2008年10月02日

動機形成のプロセス

「さー何をしようか」とか、
「おっと○○しなくちゃ」等、
だいたいが何かを契機に動機は形成される、

思うにその契機が自意識を立ち上げ「ん?」と振り返るように認知が開始される。
何ていうか、人間は常に現実認知でバリバリって事も無いのであって(バリバリな状態を神経質とか呼ぶ)、平和な時にはのんびりしていて自然なので自意識は「呼ばれたときにサクっと立ち上がる」ポジションであればOKとなる。

で、「えーっと何々」のように現実認知が開始されるのだけれども、
つまるところ認知以前の現実は不確定でなければならない。
言語的には妙な表現になるけれども、不確定じゃなければ「えーっと何々」と現実を認知しましょうかってプロセスそのものの”動機”の腰が折れてしまう、
「自意識の立ち上げ時に抑圧が発生してしまう」

そもそもこの不確定要素が”自由”の根拠なのだから、
確定的であれば構造的に”自由”は喪失され(強迫)、
自由(程度問題を考えれば”自由度”でもいい)が無ければ、判断や選択って自意識の主な業務も閉店なのだから動機形成は不全となる。

んなもので、話は戻るけれども「何かの契機」には、ストレス信号も含まれるのだから(「あ、腹へった」等)「強迫構造即ち構造的な欲求不満」と言ってもいい。
強迫構造は快不快原則の世界の中で、興奮を伴う依存関係にある行為を追体験の形で”行為化”させるのでその欲求の過半は代謝される事に違いは無いけれど(よって投影が容易になるシチェーションを予め担保する必要がある)、強迫が構造化し慢性的な内向化があれば微妙な欲求不満も構造化する。
強迫構造には”舞台装置”が必要って事、
それは世界観とか認識の枠組みでも構わない。
シナリオ講座的に言えば『枷(かせ)』人物設定や物語のビヘイビアの事
そりゃシナリオがあるんだから物語の結末は決まっている事になるのであって、逃れ様の無い物語が続くことになる。
現実と『枷(かせ)』の区別が無くなり、『枷(かせ)』が現実に置き換わると言えばいいか。そして『枷(かせ)』は『枷(かせ)』なのだから、これを再解釈するとか批判するとか批評するとかあっちゃいけないのであって(聖域化)、ここはステレオタイプな道徳的認知として体感される事になる。

しかしですね、これ
「僕なんかカツ丼一生食べられないんだ」なる『枷(かせ)』があったにしろカツ丼そのものはさして苦労しなくても定食屋さんで食べられるのであって(笑
逆さまに言えば、「なんだ食えるじゃん」なる(強迫意識的には屈辱)可能性を想像(創造)し得ただけでも勝ったも同然。
※重用なのは動機形成の要件としての選択肢の実存:不確定であって、実行行為の正否はまったく無関係である。
「想像し得た段階で勝ちが決まる」

現象として説明するのは簡単なんだが、メンタルな問題に直面している状況でそこに到達するのが難しい。
一番厄介なのは行為の断念が結果として「何かの契機」そのものを嫌悪してしまう図式を生み出してしまうところにあるのかも知れない。
そうなうると、抑圧的図式がよりディープインサイドになる、
posted by kagewari at 23:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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