2020年02月15日

「友人という”概念”」(が、自我タイプで《営業形態で》てんでバラバラ)

(※2/15末尾のEDに追記)

これさ、イメージじゃなくて”行為”として考えるのが吉だと思う。
・遊び友達、飲み友達、趣味の友達、買い物友達、同期の桜からセックスフレンドまで、
 ↓
「友人とは”何か”」では無く「友人とは”何をする人か”」で考えるって事。
こっちのがわかりやすいからね。
●するとさ
「友人=何か一緒に行動する個人や仲間」って事になる。

∴『故に』
『共同幻想』適応系自我や、『歩留まり』系や、「保守系『共同幻想』再選択者」や、『単独者』それぞれで意味が違ってくるワケです(勿論”非適応者”として現状「強迫心理」に抑圧される自分のメンタルに問題意識のある自我もね)。

『共同幻想』適応系は、そりゃ社会適応系行為のほぼ全てを一緒に行動可能(社会統合型自我営業スタイルだから)
『歩留まり』な人は、共通の趣味などに限り行動可能
「保守系『共同幻想』再選択者」は、保守的儀礼や信念に通じる場面で行動可能
『単独者』は基本単独行動なので用でもない限り誰かと一緒に行動することは無い

それぞれ特徴挙げると
『共同幻想』適応系は「インセンティブとしての遊びを含む社会的行動(や社会があてがう娯楽)を共にするのが友人」
(プライベートな部分で深い交流があるかと聞かれれば否:故に”遊び友達や交友関係”などの言葉にその点が表現されている)
『歩留まり』な人は「趣味仲間=友人」一択でしょうか、
(個人的趣味なのだから「友人とはプライベートな関係」だと思っている)
「保守系『共同幻想』再選択者」の場合は、運命共同体であったり同志(が友人)
『単独者』は、友人の概念があるのか怪しいのだがプライベートな交流が嫌いなワケでは無く「表面的な社交を時間の無駄だと思っている(少なくとも遊び友達は友達だと思っていない)」だけで、個人的関係の腐れ縁はいるが滅多に合わないので、自分ではその関係者が友人って意味だろうかと(友人って『共同幻想』用語なのかな?)疑問にも思っている。
 ↑
まあ考え方はてんでバラバラなワケですよ、
●両極端な事例で比較すると、
・『共同幻想』適応者が想像する友人造は、『単独者』においては友人では”無く”、
・『単独者』が考える友人は、『共同幻想』適応社会では「にわかに想像の及ばない親友」のことであり、

全く噛み合わない。

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posted by kagewari at 06:16 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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