2014年06月01日

心理学のあれこれ

あれこれってか俺は研究者では無いので「誰々のなんとか論がどうこう」とかには全く興味が無いのであって(結局のところフロイドの発見した自我構造的な見立てってのは「見えちゃた的発見」なので変わる事が無いわけだし殊更難解な事でも無いからさ)、さて心理なるものの『姿』は分かったんだけれどそれをどうやって説明したものかというような世界観で様々に分派しているような話で、
研究者的スタンスになった時点で(自分の頭を整理する上でも)そこの何を伝えるのかって部分には「観察者の視点」が影響するんだよね。
『そこに見えている橋は同じ橋だが、橋の絵は同じ橋でも随分違う』ような違いですよ。
何が正しいとかそういう事じゃ無くて「橋の上の歩行者に着眼する観察者もいれば、橋桁やら橋梁構造の設計に目を奪われる観察者もいる」ってワケだ。
その各人も、分析者のスタンスにもなれば「話はほとんど修練してくる」ので、普段話している学説やら論文やらが分派によりあっちこっちと分かれている事にはそれほど大きな意味は無い。

それは「相談者の依頼内容」が(観察者の志向はともあれ)観察の目的ってものを特定するからで、研究者のスタンスでは無い事項となるため(好きに橋の絵を描きましょうって話では無く「橋のナントカをこんとかする目的の場合に橋はどうなってますか?」の依頼に答える話になるのだから)、普段言っている話は各人バラバラで論争にまでなっていても、そこは大した違いじゃないんだわね(笑

仮に違いとして明確になるポイントあるとすると、
そこはやっぱり『共同幻想』を意識するあまり分析範囲というか観察視点に、分析者までもが『視野狭窄』を発生させる場合となる。
■なので、分析者の条件は「すっとぼけたぐらいの第三者性」と考えればいい。
(なんちゅうか「道徳的琴線と矛盾の無い話をしたがっている」ような話に及んでいたら「ちょっとこいつの分析大丈夫かおい」みたいに捉えておけば間違い無いでしょう。)
学会というか研究者的にはここから下に書いている方向性こそ違いじゃないかと思っている人いると思うんだが、それはどうかなと思うワケさ。

と、ここまでの話を踏まえてですね、
研究者としての分派の別れ方ってとこを少し取り上げてみたい。
(●最初に言っとくけど誰それのナントカ説はどうですかみたいな質問をコメント欄に書くのはNGにしてくれぶっちゃけ「わかんない」し前述のとおりその人物がそれをどう思って何を言ったとかってのは「橋の絵の解釈」と同じなんで美術批評みたいな論議になるだけで意味無いんだわ。←その人がキテレツな絵を描いたらどうってね、、特に感想も無いから。)
ちょっと横道逸れたので話戻しますがww
大きく分けるとさ、
「無意識側から主に見る奴」「自意識側から主に見る奴」「自我構造論ベースな人」などなどだよね。(岸田がエポックなのはマクロ経済学的な視点を持ち込んだことにあるわね)
この時にさ、殊更それを批判するつもりは無いんだけれど、
『無意識』なるものをオカルトチックにというか情緒的に持ちあげちゃう系の論議ってのはちょっと危ういと思うんだわ。
(ちなみに当事務所の見解は『無意識領域ナントカ』って部分は動物行動学などで補完するのがわかりやすいと考えてる。人類ヒト科固有の特徴は「永久繁殖期的バックグラウンド」であり、経済学的均衡論的に抑えておけば十分な話だから。)
この辺の視点の違いはなんてか当人には趣味や志向の範囲だから。
やってる当人も薄々そこはわかっていると思うし、思い入れから若干のデフォルメが出ていてもさそれはいんですよ。「当人にとっては。」
面倒なのはさ、フロイド心理学の基本と言うかそこから「やたら凄いものなのじゃないか」みたいな(発見それ自体は本当に凄いんだけれどそういう意味じゃ無く)「それこそ個人的バックグラウンドを『投影』しちゃう読者層」それ自体にあるんだわ。
この場合「キタこれ本当なんだ」みたいなさ、この状況に陥ると使い道を間違っているワケだから別の意味で若干の問題だと言えるでしょ。

橋の絵をオカルトチックに表現した芸術家は「そういう表現にこそリアルに近づくなんとやら」を思うからそうするのだけれど、その絵を観る慣習が「オカルトは本当にあったんだ」のように受けちゃうとかってのは、日本のアニメを観て「日本人の目はこんなにデカイのか」と真に受けるような話でさ。
ところがフロイド心理学って、ちょっと特異な学問で『共同幻想』から一歩引いたところにある人にしか全体像を掌握できない話なものだから(全てをネタバレさせる学問故にネタバレされると自我に動揺なりが発生する自我は自動的に防衛反応として「そこから先は理解できない」という処理が始まる)、心理学好きな読者層って「フロイド心理学がどんなものかはわかっているけどなんだか意味不明な部分も大きい」って層になる。この読者層は「橋の全体像」を俯瞰できないままデフォルメされた絵を見てだね「わからなかった部分が見えたぞやっぱりそこには壮大なオカルトが」とかになっちゃう可能性やっぱあるんだわね。

■反対はどうなの?って聞かれると
『橋の上の絵をメインに』にも違った意味のリスクがある。
これもあんまりリスク言うと叱られるのだろうけど、、
つまりさ今度は自我本意にやり過ぎると行動心理学だとかさ、所謂お馴染みの児童心理学であるとかさ、「なんでも目に見えてるところだけ年頭に置いてやっちゃってもいいのか」、そこから転じてナントカセミナーとかで効果あるって事じゃないか?みたいな流れ方もしちゃうワケだ。
経済学で言えば、マネーサプライやら潜在需要やらの話を抜きにして「経営者は人件費と生産性だけ見てりゃいいんだ」みたいな『保守派系』そのものになりがちで、
勿論、そのまんま「表側だけ見ていれば十分派」は『保守系』にも受けがいいから広く知られる事になる。
命名すると「寸止め心理学」って感じですか。
こちらはですね、心理学ってものを矮小化させた知識で世に普及させてしまうリスクがあって、勿論この場合もそれは読み手によって広がるんだな。
「やっぱ写術が正しい、シュールな芸術なんてものはワケのわからないだけの落書きと変わらない」みたいになっちゃうんだよね。或いは「音楽は譜面どおり機械のように演奏するのが上手なんだ」とか、
つまり、
フロイド心理学ってのは「かなりの数の人にとってワケのわからないものだ」って話(笑
「それでいんです。」
一部の人以外は研究者やろうなんて人いないし、
心理学のカウンセリングなどを受けようと考えている人自身が心理学を学ぶ必要も無いのであって(分析結果が手に入ればいいのだから)、同時にフロイド心理学の基本構造はそれほど難しいものではないから(学問というか『三角測量法』的技法だと思うんだよね)高度に発達した研究機関でギュウギュウやってないといけないとかって類いのものでも無いだろうと思うのですよ。

■迷惑千万なのをいっこだけあげるなら、
それは雑誌媒体などでお馴染みの「なんちゃって心理学」みたいな言葉の使われ方かな。
「んなワケネーだろ、それ思いっきり占いでしょうが」みたいな奴は心理学の凄さってものを貶めちゃうので、わかりやすい困った話ではあるよね。


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posted by kagewari at 04:07 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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