2016年03月28日

大雑把な「依存性の問題」(3)

前回からの続き
■消極的共依存における別の意味の心理的リスク
いったいどんな世界なのか実体験が不可能なのでよくわからないものに「ママ友社会」ってのがありますが、偶然中央線車両内で「極ママ友軍団」に遭遇したことがありまして、
「なるほどこれが噂のママ友か」と驚いた事があります。


その時、始発車両に乗り込んできたご婦人方の様子は「明らかに自分達だけの強烈な結界(こっち見みんな)を発現」しておりまして(笑
傍から見ると「昭和に絶滅した暴走族レディース軍団の方ですか?」としか思えない状況。
(軍団で何やら「SNSのなんとか」をやっているらしく全員スマホを手に)
「共有できた?画像見えた?」
「すごーいすごーい可愛い!!」
「えーみんなできちゃったの。アンドロイドの私だけダメとかどうしてーー!アイフォンじゃないとダメとかですかー!」

えーっと、、どう解説したらいいものかアレですが…。
前の席のド真ん中に座っていた私は(いえ私を含めて周囲のサラリーマン達の雰囲気も)、可能であれば数メートル後方に下がりたい心境になっており、
そのクソ画像がなんなのかはともかく、、
明らかにアンドロイドな主婦などはその集団心理の中「関係し付き合いを盛り上げる事が人生の目標か」な状態で、もうそこだけ異空間・亜空間かって凄まじいものでした。
唐突に目の前で赤テント劇団が何か寸劇パフォーマンスおっぱじめたかのようなですな、、えー、私頭か抱えてしまったワケですが、
(みなさんも似た雰囲気を通学路沿線などで搭乗してくる「中学・高校の友人達『共同幻想』の小世界の絵」で時々経験されていると思います。アレのすっごい感じの風景だと想像してください。)

確かにですね、昭和『共同幻想』ですとか、ローカル『共同幻想』においてそういった世界が合理的に存在したり・していた時代がありました。
それが唐突に(時に変人も多くB型文系路線などとも言われる)東京の中央線に登場したもので余計に驚いたってのもあります(三鷹のジブリ帰りだったのでしょうか)。
えーこの姿ってのもは、『共同幻想』の問題ってよりですね、
社内の空気的に「いい歳こいたカタギさんの大人が」群れてそれはないだろうって、、
周囲がドン引きしとんの見えないのか的な話です。

勿論私は彼女達を批判したり揶揄しようって思惑はまったく無く、
「これ当事者だんだけ大変なことになってるのか」←関心はそっちにありました。
私も若い頃のフリーター時代に随分濃密に昭和の奥さん『共同幻想』と付き合いありましたから、所謂「ご婦人方の社会」はむしろ慣れている方なのですが、それとは全く異質なものです。
このような状況が出現した一義的な原因は「世代間の断絶」でしょう。
まずここは『共同幻想』ありきで考えてみましょうか。
(直接的な問題点は事の是非より”その質的部分”です)
端的に言えば姑の指揮命令系統が存在していないって事です(どうしていいのかわからない末端組織が暴走している図のような)。
 ↑↓
どういうことかわからない人もいるかもなので解説しますが、
彼女達の姿が(勿論そんなつもりは無いのに)無意識にレディース軍団みたいなことになってしまう理由は「依存性」です。
この場合消極的依存が主力だろうと思うので、その反語は「主体性」となります。
(この段階で個々人の判断でブレーキ踏む事もできないことがわかります。)
育児やら家庭の運営やら様々な部分を自分で決められない、考えられない依存系の奥様の場合(勿論昭和までそれは全く問題では無かったので→その消極的依存性は通常の『共同幻想』適応系人格の傾向で昔は「順応性」なんて呼ばれ評価されもしました)、権威上位者からの「こうすべきだ」「こうしなさい」などの指導を受ける従属(従順)的関係により所謂『共同幻想』における常識論(共有すべき状態)を確認し自己に導入します。

