2015年05月24日

『共同幻想』再選択って具体的にどういう状況か(2)補足

■<話を戻して整理しよう>
「確信犯的『共同幻想』再選択」ってどんなものか?
ある意味「部活の新人勧誘に対して何を思うか」←こういう命題なのですよ。
(※さしずめ「俺はもっぱら帰宅部」ってのは『単独者』系)
以下の二つの過程が条件
・「本気で部活とかはしたい」という動機があり(現実の利益性社会との契約)
・「部活をやると決めたワケだが何部にしようか?」という選択命題に対峙している
更に
上記二つの過程は「全て誰からの指図も人目も見栄や欺瞞も無く”素で本音(拘束されない自意識の自由意志)”」である事が条件となる。
ここにいかなる事情の干渉も(やれあーすべき、こーすべき、常識だからみたいな)”あってはならない”←もし何らかの干渉があれば「それは強迫心理」です。

この話の展開だと以下の意見が出てくると思う。
●「誰だって、部活選択は友達とかにどうしよっかだとか普通どうだろうかとか、常識的にとか考えるのではないか?」
うんとだね、上記のスタンスは言うならば「中途半端なモデル」なのね。←確信犯的再選択では無いワケだわ。端的に言うと「部分的反抗期の後、反抗期の一部を先送りしつつ微妙に中途半端なまま『共同幻想』再選択をしている」状況なワケ。
名目、メンタル問題の発現も無く「なんとなくオンザレールで『共同幻想』再選択が普通であると社会的強迫に対して無抵抗(無反抗)に白旗あげちゃっている現代人」みたいな状況は、案外どこにもでもあるんだけれど、
この状況はメンタル問題のある人にとっては「やってはならない状況」なんですよ。
そりゃそうです。
メンタル問題を発現するほどの自我バランスで『共同幻想』や『権威者』の強迫的心理が無意識下にあって、恒常的に『自意識』が右往左往しているってのに、そこを中途半端でいいって事にならのです。ここでメンタル問題系の自我が「中途半端に反抗の先送り」をすると(=自意識が強迫系から抑圧系の干渉を受けている事となり)→物理法則の力学で→「強迫的退行」をします。
メンタル問題が再発するって事ですわ。
そもそもが「なんとなくオンザレールの中途半端な『共同幻想』再選択」自体「苦痛を伴う問題を先送りさせる」行動なのだから、そのまんまです(彼らは苦痛や不安ストレスが継続し、メンタル問題発現系自我はメンタル問題が再発する)。

※ここで注意必要な点として、所謂心療内科や精神科でよくある”症状”を発現させていなくても、心理学的知見の需要は”有る”のですよ。だから目先メンタル問題など発生していなくても心理学の書籍が売れたり、コラムが人気だったりする。
オンザレールな先送りもメンタル問題における先送り退行にしても「現象としては同じ」だから。
(問題の表面化の状況が違うだけ)


この話の展開だと”更に”以下の意見が出てくると思う。
●「なんとなくオンザレールな『共同幻想』一般市民はそれが中途半端でもよくて楽でいいですね。」前述説明のとおりで、そういう事にはならんのです。
メンタル問題の発現ってのは、問題表面化の差異に過ぎず(違う出方でオンザレールな人にもメンタル問題はあるワケで)、メンタル問題として知られる状況なり症状なりが現れないだけで(自我選択の状況が同じように中途半端であれば)「物理的にストレスによる苦痛を伴う」ワケです(だから所謂市井の人は「深酒したりさ」「無茶な遊びをたりとか」本気でしんどい部分をなんとか”散らそうと”あがく様子があるわけだ)。深酒したり騒いだり不倫したり子供暴力振るったりだ、そういう事で中途半端部分を”散らし”ながら先送りするんだよね。勿論その中には一生先送りの人生もある。
ひょっとすると「一生苦労とストレスの人生だった」なんて人生にもなるワケです。
「楽でいいですね」とか全然違うワケ。

