2011年07月12日

仕事ってものを考える

いろいろ考えさせてれる記事がありまして、
福島の「放射能汚染」を調べ続ける科学者・木村真三氏が本誌に登場「この驚くべき調査結果を見よ!」国は民を見捨てるのか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/10712


いえいえ放射能汚染の話では無くで上記記事に登場する木村真三氏の生き様って奴に関心したワケです。
彼曰く「仕事ってこういうものじゃないか、これは違うんじゃないか」的発言が記事中に登場しますが、勿論心理学系社会学的にいえばその判断は間違いなワケです(笑
(共同幻想的な意味での枠組みで言えば仕事は社会階層適応における属性のひとつで、所属の対価として配分される方便のようなものですから)
彼の判断は所謂「単独者特有のもの」なワケですから(構造論としては少数派となるので多数を前提とする概念である常識論から見れば非常識になる)、考えてみれば単独者の仕事ってのは非常識なものなんかいなと思うワケです。

痛快というか、こういう(感じのいい)奴って現実にいるんですよね。
(共同幻想的には嫌な奴なのかもしれませんが、)
仕事ってのをマジに考えるとこうなるよな〜と、

しかしですね、単独者応援的認知だけでは話が偏るってもんです。
『フリーエコノミーな方向性』から見た場合、
彼のように大真面目に仕事を考えるのはやはり単独者主観による「有体に言えば我儘(エゴイズム)」であって、
■「生き物にとって仕事ってのは必ずしも”労働では無い”」という本旨を忘れちゃいけません。
(生存することに関わる事象に動機形成行って活動することそのものが生命活動としての仕事の本旨ですから)

ましてや明治以来の富国強兵路線における捏造共同幻想的経済貢献的な職業観も鉄板の偏向であって、仕事に関して共同幻想社会が「共同幻想特有の属性に対する所属の対価」と考えていかにも真面目に”仕事”とは考えていない(むしろ所得分配論に近い)本質も、フリーエコノミー論に通じているワケです。
(共同幻想適応的仕事なるものに構造的リミッターがかかるのは安全装置と考えることもできる。)

「好き勝手にやる」という自由の概念の中で「やってやろうじゃないか」なる選択を個人的にするのも自由だし、
社会における労役的な労働概念に「それは(共同幻想の本質的にも)違うでしょ」と、より自由な枠組みで社会と個人との関係を考えるのも自由、

何かこうでなくちゃいけない”理(ことわり)”など無いのですから(それを好き勝手に選ぶために自我があるのであって)、前述引用記事も『そんな自由度の話』として読むことで更に「是非頑張っていただきたい」という思いも別の角度になるってもんでございます。



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posted by kagewari at 22:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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