2011年01月12日

文明論ってものを問い始めてもいいのだろう(2)

話は飛ぶようだけれど、昭和における行政改革と言えば『土光臨調(第二次臨時行政調査会)』だが、当時何が話題だっかと言えば会長の土光敏夫(元経団連会長)のキャラクターに負う部分が大きい。
(臨調の中身は代表的なところで言えば”日本たばこ産業””NTT””JR”への成功例との評価の高い民営化を答申したこと)

土光敏夫氏は質素な生活で知られ(詳しくはwikiでも読んでください)、臨調の答申が『戦後経済からの脱却』としてのターニングポイントであった事と重ねて考えてみると、
マスコミはさかんに石油ショック以来の日本のお家芸でもあった『省エネ的生活』と旧来の道徳観で土光氏が”人物である”喧伝に忙しかったが、歴史的経緯を考える時根本的に大間違いをしていたのではなかったか。
現代社会のアメリカンドリームにおける異様な報酬額との落差で土光氏の生活を見る時、
「飯のおかずはメザシが美味い」なる土光氏の人物像は全く別の構図にならないだろうか。

普段の口語で時々(半ば造語的使用なんだが)『イナーフっイナーフ(enough)』とか言う時あるんだが、この言葉を案外脳内では深い意味で自覚していて(これマジ)、賢い歩留りってのか「そこで十分」って意味では無くって(それだど制約するみたいな道徳論が絡んで解釈されることもある)、至福のバカ表現みたいなことを指しているワケなんだが、
歴史の中で土光氏の在り様ってのを『イナーフっイナーフ(enough)』だったのだとすると(硬派というよりエピキュリアンなんじゃなかろうか的に)話が逆さまになるワケだ。
(当時の臨調が意図した「増税なき財政再建」の意味も倹約思想から離れる)

「他は分配でいいじゃない」
 ↓
「みんなで山分けだ」

まったくもって話は飛ぶようだけれど、映画における悪党というか「天才的泥棒主人公物」みたいな話の脚本の場合、主人公の犯罪者グループの犯罪哲学ってのか美意識としてわりと頻繁に登場するのが「報酬はピッタリ山分けだ」という台詞。
(ここで累進課税みたいな話を絡めてしまうと意味が違ってきてしまう)

バカな方向に舵を切るっていうのか、
「底が見ているからいんだよ(『イナーフっイナーフ(enough)』)」
 ↑
この思考は現代経済論的世界における「インセンティブ論」と逆さまにである事に気が付くのであって、
(ここに分譲住宅における35年ローンなんて重ねると更にわかりやすい)

何でしょうかこれは?
日本はどこで間違ったのか。
(というか”どこで舵を切れば早期に別のフェーズに移行できただろうか”)

更に話は飛びます、
高度先進国の果て「究極の不老不死への願望」。
これですね、生身の生体を延命させると莫大なコストになるんですよ。
(再利用じゃないが本当にエンチエイジングできれば違うと思うけれど)
仮に機能不全の臓器を人造的なものに置き換えていくような発想をしてしまうと(人体そのものがケミカル工場ですから)もうね、そこいらへんの化学工場のプラント設備みたいな話になります。
ズバリ「脳だけ生かす」とか「自我だけサルベージする」方が話は早いし(実現可能性の話は別論議として)必要とされるパーツというか生産したり処理しなくてはいけない物質の数が大幅に省略できる。
この時、
攻殻じゃないけどさ、『人はなぜヒトガタ(人形)を造るのか』的な哲学論に突っ込んでいくかなりシュールな話になるだけれども、、
現代社会の『高度(高額)医療と高寿命(という経済利権)』て話は前述の話からまー随分と離れたところにありませんか?

