2013年01月31日

所謂ひとつの西洋式臨床心理とか

ナンチャラ療法だとかロールプレイングだとか彼らサイドの話を時折耳にしますが、前々から思っていたことなんだが欧州や米国ってところには日本的な『世間様型共同幻想』がありません。彼らのところの『共同幻想』は『一神教系共同幻想』であり時に個人主義と誤解されてますが、この両者は随分と違ってます。
(※欧米だと日本のように突出した個性は叩かれないとかそれも違うでしょう、)
言えば日本は「八百万マルチ教」なので『共同幻想』のコアとなる権威象徴は曖昧なままであり、目先権威が全て中間管理職っぽい形態になるため最上位でも現世では中間管理職止まりな風情がありそのイメージがリアリティーを形成するため(世間様)、権威はひとつの概念(や想念のようなもの)であってこれという主体がありません。
結果この権威への適応は「雰囲気に合わせる」「空気を読む」といった日本特有の『共同幻想』の構造を示す事になる。
(といっても『共同幻想の掟』なる拘束性が弱いワケでは無い←任意性が高く欧米系の戒律型の周囲に対する強制力が劣るだけ。)

欧米の場合には権威主体がキリスト教として明快であるため(或いはその反動の共産主義や兄弟関係であるイスラム教や元祖のユダヤ教も同系統で)、権威主体も神とするかイエスとするかなど細かいとこはともかく明快で(共産主義なら労働者であるとか同志の概念)、事実上『教会主義共同幻想』への闘争だったフランス革命の中心であるフランス(世俗主義)以外は多かれ少なかれその影響下にありつつ、フロイド心理学を歩留り理解の心理学(信仰や教会権威に及ばないように)にもっていくように微妙に中途半端な偽装性のある文明化の延長にあります。
この点日本の明治維新におけるデッチ上げ性とも似ていると言えば似ているかも。
(ちなみに共産主義はフランス革命における世俗主義への迂回型反動みたいなものでしょう。→キリスト教には戻らずそのドグマを学問的に解釈して隣人愛が転じて労働者革命になったみたいな、)

結果なんだかんだと(事実上フランス革命は完全勝利したというより大幅に勝利したが最後は和平交渉にて停戦で終わったというか)一神教的なドグマは権威性概念として残留していて「突出した個人主義」にも見える彼らの自我の特徴は、対象となる権威も単一の主体であるからって部分に応じたもので『エディプス二重構造』みたいな形にならざるを得ない。
(血縁エディプス+信仰権威”主は”)
勿論欧米でもよっぽど前衛的な家庭はあるので、各個人がどうこうって話をしているのではなくて、彼らの『共同幻想』の特徴って話だから。

そんなこんなで、想定として欧米における『共同幻想』と自我との間におけるメンタル問題の発生は強い孤立感を伴うもので(厳密に言えば母数となる集団の定義が無い『単独者』には孤立も孤独も無い)、その原因は”デッチ上げ的個人主義”の特性だと言っていいでしょ。
欧米なんかでよくあるアルコール中毒患者のなんとやらに見られるように、仮想社会性みたいなルートを使って何かしようとしたがります。
又、彼らはツイッターやらフェースブックから次々とSNSも立ち上げますが、
なんですがーそれって日本では昔っからある『世間様型共同幻想モデル』そのまんまでありまして(笑
(日本社会には昔っからある”緩い代わりに集合性の高い社会”)
この辺を理解する上でなかなか参考になる記事があります。
 ↓
海外のゲームファン「俺達は何で『ペルソナ4』が好きなんだろう?」海外の反応
http://asnyaro.blog129.fc2.com/blog-entry-712.html


掲示板の中で象徴的に引用されている一文が以下
>ゲームをプレイするたびに自分自身の事を考えるようになって、幸せを感じたのは初めての事だった。

これってモロ『日本型共同幻想』の中普段日本人が体感してる帰属性アイデェンティファイであり(依存性になれば”認められる妄想”)、しかしこれって日本社会においては「場合によっては大変なストレス」だったりするんだが(嫌々参加する部活の感覚)、強い孤立感を感じる西欧型自我にとっては体験した事の無い幸福と体感されているのではなかろうかと感じるワケです。
ゲームで体感されるのは「ひょっとすると依存性の快感」で、彼らはそこにナルチスズム的な『一時避難場所感』を感じているのかもしれません。
(※ちなみに俺はペルソナとかやった事無いのでスンマセンけど、内容に関しては軽く動画やらwikiやらでチェックした程度であります。)

