いつだったかな(高校生か学生時代だと思う)
チョムスキーを読んで「流石に何がなんだかさっぱりわからなかった」経験から、言語学はちょっとアレだなと俺の中で確定しているのだが(笑
ちょろっと心理学に関係ありそうなつまみ食いというか、勝手な解釈で(そこは心理学応用で)いくつか考えてみたい。
岸田心理学の『唯幻論』を時々勘違いしている人いるかもだけれど、
『唯幻論』は、幻はいかんから現実を回復しようってのでは【無い】からな。
■全ては夢幻で、現実ってのは不断のリアリズム追求によって(リアルに辿り着くことはできないが)”現実の方向”に踏み留まることができるだろうって話(だから:『抗(あらがう)』なんだよ)。
それは同時に、うっかりしていると(『自意識』が後退や抑圧や共犯状態にあると)「一発であられもない幻想世界の住人になる」って話です。
(※前記事のVR論そのまんま)
現実ってのは『自意識』が幻想に抗って”そっちの方向を保持できるかどうか”って話で、
誰 し も が
『自意識』覚醒(『自意識』マター)状態以外の時間帯は”夢現(うつつ)”なのが実体なのですよ。実際これ皆さんね「ぼんやりしているとか、昼寝直前でうつらうつらしてるとか、とりとめのない想像しているとか(効果音でホワンホワンホワンホワワワ〜ン♪と鳴るやつ)」現実もクソも無いよねww、
●”誰しもが”どこの異世界妄想ですかって状態なワケ
(機嫌がいい時はネコだって何考えてんのかゴロゴロ転がってるでしょ)
現実から知覚された全ての情報は「一度電気信号に変換され、脳内に伝達されます(画像情報すら脳内スクリーンに上映されたものを見ているって話もある)」TV観てるのと基本変わらんワケだ。
構造として人間の情報取得の仕組みはコンピューターと全く【同じ】です。
うんで、このコンピューターのOS動かしてるのが言語であって、
【極論】だけれど、言葉使いを変えると人格も変貌します、
(お芝居の台本で台詞回しが変われば演技も変わりますから)
(バイリンガルな人が使用言語を切り替えると人も違って見える現象はこのため)
まがまがしい話になれば言霊ってのがあるように、
量子論じゃないけども、「言葉にしたものは”本当にそう見えたり””観察者の関与で本当になったりします”(なんせVR世界の話だし=”フラグを立てる”)」、
『共同幻想』論で言えば、語尾の「だよね、そうだよね」なんて(同調圧力モジュール)無意識に発せられているので、自我全体に支配的な影響力が及ぶとかあり得ないと、←普通思うよね?
↑
ここがやっかいなとこなんだわ、
『抗(あらがう)』と『被(こうむる)』←大きな違いは何?
舞台表現で言えばさ「上手か下手かみたいな立ち位置の違いでしかない」のに、心理的には”大どんでん返し”するほと(現実が逆さまになるほど)認識される世界が変貌します。
→続きを読む