2015年04月27日

権威性認知とやらを申し少し解説します

単に個人体験や趣味知識などの価値分類認知は「経験値」
「権威性認知」ってのは、当人実は何の事やらよくわからないのだが、社会のTPOだとか違反すると何か殊更悪い事だと刷り込まれている常識論などのように(その内容をよく考えたことは無いにも関わらず)、「周囲がこうだから」など極端なぐらいアバウトで漠然とした「やれ普通はどうこう」程度の投げかけにより「スタンダード階級」みたいな無意識の概念を刺激し、これに違反すると(共同幻想的に)孤立するかのような不安感を煽る「アバウトな投げかけでも大きな強迫性を発現する心理」を”無自覚に”与える認知のことです。
(対象となる権威を量的にどういう水準のなど冷静に理解・或いは確信犯的に選択していれば、権威性認知特有の道徳性により自意識を強迫・強圧的に従わせるかのような力感を発揮しても問題とはならない。)

■ひとつの典型例として(ちなみに代表例では無いと思うけれど)、
「見栄で高級車に乗りたいと思う」なんてのが権威性認知の典型で、
(高級車に乗った経験も車文化に対する個人的趣味性のある知識もさして無い)
「少なくとも”みんなと同じような”自家用車が欲しい」これもガチ権威性認知です。
(”みんなと同じような”がもう抽象概念で、歩く偏差値の達人でもいない限り定義ができないだけでなく、そういった不安感を感じる自我(依存性)の場合、既に”クラス(階級)”に対するコンプレックスのようなものがあるのだから、数学的根拠のある偏差値で中庸を計る事もできない。)

わかりやすく言えば「権威」なのだから、
「ただひたすらひれ伏してははーと観念してしまうような概念」だわね。
(個人的に「なんで?それが何?どういうことだっての?」などのリテラシーが停止している。)

■でーそんな権威性認知なんてものは官僚思想的な判例(範例)主義や権威主義同様に現代社会において邪魔なだけかっていうとそれも暴論だから。
 「総務省だって立派な官庁です」
 「統計学だって立派な学問です」
合理的平均値だとか偏差なんてものはマーケティングにおいても重要でしょう。
ようはですね、
概念としてその認知そのもの仕組みや構造が問題では無いのです。
メンタル問題などがある場合、「強迫心理構造」のような自我均衡の問題があるのだから(何らかの事情で極度に権威性認知に反応する傾向があるなど)、常に「”追い立てられるようなナントカ状態の”自我」←みたいなモジュールがあることになり(しかもきっかけはどこにでもある権威性認知の小ネタであればよい)、権威性認知に対するアレルギー反応みたいに、”小ネタ”であっても無意識に”結果論として心理的な凄い問題”として浮上したりする”流れ”に問題があるって話です。
(その原因は「構造論」だけど具体的に表面化してるメンタル問題の発現は”流れ”で起きてるワケね。)
うんでー、
この「なんだが凄い事になっている」現象の元ネタは、「せいぜい参考とすべき統計DATA(小ネタ)」ですから、それが最後に凄い心象風景になってちゃっている事自体が問題なワケで、、
「こうすれば普通ですか!」みたいに各論であれやこれやする話は(全く意味も効力も無く)本末転倒なナンセンスなワケです。
興奮構造のネタである「権威性認知」に何らかの具体的対応をしようとか、そういう発想には何にも意味が無いって事。
(絵としてそのナンセンスさってのは「こうすれば普通ですか!」と尋常じゃない顔で絶叫しているその様子がまず「普通じゃないでしょ」って話です。)

端的にこの辺の現象がわかりやすく現れるのが「宗教などにおける原理主義派と世俗主義の対立」です。
(これも代表例とは言えないかもだが、)

■もうひとつ「日本の左翼思想特有の誤謬」に触れてみると、
「憲法9条」の認知がもうね凄い事になっているんですよ。
もうこの段階で、認識が現実と乖離しているんだよね。
(一種の反動形成による宗教原理主義と同じ構図だから。左翼の憲法9条論は原発の安全神話と違いがほとんど無い。しかも9条思想には道徳的結合があるだから”ガチ権威主義的原理主義”に他なりません。)「この教義に違反するものは地獄に落ちる」かのような。
ご存知のとおり、平和なんてものは「そんな日常の積み重ね」ですから、普遍的価値として(あたかも銅像のように)目の前にドーンと鎮座するような”モノ”ではありません。←その状態を指す言葉ですね。
車両設計において「ぶつけるかもしれないのでバンパーやシートベルトやエアバッグを」それだけでなく保険に入る事も考えるのが合理的です。←「安全原則ナントカの教えを実践すればいいのであり、バンパーやシートベルトの装備はこれを汚す邪道であり、ましては保険加入など”あたかも事故を前提にした反安全の異端教義だ”」なんてーのが左翼の9条論によく見られる心象風景です。
 ↑
ここも勘違いしてほしくないのですが、「権威性認知自体が問題なのではありません」それが凄い事になってしまったり”過度に”道徳的結合するのが問題なワケで、憲法9条をやたら持ち上げて「絶対改憲すべし」と考えるのも同じ穴のムジナです。←勿論冷静な論議ならアリアリ(やたら興奮してたら怪しいねって話)。
※日本の法体系は慣習法的要素がけっこう大きくて、名文法的にあれこれ記載し・その都度改正みたいなノリになってないのです。解釈改憲で十分に通常の軍隊顔負けの戦力を既に保持しているので、慌てて9条の是非で右往左往する状況は”ありません”(それよかF3戦闘機の開発にドーンと予算を割きなさいと)。←確かに憲法における重要で有名な条文なので、それを重要事項として論議するのは間違いでは無い。

