2004年05月19日

カウンセリングと病院の関係

これは実生活となんら変わりません。
歯が痛ければ痛み止めを飲む、おなかが痛いときに胃腸薬を飲むって事にそうそう抵抗がある人はいません、風邪薬も同じです。
問題は「効く」っていう発想が「治す」と混同されている事です。

俺の掲示板にその点で何度か抗議の書き込みがあったことがあります。そこら辺でよく誤解されるのが、上記の薬が効くのは「直接的には不快な症状の緩和」だってことです。もっぱら症状の根本的解決(治るでもいいでしょうが、、)は元気を回復した本来の体力と、自己治癒によってです。症状によっては生活様式の改善が必要だったりしますから、治るのは薬によってではなく、薬は「それを助ける存在」です。

だから俺は通院や、薬を飲む事を否定しません。事実俺には薬を処方できないワケで、
副作用や薬への耐性(身体が慣れてくること)半減期(薬が身体から抜けること)の不安定さの点から「市販の薬で」、という選択もあります。症状に応じて胃腸薬や頭痛薬等です。
マッサージも有力です、症状の緩和は「不快感の改善」という個別のテーマです。

ではカウンセリングの在り様はどういうものでしょう。
実際薬を貰う時に医師に話す事はシンプルでいいと思います、あくまで症状の緩和が第一義です、カウンセリングは突っ込んだ話が行われ「いったい何がなんでどうなってるのか」という分担があるのが望ましいでしょう。だとするとカウンセリングの場に余談が入るのはあまり好ましく無い。
俺が独学で相談を設けている根拠のひとつです。
「こういう症状はこれ病で、これが原因」という雛形や区分けがあまりにもしっかりしているとかえってそれが「余談」になります。

論理的根拠は別問題です、基本的に心理学として「どう考えるのか」は明解でなければならないでしょう。
つまり、それは『話し方や、話のテーマ』についての考えになるからで、診断ではないからです。
そもそも「人の人生を診断する」ってのは不可能でしょ、人生を選ぶのは相談者自身であって、カウンセラーではありません。カウンセラーが知るべきなのは「人はなぜ悩むのか」についての考えが明解か否かです。

俺自身自分をカウンセラーとは名乗らないので(あくまでサイコアナリストでありたいと思います。「〜スト」と語尾につくと何か偉そうに聞こえますが、そういう意図はありません。東京12chの経済アナリストとかみたいなもんです「分析屋」ですねつまり。)カウンセラーに何が何って事はないですが、、

「治してもらう」のではなく「治すために(この表現は俺はあんまし使うの好きじゃないんだけれど、わかりやすくするためにあえて使います)」病院やカウンセリングを「使う」ってのが在り様としてベストでしょう。

俺の掲示板には時々論争が起きますが、それは「アリ」だと考えています、たとえ悩んでいる事の原因のひとつの概念だとしても「こう思う」って事に「何故でしょう」となればそれだけで、論争のテーマとなります。だとしたら「無意識に隠れている自分の考えの論旨が表に出る時論争になる事は避けがたい」からで、無意識に隠れた葛藤という『意識』を自分自身で認知するチャンスでもあります。

「話の中でこそ自分自身のアイデアに気がつく」ってのは、俺だってしょっちゅうだからです。
posted by kagewari at 02:19 | Comment(3) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


この記事へのコメント
5年前のブログに今ごろコメントしてる(^_^;)
まあいいや♪

私はもともと薬は嫌いで風邪の時や頭痛の時でも飲まないし、薬は対処療法くらいにしか思ってないけど、うつの方などは改善するまでの間は一時的に安定させるために薬は必要なのかなと思ってました。
でも色んなサイトを覗いてると薬で治った人の話も聞くので、症状や人によって薬も必要なのかなと思ってましたが、私は専門科じゃないからよく分からない。
Posted by 早恵 at 2007年10月25日 14:37
「治った」という言葉が表現している意味が問題なのです。乱暴な表現で言えば精神科で処方される投薬の内容には一般的には覚醒剤に近いものも含まれています。ですからそれで効果があった(それは薬品ですから必ず変化はあるでしょう)事をもって短絡的に考えても、少なくとも投薬の必要が無くなって、薬から完全に離脱して初めて治ったと言えるでしょう。

