2020年08月06日

どうでもよすぎる古代SFちっくな話

別に古代文明宇宙人説をやらかそうってことではありません(そのネタ大好きだけどね)
歴史評論塾講師の茂木先生の講義をつらつらyoutubeで聞いててふと思いついた。
 ↑
俺さ適当に書いてるから絶対間違ってるとこあると思うが、かたいこと言わないように。

彼曰く(ちょっと面白い話として)
エジプトのアメンホテプ4世の改革時(確か首都移転とかもやったのかな)、エジプトの原始宗教と太陽神信仰だったかをハイブリッドにした統一宗教みたいな改革もやるわけさ、
そこの教義に「十戒」みたいな話が出てくる、
この当時ユダヤ人の一部はエジプトの奴隷で(この時の出エジプトがモーゼのアレな)、アメンホテプ統一教の影響受けてるんじゃないかって説。

(ちなみにこの改革はナイル川上流に位置した古代のエジプト神官にとてもウケが悪く、死後に息子のツタンカーメンにより撤回させられる。)

そこで更に考えると、
勿論このアメンホテプの時代っていえば「ギルガメッシュ叙事詩」が編纂されてた頃で(後にエジプトの戦争となるアッシリアやシリアにも翻訳版が出る)、エジプトの王なら耳に入っていたと思うんだよね。
旧約聖書に出てくるアダムってのは、”赤い土”を神が粘土のようにして作った最初のニンゲンとされているけれど(エヴァンゲリオンでナントカインパクトの後に海が真っ赤になるのはそれが理由)、
赤い土が”アダ”とかそんな名前らしくて、だからアダムらしいのね。


■さてお立合い(fateシリーズファンの方は全てご存じのネタだが)
シュメール文明の伝説『ギルガメッシュ叙事詩』って何?
王であるギルガメッシュと、その暴君ぶりに困った神が粘土で友人エンキドゥを造り、
この二人の英雄譚みたいな話だよね。
(はい、物語には洪水伝説も登場します)
「神が粘土からヒトを造った」
(ちなみに漫画『進撃の巨人』においても、悪魔と契約したユミルが”道の謎空間”で粘土こねて巨人を造ったりその継承者の身体を補修してるのはこの辺が元ネタだよね)

これがまたシュメール文明と言えば粘土の文明だったんだわ、
メソポタミア辺りでいんだっけかな?
石を切り出すとこが無いので、建築物は全て”粘土レンガ”だったそうで、
(この時既にエジプトのパピルスあったか知らないけど:パピルスはペーパーの語源)
紙に書くことは無く、文字は全て粘土板に刻まれた、
(であるから、アニメなんかだとギルガメッシュはメモ帳代わりに粘土板持ってるんだわ)
「何でも粘土でできている」じゃないけどさ、そんな文明だったワケ、

●勿論ユダヤ教の成立において(出エジプト時はともかく)”バビロン捕囚”においてガチ影響受けていただろうと、

(※ちなみにどこから来てどこに消えたかわかたないシュメール人は、人類最初の文明とも言われSFの世界では宇宙人説があるのさww←日本のSF右翼には、このシュメール文明と日本の皇室の関係を示唆する説を真面目に研究している人もいます。「菊の紋章」など共通するものがあるため、)

(※更にちなみで言えば平安時代の渡来人氏名だった”謎の秦氏”という一大勢力があり、この秦氏が日本の有名な神社を建立するんだが、基礎部にダビデの☆マークがあったり、ゾロアスター教の影響を感じる部分もあるなど、”秦氏イラン人説”ってのがあるのね。→これが平安時代などの大河ドラマに”ダルビッシュ”みたいな俳優さんが出ている方がリアルだって根拠《平安物語だったか何かでも秦氏一族はスゲーイケメンとして登場するじゃなかったかな》、当時の戦乱屏風画などでも秦氏と思われる軍事は通常の日本刀では無く、中東風の刀を持っていたりする。)

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posted by kagewari at 18:10 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リクエスト関連(ゆゆさん”対人関係に異常無し”)

ゆゆさん
>コミュ障の人って私達が周囲に同調してロボットみたいと僻み満載の非難しか出来ないと言ってきてうざいです。私達だって自分の意見は言うし、何でも同調するわけじゃないのにね。何でも気を使って友人関係を気づいてるんじゃなくて楽しい、この人が好きだから一緒にいたり、遊んだりしてるのにね。友人がいない現実を受け入れられてないからそうやって非難するしかないようですけど。友達欲しいなら努力してコミュ力を上げればいいのにそれもできないからと言って私達を妬むしかしないのでしょうか?

