2020年03月25日

「都合のいい”取巻き”論」のおさらい


”取巻き”の話は各所で書いているんだけど(サイドバーにもあったかな)
かなり重要な話なんで、おさらい的に書いておこう。

通常この用語は「「強迫心理」に都合のいい”取巻き”」などと表現するんだけれど、
「『共同幻想』の”取巻き”」でも意味は同じ。
(『共同幻想』と「強迫心理」の違いは”その概念が共有されているか否か”の違いだから)
概念としては『共同幻想』用語と考えてもいいのかも知れない、

●この言葉のネタ元は「ホラー映画の『オーメン』です」
実は悪魔のダミアンを守る悪魔教信徒の配下の呼称(翻訳前は何て言っているのかは知らん)
この”取巻き”は劇中でダミアンも知らないところで信者として次から次と現れるんだけど、
(ダミアンを守り立派な悪魔に育て盛り立てるために)
「特定の自我であることを望む見知らぬ賛同者」ってところから”取巻き”を引用してる。

『共同幻想』や「強迫心理」の場合、
揺れ動く自分の本音が出ちゃいそうな時に(ご存じのように『共同幻想』ルールでは個人的意見の表明はご法度だから)
「やっぱちがうかしら(疑問や個人的意見なんて持っちゃダメだね)、きっとこうなんだよね」と投げかけると、100%「ですよ、そうだよ」と返してくれる一群の事。
この辺の概念はフロイト岸田というより、
(アンナ・フロイト参考にした)自我防衛論の一解釈なんだけど、
●無意識に周囲の同調圧力を自分の自我『抑圧』に利用する自我防衛行動と考えている
(『自意識』共犯の一種)

昭和で言えばさ
「悪い友達と付き合っちゃダメよ」「友達は選びなさい」
なんて言葉に代表される
「友達は『共同幻想』同調圧力メンバーで固めなさい」的な、、悪く言えば”洗脳”さ、
個性化を抑制し、自我を”普通の人”なるモデル人格概念に押しとどめようとする試み。
 ↑
それが昭和までのオンザレールな時代なら、まだ一定の合理性はあったと思うけれど、
現代社会に代表される”ウザいSNSの仲間(相互監視で秘密警察化みたいな)”的に、『歩留り』時代の昨今では嫌煙というか半ば嫌悪されており、実態は「『共同幻想』崩れ」に属する。
(典型例がDQNの”グループ”)

更に言えば、昭和の時代なら「友達は選びなさい」にあるように、階級であるとか属性で同質性のある(できればワンランク上の)仲間を”選ぶ’ことが前提となっており、
それは一種の”スカウティング’なのね、
でー、この話がやっかないのは、
(文字通りオンザレールな『共同幻想』自我なら同胞見つけるだけの話になるんだが)
●当該人物が「強迫心理」の抑圧に悩んでいる場合、
(「強迫心理」って子供自我であるパターンが大半だから、自分の階層を低目に見立てるってかさ)
なんか「え、どうして?」な仲間をスカウティングしてしまう場合が少なくない。
その背景には、自分の「強迫心理」を周囲と共有できず(『共同幻想』化しない)、周囲と共有できない様から(自信喪失じゃないけどさ)、「低きに合わせる」みたいな傾向になりがちで、
皮肉な話になるけど、
昭和で言えば「自ら悪い友達をスカウティングしてしまうみたいなケース」が起きがちなんだわ。

気が付くと周囲はロクでも無い”崩れ”仲間で一杯みたいな(笑
 ↑
この様子が”取巻き”ってことね
(「強迫心理」からの離脱を考える場合、真っ先に縁を切るべき連中)

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タグ:取巻き
posted by kagewari at 15:38 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自我”非統合論”のさわり


どこで書いたか記憶薄れてますが、俺は人間の自我が言うほど統合していないのだと推定している。
相互にリンクしている程度の透過レイヤー構造のようなものだろうと、
「人が変わったように」的な側面は誰にでもあるからだ。
(故に多重人格否定論者であり《前述のリンクが切れたような状態だろうと》、統合失調否定論者でもある《各人格モデルの関係にに論理矛盾が大きすぎる状態だろうと》、)

自分の様々な側面が「全力で有機的に結合し自分を構成する」などということは【無い】ですよ
だいたいが「あの頃の自分」みたいに「気持ち半分当時の心境忘れちゃってる自分の記憶」ってあるからね、存外に自分なんてものは(『自意識』がその時の現実に対峙する人格モデルとして構成した”ロジック”)場に応じて張られる論陣っていうのかな(悪く言えば屁理屈)、
●こう表現するのがわかりいいかしら
たとえば、
 ↓
その場に応じた「書」を何かの符号として(直面する現実に対抗し得る概念を)その都度(和歌をしたためるじゃないけど)書くのだとする。
お題を出される度に白い半紙を広げてうーんと考える(文字も書体もサイズも)、
エイやとそこで書く「ナントカを表現する文字面」が、その時の自分と認識される。←だいたいこんな感じのようなものだろうと思うのね。

(完全に即興で書くのが『単独者』、お手本から文字を探し書くのが『共同幻想』適応系、趣味性高い雑誌など膨大な知見から文字を探して”ちょっとイイ感じ”に洒落たこと書くのが『歩留り』)

当然、その場その場で書いた文字が何層にも重なるワケで、
(その半紙を綴じる紐がリンク、薄っすらとさっき書いた文字が空けて見える様が”アバウトに統合してるっぽく感じる”関係性)
「あなたは誰?」と尋ねられた時、
まー手近な数枚をペラペラとめくって(そら思いつくことが最近のものは同傾向だろうから)
「えーと、俺は今こんな概念で現実に対峙する者ですよ」って、

たとえば「えっアタシ?(ぺらペラペラ)、、うーんコンサバ系?」とかねww


この「自分の書」ってのはなんだかんだ”中の人”である『自意識』でしか書けない。
(無意識領域に”毎度おなじみのお手本”が”ほらほらこれこれ”と言わんばかりにチラつく状態を「強迫心理」と考えりゃいいかな。←このお手本をビリビリーって破っちまえばいんだけれども、無意識領域の神棚にそれが据えられている理由ってのを解除しないと破りたくても手が届かないって感じかな。)

●と思っているので、
思い切って、100枚ほどもページをめくっちゃうとさ、
恥ずかしくて誰にも見せたくない黒歴史なんてのがザクザク出てきたりさww
(「超合金」とか書いてあったりな)
自分の肖像なんてのは、案外その程度の実存なのだと思う。

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タグ:自我
posted by kagewari at 01:47 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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