2013年09月26日

素で思うんですが日本の役割は結構重いのじゃないかと、

俺は政治的には保守系自認してますが(個人的に小沢支持ですが保守系のつもりですからね)、所謂右翼のつもりは無いし、戦後右翼政治思想にはむしろ批判的です(日本の右翼は明治維新以降だけの大日本帝国しかなかったかのような話になるんで)。
ですから右寄り発言って意味では”無く”ですね、
仮に日本のいない世界を考える時、これいなかったら大変な事になっていたと思うんですよ。
マジな話「白人至上主義がまだまかり通っていたのではないか」とすら思います。
(勿論欧米リベラルはそんなこと言わないでしょうけれど、世論形成上の真実味っていうか説得力的に覆せないのではなかろうかと、)
日本が存在していなければペリーが行きついたのは朝鮮半島かも知れないし(その後米露戦争だとか)、そのまま中国入りしてイギリスとの利権争いとこうなっていたかもしれませんが(一部に近代文明化時代には国家体制的に封建主義的なものは不可避だろうって意見もあるみたいですが)、アジア圏全域が植民地的環境で長期化していた可能性は否定できないし、所謂文明国として急速に台頭した日本の存在は西欧列強には無視できないもので(ついでに抜いちゃったワケで)、白人至上主義の根拠でもあった「物理的にそうだろ」的事実を崩したのは確かなんですよ。
(いいとか悪いとか抜きにして)

ご存じの通り東南アジアから北東アジア含めての現在の文明化も戦後日本の莫大な経済援助だけでなく、日本の存在そのものが心理的に大きく関係しただろうし、この「何故か外国語の習得に異様な問題がある国(外来語として”日本語”に取り込んでしまう)」は、WWUの大迷惑があったにしろ(他にWWUの時日本はどうすれば?って話はともあれ抜きにして)、思う以上に存在感を示しちゃったのは事実だと思います。

■注:しつこいようですが殊更日本を持ち上げた話を云々しているつもりは無いんですよ。
「日本の地理的環境」が地球上における棲み分け的辺境であった事が『共同幻想』の緩さだったり『単独者』とも案外共存することを受け入れる素地になったのではないかと思う(自然界で言えば大きな湖からちょいと離れたところに南北にながーく伸びたお池があってカエルが暮らしてたみたいな話でしょ)。
大陸=戦乱であったり、権力構造における極端な権威性が必要だったり、のんびりした『共同幻想』では国が治まらないみたいな背景を考えざるを得ない。
つまり日本は表現悪いですけど「節操も無く”いいとこどり”とか平気な国」であっただけでなく、最強のポイントは戦乱も無く300年も平和だった(江戸時代)つー優位性が国柄としてあったワケです。
(根っこのところは縦に長い海洋国家でありながら山岳部も険しいという地理的環境に負うとろが大きい。)

こう言うと誤解を招くかもしれないんだが、メンタル問題の発現に対しても日本は緩いというか許容してしまうほど『共同幻想』硬く無いように思う(戦前の村社会は別かもしれないが)、欧米の場合かなりの数が個人主義的競争なりの中に埋もれて「メンタル問題」のような形に表に出る事もかなり厳しく(許されないというか)社会全体から強度の圧力というか、そういった側面あるのじゃないだろうか。てか、欧米の一神教的(唯一絶対権威型)『共同幻想』の場合メンタル問題の発現そのものが教条的というか硬性の『共同幻想』の影響からなかな外れる事が難しいのではないかとも推定している。
(中世における魔女裁判の話もあるしさ、映画にもなったエクソシストの一件もある。)
俺にとって欧米社会心理は専門外なのでそれほど真剣に考えた事は無いが、「メンタル問題としての発現が容易に許されず、このストレスが深層心理に充当され続ける」って状況はかなりキツイのじゃないかと思うんですよ。