※生物学の話になるけれど、一般に自然界の動物はストレスで簡単に死にます(動物園へ移送するだけでも命がけなワケです)。人間の場合でも成人病の多くの原因がストレスであり(痴呆症の一部にもその可能性がある)、オンザレールな人の先送り・中途半端な『共同幻想』選択は寿命を縮める形で具現化する場合も珍しくない。


すると、こんな事を言う人が出てくるでしょう。
●「私の知人は皆幸せですと言ってます」とかね(笑
何のために『懺悔室』なんてものがあると思っているんですかってね。
或いは精神科処方薬が米国なんかで広く一般に処方されていたりするのは何故なのかって。
オンザレールな人=『共同幻想』適応と引き換えに『自意識』にリミッターかけている自我構成になるのだから(所謂一般的風評は「とりたてて自分の意見を言わない人」など)、果たして何を言えばいいのか言葉も出てこないって人もいるだろうし、当然の事自分の辛い状況を”知人”程度の相手に話したりしませんから。←むしろ体裁つくろった話をする確率のが何倍も高い。=そういう(本音にリミッターかける)『共同幻想』に適応選択しているんだから。
「私の知人は皆幸せですと言ってます」←この言葉はひとつのレトリックになっていて、本質的に論理矛盾してるんです(知人程度に本音を話すオンザレールな人などいないのだから)。


こんな「トンデモ誤解」をする人もいるかもしれない
●「海外旅行や家族で外食だとか幸せそうに人生を謳歌する様にあてられてとても自分が惨めに感じる」
前段説明を普通に読めばこういうトンデモ誤解はまずあり得ないのだけれども、
字に書いてある論旨が読みとれない(発音できても内容を受け付けない)、読む=反論ベースのロジックがタイムラグ無しに(同時”誤通訳”みたいな)脳内に展開しているとかあるんですよ。それが自我における『抑圧』って現象ですから。←そうやって強迫心理が常に勝つバランスの天秤が自我にできあがっちゃているのだから(ちなみにこの対策は『一拍置く』)。
確かに権威性認知の殿堂である『共同幻想』クラス(階級)社会においては、そのインセンティブとして(なんせヒエラルキー構造なんだから)地位や名誉はタイトルです。近代封建的発想な場合だと美人の妻の事を「トロフィーワイフ」なんて呼んだりもするぐらいです。
しかしですな「ニーチェと貴族論」じゃないけれど、確信犯的本物の貴族階級ってのはそういう状況を誇示したり見せ付けたり宣伝したりしません。極論「プライバシーとして公開しない」もんです。
その家族旅行も(陛下の定期的な静養のように)さながら定例行事や儀礼的なスタイルになっており、そこに嬌声をあげるようなだね、、俗世な快楽主義的振る舞いとか全然無いワケです(それが当たり前でありトラディショナルなんだから)。
仮にあなたが「海外旅行や家族で外食だとか幸せそうに人生を謳歌する様にあてられてとても自分が惨めに感じる」などと感じたのだとしたら、その該当世帯は「中途半端な『共同幻想』再選択における恒常的ストレスを散らすように、騒いで興奮して幻想の中にいて現実をなかったかのようにしている(先送りし続けている)」系の人達だって事です。←この場合前述の貴族のナントカと逆に「やれどこに行った、面白かった」を公言して情報共有による『共同幻想化』で(幻想の脆さを)補完して”現実らしさ”を付与しようとします。

「私は陛下の軽井沢なんとか報道見る度にやりきれない惨めな気持ちになるのです」←こういう人いませんからね(笑、てか、もしそういう事言うとしたら「あなたはどちらの華族の方ですか?」とかになるんだな。
 ↑
勿論そこには既にメンタル問題の偏向が現れている。
『共同幻想』の(反抗期ネタバレ幻滅による)現実アップデートが中途半端なので、権威性の道徳的興奮とでも言うように、いかにも『共同幻想』な人が賑やかになにか笑顔で話していると「もう途端に強迫心理」に追い立てられるように「自分も同じようにできないと(権威者に認めてもらえない)」と追い込まれるワケです。その行楽やらが自意識の本音として自分が望んでいるものなのか、何か強迫的にそう思ってしまい止らない状態になっているのか、自分で判断する余裕も無いのです(その余裕あったら自分に強迫心理がネタバレするのだから『強迫心理』はそんなスキを与えまいと可緊張なぐらいに自我を追い込んでいるのだから)。←この場合も対策は『一拍置く(できれば翌々日とかにもいちど考える)』

