2015年09月02日

犯罪心理のボーダーライン(3)

前項と、過去記事は以下
http://kagewari.seesaa.net/article/420975511.html
http://kagewari.seesaa.net/article/424967788.html


さて「犯罪心理のボーダーライン」を越す場合と「便宜的自己都合の犯罪」との違いは何か。
今回はそこを突っ込んで考えてみます。
ネタバレするともう上記一文に答えありますけどね。

合法性の世界における道交法違反、これは便宜的自己都合で発生します。
(車に乗っているからといって、目的がレースでは無く単に移動手段である。)
概念として「掟破り」な世界の線を越えようという思惑がありません。
「食うに困って窃盗を働いた」(文字からして「働いた」なんて事になっているとおりで)自己都合で便宜的に法律違反する人物は、前提として犯罪心理のボーダーラインを超えてませんから、仮にしでかすとしても軽い犯罪の範囲内で目的達成をしようと考えます。
或いは、前回説明の『暴走族』事例のように、ガチ『共同幻想』で「俺はプロの泥棒稼業」のような保守性認知があれば、そのエスカレートは『共同幻想の範囲を超えない』ので、「プロの泥棒となったからには”いつかは米国中央銀行の金塊”を」てな発想に留まります(この人物は可能であれば犯罪者を自認していても無駄な殺人を避けようとすら考えるでしょう)。

しかし世界観として「もう掟破りだな」と(個別具体的な自己都合や便宜上の判断では無く)犯罪心理そのものに対するボーダーラインを超える場合、
全ての行為はできれば違法性でありたいと思うし、目指す犯罪は悪魔の所業でありたいと考えます。
この差異ってのは「反動形成」の論理そのもので、
所謂ひとつの「ボーダーライン」を認知させる壁なり国境なりの”境い目”を前提とする「こちら側か、反動化してあちら側となるか」の心理的経済原則みたいな話です。
勿論そこで認知されている壁なり国境なりの概念は『共同幻想』である。
時に社会の合理的方便である『共同幻想』は犯罪者には適応されないのではないかと勘違いしている人いますが、ちなみに『暴走族』や成人式で暴れるDQNは「ガチ『共同幻想』適応者」です。
(その『共同幻想』が小集団の仲間内で妙ちくりんな事になっているだけで、彼らはローカル『共同幻想』など伝統保守系概念に強く帰属している。)

時々私は心理学的意図を持って「カタギ、アウトロー、アウトサイダー」三段活用みたいな説明する時ありますが、勿論この場合の「アウトロー」は暴走族のようなものでは”無い”、『非集団化』な確信犯的個人を想定してますがそれでも(プロの泥棒家業でも)所属は『共同幻想』適応系に属します(この場合は歩留り的ケースも多そうですが)。
(勿論『単独者』のイメージはアウトサイダー系←『単独者』が全てアウトサイダーだという意味ではありません「そう認知される事が多い」程度の意味です。)

変な言い方にもなりますが、
「目指す犯罪は悪魔の所業でありたい」などという動機形成は哺乳類の中で人類ヒト科しか発生しないわけでありまして、本能と代替に自我なる微妙なOSを実装した”人類って生き物固有の危うさ”と考えられます。
自然界は基本的に合理的法則性の中にありますから、反動化して合理性が別の意味と方向に変質する(エスカレートする事が目的化する)なんて芸当は本来起こり得ません(二次選択としてのオプションやオルタナしか無い)。
人類がその生命活動を自我システムで運用しているからこそ起きることです。
時に「戦争とはいえない戦争(各世界大戦級の戦争)」が発生してしまったのも、「戦争なんだから」という文言が「ボーダーライン越え」の意味になってしまっているケースであり、通常のって表現が正しいのかわかりませんが「通常の戦争」で残虐な民間人殺害などは発生しません→合理性が無いからです。

(※ここ補足入れます。焦土作戦ってのがひとつの防衛手段にあります。焦土作戦とはスイスなどが検討しているもので「自ら国土に火をかけ、財貨や食料なども焼き尽くし、勝者に何も与えない事で敵側侵攻の意味を失わせる作戦」ですが、戦略的・地理的・地政学的価値は一旦置いておくとして、戦術的に見れば無差別爆撃は守備側の行う焦土作戦を攻撃側がやるような話ですから、仮に勝っても「焼け野原で何するの?」って話になるので、戦争に勝つ意味が無いワケですよ。敵国全ての滅亡を目的とするのであれば「もうそれは動機形成として戦争行為では無い」のです。←ここは核兵器禁止論の肝でもある。→焦土作戦を前提に考えると「使用先が焦土と化す核兵器は勝っても意味の無い馬鹿兵器の代表」になるからです。ある意味核兵器とは「兵器のボーダーライン超えちゃっている」ワケ。)

話は戻りますが、
素で、自然に、「目指す犯罪は悪魔の所業でありたい」などという動機形成は起こりません。
何らかのインチキな前提条件や設定から経済学的に導き出される結論なので(=素の自分が思いついているアイデアでは”無い”)、『共同幻想』あって初めて発生する「権威主義的認知の一種」です。
随分遠目の俯瞰から見れば「社会心理の一種」と言い換える事も可能でしょう。
(※この辺の所見から私は心理学系判断として臨床系などが言うところの「サイコパス人格」なんて類型を認め難いんですよ、そりゃ違うだろうと考えてます。)

自己都合や便宜的判断に終始する『単独者』心理にとって(ボーダーライン論は)縁もゆかりも無い話でありまして、、(そもそも国境とかも国って『共同幻想』あって成立しているワケで、、)。
『単独者』から見れば、「悪魔の所業」なんて言ってる話は「(悪い意味の)救いようの無い馬鹿(愚か者系)」でしか無いのでありますが、残念ながらまだまだ『共同幻想』は世界的には各方面に存在しており、先進国『共同幻想』崩壊系国家においても完全に消滅する事はありません(少なくとも国の概念や言語や貨幣の概念は残るでしょう)、困った事にどこかに必ず「ボーダーライン越え」を意識する自我は発生します。
人類ヒト科が人類である限り。

時に文明化や経済成長を発端とする『共同幻想』上部概念にとって都合のいい「反動形成」な”ボーダーライン越えの動機形成”は「高い理想」なんて言われちゃったりもしますからね。。


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posted by kagewari at 05:34 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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