2020年02月21日

”いい悪い論”で思い出した「ゲージツ家はそういうこと目指していないと思うのよ」


岡本太郎の「ゲージツは爆発だ」じゃないけどさ、
或いは先日あった左翼の「表現の不自由な人」だっけか?アレがどうにも気分のいいものじゃなかった件にしても(コイツラは芸術に”いい悪い”を持ち込もうとした)、

■本来芸術が求めているのは”実存”でしょ
「is」だよ「is(存在する)」
「わかるかね、こうなんだよ!」ってのかな〜
ポップスやロック音楽なら「どうこれ?聴いて、面白いでしょ」ってことでしょ。

「この音楽はね、と〜っても道徳的に”いいこと”なの」←なんかな〜って思うでしょ。
しかもそれをロックやパンクのバンドが言ったらどうするよ?
(げんなりでしょ)

芸術家は厳密に言うと『単独者』とは言い切れないとこあるけれど(その表現の根底には反動的だったり誇大な部分を持ってこその側面あるから)、
少なくとも”非適応系個性派”であることが芸術家の条件だよね(違ってナンボの個性だから)。
(※いつだったかの「友人の概念論」で書いた「否応なく友人のできる野球部に対し、友人より作品の美術部」のたとえそのままですよ。)


てか文字がそうだから
『個性派』=「誰とも同じでは無い(共通しない)」
そこには共通する権威性認知も無けりゃ、共感も無い(共感も認めない)。
●「俺はこうだって作品を表現し」→「見る人それぞれが個別の解釈をするのだろう」←芸術ってそういうもんでしょ。

(そら言語としては「これは”いい”出来栄えだ」とか「失敗作だ(悪い)」などは存在するでしょうけど、主語が「自分にとって」となるので、偏差値認知や権威性道徳認知とは全く別のものです。)

逆説的に言えばさ、
『道徳』の存在(それを必要とすることは)”個性の反対の画一性”であり、
『共同幻想』社会や組織だからこそ、『道徳(いい悪い)』なんてな上位概念を語れるワケで、
(画一性→からの→偏差値=権威・階級制認知=『共同幻想』論だからね)

個性派にはそういう芸当はできません。
(”いいだの悪いだの”なんて、はなから意味が分からないよww)



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posted by kagewari at 23:36 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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