ところが、昭和末期からこの嫁姑の関係性は事実上崩壊しました。
(時代的に言えばその発端は高度経済成長期の団地文化や核家族の台頭から始まっていたことなんですが、)
主体的に「私の育児はこれこれで、こうする事に決めているので(或いは主人とかくかくしかじか相談して結論出ているからなど)」のような”自分の考え(自己責任を担保した能書きのことです)”があれば、誰かに「それでいいのかしら?」の消極的依存による確認を”必要としません”。

しかし、『共同幻想』本来の目的は団体行動的に仕様を共有し結果として行動も均一化するため、何気にオンザレールの『共同幻想』適応してきた自我にとっては(そもそも躊躇無く結婚してしまっている段階で当該人格のかなりの割合が”適応タイプ”となる傾向もあるでしょう)、好き勝手に自分の考えで行動する事は一義的に選択肢には”無い”ので(適応性・順応性が後退してしまう)、
「これでいいのかしら」なる問いの答えというか、自らの選択に対する「お上からのお墨付き」承認を得る必要があります(それは自分の考えだからと自己責任を担保にして割り切れないため)、
何らかの権威性上位の個人なり、思想なり、社会なり自分が従属的関係を構築するべき対象が必要になります。

■そこに都合悪いことに時代はSNSなんてものを出しちゃったものだから
(SNS関連は今後『住まいの心理学』ブログで記事にする予定)
なんだか、大変な事になってきている。
そもそも論的に欧米が何故SNSなるものを持ち出してきたのかって、その背景はキリスト教系『共同幻想』の崩壊により、欧米社会においても「『共同幻想』崩壊過程による社会不安」が恒常化してます。うんで、彼らは日本に古来から存在した「世間様系『共同幻想』」を全く知らなかったのです。
(そこは日本製のRPGゲームなどの海外ユーザーの掲示板など見れば歴然。その親切な仲間達の存在に救われる感覚はまったく経験したことのない世界だそうで、、)
彼らにしてはたいした発明だったのでしょう。
日本にとっては「社会適応依存性の強い層を違う意味で刺激してしまった」ってことかな。

ちなみにですが、言いだしっぺの欧米からしてユーザーの6割が「プライバシーの問題からもうやめたいけど、フォロワーの存在が怖くてやめられなくて困っている」なんて統計も出ています。

現代社会の日本における『共同幻想』社会におていは、
「『共同幻想』崩壊過程の中、適応するべき権威に思い悩む適応系自我」の拠り所みたいになっており、、
(平成初期ぐらいまでは「マニュアル志向」なんて形で表面化していたアレです)
現代SNSに関するアレはなんと老人社会においても存在します。
フォロワーだかフレンドなんだかに登録してないと「角が立つ」だとかって話。
(笑うところじゃなくて、、実際に相談されたことありますから。)
 ↑
政治記事やった時にこの点「左翼はどうなっちゃたのか」でちょっと触れてますが、
関係者だけの内輪のやりとりをワールドワイドな世論と勘違いさせる機能がSNSにはあるため、現実との乖離を刺激する要素があるんですよね、SNSって。

ママ友や小中高校生などのSNSを媒介する『共同幻想』小社会はその機能として構造的に「暴走する傾向」があり(上部構造にヒモ付けされるような重層性が無いため)、権威的裏付けとなる上位階級と無関係・非公認の形になり、うっかりすると組織単体で孤立している事にも自分達で気がつかない奇妙で”威圧的な集団”になることも珍しくありません。
 ↑
この姿は、昭和の暴走族であるとか、
成人式に暴れるDQNな皆さんと構造的に全く同じでありまして、、
冒頭のママ友軍団がレディースに見えちゃうネタバレです。

●現代社会においてオンザレールで社会適応選択している自我ってのは(昭和であれば文句なしの”優等生”ですが)、かなり苦しい状況にあり(所謂確信犯的再選択が先送りされ不安定な状況)、
その消極的依存性(順応性・従順性)の置き場所というか従属先に迷いが生じ(てか現代先進国社会では「正統性が担保される上級クラス社会なる神話」構造は社会学的に崩壊してますから)、
『共同幻想』社会適応をオンザレールに選択し続けるにしても、
何度も説明してきましたが「いつかどこかで確信犯的再選択(所謂保守思想の使い手となるような)」をプルーフしないと、自我の置き所的に苦しい事になっちゃうんですよ(個性化・自己責任社会への変遷)。
 ↑
『共同幻想』崩壊過程におけるオンザレール階層全般における「普遍的・潜在的なメンタルリスク」と言ってもいいです。