■週末から週明け前後に「付き合いとは何か」みたいな”心理学テキスト”アップされますから
「ます、それ読んで」
「それから”コミュ障”なる人物などいません」

だと終わっちゃうので、重複気にせず書きますが、

大きく分けて「見る人によって景色が変わる事象」は二つ

1)不特定多数との関係性(コミュニケーションスキル保有を自称するゆゆさんと、コミュ障さんが会話してりうことがナンセンス)=『共同幻想』社会です、
ゆゆさんに”コミュ障さん”とレッテル貼られる人物は、本来それを嫌っているので、その人物がゆゆさんと接点があること自体矛盾なんです。←わかります?
”コミュ障さん”は、本来であれば「コミュニケーションスキル保有を自称するようなゆゆさんタイプの人と、最初から口を利きたくないほど嫌い」でな’ければ、行動選択が矛盾するんです。

※たとえば『単独者』は”これ”(『共同幻想』社会)を嫌悪します。
セレクトショップの経営者は自分が拘りで仕入れた商材を、勝手に近所のスーパーの陳列棚に紛れ込まされたら激怒しますよね?
というかスーパーの陳列棚的世界が嫌いだからセレクトショップやるわけで、、

※逆説的に言えることは「”コミュ障”なる人物が不特定多数の人間に意味も無く関係しているのは「適応強迫」であり、本音では無い」←どういう意味かって?
”コミュ障”さんは、別に不特定多数の社会そのものを嫌悪しても何らも問題が無いのに(セレクトショップとスーパーの違い)、それをあたかも「悪いことだ」のように道徳的に否定しており(反対に不特定多数の人と関わるのが善みたいな)、
 ↓
言い方変えると「拘りの会員制セレクトショップを始めたいのに、何故か独立した店舗を構えるのが”悪”であり、スーパーテナントとして出店するのが”善”であるかのようなキテレツな宗教にひっかかっている」ようなものなんです(無意識なので、自分の行動選択がトンデモ矛盾であることに気が付いていない)。


2)友人関係があたかも?”いいこと扱いで既成事実化”した話の前提になっているのは、(ゆゆさんが所属を自称する)あなた達『共同幻想』社会の風物詩に過ぎないので、”非適応系”の人物(コミュ障さん)にそれを伝えることは、
「イスラム教徒って豚肉食べられなくてバカみたい。私たちは豚肉好きだし美味しいと思ってます」←これぐらいのナンセンスです(笑

「”友達がいて楽しい”」←これって一種の教義ですから

(というか個性化の時代において、「不特定多数の対人関係はめんどくさい」と考えることが一般化しつつある。「親友以外の所謂友人関係(付き合い)ムダ論」)

●さすがにこの説明にはゆゆさんお怒りかと思いますが(道徳的に”いいこと”と辞任されていると思うので)、そこはご容赦ください。まあ、冷静に、、

簡単な説明なので(お怒りはごもっともですが)、最後まで読んでやってください。

「友達の多い人」=「付き合いのいい人」
「友達の少ない人」=「付き合いの悪い奴(別名が「お前友達少ないよな」)」
 ↑
不特定多数との社交や関係は「一歩間違えば、営業活動や接待業務です」
小学生のように、個性化がまだ進まず(半数近くの個体が”まだ典型的な子供族で同一目的だったりする”など:クラスの半数近くが”鬼ごっこ”に同意し楽しいと感じるなど)”集団的”と”個人的”な動機形成に大きな開きが無い場合は”集団的(交友など同じ空間で同じことをする)”であることは「”たのしい”鬼ごっこ」のようなキャッチコピーも可能としますが、
(鬼ごっこが何ら検証されず、”たのしいこと”ジャンルに既成事実化している)

