2020年05月04日

人格、パーソナリティー、ペルソナ(ユングはやらんからな)とかあるけれど

「オオカミはウサギを狩るもの」とかさ、あるじゃん
人物としての素性のまたそれ以前の生物としての素性ってのが。
なんだか、人間の考えるご託には「レーゾンテートル」などに代表されるような、『自意識』の人としての僕みたいな部分を核というか、コアというか本質みたいに捉えがちだけれど、
(そら当事者にとってはそれでいんだけどさ)

たとえばペンギンを見る時に、
はたまた魚類全般の生存競争や進化のプロセスを見るときに、
パーソナリティ以前の主としての習性があって、またそれ以前に有性生殖生物の市場最適化原理というか仕組みがあるでしょ(そこの中間に個としての生存競争もあるけどさ)、
●そんな全体像としてのビヘイビアを考えるとさ、

個のプレーヤーとしてのパーソナリティーってのは、枝葉末節なんだよね
言うまでも無く、
「俺が誰」ってのはミクロであって、マクロには「人類ヒト科」ってカテゴリあるんだから、
(ミクロはマクロの枝葉末節のことでしょww)

「どうだっていいことだから、どうやってもいいのだよ」
 ↑
ここは哲学論争になっちゃうけどさ、
(別段進化を是としているワケでは無く、まーちょっと運命論的解釈としてさ)
それでも尚(マクロなビヘイビアに対してすら)『抗(あらがう)』のが『自意識』だとするなら、
●ぐるっと回って「レーゾンテートル」ってのは、

結果、何にも意味が無いのだろうという前提の中でも、
「俺が誰」って問いをあれこれ・ゴリゴリ考える様それ自体が(またぐるっと回って)種としのてレーゾンテートルに合致するでしょ(でなきゃ種に進化なんか起きないから→「無限に続く個と個のせめぎあいこそが進化の原理」なのだから)。

実存主義哲学における”不条理”論ってのは、
かといって全ての個が(意味が無い事無限大だと)それを断念するならば、種として終わっていると(進化の可能性というマクロの全否定)真っ逆さまにダウンしちゃうワケなのだよww
 ↓
だとすると、その反対は?(人類が種としてもテイクオフするじゃないけれども)
 ↓
■「当人の感覚的には、どう考えても全く意味の無い事に拘り考え続ける(『抗(あらがう)』)様」が、【最強伝説】なのさ(笑
 ↑↑↑
このアホみたいな禅問答の答えが、
「不条理こそが、自己の実存証明である」って筋立てになるのであって
(文学的には神がやれどうこうとかでめんどくさいから、そこは生物学的合理性に置き換えるのが中立的でわかりやすいかなと、)

岸田『唯幻論』心理学的にはさ、
所詮『自意識』が観測している世界はVRなんだし、
「この世にどうでもよくないことなどない」から
「どうだっていいでは【無く】」→「どうであってもいいから【命賭けて選べ】」に転じるワケで、
その様子はいずれかの方角なりを正解みたいに指し示すものでは”無い”ので、
 ↑
この動作の様子を客観的に『抗(あらがう)』と表現しているワケだけれど
(『抗(あらがう)』って言葉は単なる独自の説明方便)

現実を舞台にたえれば
『抗(あらがう)』を”踊る”と置き換えてもいいのね、
うんでさ、
「その時にどんな踊りをっ!」って部分がパーソナリティーなり人格って事なんだが、
(ここでユング心理学的発想は完全排除でおながいしまふ)
マクロで言えばさ「枝葉末節でどうでもいいこと」だよね、
(文化人類学ならどこぞの土人がキテレツな踊りを踊っている程度の意味)
しかし、それ当事者(ミクロ)にとっては命賭けで一番大事なことなのさ、
 ↑
<ここ経済学と全く同じだからな>

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posted by kagewari at 19:52 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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