同時にそもそも”病気と言う表現が正しいのか”という根本的な問題があって、そこから見るならそもそも「治った」という表現そのものに問題があります。
治るも何もそういう対象ではないのですから、
何か壊れたものがあって、それを直す(治す)という見地から見るなら、現実の刺激をトリガーに問題意識として浮上した自我バランスの問題を元に戻す「自我構造の保守」という意味にもあります、
だとするなら、問題を先送りにしたに過ぎず、
それは「治った」という言葉のニュアンスとは裏腹に、「強迫的自我構造の保守に成功した」とも読み取れます。

単に不快な現象に効果的だった、という見方からするならそれも自分自身の判断ですが、結果的に自我構造が慢性的に定着する事に傾斜してしまう可能性もあるのです。
本来望ましい投薬は、あまりにも直面する不快感が激しいので「とにかくひとまずこれを沈静化したい」という部分にとても効果的ですから、そもそも内面を考えるにしても直面する不快が激しくてそんな余裕が全く無い場合には有効となります。

ここについては様々はな部分で書いている事ですが、
「風邪薬」ってありますが、あれは単に症状に対する対処で、咳は細菌を吐き出す反応ですし、発熱は細菌の増殖を抑えるためで全て風邪を治す自己治癒反応です。しかし一般的に市販されている風邪薬はその”症状”を不快を原因に抑えるもので、
直接的に見れば「風邪の治りを遅らせる薬」です、
医師なんかが「自分は風邪の時にはひたすら寝ます、薬は飲みません(笑」なんて話をするのはそれが理由です。
しかし乳幼児等、その自己治癒反応の発熱で体力そのものが追いつかなかったり、場合によっては体を壊してしまうほどの高熱になる場合もあります。
そんな意味では「対処療法の薬も必要」なのであって、
一般の大人の事例で言うなら、風邪の治りが遅くなるもなにも今日の仕事に差し支えたら困る、「とてもじゃないけれど安静にしている時間も無い」等そういうニーズがあるんです。現実は厳しいですから、
「治る」が「深いな症状が解決する」を意味していて、風邪が治ったかどうかは又別の話って世界です。

メンタルな世界で言うなら、その投薬の間にどれだけ内面の問題に取り組めたかと、そうなりますが実際自我構造の問題の解決には人によっては数年もかかるものですから、そもそもその全体像は「何かが治る」ようなものでは無いんです。
むしろ何かが”変わる”の方が適切でしょう、

そこから考えるなら、メンタル系の掲示板等で語られる内容は、内面を考える環境として投薬の相性がどうなんだろうという話であるべきで、
薬を飲めば治る”何か”が特定されているのじゃないのですし、そんな外部化された因子があるのじゃありません(そういった発想が「自我構造の保守」を動機として助長されるとも言えます)
まさかウイルスが原因というものではないですしね(生理的な傷害があって、継続的に投薬が必要なケースは別ですが)

不快感が激しすぎて何を考えるにも、何も手につかない状況であれば、時間稼ぎが優先されますから精神科なり心療内科の診断を仰ぐのが適切であるのは言うまでもありません。
Posted by kagewari at 2007年10月26日 18:20
色んな方からこれと言ったカウンセラーを見つけるのは難しいと話を聞きます。
上から目線の先生が多かったり、先生から酷いことを言われたり、私生活で抱えてる問題が解決しないと症状は改善しないと言われてどうしようもなく、やむ得ずに薬に頼るしかないのかなとも思ったりします。。
Posted by 早恵 at 2007年11月12日 17:55

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