2006年09月04日

『戦争論』

イスラエルのレバノン侵攻がようやく終結の方向にある
国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の主力となるイタリア軍がレバノンに到着した
なんといってもこのレバノン侵攻が「よくわからない紛争の典型」で、なんとなくイスラエルにおけるパレスチナ問題と同じ話かと思うと、これが全然違うワケ

元をただせばレバノンって国が、国としてどうなのってぐらいモザイク国家で(スンニ派・シーア派・キリスト教系)実質レバノン国軍ってのがそれぞれの地域宗派に属していて国軍の体を成していなく、元からがシリアの一部(から独立したのがレバノン)だったもんだから、シリア軍が侵攻したりイスラエルが侵攻したりと紛争が絶える事が無い。
イスラエル国内の印象だと、昔パレスチナゲリラだった時代のPLO追放作戦と今回のヒズボラ(ヒズブッラー)追放作戦は同じ様な目線なのだろうけれども、そもそもヒズボラは「親シリア・親イラン」のイスラム原理主義的革命を考えてるレバノンの組織で、確かにアンチシオニズムの延長でイスラエルにテロ攻撃を仕掛けている事には違いが無いが、大儀と言う点でパレスチナのハマスやファタハ(PLOの最大組織)あたりとは大きく意味合いが違う。

実際今回の紛争でヒズボラが打ち込んだイスラエルへのロケット攻撃の結果、イスラエルでも多数の死者が出ているが、死者の半分は「パレスチナ人」だからだ。
http://palestine-heiwa.org/note2/200608071629.htm

こうなると余計にワケがわからない
そもそもイスラエルのレバノン侵攻に口実を与えた、「イスラエル兵2名の拉致」に関しては、結構レバノン内からも批判があって、ヒズボラの指導者ナスララ師は「あれは誤算だった(イスラエルの出方を読み違えた)」と、今回の紛争がヒズボラも望んでいなかったとインタビューで答えている。
で、イスラエルの軍事侵攻は成功したの?
これがイスラエル国内では「敗戦認識」が非常に強く、オルメルト首相の辞任・ハルツ軍参謀総長辞任を求める声が広がり、イスラエル政府の政権担当能力まで怪しくなっている始末。

裏話としては、これまで世界で最も優秀な情報機関として知られるイスラエルの「モサド」が、ヒズボラとの諜報戦で完全に遅れを取った(大規模攻撃したワリにヒズボラの要人等をまるで捕捉できていなかった)事も話題になっていて、
http://www.janjan.jp/world/0608/0608249998/1.php
極端に言えば、中東でのイスラエルの軍事的優位は大きく後退した。

レバノン側で民間人を中心に1000人以上が死亡、イスラエル側でも民間人を含む100人以上(200人近く)の死者が出たってのに双方が「失敗だった」と、
この人たちは一体何がしたかったのか?

そもそも戦争等というものは、外交上のオプションとしてはナンセンスの代表みたいなもんなんだが、各々の組織防衛(存在意義)が根拠にからむとナンセンスすら超越して何が何だかワケのわからないものになる。
実際戦争の正体がそういった「ワケのわからないもの」なんだろうから、今更の感もあるけれど、ちょっとこの辺考えてみたい。

近代国家なるものが成立する以前の紛争って言えば、簡単に言えば「大地主の領地争い」でしか無く、兵士もほとんどが傭兵であって「戦争」と呼ぶには随分と小規模だったし補給路から考えても「滅多にマジに戦わなかった」。
ほとんどが、双方陣形を組んでにらみ合い「話し合って和平交渉開始」といった具合
日本なんかでも、織田信長がやたらと突出しているのは「マジに戦う人」だったからで、当時だって「え?死人が出るの」な勢いなんだし
世界に衝撃を与えるのは第一次世界大戦から、
国と国が総力戦を行い、徴兵制で兵士が借り出されるなんてーな大殺戮に繋がる近代戦争なるものがこの時以来

つまり、我々が知っている「いかにも戦争」な戦争が始まったのは、歴史的にもつい最近からの話で、決して国家における普遍的な原則でも無いし、ベトナム戦争以来「国内で反戦運動が起きる」事が戦争遂行に大きな影響力を持つため政府は世論調査を横目に作戦行動の立案を行うことも常識になった。
ヒロシマ・ナガサキで第二次世界大戦の方が強い印象をを持つが、社会的には第一次世界大戦とベトナム戦争がターニングポイントであるような気がする。
実際戦争後遺症と呼ばれるPTSDの症例も第一次世界大戦以降に始まった話で、軍事的にも飛行機や戦闘車両の登場、大殺戮に繋がる転換期だったのが第一次世界大戦になる。

事心理学的には、とてもわかりやすい話
中世では傭兵、現代社会では職業軍人にとって戦争は仕事であって経験から、後が起きてからの戦闘行為の内容はある程度織り込まれている。
事実上戦闘が始まってからの徴兵や志願兵では、仕事としても無理がある状況でもあり、現代の戦争の実体は「職業軍人と地域紛争」が主たる内容となった。
そもそも近代国家と国家の正面衝突はヒロシマ・ナガサキ以来事実上在り得ないし、あったとしても「6年戦争」のような総力戦はちょっと考えられない。
極端に言えば「大地主の領地争いという基本に戻った」とも言える。
だからこそ、大義名分は大幅に後退し「近代兵器による大喧嘩」としての側面や、国際法上非合法な戦闘集団に国軍が「警察行為的に戦う」という構図になっている。
昔戦国時代には「サムライが戦もするのもいいけれど、畑を荒らすのはよしてくれ」な考えがあるがこれは現代にも通じる話だろう。
イスラエルにしても、ヒズボラにしても「戦争もいいけれども、民間人のいないところでやってくれ」と。
イスラエルの側から見るなら、ヒズボラが「民間人を人間の盾に使っている」という事になるんだろうけれども、明解にヒズボラの軍事部門が国際法上も非合法となる活動をしているのなら、これはレバノンの国内問題であって、国連を通じてその治安維持を求め続けるのがスジで(自分自身も国連の勧告に応じてパレスチナの非合法占拠地域から撤退すべき)、内戦の恐れがあってレバノン政府に治安維持能力に問題があるのなら国連がレバノン暫定軍を編成すればいいのであって、
国連が動かないので、自分が先にレバノンを攻撃して国際社会は「その後の治安維持だけ行えばいい」というような都合のいい話じゃないだろう。
イラクを見ればわかるように、戦争が終わった後の治安維持こそ「お金がかかる」からだ、これは人材面も同じ(自衛隊の軍事協力は、政治的側面もあったが「マジでマンパワーが足りなかった」のも事実)。
国連の治安維持にしても、国内が内戦状態に近い中で活動するのは難しい。