※前述の「どちらの華族の方ですか?」にも重要な意味があって、同様の強迫心理は「うっかり自分を特権階級気取り」を前提にする抗弁(かんたんに言うと屁理屈)を無意識に叩き出します。構造は実に簡単で「エディプス対象のネタバレが不全(過剰な高権威者設定)なのですから=自分は貴族の末裔」という認知状況が出ちゃうとかちっともおかしな事では無い。←或いは状況が違う時、この構造はナルチシズムとして発現する。

■時に、メンタル問題を抱えてしまうと(必ず『共同幻想』適応系との比較において)「自分だけこんな被害を」とか考えてしまうものですが、これもレトリックです。
ここまで膨大に説明しているように、相対的にはそこに差異は無く、
もっと原則的な説明を加えるならば、
メンタル問題は『先進国病』という話ありますわね、
あのですね、欧州などにおいても「家族の概念、ひいては家族愛などというもの」これは中世には無かったとされていて、家族愛などの概念(『共同幻想』)が台頭するのは『産業革命』以降の18世紀ぐらいからなんて話もあるんです。
(心理学的に古代から近代以前のメンタル問題は、濃密な関係性が権力闘争や家督相続で発生する「貴族社会・特権階級」の話。日本においても食うのに大変で江戸時代以前の平均寿命は30歳そこそこです。家父長制的権威性認知もクソもありませんわね。ちなみに日本で健康に近い概念が”養生”として登場するのは豊かになった江戸時代からです。江戸時代の平均寿命は45歳と言われています。)
「豊かで先進国などというラッキーな時代に生まれたからメンタル問題などに遭遇できる」のです。
そして、近代以前は哲学者などしか思いをはせる事のなかったロジカルな問いをあれこれ考えるって、これね当時の特権階級だけがやれたもので生物学的に極端なぐらい余裕のある生活が保証されているファンダメンタル無しにあり得ない話です。
しかもオンザレールな『共同幻想』人格は強い認識リミッターがかかっているので、そこから『単独者』的認知を獲得するのは(「かならずしも『単独者』になるの意では無く、確信犯的『共同幻想』再選択も含む」)非常に困難で、
このボーダーラインははるかに「メンタル問を抱える自我」の方が答えに近い。
少なくともオンザレールでなんとなく『共同幻想』適応できてしまう人より「新卒就職3年で辞職」の人の方が問題の本質に直面できる可能性は間違いなく何倍も高いのだから。←そういう事に疑問感じて(就職のための4大までのキャリアを半ば捨てても)やれ辞職とか考えるんだからさ。
(※前述のとおりで、反抗期の中途半端さが様々な問題として出てきてしまう点は「オンザレールもメンタル問題も等価である」←出方が違うだけ。)