個性化が進みますと、「ゴメンその時アタシすることあるから」が多発し”各人が一同に会する機会”そのものが減少します(全員が付き合い悪くなる:現代社会です)。


●思うにこの説明すると、ゆゆさんは「付き合いじゃありません、私の友達は全員親友です」みたいな話に及ぶのかもしれないのですが、
単純な経済学・統計学的にそれは矛盾するんです。
(親友とは”セレクトされた”を意味するので”不特定多数を排した少数”でなければ意味を成さない)
「不特定多数の親友がいる」←これ既に日本語としてオカシイんですよ(笑
(不特定多数の関係は親友では無いから←それは”友人関係”=”付き合い”)
※これ(セレクト主義)を政治の世界では”純化路線”と呼びます

そもそも(それらの関係がほぼほぼ親友的なものであるならば)
ゆゆさんが”コミュ障”さんと会話する場面が存在すること自体オカシイのです。
(そんな親しくも無い人との接点が無い筈ですから)

故に、証明されることは、
「少なからずゆゆさんも”付き合い程度の関係”も肯定していることになります」
(それを否定しているのであれば、”コミュ障”さんが誰だった以前の問題で、そのような人物に知見があること自体”親友舎”の恥ですから。)


■まとめ<お互いに認識に矛盾がある>ってことです
てか、口もきかなければいんですよ(笑
仲良くしなければいけない事情なんてどこにも無いのですから。
(それはともかく、詳しくは土日辺りにアップされる”付き合い論”を読んでください)




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詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
コメント欄の削除があった件(関係障害について)
http://kagewari.seesaa.net/article/402054291.html


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posted by kagewari at 18:04 | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月05日

「承認欲求」と「証明欲求(それを確かめたい欲求)」

ちょいと前のシリーズや記事リクなんかで『共同幻想』社会におけるインセンティブの実行に(友人や社会の)承認を必要とすることから(未承認は裏切り行為とされ罪悪感が発生する仕組みになっている)、「承認欲求」ってのはと、かくかくしかじか書いてきましたが、

(※ちなみにその関係で「強迫心理」下にある個人は、対人関係が悪化しますから《悪化させるために無意識に『共同幻想』社会とやたらからもうとしてしまう:不快『興奮』の獲得》←この不快『興奮』で快感代謝を行う悪循環に陥る。→「承認欲求」がまた別の意味になるワケです、、、)
(※また「強迫心理」下にある自我が、どうしてフラフラ『共同幻想』社会に近づこうとしてしまうのか?それは「強迫心理」の元ネタが”子供時代の『共同幻想』イメージ”であるためで、無意識に自分の「強迫思考こそが常識でしょ」と身近な『共同幻想』に認めさせよう《承認させよう》とする現象が発生する。→これが別の意味の「承認欲求」:だから”やたらいい悪い論に拘る”などの傾向が表に出るんです。) 


■原則論としては同じ方向性ながら『単独者』の場合は違う概念になります
それが「証明欲求(それを確かめたい欲求)」
 ↑
所謂『単独者』達が感じる”面白い”ってどういうことかがわかる動機形成のフローです

”『自意識』マター全開で考える”→”なんか思いつく”
「えっなんだこれ、ホントか?」(科学者研究の視点で想像してください)
俄然それが何なのか確かめたくなる、
ググるは、調べるは、更に考えるは、研究するわ(場合によれば実験)、
何か自分なりの結論を得られるまでもう止まりません。
「それが面白くって仕方が無いから」です、
 ↑
重要なことは、この動作は「ジャーナリストやドキュメンタリー監督や刑事の視点」なので、
誰かに説明しようってことじゃ【無い】んです、
(※そりゃ自分が死ぬほど面白がって続けた発見なので、偶然話し相手がいれば《それを隠す理由が無いので》話しますが、他人に認めてもらいたくて探求するのでは【ありません】)


●この現象は『単独者』以外でも発生します
『共同幻想』適応系人格においても、『単独者』風視点があり得るからです。
それはどういう状況?
「プライバシー度が高まる限定的状況」です(そこだけは自由が許されるみたいな)
DQNの「車イジリ」(自家用車の中は彼らの社会でもプライバシー度が高いと認識されている=故にカーセックスって風習が派生するんです)
奥さんの「住宅購入時のキッチン装備の拘り」(マイホームにおける私の戦場的な)
 ↑
ここだけは他人関係無く、自分が満足するまで止まらない
 ↓
『単独者』人格の場合このような「プライバシー度の高い状況」が24時間だってことです。


