な反抗期の台詞と言えば、
「大人は(打算的で)汚い」
その様子はあたかも子供世代は善で大人社会は全て悪であかのように”見えます”が、
まさか言っている当人「善である子供が世界を支配して悪である大人を従えるべきだ」みたいな事を考えている筈も無く(ほどなく自分も大人になるってのに)、話の勢いで”そう見える”だけの話です(そういう心象が派生することはある)。

前述の反抗期の様(全大人を否定するような概念)、
これは「『反抗期』仮想単独者論」そのままに、自分の自我に刷り込まれた(案外ご都合主義の)権威性認知を一度ガラガラポンしてリストラする過程における「スクラップアンドビルド」な様子そのままの事であり、権威に対抗する”立場上”心象風景がエキセントリックにならざるを得ない部分もありますが(それこそ『思春期反抗期』の典型として)、そっちがメインではありません。

つーことで、
●そんな状況の時に「わかりました私が悪いって事ですね」みたいなね、、、。
いやいやいやいや、誰がいいとか悪いとかそもそも概念として脳内に(大人なので)存在してないからってな状況が(個人的美意識込みの趣味の世界を論じているのではありませんから)、強迫心理系の分析論やっていると頻繁にでてきちゃうのです。

そりゃ大人社会ででも「ブレーキの調子が”悪い”」だとか「やっぱTシャツはヘインズが”いんだよ”」のように”道徳的概念から離れた意味で”使用されることはありますが、「じゃあBFDのTシャツは悪いってことですね!」みたいな話に及ばない事は言うまでもありません。

実際のところ、
「私が悪いってことなんですね」みたいな概念が成立するには道徳的”権威性認知”がその条件となっており、同種の概念には常に想定される「権威と承認」みたいな話が裏で動いているのであり、
仮想単独者として全方位反抗的なガラガラポンな状況で、「偉い人はどう思うでしょうね」みたいな深層心理が絶賛稼動中では話にならんのです。
それは「強迫心理の抵抗(或いは抑止力)・強迫的自我の防衛」みたいな現象であり(質量保存の法則じゃありませんが基本自我には自己保守の原則ありますので)、その手法で『自意識』(以来の本音を含む)を抑圧してきた強制力そのものでもある。

■「善悪の判断を喪失しろ」みたいな意味でも全くなくってですね、
(善悪判断は個人的美意識なりで「私はこの手法が好きだ」「こういう手法は関心しない」的に100%代替できますので。)
「権威と承認」みたいなセットがおもむろに出てくると、途端に仮想反抗期状態も破綻してしまうワケですよ。権威に対して権威性認知で対峙する形になるため、某国の「謝罪と賠償外交」みたいなルサンチマンを呼び込み、話が余計にややこやしくなる事請け合いなのです。

手法としては随分やっつけなんですが、
「いい悪い論の停止」
基本中の基本です(手法としてアバウトでもそれで何か困ったことになる要素ありませんから)。


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