時にこの辺の解釈も勘違いしている人がいて、
右派や保守思想は、どちらかと言えば伝統文化や理念を大事にするのだから世俗派みたいな論議は右派らしくないなーんて考える方もいますが、
「権威性認知として成立している情報なりが、その権威の尺度というか背景込みで”こういう権威なんだわ”と確信犯的に認知されていれば問題ないのであり、過剰にその”なんとやら”に興奮していたら(もう反動ついちゃっているのだから)右派でも何でも無い」のです。
特に日本の左翼思想は「所謂リベラルのカテゴリーなのか?」というとはなはだ疑問で、どちらか言えば東西冷戦時代と変わらない反動的権威認知の問題を抱えていて(右派や保守層と聞くと道徳的に”悪い人”だと瞬間的に思ってしまったり)、まーね落ち着けよって話です。
 ↓
これも代表例となるか怪しいんだけれども、
たとえばさ
「いろいろ論議もあるのわかるけども陸軍に戦車不要論は性急だろう」←これが保守
勿論戦車の車両数をどうこうなどの論議には弾力的に対応もできる。
「戦車が絶対に必要だとか、上の人にはわからんのです」←ある意味これがリベラル
※統計的に世界の国家のほとんどに軍隊が存在する以上、合理的に非武装中立などの概念は既にカルトと考えるのが自然だから。←実際に非武装中立が成功するか如何に関わらないのがポイント。
 ↑
うーんとこの話すると、またもや勘違いで「ベーシックインカムなどやっている国はあるのか」みたいな話になるといけないので補足しときますが、
「ベーシックインカム」はさして極端でも無い経済政策であり(言わば戦略論というより戦術論)、米国でも戻し税的に導入されており(日本の現行年金制度も限りなくベーシックインカムに近い←現在の高齢者は掛け金から考えるとトンデモ級に高額の支給を受けている、おざーさんが導入した農家の所得保障も概念としてはベーシックインカム)、前述の論議だと「戦車はいいから機動性の高い斬新な走行車両を」みたいな論議と水準それほど違いが無いから。ここ勘違いしないように。
(※いきなり「共産主義を」となればカルトですよって話さ。←これも誤解されるかもだが現在の”大世俗派”である北京政府見ればわかるとおりで、東西冷戦時代にあったなんちゃって共産主義は「共産党による一党独裁」などに代表される計画経済の官僚主義中央集権国家みたいな制度の事で、マルクスなどが考えていた絵に描いたような共産主義(実際どんなものか不明)とは違うでしょ。実際にそんな国は存在していなかったと考えるのが合理的判断。)
 ↑
いや何も判例(範例)主義やら権威性認知が一枚上手だとかそういうこっちゃなくて、判断材料のひとつとして「使うとしたらこういう使い方になる」って話をしただけだから。
(かといって統計学的なDATAを維持でも無視するのも興奮しすぎだろうと、)

■うーんここまで書いて、
「誤解する人いるかもだが」の注釈がやたら必要になってくるんだよね。
そんだけ「あー言えばこう言う」的な理論武装は強迫心理でも可能(つーか定番)なのね。
そりゃそうです。
長年「権威性認知の強迫ストレスに恒常的にさらされている自我の場合」、その耐性とでも言うべき「自意識共犯的理論武装」も大いに成長しますので(自分自身にネタバレさせない説得力であり理屈)、ネタバレ的なことを考えようとする瞬間から「勘違い的理屈の攻撃」が始まる事になります。
(そういうけどこうじゃないか?あーじゃないか?違うと思いますなどの連発。)
←そりゃそうやって現在進行形で自意識を抑圧しているんだから。
 メンタル問題の現場ではこの状況は「風物詩」みたいなもなんだけれど、必ず全てのケースで発生するもんでもありません。
強迫の図式が見える事でスンナリ「こういうことになっていたのか」と驚きとともに面倒な自意識への干渉が一発で瓦解する事もあります(勿論その後にリバウンドなどもあるんだが)。
「強迫的な効力を発揮する権威性認知の道徳性(自意識の弾圧)」みたいな心理の(強迫力:脅迫実効性とでも呼びますか)強度や耐性はケースバイケースで人によって千差万別なワケです。
単純にディベート力みたいな部分だって各個人違うわけだし、
心理学ではお馴染みの「権威性の移転や移動」だってネタバレ対象者に対してどうなるのって部分も舞台装置的背景でケースバイケースになるし(ネタバレ担当の分析者をなめきっているだとか、通常から権威性認知やクラス(階級)依存が広範に誰に対しても強く明白な称号や役職名などの”タイトル”が無いと移転や移動が中途半端にるケースだってあるでしょう)。