話は戻って、
■某まとめサイト的な記事で発見したんですが、先端技術や高度な大学研究書などの分野において日本は異例なぐらい「困らない国」なんだそうです。通常世界的な論文は英語で発表される事になっているので、最先端を学ぶと言えば英語スキルが必須だったり(某国では大学の授業を英語でしろみたいな話があったりするぐらい)、それが自然だったりするのですが、神保町を中心とする日本の出版文化は凄まじく、かなりの専門書は日本語で読むことができます。
(ちなみにインテリスノビズム派に専門書を原書で読むとか読まないとかの”何”がありますが、吉本隆明氏じゃありませんが、そりゃ〜なんとかですよ。フランス留学の岸田教授だからこその『唯幻論』だろって言われちゃうと立場無いけど。)
(今後この分野はグーグル翻訳などの拡大で別の意味で困らなくなるのかもしれませんが、)
高度教育などを受ける上で、それが母国語だけで可能って部分が既に『先進国』のそれだったんですね。ある意味、マイナーな専門書まで翻訳出しちゃうだとか、そこは『日本のサブカル文化』そのままであり、日本にある固有の自由な文化(アングラ部分や隙間が広いと言えばいいでしょうか)これは現在の世界情勢ってものにもかなり貢献してるんじゃないかと思うんですよ。
欧米においてもサブカル分野においては(日本のアニメに瞬時に外国語字幕がついて各国で流れるだとかのアレ)フリーエコノミー的にですね勝って翻訳部隊がどしどし志願兵的に出てくるのであり、

■『棲み分け論的なアイデンティティーの研究』とかになるのかしらと思いますが(その反対は『生存競争的な社会的ダーウィニズムの研究』になるのかな)、
外国における日本の代表的風評『henntai』
勿論その始まりはアニメ文化から知られているってとこありますが、
『変態』はですね、現在の日本語では「超高性能」の上のジャンルを「変態的性能」と呼んだりするように、『henntai』って呼ばれる分には光栄じゃないかなんて考える事もできますし(笑

かくいう心理学の局面で、確かに日本における心理学の現在の地位は『サブカル的文系の学問』なワケで事によると一般教養科目でさら〜っとな趣でもあるんですが、だから岸田心理学の『唯幻論』もあり得たように思います。
幾度となく触れてきましたが、欧米におけるフロイド心理学の立ち位置は大変厳しいもので、フロイド本人がユダヤ人である事と性欲論云々がキリスト教保守派から完全にナントカされており、「裏切りの一番弟子」みたいな存在だったユングはナチスに利用された関係で(もろ反動ですな)そのどちらも欧米ではなかなかかちっとやれない背景があります。
(※行動心理ナントカだとか臨床心理ナントカなどのその後の派生は、一部フロイド心理学を参考にしつつも概念としてはフロイド心理学には否定的な保守層メインストリームのために台頭したと思ってます。)

henntaiサブカル枠として日本がいたことはそれこそ『棲み分け論の証明』なんでしょうかね。
細かいこと言うと違うのかもしれませんが「それは経済学におけるグローバリズム(覇権主義)の反対」なのじゃないかとも思います。
(現在「社会的ダーウィニズム論」は傍論というか昔流行ったナントカ的なものとなっておりますが、ご存じのとおりで市場主義経済学なんて社会的ダーウィニズムまんまとも言えるワケで、)
■かくいう日本は「明治維新からのでっち上げ幻想」から未だ抜けきらず、なんでもかんでも米国陰謀論持ち出せばいいってもんでも無いでしょうに、
(読み方によっては岸田心理学なんて軍国主義時代の官僚批判でもあるんだし、)
文部省の「ゆとり教育」は失敗だっかもしれませんが偏差値的な絶対権威主義は日本だけでなく先進国にふさわしい方向性では無いんだから、
『棲み分け的社会』ってところをちょっと考えてみたらいんじゃないスかね。サブカルの幅を広げていくような方向性は日本の伝統保守の概念からそう外れたものだとは思えないんですけど。
事実現代の海外から日本への評価って「想像超えたバカみたいなものは日本から出てくる」みたいなところありまして、そういうのが合ってる国でもあると(地理的環境から)思いますよホント。
もうね、そういう役割なんじゃないかと、


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posted by kagewari at 00:22 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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