この現象には正反対のケースもあるかもで、
新興宗教はどこの世界でもそうだと思いますが、殊更日本における新興宗教ってのは何教系って出自や教義(ドグマ)より「教祖が誰」ってカリスマのキャラがそのまま宗教のキャラクターになっとるように思うんですよね。(日本の場合キリスト教ですら独特のマリア人気含めて穏やかってか一神教っぽくないキリスト教になってたりするのに)
 ↑
ここは本格的なデッチ上げでは無くって、日本の軍国主義時代の諜報・謀略機関の作戦が始まりだった可能性もあるので(天皇制を模して植民地なりの間接統治の方法として各地に現人神的カリスマによる統治って作戦がありまして)、戦後どさくさの中その残党であるとか影響下にあったナントやらが派生しなど独特のルートがあったのかもしれない。
(※ちなみに明治維新による天皇制のデッチ上げは完全に意図的なもので、伊藤博文あたりが欧米を研究して「彼らのような一神教型文化を持たないと戦争に勝てない」みたいなところから宗教・伝統・習俗的権威者であった天皇家をやおら国家元首にもってきたもの。←そもそもの尊王攘夷自体がプロパガンダみたいな代物だったワケで、)

話は戻って、
日本のメンタル問題の場合欧米的孤立感っていうよか、構造的問題の主たるものは「個人主義的に自立できない系の無力感」に近いのでメンタルの発現傾向そのものがパターン的に随分違っているのだと推定できる。

社会心理的に言えばだね、それこそこの現代社会日本に「フランス革命的な世俗主義を」みたいな流れが自然にあればヒットするのかも知れないが、何せ日本の『共同幻想』の囲い込みは強くて(曖昧なだけに強い集合性がある)、同時に革命も何も闘争対象に主体が”無い”のだからこれも雲を掴むような話でありまして、
(なので日本の社民党や共産党はこれまた独特の存在になっている、フランス革命ばりに天皇を吊るせーってのは彼ら的には絶対無理無理なので、自民党と経団連を吊るせーになっているというか、正直何がしたいのかわからない(笑、)
そこに吉本なり岸田なりが『共同幻想』なる定義を打ち出したのは画期的な事だった。「主体が無いって論証が逆に曖昧性を排して対象を明確化させた」。

(※考えてみれば吉本隆明氏の左翼に始まり”結局どうなったの?”な変遷はですね、デッチ上げ保守に対する闘争だから俺左翼だと思ったけど、敵の敵は味方となれば俺が真正保守なの?みたいな一種の勘違いの歴史だと思われで、これに対して岸田秀の心理学における『共同幻想論』は意外とすっきりした保守っぽい雰囲気があったりする。←この場合の保守ってのは”連邦政府からの自由も基本的人権だと標榜するリバータリアン的無政府主義の極右”つー方角だけれど。)

■完全な番外編ですが、
私の副業なのか食い扶持なのかになっている不動産のナントやらで、以前「ははーライターさんだからこの縁を踏んだのか」と思っていたある話なんですが、
ええ、俺は吉本隆明氏が論壇で悪戦苦闘していた時代の「離れ準借家1DK」を内見案内しとるんですよ。
これも呼んだワケでも無いのに、ふら〜っと大家さんがおみえになってですな、
「この部屋はね〜吉本隆明さんの部屋だったんだよ、吉本ばななちゃんはこの部屋に暮らしている時に生まれたんだよね。この棚なんてさ隆明さん(りゅうめいさん)が自分で造りつけた書棚でさ引っ越す時にこれは残しておいてよなんて言うから今でもこのままあるんだよ」などなど上機嫌でお話されまして、
「あーあの頃は隆明さんも悩んでいてさ、私なんかに俺はこれでいいのかな〜なんて話かけてきたりね、そんな時代だったよ」なオチまであり、
(※この部屋は当時ガタのきたただの古築アパートとして募集されており、賃料も安かったのだけれど、古いオズヤス調の日本建築だってんで外資の高所得エリート欧米人なぞが好んで住んでおり、この時内見した契約者を最後に数年前に取り壊されました。)
考えてみれば「あれは僕にとっても奇遇な縁だったのかな」などとしみじみ思ってたりします。


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posted by kagewari at 19:31 | Comment(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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