2016年03月30日

補足原稿 ■依存性と「取り巻き達」

(強迫心理にとって都合のいい「取り巻き」の話は過去にどっかでやっていると思うので、じっくり考えたい人はググってみてください。)

何度も書いてきてましたが、
メンタル問題ってのはその大半が(戦争などの外傷性に起因するものを例外に)「思春期などの『反抗期』の不全」に鍵があります(全部が全部じゃないが「強迫心理の成立要件」に『反抗期』のプロセスや背景は重要な因果関係がある)。
ここんとこのシリーズで延々に書いてきましたが、
重要なとこなのでしつこくおさらいします。

『反抗期』ってのは子供が法的にも人権的にも能力的にも「あたかも下層階級のように、権威者に対して従属的な関係を築く時代」から離脱する(大人になる)過程で起きる現象です。
「幼児特有の様々な誤解(サンタクロースがいると思っていたり、ヒーローが実在すると思っていたり、母親が凄い美人だと思っていたり、父親が飛びぬけて立派な人間だと思っていたり←或いは反動的にそれら全て反対の認知で荒れてみたり)」様々の”突拍子も無い妄想”を現実に置き換えるメジャーアップデートが『反抗期』です。

何故思春期にそれが大規模に起きるのかと言えば、そもそも幼児が制度的に抑圧されている背景が年齢によって自動解除されることと、
性的能力の獲得により快感認知として(特に親や教師などの)権威者に対する承認欲求みたいなものに快感原則的に依存するところから離脱し(自立)、関心事項からして異性も意識した外の世界に移動します。
サンタクロースや道徳刷り込み神話などがネタバレするように、権威者に対するハードルも崩壊し(相対自分の立場が自由になり)、抑圧が外れて(上下関係が水平になり)自由気ままに活動する方向へのアップデートです。
(現代先進国の場合はOSで言うところの管理者権限も獲得します。→身分制度や階級制度のある近代や封建社会などではそこまでの自由は無い。)


狭義で言えば家族団らんより異性といちゃつくほうが快感がデカイって話に代表されますが、
広義で言えばお手伝いをして両親に褒められるより、(家庭等の舞台設定の枠を外れた)現実の中でアクションなり表現をしてって側に快感原則的にシフトするって話(一概に社会で活躍とかの意味では無いので勘違いしないように)。

勿論、近代以降昭和初期までこの子供時代の制度的抑圧ってのは時代の『共同幻想』へ適応させる合理性と結合しており(戦前なら軍国少年とかね)、高度経済成長時代までは「女子は短大で一般職のお茶汲みとなりハードなサラリーマンのお相手」「男子は高卒就職か、四大出てハードなサラリーマンに(年功序列でお茶汲みの女子も嫁としてあてがわれる)」などもありました。
●ある意味時代の社会にとって都合のいい『共同幻想』社会適応人格に育てあげることを想定したもので、同時にそれは全体の利益にもなる合理的選択でした(内容を決めるのは権力サイドなワケですが)。
※時代背景を無視して「思春期反抗期において一足飛びに『単独者』を志向する個人」は(貴族階級や戦国武将などを例外に)なかなか多数とは言い難い。ざっくり『単独者』選択の台頭は先進国以降・高学歴社会の話と考えるのが自然。
(この辺の話は『単独者』論的にこれまで書いてきたので以降説明省略)

結果的にメンタル問題の発現に子供時代の『共同幻想』や『反抗期』の不全が関係する以上、
人格傾向として高い確率でメンタル問題を発現する自我の周辺に依存性や従属性問題がくっついてくるケースが含まれると考えられます。
ですから『被(こうむる)』のように「それと見てわかる従属的傾向」も顕著となる。
 ↓↑
●メンタル問題を発現している時には「表面的に『共同幻想』適応人格をマトモで立派な人」だと(無意識に)漠然と認識しているケースが大変多く、
何気に近親者や知人友人などにもそれ系の人が多い場合も珍しくありません。
(『被(こうむる)』スタンスが構造論的に)いかにも『共同幻想』っぽい人をスカウティングしているケースも多く見られる傾向です(そりゃそのタイプの人を”いい人認定”する傾向があるのだからそれも自然な話)。
※この現象が「他人の視線が異常に気になる」形で認識される場合もあります(バックグラウンドの構造は同じ)。