■ある意味”それを思いついた段階”というのは「夢に近い」
「それが僕の夢」と言語化されると「是が非でも実現したいこと(実現してどれほど快感を得られるものか確かめたい)」←自動的にこうなるワケ、
(刑事が「あっ、わかった気がする、こいつがホシだ!」→もう止まらない証拠を集め「そいつが犯人だと確かめようと奔走するでしょ」)

勿論試行錯誤ですから勘違いや失敗もあります、
(そんなことはどうでもいんです)
 ↓
こんな台詞がありますね→「面白いこと思いついちゃった」
実はこの台詞は文法的に正しくない、
正確に言えば→「あれれ?それってこういうことじゃないか?(オイオイオイオイ、どういうことだそれ)面白いことになってきたじゃネーか」
 ↑
●これが『単独者』の日常です
「それはあたかも生まれながらのハンターのようだ(その獲物はどこそこにいるんじゃないか?と思いついたらもう止まらない)」


考えてみれば(中段前述のように)『共同幻想』適応人格にだって、プライバシー度の高い状況になれば類似の動機形成が発現します。
(※『共同幻想』適応人格は自由が『抑圧』されているだけで、自由を失っているのでは無い)
 ↓
世界のエンタメにおけるゴールデンタイムにこれほどまでに『刑事ドラマ』がウケるのはそれが原因じゃないですかね(思いついたことを確かめたくなるって原始的欲求なんじゃないスか→「なぜなぜどうして」なんざ潜伏期の子供時代に猛烈にある人類普遍とも言える代表的な欲求でしょ?)
 ↓
でー、大人の『単独者』の場合(思考に関しては道徳も倫理も余裕で逸脱OKな限定解除ですから)「考えて、思いつくことの中身が事情じゃないことになる(サブカル)」

サブカル化だとか、オルタナ化ってのは広義の性欲を包含していきますから(道徳も倫理も余裕で逸脱OK)、子供のそれと違い「非常に大きな規模の快感代謝ネタ化」します。
●「ちょっとそれどういうことだ」と、飯も食わずに徹夜するなんて現象は『単独者』によくある日常ですが、そこはそれ「サブカルだのオルタナだの広義の性欲を包含するスケールだから」です。

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posted by kagewari at 00:37 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月04日

保守派の方へ「二階氏について」

最初に言っておきますが、俺は二階氏をまったく支持しておらず(どちらかと言えば嫌い)、
今回の話は親中派とも言われる二階幹事長を擁護する意図もありません。
橋下氏などのコメントから「こういうことじゃないか?」と類推したものです。


時に昨今日本のネオコンサイドから売国〇などと揶揄される二階氏ですが、
そんな簡単な人物ではないでしょうって話です。
(そもそも小沢氏と一緒に外に出たり保守党経由で自民に戻ったりって人です)
昨今は、小沢氏以来の中国とのパイプを持つ男と知られてますが、、

■元をただせば田中角栄の中国国交回復ですよ、
この時の角さんの事情ってのは、
総裁選だかなんだかで、田中派別動隊とも呼ばれた公明党の支持を取りつける交渉時に公明党から条件として打診されたもので(”いい意味で”利権ポピュリストであった角栄氏としても)、殊更田中派が興味のあった事項では無い。
(田中派の核心は国内開発にあって、宏池会や清和会のような外交的野心は”無い”。つか外交なんて興味無い事項に理念はおろか関心が無い。)

以降田中派は(”いい意味で”利権ポピュリストとして)国内政治を舞台に大活躍するのであって、安保や中国問題にこれという関心があったのでは【無く】、「利権がらみの行きがかり上友達になっただけ」みたいな理解でいいと思う。
そういった意味の後継者でもある現在の二階さんも
●「来るものは拒まず」で希望者は全員(どんなバックグラウンドでも)二階派に入れちゃう方針で有名言うならば、裏方で利害調整するのが本職だよね(マジ戦前からの日中関係の歴史とかもよく知らないんじゃないかしら)、

二階氏は中〇利権を足掛かりにその中〇の影響力が及ぶ東南アジア全域での利権を掌握していると言われており(所謂ロビースト的な交渉力って意味じゃないかな)、
「利害調整こそが政治道」みたいな人なんだと思う。


