実際相談がある時に、根拠となる話として精神分析自体の話をする事がある。精神分析自体の在り方に関わる事なんだけれど、精神分析の本旨は「自我分析」の側面が強く、“自我論”なんだとも言える。
建築家が、一部構造に無理がある建造物の傾きの理由を分析するのに似て、精神分析は補強や補修を当てこんだ物ではない。
背景にしているのは「自我は何で、どうなっているのか?」であって、その派生として心理学がある。悩みに対しての答えは処方箋のような傾向ではない、「こうだから」というレポートに近い。
何故って、個々人は自分自身の自我の建築家であって、実際何処をどうしようかって話は個々人の選択で「こうすべき」なんて常識論が介在すると大変な事になる。そこからの「こうしたいのだがどうするか」については又個別の話になる。
精神分析なんて言葉があるからいけないのかも知れないが、精神分析ってのは「動機は何?」「そしてそれはどうして」を考える『主観でも客観でもない、ある見方』で、
“そんなアイデア”は、悩みに対してというより自分に対してのアイデアなので、精神分析的なスタンスにどう視点を移すのかがテーマなのかも知れない。
自我は世界を測る尺度なのだから、そこに属性過多の主観が入り込むと、世界は均一のキャラクターイメージになってしまう。
これも矛盾する話になるんだけれど、主観なのに「その主となる自分が属性に拠ると主観が成立していない」と言えばいいのか、、
そもそも「精神分析的」なるものが何を見ているのか考えてみようと思う。
2005年05月31日
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