2009年03月28日

心理学的”平時の自我論”

”心理的基礎代謝”みたいな話
実際に心理学のテーマではフロイドから始まったように「問題の構造を分析する過程から判明した自我構造図(地図というか意識ロジック)」の逆算として様々な心理の動きをロジカルに認識しているのだけれど、「無問題の状況におけるキャラクターの差異」はあまり語られる事は無い。
無問題なのだから「お好きにどうぞ」であるには違いないのだけれど、
均衡論的に平時のキャラクター差異は根本的な心理学の基礎理論的に分析の方向性の論証として有効だと考えている。
よって、この話は幾分アイデアの域を出ないところもあるので、今後それを考える上での叩き台として書いておこうと思う。

とっかかりとしては、
「何の用も無いなんて事はこの世に無い」みたいな
「個として実存する”だけ”の時の我力」のような、
”その”話です(笑
心理学におけるプライバシー領域(パーソナル・スペース論とか)の”飽和安定性”と言えばいいかもしれない。

概念としては「ここに自意識マター要因が何も無い状況で概念上の自我実存(意識ソナー射程というか)が”意識状況”において満たされない場合、虚空(スキ)が生まれその隙間は個としての自我のファンダメンタルのスキ間と解釈できる。
孤独(認知)現象の法則性かも知れないし、強迫認知(強迫マターでもいいかもしれない)発現地域と見てもいいかもしれない。
ひとり自室に存在して「当座全く自意識マター要因が何も無い時」でも、
「我を成す時間」が、これ「無な時に重要な仕事」といか仕事量としてそこに在るのじゃないかと、
これは状況からも100%ひとりで行われる仕事量だし(少なくとも利害関係や非第三者性:関係者がいては空間が歪むので観察し難い)、
その無な状況の支配率が、神経質とか神経症の対立概念である(ある意味さっきの話と矛盾するんだけれど関係者が至近にいても相手を刺激する事無くひたすらそれは在るみたいな)。
 ↓
確かに自分の船の喫水は海面全体への圧になるけれど、だからといって自分の喫水が隣の船舶の喫水を変動させる事は無いみたいな説話。
しかしこの個人的心理学上の喫水は”ひとり”の概念の中でしかもその平時(仕事量的に自意識マター無動作時)に備わっているので自意識論的に捕らえるべきなのか疑問もあって、
なんでしょうね、
索敵状況というか「警戒レベル1(生命稼動時最小)」のデフォルト意識みたいな、
「無色透明エゴをどう定義するのか」であるかもしれない。
何を言っているのかまだ俺にも言葉としては不鮮明なんですが、
思考を進めるために、一般社会的に知られているイメージで事例あげると、

剣術家で言うところのスキの無い様「音無しの構え」
(一度も相手と剣を交える事無く(剣があたる音無しに)一刀両断で決着がつく無敵の剣術から:”一刀流”)
「胆力」
プロ野球の名選手が頻繁に使うアドバイス「無駄な力を抜け」
「腰が据わっている」
「度胸がある」
「臍下丹田(せいかたんでん)」
(気の元とかいって所謂腹式呼吸法なんかで知られる概念)
「懐が深い」
長島監督曰く「二枚腰」
ノムさんの(身体使うスポーツなのに)「野球は頭でせなアカン」
「明鏡止水」
「無我の境地」
封建時代における「甲斐性」
「凛とした(や凛然)」(凛々しい(りりしい)の”凛”)
「無心」
「押しの強さ」
「心頭滅却すれば火も自ら涼し」
(ちょっと調べたのですが、この涼しいの意はは心を滅すれば火さえ瑣末なものであるみたいな意味)
将棋の格言から「歩のない将棋は負け将棋」
武田信玄における”風林火山”「動かざる事山のごとし(大将の立場)」
オーディオで言う「A級アンプ」
(アイドリング電流が大きくSPから音を出していなくても発熱する電気食いで、しかもカタログスペックではピークが10W程度だったりプアな数値なんだけれど、効率のいいAB級アンプ100Wに比べて実働でより以上に力強く、特性を知っているマニアはA級だとカタログスペックで比較せず電源の容量を見てハイパワーと判断する。真空管アンプの評価も似たところある、無音状態の時ノイズもAB級に比べて多かったりするのにカタログスペック上のS/N比を無視してダイナミックレンジが広いとされる、)
「足腰の強さ」
「スタビリティー・トレーニング(体幹の強化トレ)」
「基礎体力」(の言葉の背景というか暗韻部分)
船舶で言う「排水量」とか「喫水(きっすい:船の海中に沈んでる深さ)」
(安定感に関わる、共同幻想関連→護送船団的安定と全く別次元の船単体の性能評価)
PCで言えば「リソース」
領土における「排他的経済水域」
経済で言えば「外貨準備高」
会社で言えば「自己資本比率」
それこそ実存主義で言えば「不条理」の暗韻部分
陰陽道の「呪(しゅ)」における”名”の部分みたいな