はっきり言って日本の政治にとって、有益なのか不利益なのかよくわからないんだけど(笑
少なくとも、特定のイデオロギーに入れ込むみたいなことは間違っても”あり得ない”
(そもそもイデオロギーって何って世界でしょ、、)
逆に言えば、理念先行で(興奮すればいい気持ちにはなりますから)反中でいきり立つ政治に対して「チゲーだろ」って思っているんじゃないかな。
「大声で中国の悪口言えば何か変わるのか?」
 ↓
「と い う う か 君達、国会対策野党協議の経験無いの?俺が共産党の穀田君あたりと話を詰めるのも、中国共産党に話を通すのと”どこがどう違うのか教えてくれ”。君らは思想信条が違うから一部の野党とは一切関わらないって言うのか?それは民主主義なのか?偉そうな事言うならまず憲法改正でもやって共産党を違法にしてからだ(諸君も欧米の状況知らない筈も無い)、さてその憲法改正の論議で野党と協議が必要になるが、どうするのかね(強行採決で国民投票に勝てるの?)」
  ↓
「中国に威勢よく強硬論で対峙するのも同じ、まず憲法改正してからだろ。君達は米国が強硬姿勢であるから勢いづいているのだろうけど、一体いつから米軍は君たちの軍隊になったんだ(米国の上院議員気取りなのか?)。強硬姿勢の外交が可能になるためには、安全保障上万全であることが必要になる(フィリピンのドゥテルテですらそうだろ《実はフィリピン軍とても脆弱》)、それで憲法改正が叶えば私も立場を変える可能性があるが(勿論私も憲法改正賛成だ)、戦後日本のままなら”カッコ悪くてもいい顔しつつギリギリの交渉する”以外道が無いんだぞ。」←これも保守そのものでしょ
(※米国の動きに乗るのはギャンブルになるし、その判断ができるのはインテリジェンス機関と連携している官邸だけ)

●似たような状況はイランとの外交にも起きている筈なんだが、何故かイランには同じような強硬論は出ていないでしょ。
(二階氏的には「香港どころか余裕のテロ支援国家だと思うけど、君らはイランには何も言わないのか?」ってことになるんじゃね)

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posted by kagewari at 03:35 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

「”日常(基礎的代謝)”と”非日常(インセンティブ)”の原則論」(番外編)


●さらっと話すけど、心理学的には【とても重要】な論議になります
今回(番外編)は「タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』じゃないけども」みたいな
わけのわからない話ですが、「パスカルの賭け」を織り込みつつ謎に挑戦します。
 ↑
繰り返します、今回はちょつとワケのわからない話なので、
後から質問や確認のリクエストなども禁止でお願いします、
(俺にもよくわかっていないのだからw)


■「人は認識できるもの、考えたものしか手にできない」
(我思う故に我在り:cogito ergo sum byデカルト)
●「だとするなら、現実とは考えた事象であり、それが幻想世界への答えだ」
 ↑
はい、何のことだかさっぱりわからなくなってきておりますが、
シンプルな命題で考えてみよう

前回の話、覚えてますか?これです、これ
 ↓
■■■たとえばさ、■■■
「驚嘆や感動や尊敬や敬服や驚異などを表す言葉として”スゲー”しか知らなかったら?」
 ↑
この恐ろしい話の反対側を考える中で以下の現象の答えを求めなさい

■ケース1)
ある日の夕暮れ、近所の小学校から聞こえるキテレツなチャイムで目を覚ましたソフトヤンキーの姉ちゃんが枕元の時計を見る(ヒモの彼氏がそろそろパチ屋から帰ってくる時間だ)
姉ちゃんはキャバクラ出勤の前にと台所に立つ、
(母子家庭生まれの彼女は子供時代から家事を担当しており、料理の天才と呼ばれていた。夜の街に出勤前の母はよく言ったものだ「〇〇ちゃんは料理が上手だからきっと男運がいいよっ」)
なんとか冷蔵庫にあったありあわせのもので一見中華料理風の料理を作った(勿論レシピは無い)
「うん、なんかすごく美味しくできた気がする」
パチ屋から彼氏が帰ってくる
「んかさ〜スゲー美味しくできたからさ、夜お腹すいたら食べてダーリン」
「わかったよ」「これさ今日の戦利品」(袋一杯のカップラーメンを手渡す)
「スゲーじゃん〇〇チン今日もありがとね」
(暑い抱擁の中彼はその料理を口にすることはなかった、勿論彼女もそんなことを気にしない)
 ↑↑↑↑
●この時に人類のシンギュラリティ―が起きて、
彼女が世界一の料理の創作に成功していたら?
それを観測するものは誰もいない
 ↑
※というか彼らの生き様は実存など求めておらず「インセンティブとノスタルジーの織成す幻想世界」だから、これでいんだよ



