2020年09月03日

あえて情報不足の中でも米国のBLMの裏を考えてみる

個人の「強迫心理」を扇動する仕掛けとは何か?
米国で起きた暴動は、これ言っていいのかわからないが米国CIAが得意にしてきた情報戦のひとつだと言えるでしょう(リビアがどうしたアラブの春がとか香港などでも)。
●手法としては、現世利益的不平不満のある階層に「こいつらが諸悪の根源だ」と煽るやり方
同時に、この時毛沢東思想じゃないけど『造反有理』をくっけて過激な行動こそ正義だと思い込ませる(勿論そこには略奪などのインセンティブもオマケでついてるよっ)。

つまり現世利益的不平不満が社会に存在することは、それ自体(謀略なり工作なりを発生させ得る)リスクとなるってことだよね。
不平不満層は(この段階で反動形成化しているので動機形成に係数かかって過剰化してる)、
不利益に応分の保証では収まらない心理があるのだから(上記の反動形成係数)、
そこを煽れば(反動化した欲求は具体性を欠くためぶっちゃけエスカレートに上限が無い)、
「無限に過剰化させることが可能だ」って手法です。


■これは「強迫心理」とコンプレックス論そのものだけれど、
不平不満がある時、その合理的理由を考える事が早道だし正解に違いないんだけれど、
それって一歩間違うと(てか頻繁にそうなるんだけどさ、、、)
「私に原因があるってか!!」な反発を招く←ほら、この段階でコンプレックス化してるワケ
(文学的に言えばルサンチマン)
初回動機形成された行為が失敗乃至まったく成功の見込みが無い場合、
賢い人ならオルタナ化やサブカル化(世俗化)を思考することになるけれど、
上記の賢さの根拠は「自由に考える『自意識』が健在な状態」を指すよね。
ところが、
(人種問題とか煽りネタが豊作だとか、なんとか障害のようなフラグがあると燃料に事欠かないので)
人間そんな常日頃から冷静とか無いからさ、
ほとんどの人が「強迫心理」に捕らわれます←それが圧倒的多数だと思う。
(そもそも「強迫心理」単体は、『共同幻想』社会適応自我のほぼ全員にビルドインされてるし←一般用語に「失敗をバネに頑張る」ってあるけど、これガチの「強迫心理」とコンプレックスの構造だから。)

「強迫心理」とコンプレックスは表裏一体であり、
(そもそも「強迫心理」って《反動形成によって》現実から乖離した飛躍した論理なので、マスコミやら有能なアジテーター《権威者然とした扇動者》が煽ると速攻で炎上する→なんぼでも『興奮』物質を誘導できる)
あれだけ法整備含めて対策された米国の人種問題であっても、
アフリカ系米国人の深層心理に「強迫心理」ってのが根強く浸透しているワケだよ。
(これも禁句かもだけど、容姿からして一発でレッテル化する部分もあるからね)

●ある意味この現代社会で起きたBLMってのは、
極めて心理的弱点を煽った現象であり、物理的な不平等のサイズと全く比例してないんだわ。
(某国の被差別階級から見れば「え?すっごく平等に思えるけど」な状態なわけでだな、、)

ネタはなんでもいいの、貧困でも容姿でもナントカ障害でも慎重でもバスとのサイズでもさ、
たとえばさ、
「就職に失敗した」とかの事例があるとする、
その原因は自分が思ったものと全く違っていても、
「きっとこうに違いない」とどうしても”思ってしまう”弱点があった場合(強迫心理の炎上リスク=この図式がコンプレックス構造と同じであることに注目)
自力でそれを抑えるのはなかなか難しいんだよ。

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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 10:21 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月02日

前回記事の「個人が命を賭けた勝負《レーゾンテートル》」の簡単な補足(ヤバい話だわ)


だから米国憲法修正事項で「武装する自由」が認められてんのさ《終わり》、

アメリカ合衆国憲法修正条項第2条
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。


コルト45SAA短銃身のペットネームは?「シビリアン(市民)」です
(確信犯的再選択なガンスリンガーは、このシングルアクションのリボルバーをオートマチックより早く撃ちます。「オートマチック銃のスライドが前後している間に俺は2発撃てる」←みたいな”無駄な特技’を持つ名人が何人かいたのです。←これは史実な、)
http://kagewari.seesaa.net/article/332533341.html


●極論中の極論だけどさ、
米国の理念ってのは、「欧州的『共同幻想』系(王権やらローマ教会権力やら)の連中は(自由・民主主義の)敵だから殺してももよい、というか殺すのが市民の義務だ」ぐらいの勢いで、、
つかさ、連中そのものが欧州の側から見ればIS級テロリストだからww
(ユグノー戦争でも調べてくれ)
しかし、英仏対立構造の中で米国独立戦争を支援したフランスは「なんかいいんじゃね」と、
「地獄のフランス革命」へ突き進むのであった、

あんだかんだいって、そんな(昔は欧州札付きのテロロストだったかもしれんけど)米国が天下取ったわけで、歴史によって「自由と民主主義」ってのが、そこそこいける概念だって証明もされ、
(発案の経緯はともあれだ)

米国が言わんとしていることは、
世界には「自由と民主主義の敵(『共同幻想』適応全体主義者)がいて、銃で武装しなけりゃ殺されんぞ(てか生き残りたかったら奴らを殺せ)」って話で、
うーん実に物騒なワケなんだが、、、、
(補足するけど、米国がスーパーリベラルなのではないからな、米国の言う自由《リベラル》の根幹は「信教の自由」で、欧州で異端されるような宗派が自由に存在できることを意味しており、どちらか言えばその後世俗化した欧州に比べ、米国のキリスト教信者の方が”よっぽどカルト”だったりする:ここは「チャンネルくらら、切手学者内藤陽介氏」の受け売りです)
 ↑
ほら、建前と本音じゃないけど、
(表だって言えないことを暗韻にして)デカいスローガンをぶち上げたらそれが独り歩きして、
本当に(自分達の宗派関係無しに)「自由と民主主義」を標ぼうすることになった。
(ひっこみがつかなくなったとも言う)