ヒズボラにも国内から非難があり、イスラエルにも国内から作戦失敗の不満がある。
この感覚こそ「マジな反戦」ってものだと思う(イデオロギー的反戦はいかがわしいもんなので)。
意外と知られていないが、戦争にはルールがある。
ジュネーブ協定が有名だけれども、合理的な根拠ののあるものは「けっこう守られている」。自動小銃に使用される銃弾はカッパージャケットのフルメタルジャケット弾使用とルールで決まっている(殺戮が目的なので着弾後に殺傷目的で変形する弾丸は禁止で貫通銃創になる銃弾が使用される)が、これが破られることは無いし、アメリカとイスラエルの軍事協力協定で「クラスター爆弾は市街地で使用しない」という取り決めに今回イスラエルは違反したらしく、アメリカが目くじら立てて違反行為を調査中だ。
劣化ウラン弾にしてもそうだし、そろそろ戦争の新ルールを国際社会が詰めて話し合う事は各論になるが被害を少しでも少なくするために大事な話だろう。

国対国の全面戦争が考えにくくなっている昨今、軍事政権や国内政治の民主主義に対する弾圧、宗教的差別、ジャーナリズムの偏向等を注視するのが本質論に思う。
これを国連が監視することには難しい面があるとしても「調査委員」を派遣するぐらいはできるだろう、初期段階から政権とコミュニケーションができていれば常に折衝の窓口があるのだから強制力は無くても「勧告」の形で注意を促せば、それを“平時だからこそ”無視することはできない。

この紛争に関わるとても大事な事件があった
実はイランで、ペルシャ語フォントによるブログブームが起きていて、各個人レベルで盛んに政治・宗教・教育・メイク等のファーラムも立ち上がった。しかし、これが宗教的な問題を含むことから一部ブロガーが逮捕されるという問題を引き起こした。
又、グーグルが中国向けに検索機能に政治的意図のある規制を設けることに同意している話もここに被ってくるように思う。
確かにアメリカの「民主主義と市場経済」ってな圧力はどうにも無理のある話だ、経済のファンダメンタルが無いところには教育が行き渡らないので民主主義にしてもその告知すら難しい地域もあるだろうし、国勢調査ができているのかも怪しい。経済格差が激しい経済であれば、政策的措置が十分でない競争力の劣る部門が無理な市場経済の導入で破綻すれば失業問題にもなるし、結果的に国の政治を不安定にするだけだ。

そもそもが国と国の賃金格差を利用した国際競争力なんてものは、間接的搾取みたいなもんで(その国内に同様産業が既になるなら元から賃金格差は無いのであって、企業の安易な海外投資は植民地構造と大きな違いは無い)、最初から長続きするものでもない。何故ってその産業の成長の結果投資した国が先進国へとテイクオフすれば賃金格差は無くなるのであって、当初計算した競争力は形だけになる。
海外から進出した企業が本国に比べて極端に少ない所得しか支払わないのであれば、進出先の国の内需拡大には繋がらない(これってその企業の労働組合の国際的組織化とかって概念でどうにかならんのか?)。
これも良く考えれば経済学的にもナンセンス、

投資にしても戦争にしても、政治にしてもネットメディアにしても「ルール」ってものをもうちょっと考えてもらえないもんだろうか。
昨今、社会心理学的にも厭戦感は強い、
領土拡大による経済成長は現実的じゃ無いし、国の正当性が民主主義であるなら国民にとっても国の誇りは大事でも侵略による国土拡大はナンセンス(アメリカのイラク侵攻にしてもイラクをアメリカの52番目の州にしたいという動機は無い)、むしろ昨今のテーマは『現有国境下の安全保障』だからだ。
厳密に言えばアメリカのアフガン・イラク攻撃は行為はともかく「動機の面で」侵略とは言えない部分がある。イスラエルが「同じ論法でレバノン攻撃をした」というのは間違いだ、イスラエルにはその動機の面でレバノン南部を軍事力で実効支配したいという領土拡大のビヘイビアーがある。

個人心理学的に見るなら、個として不安があるときに反動的に自我防衛意識が強くなるのであって感情的破綻の分水嶺の上昇は暴力の危険を孕む。
なのだとしたら、各国の国内情勢の安定化こそが重要なのであって「冷戦的な代理戦争」が無くなった今、小沢の小選挙区改革じゃないけれどもとにもかくにも政治的安定を担保するのは『制度(=法)・ルール』であるのは間違いない。
やれイデオロギーがどうのとか、宗教がどうのとかいう以前に「ルールを考えようよルールを」そうなれば国連の拒否権がどうだのこうだのって問題もどうでもよくなるでしょ。

「より公正な戦争」なんてのは一見矛盾する概念だけれども、そこが一番大事なんだと思う。
posted by kagewari at 16:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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