■ケース2)
「世界一の料理を作りたい」それが彼の夢だ、
妻曰く”マッドシェフ”の異名を持つ彼が今日も超一流の食材を並べる。
「そうだな、今日は(奥さんが会社上司の退職飲み会で帰りが遅い)さっぱりとしたお茶漬けがいいだろう」
(最初は松茸と思ったが、いつものフランスかぶれが出た)
「トリュフのお茶漬けにしよう」
そそくさと鯛のアラを一度炭火で焙ってから出汁を取る
、、、
(飲み会帰りで奥さんが必ず乗ってくる個人タクシーのブレーキ音に気が付いた)
「時間ぴったりだ」
帰ってきた奥さんは彼とひとことも言葉を交わさずシャワーへ
「あのさ、ダイニングにお茶漬けあるから」
「あらそう、いつもありがとね」
「うん、今日は特別美味しくできた気がするんだ」
(彼女は食事に手を付けることなくベッドへ直行した)

彼はキッチンで朝ご飯のしたごしらえをしながら、ひと口お茶漬けを
「うん、今回は俺の中でも一番かな」(満面の笑み)
「でも今度は”奥能登のシイタケ”にしよう」
 ↑↑↑↑
●ハイ、世界一の料理爆誕!!!確認されました
(ところが、本当に旨いのは出勤前のキャバ嬢が作った”中華料理風の何か”だったのかもしれない)

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posted by kagewari at 19:12 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「”日常(基礎的代謝)”と”非日常(インセンティブ)”の原則論」(3)


●さらっと話すけど、心理学的には【とても重要】な論議になります
今回(3)は「ノスタルジーの誤謬」みたいな話です
(『共同幻想』世界のヤバさってのかな、、)

みなさん子供時代の夏休みの課題に「絵日記」なんてのがありますね
(勘のいいひとは何の話が始まるのかもうわかったと思うww)
「その日の楽しいイベンドを絵にして日記に残しましょう(ガチ・エピソード記憶を推奨してやがる)」
「今日は茶室で瞑想を」「今日は茶室で茶碗を愛で」「今日は台所で抹茶の選定」「今日は茶室に飾る庭木の手入れ」「今日は茶筅の扱いを基礎からやりなおし」「たまには珈琲もいいねって日だった」「ハンドドリップと茶の心」「作務衣を補修した」「焼き物とは何か」「ここで一句」、、、、
(勿論”挿絵”は茶室か庭だけ。課題の自由研究など一切しない、)
 ↑
「うーん先生思うんだけど、〇〇君はお友達と遊ばないの?」
ここで千利休師匠がひとこと  (オマエガシネ


●さて絵日記のテンプレ的にはさ「どういうのが期待されているのか?」
「今日は海水浴ゴッコのつもりでビニールプール広げて〇〇ちゃんと遊びました、スイカが美味しかったです」
「今日はお母さんとデパートにいきました。ソフトクリームが美味しかったです」
「〇〇ちゃんの友達と喧嘩しました、すごく悪い子なのでお父さんに相談しました」
「日曜日は家族と遊園地にいきました、暑いので乗り物はのらずにパラソルのある席でクリームソーダを飲みました」
「〇〇ちゃんとお化けの話をしました、お母さんはお化けなどいないって言います。先生はどう思いますか?」
「今日は課題の自由研究ってことで、カプセルのおもちゃが出てくるガチャの確率をノートに取りました」
 ↑
「よくできました。たくさん遊んだね、先生はお化けを見たことがありまぁす」
”ハイ、100点”

 この世の全ては幻想である(by岸田秀)



■楽しい(イベント系)エピソード記憶は、全てノスタルジーに通じ、
登場人物達は愛すべき友人となる。
(※しかしこれを構造論で見る時、その心象風景は設計され”そう期待されたもの”なんだわ)
 ↑
何かことさら『共同幻想』世界を揶揄するつもりは無いので誤解の無いように、
”そのまま”だから(どうでんぐり返しても心理学的にそうなワケで←これがまたフロイト心理学がノスタルジックな保守派から毛嫌いされる理由でもある→「妙なネタバレすんなや」ってな)、