■するとこんな話に及ぶかもしれません「だったら最初から『共同幻想』真性選択している人だけ特権階級じゃないけど特別に得してませんか?(絶対渡しは損している筈だ「これを維持でも認めてもらいます」)」
これも無知約茶な話。
『共同幻想』の権威性を保証するのは多数や実行権力者による半ば社会的強制的な権威の裏付けです。
これがその道徳・倫理・権威性認知の正統性を担保(所詮幻想なのだから”現実らしさ”なんですが)する事で自我の安定を保ちます。
「メンタル問題や、新卒3年で退職、投票ともなれば浮動票が過半数」←『共同幻想』真性選択している人にとってこれは「国体を揺るがす重大事変」なぐらいの不安を引き起こします。逃れようの無い存在の希薄さによる強烈な不安ストレスです。この場合対策は先進国型第4次反抗期による『共同幻想』再選択(確信犯的に自社会や政治を語る保守政治思想などの獲得)が対策になりますが、それができるのは「新卒3年退職派の場合」です。『共同幻想』真性選択している人には自分の自我がよって立つ正統性にネタバレチャレンジする隙間が”ありません”。せいぜいが時代を呪ったり恨んだり悪態ついたりの対処法しかその不安を解決できない(憲法に対する知識や知見も無いまま無理筋で憲法改正要求する人みたいな)。
ある意味、偶然本当に高い社会的地位などに所属しない限りこの不安を拭えない(しかも半端な所得ではその不安を止められない)。
所謂迷いや鬱や自律神経失調などは起きないが、ベタな実生活上のストレスたるや半端なものでは無い事がわかります。
時にこのタイプの人は「人生苦労の連続」などと発言しますが、それは嘘では無く本音です。
 ↑
「誰しもが大変なんて事になったら先進国などにならなければよかったって事ですか?」なんて発言が聞こえてきそうですが。
●「過渡期だと言っとるだろーが!」って(笑
時代の変遷が「広義の『単独者化』であり」それは「民主主義における要点」ですから、政治体制含めてここは”変遷中”なんです(英国においても二大政党制が壊れているし、米国においても大統領選挙がブッシュ家とクリントン家だけで回されてないか?なんて論議出てます)。

てかね、世界はエデンの園やユートピアのお花花じゃないんだから。
生きるって事が主体的な活動(就職を意味しない”仕事量”)によって成立する「生き物」なんですからね。
「どこかにノープロブレムな”得な生活をしてる認定者”が存在する筈だ」なんて発想からが「強迫心理」なのであり(ぶっちゃけそれは反抗期以前の幼児の幻想)、歩く事だって見方変えれば疲れるし仕事量に相当しますが、負荷がかかるから「歩いた感」もありそこに満足が発生します(動機形成とその実行による快感代謝)、←苦労は金払ってもなんとやらってそういう意味だし。
歩けるようになった生き物見てみなさいよ、盛んに歩いて周囲が止めるほどの能動性発現しとるだろうが。
それか快感だからです。
原則論で言えば「努力は快楽であり贅沢」です。
自由ってのは「何かに抗(あらがう)事により発生する(切り開かれる)新空間(フロンティアみたいな)」
です、それは主体的な活動無しにあり得ない。

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■この話を始めると「という話をすると今度は更にこう言う人がいるでしょう」てなバージョンがもうね無限に出ます。その全ては難なく心理学的に「違いますよ」と鉄板の論駁可能なのですが、
とにかく数がやたら出るところに特徴があります。
 ↑↓
●「どういう仕組みなのか?」
実はとても簡単な仕組みです。
1+1=2なんです。
この時「私には2だと思えないんです。知人も違うと言ってます。」
いっくらでも言えるんですよ(笑
全ての”結果”にだけ、コメントすればいいだけですから。
(注:ここでも心理学的原則における「結果には何の意味も無い」が関係しており=「結果にこだわる論理展開は単なる感想でそこに論旨は無い」なんです。)
あのですね、
1+1”が”=2なんです。
この説明は「1+1」という公式の解説で、「2である事が言いたいのではありません」
ですから、
1+1=2なんです。←これに反論するのであれば、「1+1とは何か」について反論しなければ反論にならんのです(1+1=2なんですから)。
「それは1+2なのじゃないですか?」←こういう反論でなくちゃ反論が成立しないのですよ。
「それは1+2なのじゅあいか、だとしたら答えは3、私の2に対する反論はそこです。」
だったらわかる、というか論争のポイントぐらいにはなる。
だけれど「どうしても2とは思えない。去年もこんな事がありました。」
あるいは「どうしても2とは思えない。実際に私は見たんです。」
いやいやいやいや、、、
去年とか全然関係無いから、、何か見たとか全く無関係だから、、みたいな。
(※これが「強迫的無限反論ループ」のネタバレです。そして「知人について・去年について・何を見たのか」などなど全く関係無い話の”それは関係が無いでしょの証明’”を無限に戦わせなければなららい地獄が待っている。「何回でも言いますけど1+1の話をしているんですってば」的に。)


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