故に、メンタル問題を発現している自我ほど、
「世論動向や、現実社会の認知と”全くかけ離れた”『共同幻想』こそ正しくて立派なことだ」みたいなですね、
(この辺の現代社会実DATAは末尾リンクを参照)
 ↓
個人的には、イジメ問題などに強烈に憤るってのに(イジメなんてのは『共同幻想』社会しかやらないしできない)、場面が変われば途端に「『共同幻想』適応している人達はすごく立派で幸せそうな人達だ」って熱烈に語ったりします。
(構造論的に、それに比べて私はどうだろうみたいなルサンチマンで興奮するからなんですが。)
この辺の説明は直近のシリーズで書いているので以下を参照
社会適応論(3)
http://kagewari.seesaa.net/article/434791814.html



<話を戻します>
●メンタル問題を発現している時には「表面的に『共同幻想』適応人格をマトモで立派な人」と漠然と認識しているケースが大変多く、
無意識に(『被(こうむる)』スタンスが構造論的に)いかにも『共同幻想』っぽい人をスカウティングしているケースも多く見られる傾向です。
勿論、類は類を呼ぶじゃないですが、その対象は現代社会で言うところの「『共同幻想』崩れ」が大半で(結果としてイジメ問題にも発展しやすい)、
「強迫心理」にとっては”彼ら”は強い味方となります。
そんな状態を「強迫心理に都合のいい『取り巻き』」と呼んでいます。

<用語説明>
「『共同幻想』崩れ」って何か?
現代社会において「あるべき確信犯的選択をしていない社会適応人格」の中において、(現代的選択は先送りで)現在進行系で暴走傾向にある組織やそこに所属する個人の事です。
何か殊更問題であるとか彼らを批判する意図は無く(ここは前回エントリー参照)、
所謂保守本道の『共同幻想』適応選択では”無い”ことから→便宜的に「崩れ」と呼んでます。


<ここからようやく本題です>
■「『共同幻想』崩れ」状態の組織や個人は構造的不安から集団(共有)心理として現在進行系で暴走傾向にあるのですから、
もし、仮に、
「太宰治の『人間失格』にこんな事が書いてあったのだけれど、どう思います」と投げかけたら?
(実はこの段階で『共同幻想』もうパニックなんですが←前回記事の管理者権限部分参照)
「えーっ?だ太宰治っていえば(共有される幻想としての常識的に)かくかくしかじかの文豪だから(ですよね、そうだよね)、何々のどうしたって意味じゃないかしら」
のような反応になります。

しかし、仮に、
「わたし『人間失格』だとかサリンジャーとか今でも時々読むんだけれど、思うんですよ。人間ってかくかくしかじかなのじゃないかって、私なりの考えなんですけどね」と投げかけていたら?
(この段階で処理不能、『共同幻想』組織防衛反応発動)
「へ〜、なんとかさんって自分の考えとかある人なんですね(=アタシはオンザレール適応人格なので自分の考えを述べる管理者権限も無いワケだが)」
のような反応になります。

説明するまでもないことですが、、
投げかけ方、質問の文法からして、
前者は『被(こうむる)』(相手に対しても太宰に対しても依存・従属的でパッシブ)
後者は『抗(あらがう)』(相手に対しても文学に対しても自立的に対峙しアクティブ)
●相手の意見がコロコロ変わっているのではありません。
オンザレールな『共同幻想』適応系人格を相手にした場合(そもそも彼らには共有される常識はあっても自分の個人的考えなどは制限されている)、質問や設問・相談の”投げかけ方”によって彼らの発言を半ば意図的に操作できてしまいます。
(前者で言えば、都合のいい回答を引き出しているとさえ言える。勿論それは「強迫心理」にとって都合のいい回答です。)