流石に最後のところは、ご立派な大学の教授が言えば一発だな人もいれば、いかにも怪しげな謎の人物が告げる方が一発だなど各人違うワケなんで、
ここ単純に書籍など読んで影響される度合いなどに作家の有名度やベストセラーに意味を持つ人物もいれば、内容が難解超えるほど怪しいだとか意味不明な雰囲気の方が影響力を発現するだとか、人それぞれなのでありそこは予測不明です。心理学としてその部分をあれこれ考えても仕方が無いんだわ。
●重要なのは「勘違い的理屈の攻撃」ってのは所詮”勘違い”であり(意図からして自分自身の自意識に無理筋を”無為意下”から道徳性脅迫で抑圧・弾圧しているのだから合理性がそこにあるほうがおかしい)←”無意識下”=確信犯的選択では無い=自意識共犯の辻褄合わせも中途半端って事だから→所詮勘違いの域を出ないのであり「どんなにでんぐり返ししても分析者の”ネタバレ”はくつがえせない」ってところに尽きる。

(アーアーキコエナイであー言えばこう言うを無限に繰り返す場合もあるけれど、この場合は”その振る舞い”自体が既に問題解決依頼の動機が無い事の証明になるので、「そんなら知らんわ」心理学に出番は無いですねって事になる。→ネタバレの言語が消える事は無いので、無理筋の対応や依存性を”遮断”する事で提示済みのネタバレ効力を温存し「後は自主判断で」と問題点を整理できる。裁判で言えば”差し戻し”で審議を終了となり控訴無し(依頼動機非成立の証明により)結審となることで、事後的に事実関係を確定させ後の判断は自主的に「お好きにどうぞ」とパッケージ化できる。)

この話に及ぶと「ネタバレの精度はどうなのか」って話になるかもだが、
心理学って学問は基本構造ってか原理原則の理解は「実に簡単なもの」なので、心理学のコアなところを理解してさえいれば(フロイド心理学にトンチンカンな批判性があるか無いかで判断可能)、そうそう”ネタバレ”分析を間違う事は無い。←論理的にあり得ない。
何故なら分析は「依頼者の言葉と依頼者の情報による」もので、心理学の分析者がなにやら創作で語るところ皆無ですから(てか小説家じゃあるまいしそんな創作できないし宗教関係や占い師みたいなネタ本無いし)。
 ↑
(自己分析の危険性論議はひとまず置いておくとして)
■心理学的に重要なポイントは、抑圧構造もそうだけれど「自分の自我内に抑圧者・弾圧者と自意識の双方が存在している」のであり、極論すると「知るべき事実関係を本人は”全部知っている”」ワケです。
てか、知らないと強迫によって自意識を抑圧することもできないんだから。
心理学における分析ってのは端的に言えば「依頼者に心理学の知見が無いから成立している」のであり(理解していればその場から自己分析始まっちゃうんだから)、いかに「勘違い的理屈の理論武装」をしていても「対心理学武装」を持ってない事になります。
心理学の分析ってのは、普通に相談内容を依頼者が語るだけで、(心理学的理解に対して)スキだらけなのでネタバレまで自ら証言しちゃう形になりますよって話で、
分析者は話を聞いたしりから「はーなるほどこんな事言っちゃってますね」と(分析者が語るのでは無く)「ネタバレを既にご自身が語っちゃってますよ」と話が進んでいくワケね。

(※フロイド心理学なるものは、マクロ経済学の原理原則みたいなもので、やたら難解な数式の理解が必要とかそういう要素が無いから。その理解上の弱点は理解した場面から”半ば自動的に始まる自己分析”に「防衛反応が出ない事」となるため『共同幻想』適応人格選択の人には構造的に理解が難しいってのが特徴。)

なんだか最後はグダグダの説明になっちまいましたね。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
コメント欄に問題となった同趣旨の投稿が続いたため、暫くの期間ブログのコメント欄トラックバックを閉鎖します。閲覧されている方には不自由となる部分もあるかと思いますがご了承ください。(再開までの期間は未定です)
詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
コメント欄の削除があった件(関係障害について)
http://kagewari.seesaa.net/article/402054291.html


■私のミスで時折記事のコメント欄などが承認制になっていたりしますが(或いは昔の記事など)、現在のブログ運営方針が「コメント欄トラックバックの閉鎖」なので、仮に投稿があっても内容に関わらずもれなく削除となりますので宜しくお願いします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
posted by kagewari at 00:49 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


comments他

・コメント欄は『公開掲示板』同様に原則削除禁止です
(基本的に削除依頼には応じられません、削除依頼は投稿禁止ワードとなってます)

・SPAM対策として一部キャリアからの投稿がIP規制の対象となってます
(同規制キャリアから登録抜けによる投稿がある場合、投稿は自動削除されると同時に規制IPに追加登録されます)



現在コメント欄閉鎖中 (2014.7.26〜)




kagewari01
タグクラウド
RDF Site Summary
RSS 2.0