比喩的な具体例で明示するといくらかわかりやすいかなと、
『単独者』なる概念思いついたのは実存主義哲学ですが、
実存主義ってのは巧みな方法でキリスト教反動化を”介入させず”、”いい悪い論”や”偏差値認知(階級主義)”の排除に成功した哲学です。
殊更『共同幻想』を意識したものじゃないと思いますが(せいぜいが個人の自由を拘束する保守性ぐらいのイメージじゃないのかしら)結果として”アンチ『共同幻想』”最終兵器みたいな概念となります。
■構図としてはこんな感じ
”いい悪い論”や”偏差値認知(階級主義)”←そのビヘイビアには宗教道徳やら世間様道徳やらの雛形がある(どうしたって洗脳や暗示によるバイアスかかった自我の醸成)
行動選択は(代表例が大企業のサラリーマン社会)末端構成員はひとりでは何も決定できず、上部構造になればなるほど権限と責任が付与されるが、ピラミッド構造上最高権威は無数の社会全体でほとりだけであり、しかもこの最高権威者ですらも(裏付けとなる宗教や憲法や世間様教やらの教義の拘束があり)必ずしも無制限に自由では無い(=個性化にリミットがある)。
”不条理(いいとか悪いとか上位下位平均などの概念を放棄)”=近代まで神がどうこうなど論議されていた超越的上部構造(この下に宗教とか教義とかって話になるので、そらにその上の”直接神と対面したみたいな意味を”→”不条理”と定義した→なぜなら道理の上部構想は超越的な世界なのだから、ここにアクセスするには”不条理《それを超越する構造》を”認知できなければ”プロトコル”的にそこにアクセスできない)←この上部構造に直接アクセスするような”在り方”を考えたワケさ、
↑
ちょっと意味わからないと思うけど(最強の自由と無限の個性化を考えた場合)
権威主義的に拘束されない空間なり在り方に”選択の方角が”向いていなけりゃいかんワケで、
「はいはいはいはい、だから”不条理”の認知が(無限の個性化)条件になるわけか」←ここにおーーーっと気が付いた人が実存主義哲学。
●まだわかんねーかなww
晩御飯の個性化で考えてみよか、
『共同幻想』的晩御飯
「今日晩御飯何にする?」「そうだね〜日常の晩御飯と言えば(用例判例フォルダ一気に閲覧)」「季節的に(旬のもの権威主義)あれかね〜」「そうね〜(偏差値的提案の共有)いいかもね」「だよね、そうだよね(命令実行)」
『単独者』的晩御飯
「は、昨日何食べたって?」「深夜に(用例化されていないので共有化できる名前が無い)たまごと食パンでフレンチトーストまがいの(いやあ実際は全然違うんだが)まあそんなんかな(また時間的にそれが晩御飯なる常用語的な食である認識はない)」
「へーフレンチトースト(この段階で『共同幻想』用例化イメージ)とか好きんんですか、、」
「え?ごめんなさい、ちょっと何言ってるのかわからない、、違うんだけど」
↑
まーこれひとつの『単独者』的に
『共同幻想』な人が相手だと、まともな会話も難しいって事例でもある。
■”不条理”って何のこと
岸田心理学だと「この世にどうでもよくないことなどない」(どうでもいい=アンチ権威主義)
フロイト心理学を展開すれば「そもそも全ての始まりはエディプスコンプレックスだろ?→その離脱ってどういう概念になる?=権威的認知の無力化」
確かさ、実存主義哲学自体がフロイト心理学の影響受けてんじゃなかったっけ、
(ま、そんなことはそれこそ”どうでもいい”わww)
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