そして、仮に、
(無意識にスカウティングしているいかにも『共同幻想』適応系人格では無く)
バリバリにアウトローな哲学科卒業のキルケゴールな彼女に聞いたとしたら?
少なくとも『共同幻想』適応系演出的一般人より濃密な意見が聞けそうです。
「何々時代の太宰はなんとかかんとかでその点で大喧嘩していた三島とあれしたものだから、引用された一説の意図するものはこーとかあーとかやれどーした」などなど、
おおよそ質問者が本気で太宰文学の本質なるものを知るべく聞いたのだとしら(結論はともあれ)、より期待に沿う方向性にある筈です。
 ↑↓
質問投げかける人物象として一番バッターの『共同幻想』な人との比較、
最初の『共同幻想』な人への投げかけがどんだけ無茶苦茶かわかりますよね?
●限りなくというか、ほとんど「強迫心理」にとって都合のいい意見をいかにもいいそうな『取り巻き』にまんまと(その期待に答える)しょうもない回答を聞き出そうとしているかのようなものです。


それに付き合わされる『共同幻想』も『共同幻想』なんですが、、
(権限的にわかりもしない事を)街角インタビューで左翼メディアが都合のいい答えを引き出すなんとかを見ているかのようです。
報道番組得意のアレって「ハードコアな政治課題に無知な街の意見聞いてどうすんだよ」とイラっとくる人って少なく無い筈です(だったらコメンテーターなんていらない)。やっている事ほとんど同じですから。
政策課題を理解するまで研修していない市民を相手にトンチンカンな意見を引き出して「それが世論です」みたいな。彼らだって唐突に街角インタビューの時はあーかも知れないけれどその政策課題が論点の選挙前になれば違う発言してますって。普段仕事してんだよ、忙しいんだから唐突に個別政策の話ふられたって誰もわからないだろうさ。
(注:この辺の事情は制度も織り込んでいます。「選挙に関しては『共同幻想』などですり合わせしないよう」違反になりますよと、自分の考えで個人的選択で投票行動することが法的に担保されているんですから。←勿論の事55年体制の頃までは選挙違反やら組織票やらが大活躍していた。)


■勿論、論点を共依存の方向から見れば、
『取り巻き』として「それこそ取り巻いている連中」ってのは(もっともメンタル問題への見識や心理学的の無い人物なのに)、何がしたいのかって”彼らの利益”と動機を考えるならばさ、
福祉関係志望者の適正問題じゃないけれど、
多分にナルチシズム的な共依存的目論見ってのが、意識的・無意識的様々なパターンであり得るのであって、彼らは彼らなりに都合よく(現代社会において普遍的に不安が拡大している帰属先の『共同幻想』保守できるようにと)
「それじゃだめ、あるべき社会適応ってなんて幸せで幸福なんでしょう」みたいなね、そんな思惑も推し量られるってもので、、、
 ↑↓
ここにマッチポンプの構造も成立する
「私の周囲の知人や友人は、社会適応ライフの幸福さを”みんな”が、、」
※だいたがですね、私にも仕事関係やらで多数の『共同幻想』接点ありますけれど、そんなお花畑な『共同幻想』な人にお目にかかったことがないんですよ(副業からしてコンサル業なのでサンプル数も半端無いんですが、、)。いったいどこの世界にそんな希少種な方がいるのか是非教えていただきたい。
てか、その印象も質問投げかけ側の『被(こうむる)』スタンスにより現実から乖離している(或いは特定方向に無意識に誘導されている)ワケで、ほぼ間違いなく別の人物が同じ設問を(違う関わり方で)その人物に投げかけたら、『共同幻想』な人の答えは話はまったく別のものになるでしょうよ。


●重要な注意点指摘しておきましょう
自己分析関連のところで話した事ありますが、一部精神科医のみなさんの自主的心理学勉強サークルみたいなところだと「自己分析は危険」とされてます。
そこんところの意図ですが、
フロイト心理学であり精神分析ってのは「ネタバレの学問です」。当事者がメンタル問題を発現しているか無いし『単独者』であれば何ら問題ありませんが(権威性に丸投げして耐性の無い場所が無い)、当事者が『共同幻想』適応人格の場合、拠って立つ『共同幻想』が唐突にネタバレしてはしご外される事になります、それは自我統合上の問題にもなるから「フロイト心理学や精神分析は『共同幻想』適応系自我にはそれ自体が危険だし高い確率で理解できない」のです。