上記全般は各人その立場にとっての特定現象を説明しているもので、
実際の対象は「表す言葉が無いだけで全て同じ”何か”を見ているのじゃないか(それこそ陰陽道の呪(しゅ)じゃないけれど)」という仮説ですよ。

「何も無いんだけれど、何も無いって事は無いだろう」とか
「何もする事が無いも何も、生きている自分の素の状況を(デスクトップの環境だけは出しておこうみたいな)うんうんうなずく仕事はあるよ」というか、
メンタルな問題における自我構造とまったく別の意味の
心理学上の「平時(戦が無く平和な時の)の備え」のような、
”構え”というか、
(表す言葉が限られるので困るんだけれども)
なんかがある。

再びメンタルな問題が発生するプロセスからこの”デフォルト認知”を考えてみると、
仮想に空間設定される”自分の意識領域”は例の「プライバシー領域(パーソナル・スペース論)」のような意味合いで『一定の形があるのじゃないか』とも思う。
出典は不明ですが(オーディオ評論家の故長岡氏の話なんだけれども)、人が安心感を維持できる空間は約4帖半(団地サイズの畳じゃなくて規定サイズで計算すると約7?=家具の入った6帖間)なんて統計DATAもあるようで、
ここ武芸家なんかの台詞にある
「・・殺気を感じる」
なんて強烈なソナーは別にしても真四角じゃないでしょうと(笑
7?前後の認識距離において「前方に広い人や満遍なく周囲に平均化する人」まで、これは様々な筈で(バックからの車庫入れが極端に苦手とか)、
この話をするといろんなところに波及するんだけれども、女性と男性における方向感覚の差の話になると、一般に女性は男性より空間認知(というか地図を俯瞰で見るように位置を確認するとか)に弱いなんて通説があったりするけれど、ここって『家幻想(女性特有の母親同一化過程の影響から派生する強迫意識の総称:造語です)』との関係あるのじゃないか?

つまり、この”デフォルト認知”の形も強迫意識がある場合「自意識と同時に抑圧され」不安感の相対的な増大の一因になってやせんかって話です。
(電車などの公共スペースにおける不安や恐怖症との関連で)
一般言語にも
「顔上げて」
「前を見て」
なんてありますよね?
これサッカーなんかのスポーツだとパス出しにおける空間認知のことで、
バスが出せる=別の場所に居ながらにして出す先の感覚が存在する
つまり、その反対は「どこにもパスを出せずに不安である」
なんでしょう、いかにも古典的な保守的御仁によく聞く台詞にも
「背筋伸ばしてピシッとしなさい」ってのあります。
そして心理学の話ってだけじゃなく、
集団がどうにも苦手な時
「自分のプライバシー領域(パーソナル・スペース論)をいとも簡単に守る方法」
ベタな方法は『サングラス』です、
そして大統領のシークレットサービスのサングラスもここの空間認知の拡大に一役買っているのじゃないか?

