2016年01月25日

エスカレートの構造 現実との乖離

認知の過剰化を説明する時によく「反動形成」を使ってますが、この仕組みは経済学の乗数理論じゃないけれど二次的選択となった場合の「倍返し的認知スケール拡大」の説明です。簡単に言えば現実認知のスケールが倍化していく仕組みですね。
この状況にはもうひとつの動きが併行します。「認知のエスカレートが止まらない仕組み」です。
たとえて言うなら中国の言うところの南京大虐殺犠牲者数が毎年倍増していく原因みたいなところの話であります。
人間の認知において「だいたいこのぐらいだろう」という尺度というか歩留りというか(『共同幻想』専売特許の常識論とは少し違って個人的な”さばを読むのさば”みたいな)『量的目安』みたいなものがあります。勿論それは経験的に獲得された殊更難しい事も無い若干の推測込みの”どんぶり勘定”のようなものやだいたいの予測値ですが、認知の過剰化プロセスが進行・加速化するためには、そこの機能が思考停止していなければなりません(自分に「そりゃいき過ぎだろう」とバレますから)。

所謂「反動形成」に転じるきっかけや背景となる条件って部分です。
それは「ほんとに些細な現実と想像の混同や誤認」から始まります(というかそんな規模で十分なのです)。
「誤解を発端にした憶測」だけで”このぐらいかな機能”は機能停止します。
ぞこで、”このぐらいかな機能”が働かないほうが自然な状況からその仕組みを考えてみましょう。
代表例が戦場における『戦況判断』です。
見誤れば致命傷ですから戦況判断は慎重でなければなりませんよね。どんぶり勘定でやられてはいかんケースです。しかし戦況判断ってのは目を皿にして”情報取得(事実関係の確認)に躍起になる”ことで過剰化のキッカケとなることはありません。
のように、人間の認知には”このぐらいかな機能”をあえて停止させる状況もあるのですから(その判断は事の深刻さなどで決まってくる)、誰にだって認知の過剰化リスクはあります。
特に、前述例のように「事の深刻さ判断」が”深刻だ”にブレている時には停止させるフラグも立つワケで、戦況判断の例に照らし合わせれば「そんな時ほど事実関係の情報取得(ファクト)」を最優先としなければ(或いはそんな第三者性が担保されるテンションの継続が無ければ)、容易に「誤解を発端にした憶測」に始まる認知の暴走が起きます。
(注:この状況になれば非常に高い確率で「反動形成」も織り込まれる。)
(確定的なことは言えませんが、「誤解を発端にした憶測」ってものからが”どんぶり勘定”の「反動形成」である可能性もあります。→故にその段階で過剰化が始まっている。)

しかし戦況判断でもそうであるように現実認知を繋ぎとめている鍵は”情報であり現実そのもの”となり、「事の深刻さ判断」が”たいしたことないから”な時には”どんぶり勘定”が機能し、言うならば二段構えで認知は滅多な事では暴走しません。
(ちなみに鬱症例も一種の暴走)
厄介なのは、「事の深刻さ判断」が”深刻だ”にブレている時、深刻さって判断が不安や憶測を呼び第三者性を担保するような冷静さが欠落してしまう場合(合わせて言うと『興奮』関連でやたら事象を”深刻だ判断”連発すると数学的にリスクは高まる)、この状況で「認知暴走予備状態」となります。
(注:前述の補足括弧記載の法則から逆算すると、「『興奮』関連でやたら事象を”深刻だ判断”連発すれば、認知の暴走を自動的に派生させる事も可能だ」とも言えるでしょう。)

「嘘が雪だるま式に」ですとか「パチンコの借金がトンデモに」などなどの現象も広義で言えば同じ。初期認知に「ほんとに些細な現実と想像の混同や誤認」が発生し、「反動形成」が展開すると自我は現実との接点を喪失し(当人は現実を取り違えている自覚をもてないままに)現実との乖離が進み帰ってこれない事になる。←そんな状況はさして難しくもない構造で発生してしまうんです。
この状況は「当人は現実を取り違えている自覚をもてないままに」進行するため、何かのキッカケで乖離に気がついた後に「今考えるとあの時はどうしてあんなことを考えてしまったのだろう」と自分でも不思議に思ってしまうのです。

心理学的理解としては守備範囲超える話には慎重にコメント必要なのでアレなんですが、
(以降、あくまで「可能性の話」として読んで下さい。)
たとえば認知症。
私は認知症の進行に心理学的側面が大変大きく関係していると考えてます。
話を進める前に、若干前提条件の補足をしておこうと思います。
生理学的な脳の機能の問題をひとまず置いておいて、所謂認知症として語られる様々な症状って機能的な喪失に限ったことではないだろうと思うのです。
単純に機能低下では語られない「認知の過剰化」のような「現実との乖離」抜きに説明できない部分があるからです。
典型例が「あなたが盗んだんでしょ事件」のような話を補足修飾する部分において想像の付加(知性の関与)無しに説明のつかない症状とされる行為のことです。
機能低下だけで想像の付加(知性の関与)まで説明するのにはどうしたって無理があります。
心理学的知見が無ければ「機能障害でそんな妄想を本当に見ているのじゃないか」で納得してしまうのかも知れませんが、心理学から見た場合ちょっと待てよとなる。
 ↓
どの部分にって、自分で仕舞った場所を忘れてしまった財布に関して「だれかが盗んだ」という認知の転換が行われるためにには、自我スタンス『被(こうむる)』などに典型する構造(認知症患者にとって機能低下で記憶に欠落があった場合当事者である自我はある意味被害者であるかのような立ち居地となる)、そして「反動形成(場合によると認識が逆転する場合もある)」が必要になります。
近親者などに(近親者だからこそ)激高し、「あなたが盗んだんでしょ事件」が起きやすい要素も(深刻さ判断などで)説明しやすい。
医学的な機能低下部分は「自分で仕舞った財布の場所を失念した」に限定されており、「現実認知を喪失するような妄想が本当に見えている」のが原因だとしたら、現場を見たのでは無い失念に始まる状況を盗難だと判断する事が不可能です(誰かが盗む様子が都合よく妄想で見えるってのはいささか考え難い)。
仮に心理学的判断に合理性があるとした場合、
ここで注意すべきは、機能障害だけならば「頻度やスケールに差異があるだけで、日常生活誰にでもある度忘れと同じ」筈です。
しかし、この時「機能低下が起きる前の当該人物の人格傾向」が、些細な忘れ物も厳しく糾弾するタイプの自分であったり(やたら事をシリアスに対応したり些細な事も叱責する)、近親者が同様人格タイプの「所謂真面目な人」だった場合、「自分で仕舞った財布の場所を失念した」事象は非常に強いストレスを与えます(忘れたものの重要度かそれを更に強くする)。
仮にですが、その状況に登場する人物全員の人格傾向が「宿題忘れてもあっからかんとしているタイプ」「500円程度の借金をことごとく忘れるすっとこどっこい」だとしたら、「あなたが盗んだんでしょ事件」に至る頻度は随分違ってくるのじゃないかという事になる。
(※ここは鬱症例における一般論「真面目な人に多い」にも符合する。同時に介護施設職員の適性に求められる要素に関係しているのではないか。)

心理学的には地味な部分の検証ですが、
そんな地味なところがエスカレート構造のキモだったりするのだろうと考えます。

(となれば、次回は「深刻さ認知とはなんぞや」を考えてみましょう。)

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posted by kagewari at 16:40 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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