2015年06月20日

「刑法39条が問われる犯罪」について補足”犯罪心理のボーダーライン”

刑法39条の話は何度か書いてきたので「私が刑法39条そのものに反対である件」は説明省きますが、
今回は犯罪心理のボーダーライン”に絞って話を進めてみましょう。
少年犯罪心理をとっかかりにするとわかりやすいと思います。
少年の代表的な心理に「中二病」ってありますね?
これは思春期反抗期におけるアンチ『共同幻想』状態(アンチ既存秩序・既存常識)ならではの心理となりますが、言うならば「反動形成」です。
「そっちがこうならこっちはこう」←この時反抗すべき対象が”何らかの心理的事情”で(個人的事情のプレッシャーなど)強大だとか誇大に見える場合、そっちを否定可能な均衡させる概念は「より大きな、極端な」ものでなければなりません。
発端からして実情より強大に・誇大に感じる個人的事情を発端としますから、更にここに係数付けて(乗数効果じゃないけれど)選択肢が過剰化するのですからトンデモな話になっても何ら不思議ではありません。

単純に「反動形成」の現象をわかりやすく説明すると以下、
「ごめんなさいねショートケーキが無かったの、だからロールケーキで我慢して」
「絶対絶対嫌だ、誕生日はショートケーキって約束したもん。」
「うーんだから今日はロールケーキだけどそこをなんとか、、これおいしいのなんだよ」
「だったら今からプリン100個買ってきてよ!!」

さて、この場合も前述中二病の場合も、選択される”対称となるカード”は十二分に自意識に認識されてます(そこ思いつく経路を踏んでるので)。
確かに高い興奮で「それ以外の選択肢が存在しないかのように」自意識には感じられていますが、絶対回避できないワケではありません。
(流石に自分でも「プリン100個はネーな」などと思い)
「チクショー!!」とロールケーキを床に叩きつけるなどです。
(これ動物行動学のローレンツが、魚のグッピーの観察でも同様の行動を論証してます。)

■特に犯罪においても当人が「あれれこれが違法とはまったく知らないし理解できない」などであれば刑法39条的な適応もギリギリ例外的にあり得るかもしれませんが(異例中の異例だと思います)、殺人など六法読まなくても知っている違法行為の場合、違法であるとか背徳であるとか所謂”反動形成フラグ”を自認している事になり(その認識が事前になければ興奮できないのですからね)、そのボーダーラインを超える場合そこに自意識共犯や自意識共同謀議が明快に成立することになります。
(典型例が万引き依存症でしょうか。不倫のスリルも似たような現象です。)
全く責任能力を問えないなど”あり得ない”。
何をしたのか記憶に無いだとか、衝動的で説明できないなんて場合も「だとすれば殺人の行為自体も記憶に無い」とならなければ整合性がありません。
この場合でも無意識領域だから無罪になるのだとしたら、泥酔して酩酊状態になれば誰でも人殺しをしていいことになります。
行為の責任を問うという概念から見た場合、「反動形成」の立証は「典型的とも言える違法行為を選択している」事で十分であり(当事者自我でしかその選択を思いつけない)、

動物には素で「極端に非合理な動機形成を行う事は”無い”」ですから。
(非合理な事にはインセンティブが無いのだからモチベーションが発生しない)
「どっから見ても何で?」な選択は反動形成なりの快感原則で説明できる自我の振る舞いを抜きに語れません。
そこで、自我がどのような(形で追い込まれてきたのか)背景事情にあったのかなどの詳細は刑法39条必要なしに、むしろ「通常の情状酌量などの範囲」のが適当だろうし(そこを徹底的に法廷でやれば別の関係者に民事訴訟も可能な根拠となる判決文なりが出る可能性もある)、
そのまま通常の起訴と裁判を行えばいい事になります。
特に心理学的事情がからむ犯罪事案の裁判ではそこの突っ込みが弱過ぎで思うに被害者心理としても「そんな公判の内容では事実関係すら確認できない」でしょう。
(といっても現在の裁判で文系心理学の出番はまず無いだろうと思いますが、、。)


■公判が始まると、一般的には「謎の精神鑑定」などが話題の中心になったりしますが、そもそも検察から精神鑑定の申請が無い限り実質裁判官の裁量で責任能力の是非が問われている現状「そこに意味があるのか」すら怪しいです。「少なくともこの事件の解明において精神病の介在など」的に動機の立証が可能なのはもっぱら検事側が精神鑑定の申請をした場合だと思われなので、刑法39条を意識するあまり検察側が動機の立証に心理学的背景を排除しがちになってしまうのであれば、加害者にとっても被害者にとっても「事実認定の分析と論証」の場を失う事にもなり兼ねない。
(この話はついこないだのエントリー『憲法解釈』にも似てますね。)
起訴された容疑者の責任能力だけが裁判の論点になってしまっては意味が無いですし。弁護人としても責任能力に関係無く「そこが情状酌量最大のポイントとなる」となれば心理学的分析含む論証に積極的に取り組むと思うのですよ。

世界的に「間違っても刑法39条を見直すとか人権判断としてあり得ない事」ですが”犯罪心理のボーダーライン”を考えると、かえって不毛な結果になっているように思います。
重要なところは「それが加害者にとっても被害者にとっても」であるところでしょう。
(※いかんせん、この結果には「文系心理学の力不足」に負う部分が大であり、忸怩たる思いもあるのですが、、。)


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posted by kagewari at 03:28 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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