「そのノスタルジーは誤謬なのか」or「それはノスタルジーの誤謬なのか」はともかく、、、
それが演出され、何かにそう期待されているイメージなのは確かだ。
これがエピソード記憶化するのがアリならさ、
(メンタルなんとかの原則論的に)個人の自我はいかようにも誘導されてしまう。

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posted by kagewari at 00:32 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

「”日常(基礎的代謝)”と”非日常(インセンティブ)”の原則論」(2)


●さらっと話すけど、心理学的には【とても重要】な論議になります
今から原稿量が超過しそうなので、シリーズもので、
(3)は「ノスタルジーの誤謬」みたいな構成の予定です
さて(2)となる今回は「ネコ論」で話を展開してみよう

■「承認欲求」の話どっかで書いたと思うけど、
『共同幻想』提供によるインセンティブの講師には「承認」が必要で、
友人などが「いいね、だよねそうだよね」の追従認定でGOとなり、
このGO無しに個人で勝手にやると、あたかも不正行為をしたような罪悪感や(抜け駆けのズルみたいな)劣等感みたいな困ったことになります。←ザックリいえばこれが『抑圧』
『共同幻想』社会では自由が制限されており、、、

あれれ不思議ですよね、『単独者』ならそんなエスカレーション演出されたエンタメインセンティブは必要が無い(むしろ”どんな罰ゲーム?”ぐらいに思っている)。
じゃあ『共同幻想』適応者も好き勝手な日常を過ごせばめんどくさい『抑圧』やらに直面せずお気楽にいけんじゃん。
と こ ろ が、
そもそも『共同幻想』に適応しちゃっていること自体が(群れで活動する草食動物みたいなもので)ストレスなんですよ、、適応すること自体が「欲求不満を拡大する仕組み」になっとんのです。
 ↑
ここに「待ってました」と、インセンティブが用意されている。


●ぶっちゃけ僕らの業界では(どんな業界か知りませんが)
ネコ(単独行動夜行性)を飼うのは『単独者』系
犬(社会性動物)を飼うのは『共同幻想』適応系

なーんて話があります。

●犬は散歩だけで無く、飼い主と一緒に行楽にもいけますからね(てかそういう飼い方していない犬飼いは何か間違っている)、『共同幻想』社会における友人同様の群れの仲間というカテゴリになります。
犬としてもチームワークや、業務執行のコミュニケーションあってこそ安心して暮らせるのです。

●ネコは散歩はおろか、知りもしないところに連れていかれようなものなら「殺されるー!」とばかり激怒しますので、ネコと一緒に行楽になんて世界は”ありません”。
(※ひょっとして母系社会行動が観測されるライオン級のネコ科の場合は行楽的活動はあり得るかも知れないが、そもそもライオンは単独行動夜行性では無いので例外事項とする。)

そこよくわからず、ネコのことも知らずに「友達と遊びに行くのでネコをペットホテルに」などという輩がいますが、ネコ飼いとして言わせてもらえば「何か間違ってます」。
「ネコと日がな日常を過ごすのが最上な人だからネコを飼うんであって、、意味のわからない旅行がそれより大事などという荒唐無稽な発想する人はネコ飼いではありません」

「犬の遊びはイベントですが、ネコのストレス解消は自由に動ける日常空間性が必要です」
(重要なのは”自由を体感できる難易度”などの成立→通り抜け難いルートや、やたら高い位置の観測点など”楽ばかりではない日常空間”が《演出では無く》リアリズムとして必要となる。)
「犬のしつけは”待て”(『抑圧』)と”よし(承認)”を原則としますが、ネコに待てもクソもありません。ネコは自由を制限されることは断固抵抗します。→てか取り立てて何か特別なことをしようとも思わないのです(ネコには『抑圧』構造が無いので過剰に欲求不満が蓄積すつような仕組みそのものが”無い”)。」

「犬の喜びは飼い主とコミュニケーションしながら、遊んだり仕事することですが、ネコの幸福とは飼い主がどこにいるのかはともかく、平穏で気ままな日常が続くことです(これがMAXの幸福):ネコにとって飼い主は生存環境でもあるので、できれば目の届くところにいてくれって感じでしょうか。」

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posted by kagewari at 05:58 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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