そのために『共同幻想』に優しい都合よくリミッターかけた臨床形心理学って”なんちゃって心理学”みたいなのが存在するぐらいですから。
特に欧米みたいにガチでキリスト教『共同幻想』かかっているところは「自由にフロイト心理学やれている国なんてそうそう”無い”(発祥のオーストリアに至ってはフロイト誰状態)」のであって、存在自体がアングラな代物です(フランスもJAZZのあれじゃないけど文化的にアリなのだろうし、一部米国が強いのも米国は”表向き”はフランス革命の更に上のキリスト教世俗派がそこそこ強かったり、ご存知ユダヤ系も強い足場持ってますから)。

雑誌の心理学コーナーみたいなふざけた話ならともかくですね、
素で『共同幻想』な人にマジな心理学の話を考えも無しにすることからして(それこそ幻想抜きの)非常識ってもんです。
(かくいう私も心理学的な話をする時相手の自我構造踏まえて話します。うっかりメンタル問題の無い『共同幻想』な人にいらん事まで話して自我構造揺らしてどうすんですか。)
 ↑
な事言うと「お前は堂々となんちゃ精神分析だか知らないがブログで書いているだろ」な話もあるかも知れませんが、あんたねフロイト心理学の本だって普通に書店で売ってますがな。
興味持ってそれ系の本を読む選択と動機からしてそこに一部耐性が存在するって話でしょうに(自我崩壊するから書店や図書館からフロイト心理学の書籍を禁書にしろとか無いからね)。
それを関係無い人に「こんな事が書いてあるんですが」って(あたかも子供の”権威者に言いつける”行為じゃあるまいし)、行為の意味がわからない。
(てか意味は心理学的知見のNGを出す責任をそいつにおっかぶせようってバレバレですが。)

そこでわが意を得たりみたいなマッチポンプで、
「知人に話をしたらこんな事言われました。欧州ではフロイト心理学はユングの馬鹿のせいで禁忌の学問になっているとか知りませんでした。」
「で、何が言いたいの?」って話です。
(私は「やれお前の話はインチキだ」と思っていただいても何も困らないワケで、そう思うならブログを読まなけりゃいいだけの話です。ユングもフロイト派破門の輩だし。)
「やっぱり『共同幻想』は凄くありがたい大事なものだと思います」
いやいや、一度も『共同幻想』再選択を止めた事とかも無いから。
(選択されるのは「確信犯的『共同幻想』再選択」か「自覚的『歩留り』個性化」か「『単独者』の選択」だと意っとるワケでさ、『共同幻想』適応を選択するなら、別項『共同幻想』論で書いているように仁義を通せって論じてます。)


■読んで何をどう考えるのかって、自分の話でしょうに。
そこ考える時に、何故(まったく同種系統学問知見の無い)近所の『共同幻想』な人の見解(実質”お墨付き”)が必要なんでしょうね(笑
学校推薦図書じゃあるまいし、自分で読む本も自主的に検閲してもらうんでしょうか。
封建時代じゃないんだからさ、どんだけ好き好んで抑圧”されている”側を(『被(こうむる)』)自分で演じ続けるのかって話でしょう。
それが無意識なのは勿論のこと百も承知してますが、
そういったバックグラウンドまで書いてあるので、
「(そのまんまの意味で)普通に読んでくれるだけで済む話なんだが」と思うところです。


<現代社会の状況 参照リンク>
何か特別な統計DATAでは無く、ささっと調べて普通に見つかる水準の現代社会『単独者』化への変遷を適当に引っ張ってきただけなので、取り立てて以下リンクに意味があるものではありません。
恋愛したくない若者たち!7割は恋人なし「面倒、デート疲れる…」
http://biz-journal.jp/2015/09/post_11697.html


大学生の持つ“ひとり”の認識 : 積極的孤独と消極的孤独
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/handle/2237/17722

 2012年度名古屋大学学生論文コンテスト優秀賞受賞
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/17722/1/大学生の持つ”ひとり”の認識〜積極的孤独と消極的孤独〜.pdf
(流石優秀賞、参考文献は一部左翼チックで心配な部分ありますが、大学一年生の論文としてはしっかりしたものだと思います。)

老後は「1人暮らし」が幸せ 家族同居より生活満足
http://www.sankei.com/life/news/160120/lif1601200029-n1.html



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