ここでも欠落しているのは『イナーフっイナーフ(enough)』だろうと、

先進国に住んでいると大いに欠落するのが、個人資産じゃないが”インフラ”として水や空気のように我々が享受している『莫大な社会資本』であり、その状況で個人の所得でガタガタ言っているってのは実は笑い話なのであって、
(ここに前回書いた元が宗教論的な人の選別というか勝者と敗者の評価が”目的化”する背景からめていくと「それは方便に過ぎない」的インチキさってのが明らかになる)
一人当たりウン千万だか知らないが莫大に投資され普通に暮らしている”文明的生活”なるものの総額に比べると「こんな所得じゃナントカだ」なんて話に登場する金額はあまりに矮小で(そこいらへんは流石アメリカはリアリストなのか社会資本の向こう張るぐらいの法外な所得の世界になるところが面白いが)
現代日本の暮らしってものは「食える」って事で相当に幸福なのであって、且つ今回の論議で言えば文明的なのである。
国家としての経済の強さを利して輸入品を”安物”として使い倒せるのも高度先進国だからで(僕らが子供時代には輸入品=高価で高級品だった)、『イナーフっイナーフ(enough)』な環境は高度に整備されつつある。
不動産的分野でさえ人口減も手伝っての供給過剰をベースにさらに条件は良くなるだろうし、日本の住環境がウサギ小屋などと言われたのは前世期の話である(どこかの年次で欧州の一部国家を床面積で超えた)。

言い換えるならば『幸福論』なるものの履き違えが世論調査などいう怪しげな世界における「国別幸福度実感調査」なんかにおける日本の順位の低さであって、
ここも米国主義に偏った政策運営から欧州的な社会民主系への政策シフトにより大きく変化するだろうし、
その政策シフトのカギとなるのが社会認知としての(共同幻想ではない)『イナーフ(enough)』なのじゃないだろうか。

高度先進国においては上昇志向であるとか優勝劣敗の論理(幸福論)は既に過去のものであって、これを新自由主義のような包み紙で延命させようと考えても意味の無いことであってかえって政策シフトを遅らせてしまう。
■特にこの高度先進国の幸福論は普遍的に戦争行為などを倦厭するもので(国際政治学的にもその国力が既に前近代的な戦争行為を必要としない”筈”→高度先進国家でることが=覇者であるため)、こういった政策シフトは軍事産業含む防衛族利権などにとっては必ずしも都合のいいものでは無い。現代日本には所謂”軍部”という勢力がいない事が政治的安定に繋がっていて、その点米国や中国は(或いはロシアも)その扱いに随分苦労していることを見れば「日本は幸運だった」事に違いは無い。
(憲法9条を持ち上げるつもりは無いが、少なくとも”結果論”として消極的シビリアンコントロールに成功した。)

単純に実務における安全保証を考える場合でも、攻撃力であるとか抑止であるとかの強武装をとったとしても、高度先進国はその社会資本が莫大であるから一発本土攻撃されただけで「損失計算的にはアウツ」なのであって、防衛的軍備の体系そのものを見直す必要さえあるのであって(武器体系の根本を変えていかなければならない)、覇権主義的な体系の大がかりな軍部の存在は、戦前の日本軍部の大鑑巨砲主義の弊害と似たところがある。
(情報工作組織ですらウィキリークスにより一発でやられる時代だから)
そもそも先進国の防衛ってどういうものかって論議は単純な軍事レベルを超えるのであって軍部に頼っていては論議もおぼつかないわけだ。
『イナーフ(enough)』を知る(認知)って話は現実認知そのものであり、非軍事の話をしたら”ハト派”なんてとんだ勘違いである。
端的に言えば「愚かな国家権力しか持てない国家は民度において既に安全保障として大きなリスクとなる」のであって、それは核武装級のパワーポリティクスの論議に違いない。

さて日本における”軍部リスク”のような存在は無いだろうかと考える時、それは間違いなく『愚かなマスコミ』であって(時代はそのカウンターとして2chを台頭させたのだから)、日本の今後を占う時、勝負はこの一点できまる。
既得権を持つ巨大マスコミを崩壊させるのが早いか、日本の没落が早いのか。
自動小銃でドンパチって派手な戦いでは無いけれども、巨大マスコミとの戦いは現代日本の『文明論的主戦場』である。文明論を歪めている根本だろう、

(心理学の世界で言えば個人のメンタルってものに対しても巨大マスコミは敵対していると考えていい。)


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posted by kagewari at 16:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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