<<でな、現代日本の自由だけども>>

●一部には「陸軍主導のソ連による敗戦革命(日本の共産化)」より「海軍やけっぱちの米国による敗戦革命(GHQ)」のがまだマシだと、意図して戦争に負けたって傍証(これは歴史評論茂木氏の対談ネタ)もあるぐらいでさ、、
少なくとも、現代日本の平和や民主主義ってものが米国に担保されたものであるのは事実。
(それが横暴な植民地主義にならぬよう、《強さを示すため》徹底抗戦で挑んだ)
だとするなら、銃によって勝ち得た(憲法9条)現代日本と言えるのであり、

上記の建て付けでずーっと先の末端まで見渡すなら、
「今現在の日本の自由が、市井の米国市民が個人所有する銃によっても成り立っている」のも事実なんだわ。
(日本の国家や法を守っている武器は、自衛隊と警察の銃だけでは無く、他国の市民が個人で所有する銃も含まれてる←こう考えると日本の安全保障を米国に依存する現状がこれでいいのかって論議も別の意味を持つだろ?)

●「面白おかしく生きてやろうじゃネーか」って『単独者』はさ、
場面によっては「上等じゃネーか、やるんかこのヤロー」あっての姿なのだよ。
(少なくとも非武装中立的発想はあり得ない話。また何も銃を持って戦うだけが覚悟ではなくってさ、たとえば中国に対し「核でも何でも撃てるものなら撃ってみろ」と、微塵も怯まず自衛隊の奮闘を信じ支持することも現代社会における市民の覚悟だと思う。)




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コメント欄に問題となった同趣旨の投稿が続いたため、ブログコメント欄を閉鎖します。
詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
コメント欄の削除があった件(関係障害について)
http://kagewari.seesaa.net/article/402054291.html


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posted by kagewari at 13:15 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月01日

社会性とプライバシー(パーソナルスペース)の関係

本を読んでいる時、他人から声かけられると邪魔ですよね?
ひとりシリアス映画を視聴している時にもそうですね。
ちょっとアレな話になりますが、トイレでうんこ中に話しかけられたら?
言うまでも無くですが、携帯電話で大事な商談中にしつこくからまれたら喧嘩になりますよね。
(そら地域性にもよると思いますが)銭湯で入浴中、普通話しかけませんよね。
 ↑
逆に言えば、上記状況ではプライバシーの確保が空間の満足度に直結している。
人間には「独りでなければ耐えられない状況」ってのがあるんです。
それは普遍的事実、

近現代の政治において「プライバシー保護の法整備」が進んだのは
社会が大きく舵を切った転換点です。

そしてもう一点、プライバシー空間に共通することは→【重要事項】場面であることです
(ここには資本主義における”私有財産”などの概念も関係しており、この点からも経済発展と強く関連する社会現象だと思います。)


これに対して社会性(付き合いの世界)とは何か、
「公共とか、共有スペースとか、社会的ナントカ」などの世界、
(勿論そこには友人恋人家族関係も含まれます)
●原始時代で考えましょうか
そもそも一人でふらふら出歩くことは死を意味します
 ↑
注:対自然(ワイルド)って意味なら、こちらも文明の発達「銃の発明」により単独行動が可能となる(そら古代もドン・キホーテ的勇者は槍だけで行動したものもいるだろけどこちらは例外)
 ↓
話を戻して、
欧米や中央アジア中東中国全てがそうであったように、当時の都市国家は「要塞都市」です。
(一族や村全体が城壁で囲まれた都市に暮らす:『進撃の巨人』と同じですよ)
※この話、逆説的に考えりゃ、
「フラフラ出歩く異邦人や異民族や隣村の連中は躊躇なく殺してもよいの意」である、
 ↑
そこに経済の概念が入るワケだよ、
自分とこの集落に出入りする「商人」はむしろ歓迎で、道中を警護する場合もあったでしょう。
(そもそも商いのスポンサーが領主とかなんだから)
=連携すればお互い利益となる一族や異民族とは連携できる(経済関係による社会の拡大)

注:『家幻想』にも触れておきたい
前述のとおり、都市国家は=要塞国家であり(日本の戦国などは例外事項:日本には奴隷文化が無かったため、農村集落は半ば自治会運営で”戦の時には山に逃げ”→戦が終わると落ち武者狩りで《負傷兵をぶち殺した》金目になる武具などを奪い、関ヶ原のような大合戦の時には見晴らしのいいところから弁当持って見物していた)、
【領主をトップとする巨大な家(要塞)の中に入れ子構造で(要塞<門<詰所<家>詰所>門>要塞>)】世帯の家が成立しており、『家幻想』なるものが後の国家というピラミッド構造の末端セルであって、”固有に独立した存在では無い”ことがわかると思う。
(『共同幻想』身分制度などに組み込まれる事によって『家幻想』は成立する)

注2:例外的な日本にも要塞都市はありました→それが僧兵により守られる「宗教一門村」みたいな奴(信長が皆殺しにしちゃったりね)、勿論欧米教会権力にも同様の機能はあり(ちなみに米各州は事実上キリスト教の宗派により分かれている)、「山口組のシマ」みたいに考えるとわかりいいかな。

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posted by kagewari at 14:06 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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