実にナンセンスな着想で言うと、
コメディアンの関根勉氏が千葉真一の真似する時の空手イメージした呼吸方
「クヵァハァーーーー!っつ」
と息を吐く奴、
イメージとしては胆力を溜めるような動作
これ”デフォルト認知”を自意識リードでビョーーンと敵まで飛ばしているんでしょう、
心理学の知識が全く無く勘違いしている人の失言
「気持ちの問題」
ここも言っている本人気がついていないでしょうけれど、その意図は
「”デフォルト認知”が抑圧されているのじゃ何もできない」でしょう、
デ・コードするとね、
神経質で強迫的不安下にあり粗暴な状況(不良化)にある思春期の”そのまま不良”のみなさんの台詞
「何ガン飛ばしてんだコラ!」
彼らの繊細で敏感な「プライバシー領域(パーソナル・スペース論)」が侵食された瞬間の異議申し立てですよね。
(自分の抑圧された”デフォルト認知”を見んじゃネーコラと言いたくて強面なんだし)
そんだけ”デフォルト認知”の拡大は空間における自意識実存として一定の力場なんでしょう。不安感の無い人はこれが霧のようにフワ〜っとというか、
えーしかもここに他者の「プライバシー領域(パーソナル・スペース論)」が被さっても「目視により確認→安全」で”0”になる。
(この浸透圧ってか或いはその排他性によって”弾力的な人”とか”頑固な人”とかもイメージしやすい)

つまり自分の”デフォルト認知”は自由度を持っている事により=自意識の自由度の証明で(自意識が安全宣言出せば”0化”する)、

何か行動療法的な話をしようって事じゃないんだが、
ひとりぐらしの効用なんていうのの論証としてここ一因あるのじゃないだろうか?
何故ならコミュニケーション障害のある幼児期の環境がかなりのケースで強迫意識の原因となるのだから、当然その時の幼児の”デフォルト認知”は形として偏向するからだ。

モデルで考えてみると、
コミュニケーション障害が無い場合最初は親の庇護の元にこの”デフォルト認知”が展開される筈なので(アメリカの核の傘の下の日本)
親の”デフォルト認知サークルの中に幼児のデフォルト認知サークル”のを出発点に、学校等の家庭外の外部環境(或いは個人主義的自我の萌芽)なんかの刺激で、この幼児の”デフォルト認知”は親のサークルから抜け出す(重力から離脱するみたいにこの時反抗期となる)、
(古典的エディプスコンプレックスは認知上、この自分の”デフォルト認知”サークルが普遍的に親の”デフォルト認知”サークルより小さく、飲み込まれてしまうのじゃないかみたいな不安と考える事もできる)
逆さに考えれば強迫認知がある時、
強迫意識として「外部の環」が”デフォルト認知”に枷(かせ)のように被さって(常に◎(二重丸)に仮想)いて、「プライバシー領域(パーソナル・スペース論)」そのものが抑圧偏向し、
”デフォルト認知”自体脆弱な状況(構造的対人恐怖傾向)に繋がる可能性も否定できない。(といっても自立過程を経て自意識マターが確立すれば自動的に回復するんだけれど)

ここは自己認知というか「どれが自分なのかの誤解」の原因でもありえていて、
既に実態として強迫認知から乖離する実際の家族は別の”デフォルト認知”サークルがあって、これ視認できるのであって、
まさか自分の強迫の環がエディプスコンプレックス的な象徴化におけるデフォルメコピーであるとは(まんま自己の環の外側にあるので)認知できない(無意識化)。

※最初のところの「スキ間」とか「自我実存が”意識状況”において満たされない虚空」ってのは二重の環の間の隙間の事かもしれない。そして内向化ってのも内側の環がシュリンク(内圧上昇)する構造なのかもしれない。

うーんあまりにもあっちこっちと話が展開するので、
次回につづく、
機会を設けてもう少しじっくり考えてみよう。
タグ:自我 強迫
posted by kagewari at 06:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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