これがまた、
一度組織に参加した個人が唐突に「なんかまずいから抜けよう」と思っても、
「お前○○レディース裏切るのかよ、先輩に筋通せコラ」であるとか、
最悪の事例は「昭和の左翼内ゲバ」みたいな(構造的にそういう類の『共同幻想』社会に貶められちゃっているワケだから)、マジに怖いって場面もあり得ます。

■対策的には基本に戻ることです
(特に上部組織とヒエラルキー構造で繋がっていない)権威的にどこにもヒモが付いていない非公認な『共同幻想』社会が対象ですから、相手は群れを成していても”所詮単体”です(上司や警察出てくるとか無いから)。
『共同幻想』の始まりは、草食獣が捕食獣から身を守るための”安全保障”です。
言うならば単独行動も可能な”個人”を相手にした場合(これ相対的に捕食獣側みたいなスタンスになるため)、警戒や威嚇はあっても基本彼らから逃げます。

条件として「まず自己責任の担保ありき」の話ですが、
一度に全員相手にするぐらいの腹決めると、
向こうから「あら〜なんとかさんって自分があっていいわね」だとか、
「なんとかさんって自分の世界あるわよね」みたいな、
意外と情けない結果になります。
 ↑
ここは論理的根拠のある話です。
『共同幻想』ってのは概念を組織で共有保守するから存在可能なんです。
組織の論理に普通に真顔で根拠のある異論で対峙する他者は、下手すると『共同幻想』存立のレーゾンテートルを脅かします。
かといって当事者達は全員消極的依存型個人なので、アンチテーゼとなる概念ぶつけられてもまったく抗弁できません(個々人で勝手に考えを述べてられる管理者権限が”無い”のですから)。
●つまり、対峙した側の語る話の内容とか「あんまし関係が無い」のですよ。
専らオンザレールな『共同幻想』適応人格の傾向には「消極的依存の結果として個人が好き勝手な事を言っていい管理者権限が無いため」、何も言えなくなってしまいます。

結果的に「なんかすごいのね」みたいな組織防衛のラインを引いて、
やんわり相手を全否定するとかしか方策が無い。
自分から「組織を抜けたいのだけれど」みたいな仁義を切らなくても、すーっと彼らから引いていきます。

■こんな話をすると、彼らとすっごく関係悪化するとかじゃないかと思う方いらっしゃるかもですが、決してそういう展開にもならないのですよ、これが。
「一本釣り」的に特定個人を「あなたに個人的な話があります」と声をかけると(彼らは彼らでSNSのアレじゃないが半数以上が「本音は組織を抜けたいと思っていたりする」のですから)、想定外に喜んでついてきたりします。
そこで特別な話をする必要もありません。
(ネタはくっだらないもので良く、密会が成立するたけでよい)
何気に話の出来る関係性を維持しておきたい思惑があるなら、上記方法によりどうとでもなります。
けんか腰になって得することは双方にありませんからね。

●結局、社会学的変遷の中
彼らのオンザレールな選択は「消極的依存として孤立する小社会」に至るリスクがあり、
いずれにしても、現代社会先進国では誰もが「いつかは自己責任を担保した確信犯的選択を迫られます」。→時期は特に定まっておらず、人によっては老後とかになるかも知れないけれど、
自分の考えで投票する社会が先進国ですからね。
(従属・依存的組織票で政権が決まるみたいな時代は発展途上国から先進国入口までの話。)


さて、依存性とは何ぞや的な話をしてきましたが、
「まだどうにもわからない」みたいな、
(理詰で、鉄板の論証してますから「そのまま読んでくださいよ」って話なんだけれども、、)
ホニャララとかなったら『共同幻想』系の方々から「なんとかかんとか”言われる”」みたいな、
(その段階でスタンスが思い切り”される”語尾の『被(こうむる)』になってんじゃネーか)
「そこの説明必要?」って話なんですが、、

■依存性と「取り巻き達」
みたいな補足説明が必要かなって思う部分もあるので、
これを次回やります。


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